在日コリアンの新世紀。

若一光司氏。VS
         姜尚中氏。

湾岸戦争、ソ連の崩壊、PKO…。世界の激震は、ハイスピードで、時代を揺り動かしている。一方、従軍慰安婦問題をはじめ、前の大戦が残した爪跡が新たにクローズアップされている。歴史の狭間に生み落された在日コリアンは、この激動の時代の中で、どう変貌していくのか。
過去を見据え、現在をどう生き、未来をどのように築いていくのか。
二つの祖国と、日本と、世界を見つめて、新時代に向けて歩みゆく在日コリアンの姿を浮き彫りにする、世紀の対談!

この対談の主な見出し

1.語っていきたい多くの想いがある。
2.イデオロギーからの脱却。
    それが、新しい接点を生み出す。

3."住民として"。
    在日と日本人の等身大の出会い。

4.国籍はロイヤリティなのか?
    差別最大の砦は、国家意識。

5.草の根の住民意識を地域から育てよう。
6.当たり前の隣人 在日コリアン
    を表現できる時代。

7.在日コリアンは普遍性を、
    日本人は具体性を。

8.一個の個人として 自己実現をはたしたい。
9.自らを顧みずに、国際化はありえない。
10.内なるレーシズムの解消が、
    新時代への課題。

11.次の世代は在日を明るく語れるように。
12.二十一世紀は"人権"の時代。
13.多様な人生を送れるように。
    ワンコリアフェスティバルのビジョン。

(1992)

 

●語っていきたい多くの想いがある。●

−★本日はお忙しいところをお越しいただき、ありがとうございます。姜尚中さんは学者として、若一光司さんは作家として、それぞれご活躍中なんですが、最近はテレビにも出演されて幅広い活動をなさっている。テレビとは、よくも悪くも非常に影響力のある媒体ですが、その中でまじめに、いろんなことをきちんと捉えて、発言されている。すばらしいことだと思います。そういうお二方に、今日は広義の意味で在日問題について忌憚なく話し合っていただけたらと思っていますので、よろしくお願いします。
姜★★若一さんは在日問題も含めて、アジアのことを積極的に発言していらっしゃいますね。そういうことを発言するようになったキッカケをお聞かせいただきたいのですが。
若一★それはぼく自身の反省というか、生いたちと切り離せないところがありまして。ぼくの生まれは大阪の東淀川区(現淀川区)で、そこは猥雑な、大阪の代表的な下町とも言えるようなところなんです。そして例にもれずすぐそばに、朝鮮部落−当時ぼくらは朝鮮部落と呼んでいたんですけれど−があって、物心ついた時から、ぼくら日本人の子供と朝鮮部落の子供とは敵対関係にあり、棒を持って殴りあいをしていたんですね。
姜★★ありましたね、ぼくらの子供の頃はそういうことも。
若一★いわば民族闘争に近いような(笑)。中学生ぐらいになると、本当にグループごとで完璧な差別闘争をするわけですね。とにかくそういう環境に育って、朝鮮人を見下す視点を持ってしまっていた。物理的に敵対する存在として目の前にいたから合計、差別することがリアルでね。だから中学を卒業する頃まで、ぼくは完全な差別主義者だったんです。
姜★★わかります。
若一★何がぽくを変えたかというと、高校に入学して、カンサンインという男と親友になったんです。彼は最初、通名を名乗っていたので、在日と知らずにつきあってたんです。その彼がある時、朝鮮人宣言をし、通名を名乗って生きてきた自分を自己否定して、朝鮮人として生きなおしはじめた。そういう彼の自己変革の過程にぼくは傍で立ち会うことができたわけです。その過程で、ものすごく多くのことを教えられ、またぼく自身が生きてきたそれまでの歴史というものが、いかに問題の多いものであったかということを知らされたんです。
姜★★在日が生きている存在として見えはじめたということですね。
若一★そうです。だから、そのカンサンインというすぐれた親友に出会わなかったらぼくはどうなっていたか全くわからない。しかし、たまたま出会えたおかげで目が覚めたんですね。そして単に在日問題だけでなく、自分と社会との関係にも目を向けるようになった。ぼくは画家志望で、芸術至上主義的な少年だったんですけれども、その親友との関係を通じて社会と自分との関係、あるいは社会と芸術との関係を考えだしていくことができるようになった。しかし、逆にいうと、それまでのぼくは社会的な思考のできなかった人間ということになりますよね。
姜★★ええ。
若一★現実に自分が偏見や差別意識を持ってきてしまったのは、もう仕方がない。そういう環境の中で育ってきたわけですから。しかし、猪飼野や生野に出入りするようになって、非常にすばらしい連中が、もちろんいやなヤツもいるけれど、いろんないい友達が出来た。それはぼくにとっての財産だと思うんですよ。すると、ぼくと同じような環境の中で育ってきた人たち、あるいは育ちつつある若い人たちに「その視点だけでいいのか?」という、問いかけをしたいと思うようになったんです。そういうプレゼンテーションが世の中にいっぱいなければならない。しかも、差別する力が強ければ強いほど、それに対抗するプレゼンテーションが多いに超したことはない。
姜★★そうですね。そのとおりだと思います。
若一★自分自身がもっと早い段階にそういうプレゼンテーションを受けていたらもっと早く目覚めたし、早くいい考え方に到達できたかもしれない。そのくやしさもあって、作家としてあるいは電波の世界に関与することになって、自分が知りえてる、自分が関係している在日の連中やその動き、それを含めたアジアとの問題を今度は自分がプレゼンテーターとして、世の中のいろいろな偏見を覆していくようなプレゼンテーションをしていきたいと思っているんです。
姜★★在日の一人として非常に心強く思いますね。
若一★姜さんの場合は、プレゼンテーションといいますか、メディアに出ることについてどうお考えですか。
姜★★ぼくは四十歳をすぎた今、自分の子供がだんだん大きくなっていくのを見ていると、どうも一世に近いようなメンタリティが自分の中にでてきたような気がするんですね。
亡くなった一世が、非常にリアルに感じられる。最近になって思うのは、一世は言いたいことがたくさんあったんだろうけれども、よくよく考えてみたら、言葉を知らないわけですよね。言葉を知らなかったから伝えられなかった想いを、そのままお墓に持っていった。ならば、少し言葉を知っている我々はもっと言葉を発するべきじゃないか、と。若一さんはたまたまその親友に会えたとおっしゃいましたが、ぼくが今、テレビ出演しているのも全く偶然に与えられた状況なんです。しかし、ぼくは基本的に発言できる場があれば、どこへでもいこうと、この頃考えているんです。

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プロフィール
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姜尚中(かん・さんじゅん)
1950年熊本生まれ。ニュルンベルク大学留学。
1987年より国際基督教大学準教授(政治学専攻)を経て、現在、東京大学教授。政治学、政治思想史。
『二つの戦後と日本』、『アジアを問う』。
主な論文に『昭和の終焉と戦後日本の心象心理』("思想"岩波書店)
『戦後バラタイムのゆらぎとジャーナリズム』
『戦後バラタイムはよみがえるか』 『歴史との戦いは終わったか』
『アジアとの断絶、歴史との断絶』(以上"世界")などがある。
ABC『朝まで生テレビ』出演中。

若一光司(わかいち・こうじ)
1950年大阪生まれ。作家。
『海に夜を重ねて』で1983年度文芸賞受賞。
小説以外にノンフィクションも手がけ、
特にアジアに関するルポや評論を多数発表。
主な著書に「ペラクラの指輪」「最後の戦死者・陸軍一等兵小塚金七」
「我、自殺者の名において」「逆光の都市で」
「国道一号線の手向け花」「二十世紀の自殺者たち」がある。
NHK「アジアマンスリー」出演中。

 

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