在日コリアンの新世紀。

若一光司氏。VS
         
姜尚中氏。

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●国籍はロイヤリティなのか? 差別最大の砦は、国家意識。●

姜★★それから、ぼくは、我々の"住民としての意識"と対を成す概念として、"国民か否か"の問題があると思うんです。
若一★ええ。
姜★★ぼくは、参議院の外国人登録法改正の時、証人に呼ばれたんです。その時、いろいろ議論をしたんですが、最終的に法務省側が何を考えているかというと、日本国籍を取得していないということは、ある積極的な選択をしているはずだ、というんです。日本という‥国家に対するロイヤリティ(LOYALTY=愛国心・忠誠心)がないという風に、彼らは見ちゃっているわけですね。若一さんたちのような、市民の立場からではなくて。
若一★お上の視点でね(笑)。
姜★★そう(笑)。それでぼくは、日本人と定住外国人 −たとえ何十年在住していても− この両者を最終的にわけるところはどこなんだろうかという疑問を、一生懸命考えてきた。それはやはり『戸籍に基づく国籍法』ですよね。
若一★そうですね。
姜★★我々は戸籍がない。では、戸籍とは何かという話になると、昔の徴兵制度の問題が結んでくるんですが、基本的にはお上から見てのロイヤリティの問題になる。そしてそれは日本国籍であり、その前提を持っている人間に対して、やすんじて国は「ロイヤリティがある」と認定してくれる。すると突き詰めていけば、およそすべての差別の根源はそこなんじゃないかと。本国の側にしても「国籍が日本国籍じゃないんだから、それなりの差別があって仕方がない」と考えていると思う。なぜならそれは、韓国でも同じことをやっているからであり、おそらく北朝鮮もそうでしょうから。
若一★おそらくそれは、日本だけでなく、世界中の国が抱えている矛盾かもしれませんね。
姜★★その矛盾の前で、我々が"内外人平等"という、人権の問題を具体的につきつけていく。それでも、やはり最終的には外国人で、日本国籍を持ってないんだから、合理的な範囲の中で何らかの差別があるのは仕方がないといわれてしまう。ま、差別があるから、在日であるということを意識させられていいんだという議論もありますけど(笑)。
若一★う〜ん。
姜★★それは一応おいといて(笑)。とにかく、国家は最終的に、人間をそこでわけているという事実があるわけです。
若一★そういうことになりますね。
姜★★法務省で議論してた時の話に戻りますけど、はじめは、実定法のことを細かくやりとりしていたんです。実務上どうだとか、法律上こうだ、人権上とかね。ところが、ぼくが最後に「どこでわけるんですか」と聞いたら突然、飛躍してね。ロイヤリティといいだした(笑)。
若一★なるほどねぇ、ぼくは持ってるんだろうか(笑)。でも、ロイヤリティと考えると心理的なものですよね。
姜★★そう、まったく実定法の、実務的な問題ではない。しかし国というものは、そういうかたちで人間を見ているという事実、ぼくはそれに非常に衝撃を受けたわけです。そのような視点のある日本の中で人権を捉えて、国籍の見えない璧を超えて、それが普遍的に適用されるような状況を一体どうやって創ったらいいのか、と。そういう状況を創るには、何が必要だと思いますか。
若一★まず、意識改草ですね。我々の意識も変わっていかなきゃならないし、在日もまた変わっていかなきゃならない。小さなレベルの問題の解決をひとつひとつ積み重ねていかなくちゃならないと思いますね。
姜★★そのとおりです。しかし、そうやって意識改革していって、それでも最後に国家という璧が立ちはだかるわけです。ぼくは、どこにこだ
わっているかというと、結局そこにこだわっているわけです。
若一★わかります。
姜★★もちろん、それを大上段にふりかざすと、非常に抽象的な話になるわけですけれど。しかし、もっと日常生活レベルで考えると、生まれてオギャーといって日本人は戸籍を取得する。同じように生まれても我々には戸籍がない。そして戸籍がない人間は人間として認めないから、その人間に対しては、ある程度の差別があっていいと、国家が考えている。すると、しもじもの中にも同じ意識が出てきてしまうんです。これをクリアするにはどうしたらいいか、自分の中に非常に煩悶があるんです。
若一★日本は今、国際化、国際化とやたらと叫んでますよね。そして世界も冷戦の終結、地域紛争の激化と非常に激しい歴史のうねりに突入していると思うんです。
姜★★ええ。
若一★その波に飲み込まれて、歴史という時間のスパンと世界という空間の中で、国家というものがどう生き残るかということが、ひとつ、問題としてある。それと別に、現実に生きている人間、個人にとっての国際化という問題があると思うんです。
姜★★そうですね。
若一★人間をどこでわけるかとおっしゃいましたが、結局、人を規定する概念にひずみが出てきているんですね。日本は開国して、まだ百年と少ししかたっていない。そして一応、単一民族国家といわれて −それが事実かどうかは別として− 大和民族即日本人、日本国籍者であった。
その基盤が今になって崩れてきている。
姜★★そのとおりです。
若一★人間をわける概念が、民族であったら、これはもうコリアンも欧米人も『日本人』とは呼べなくなる。国籍を取得してもね。人種だとすると、黒人、白人が同じ立場に陥る。すると、国籍って何なんだと、もう非常にこみ入った哲学的な問題になってきますよね。日本対在日だけの問題ではなく。
姜★★しかし、その日の議論では、「国籍とは何ぞや」まではいかない。ではなくて、とにかく国籍があるかないかでわけるんだという、彼らの頭の構造にはそこしかないわけですね。もうその一点だけは、死守しようと(笑)。
若一★なるほど。
姜★★すると、結局我々は、政治的に発言できる機会はないわけだし、
政治的な能力というと非常に限られてしまう。それでも、やっぱりやらなければならない。だからぼくは最終的には、結局はそこに突き当たっていくために、運動や考え方や、小さな動きは、たえずそこをにらみながらやっていかなければ、と思うんです。そういうものによってしか、
国家意識という大きな見えない璧はつき崩せないんじゃないかと。それをつき崩した時に、日本は変わるんじゃないか、と思いますね。


●草の根の住民意識を地域から育てよう。●

若一★結局、国籍の問題は最終的にそこに収束されてしまう。まったくそのとおりで、その国籍法をどうやっていくかも大きな問題であると思うんですが、ぼくは在日の運動で日本人にとって非常にありがたいと思っているのは、国籍問題のもう一方で、住民レベルの運動をやっていることなんです。現実レベルでの住民権の訴求を。
姜★★ええ。
若一★これは日本社会の弱点、構造予盾を非常にするどく突いているし、正当な要求であると。実は、我々は本質的には、まだ市民じゃないんですよね。日本はこの百年、市民国家と口ではいいながら、実際はお上支配で管理は全部サムライがやって、我々はまだ町人レベルにいる。サムライが町人を支配するという構造はほとんど変わっていないところに、定住外国人としての住民権を、在日が言い出した。国籍条項の問題しかり、指紋押捺拒否しかり。在日が言い出したことによって、我々の側もまた"市民"とは何なのか、いかに我々が市民じゃなくてまだ町人なのか、ということを非常に鮮明にさせた部分があると思うんですよ。だから、在日による住民権の訴求が、我々日本の市民が本来のあるべき姿に立ち返り、自己権力を獲得していく過程と非常にいい連動をしていくんじゃないかと。
姜★★同感ですね。両者にとって、非常にいい風に作用してくる。
若一★ここでは国籍うんぬんでやると、また抽象論になって、人によっては相反するところがでてくる。しかし、住民権の訴求・拡大、あるいは町人から市民へという移行、これは全く何の予盾もなく一体化する問題なんですね。
姜★★そうですね、そのとおりだと思います。
若一★そのことを大分、日本の社会もわかってきている。国籍による問
題は非常に重要ですが、国籍の方から問題提起していくと、ものすごくしんどいものになる。けれども、住民レベルでの闘いによって獲得すべきものを、どれだけ蓄積していけるか、これもまた非常に大きな問題だと思うし、まさに一番具体的な人権の問題が、ここにあると思うんですよね。それに戸籍主義といえば、朝鮮民族も非常に戸籍主義的ですし。
まぁ、儒教民族はだいたい、過剰に戸籍主義的ですから (笑)。
姜★★ええ(笑)。本国では官僚は、地方自治すら考えていないですからね。だから、在日の側も国家・国籍・民族で考えていくと、もう、オール・オア・ナッシングになっちゃうわけですよ。若一さんがおっしゃったように、ぼくはさしあたり妥協する点としてはやはり地方自治しかないと思います。そのあたりで議論を組立て運動していく。日本全体の流れでも、分権化が必須命題ですからね。
若一★そこでやっていけば、オール・オア・ナッシングの議論とは違う議論ができると思いますね。
姜★★そういう点では、ぽくの言葉でいうと「抵抗しながら参加し、参加しながら抵抗していく」ということになると思うんです。そしてその場は、やっぱり"地域"である、と。地域の中で運動をやって蓄積する、そこがひとつ突破口になる。
若一★そうですね。
姜★★日本全体の大きな動きを過たせてきたのは、地方分権、地方自治が、基本的にない、もしくは脆弱だったことに起因しているとぼくは思うんです。そういう点では市民として住民として、自分たちが主人公であるということ草の根からお互いに作っていかなきゃならないと考えます。ただもう一方で、けっして見逃してはならないのは、地域とは、草の根の住民意識を育てると同時に、ある種それに対する排斥主義の場でもあるということ。そういう両義性を常に持っているわけで、その中でどれだけお互いに顔の見える日本人と在日が出逢えるか。学校の問題とか、それにからむ様々な問題。それから、身障者の問題とかいろいろあって。そういうところで、例え小さな運動であれきちんと組立てていく以外に方法はない。そしてまた、それをネットワークしていく場が在日の中になければならないと思います。
若一★それがこういうワンコリアフェスティバルであったり、あるいは個人的に誰かが自己主張を始めて、それをまたネットワークとして拡大していくというようなことですね。
姜★★そういう非常に多様な軸が、確かに前よりは増えたと思うんですよ。前より増えたからこそ、こういうふうにばくが、ここにきてしゃべっているんだろうし、こういう出会いもあるんでしょうしね。

 

●当たり前の隣人 在日コリアン を表現できる時代。●

若一★先程言いましたように、ぼくは高校時代の友人に会うまで何も知らなかった。テレビでも、朝鮮問題・在日問題はほとんど見なかった。
しかし、日本の社会も未熟ながら変わってきている。二十年前では、テレビで朝鮮問題に触れるなんて、とてもできなかったし、触れるとしても何かの事件でしかなかった。在日をめぐる差別状況はもちろん芸術活動に対してもほとんど口を閉ざしてたのが現実だけれども、自分自身もメディアに出て発信していると、本当にここ十年の変化はめぎましいものがあると実感しますね。
姜★★まさしくそのとおりですね。それにメディアというのは、こちら側がどう接していくかによっていろんな意味を持ってきます。メディアに飲み込まれる場合もあるし。ぼくはたまたま湾岸戦争の時だったわけですけれども、あの時はいろんなことを考えてた時期で、そこに急に自分が発言できる場ができた。そこで、湾岸戦争の意味やメディアの意味など、いろいろ自分なりに考えて、メディアのつくりだす凝似環境がとてつもない大きなインパクトを持つ時代になったのでは、という直感がありました。
若一★あの時は、メディアが戦争をドラマ化しているという批判もありましたね。
姜★★ええ。中学生・高校生を見てると、湾岸戦争に対する接し方が、我々とぜんぜん違う。これはやっぱりメディアの中で自分がどう踊るかによって、それなりに変わっていくわけです。
若一★そうですね、ぼくも自分自身の反省や希望も含めて、プレゼンテーターとしての立場を最大限、生かしていきたいと、常々思っているんです。
姜★★最初はそこまで考えてなかったんですが、二回三回出演する中で、やっぱり自分の頭の中に戦略的思考ができちゃうんですね、ぼくは飲み込まれちゃいかんと。そこで、飲み込まれずに距離をおきながら、自分の立場と今の日本の全体状況と、このメディアがつくりだす環境とその影響力と……計算ができるようになったんです。そうすると自分のとるべきスタンスが見えてきますし、そこから逆に余裕もでてきました。
若一★そのスタンスのとり方に、まさに多様性を打ち出せる時代がきたんじゃないかとぼくは思うんですが。
姜★★そのとおりです。だから今はある程度、自分をコントロールできれば、メディアの中に飲み込まれずにある種の影響力を持てるんじゃないかと思います。そしてそれは在日が、在日だけでなく多様性を持った一個の人間として生きられるという可能性を与えるかもしれない。ぼく自身はいざとなれば大学の中に引きこもればいいわけですから、メディアにこびる必要もないし(笑)。
若一★ぼくもそうですね。さっさと番組おりて、作品書いていればいい(笑)。
姜★★そういう点ではやりやすい…と思うんですけどね (笑)。
若一★普通、朝鮮問題とか、パレスチナ問題、部落問題というような問題からかかっていく入り方がありますよね。これも悪くはない一つの人り方ですが、ぼくの場合は何度も申し上げたようにすばらしい友達、在日の友達とめぐりあって、その関係でいろんな人と知りあいになっていって、気がついたら在日社会との豊かな関係が生まれていた。在日としての現実を生きている当事者と親しくなることで、こっちが正されることもあるし、こっちが正すことももちろんあるし、いろいろ発見がある。自分のうれしい人間関係の中に、当たり前に在日がいて、部落がいて、身障者がいる。だからそのことを代弁したいという気持ちが強くある。こんなにすばらしいやつも、もちろん悪いやつもいっぱいいるけれども、すばらしいやつもいるんだ、と。
姜★★先程から絶対に悪いやつもいるとつけ加えますね(笑)。
若一★え……まぁ(笑)。それはどんな社会でも一緒だという意味でね。だから問題として入るよりも、まず自分にとっての日常感、リアリティをできるだけ表現したい。我々素人がメディアに乗る時、問題意識を振りかざしたり、抽象的な理論武装をしがちなんですけれども、できるだけそうしない、それがぼくの場合のスタンスになっている。特に大阪では20万人の在日がいるわけですよ。生野区にいる4人に1人が在日、当たり前の隣人であり友人関係ができてる。その当たり前さを当たり前に表現していっていいんじゃないか。それがぼくの一番やりたいことだし、またメディアの側もだんだん認めるようになってきた。
姜★★そうですね、それがぼくみたいな人間がオンエアできる環境になったっていうことでしょうし。まあ、あんまり堅くならずに状況に応じて対処しようと。だいたいメディアっていうのは多少、ズサンなとこありますよね。「今日でてくれ」「何をしゃべるんですか」「こんなことしゃべってくれ」って(笑)。

 

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