在日コリアンの新世紀。

若一光司氏。VS
         
姜尚中氏。

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●イデオロギーからの脱却。
   それが、新しい接点を生み出す。●

−★この十年、わがワンコリアも含め、新しい動きがいろいろでてきましたよね。指紋押捺問題、帰化した方が本名を取り戻す運動、また今年の参院選では参政権要求運動がありました。タブーというか、なかなか言えなかったことを、ぼくらやぼくらより若い世代がどんどん出してきている。そういう動きの中で、メディアもとりあげやすくなっているというか、随分状況が変わってきていると思うんですが。
若一★昔、それができなかったのは、一つには在日の側にも問題があったとぼくは思うんです。二十年ぐらい前の話で言えばね、在日の人と友達になると必ず民団・総連という話になってくるわけですよ(笑)。
姜★★すぐにどこかで何か運動をやるといって、旗もってね(笑)。
若一★すると、そのイデオロギーをこっち側が理解できないことには、しんどいところがあるわけです。だから当時は在日問題で何か動きがあれば、新聞やテレビの記者は総連と民団にいって話を聞き、この二つの組織の意見を並列することでことなきを得てたわけですね。ところがこの十年、あるいは5年ぐらいの間に、そういう政治的イデオロギーから自由になった在日の人たちが増えてきた。その自由は、我々日本人にとっても非常にありがたい自由なんですよ。フレキシブルに対応していける。在日の人たちがあくまでもイデオロギーの中に収まって個人の自立形態よりも政治を優先させている限り、ぼくらはその個人的接点にどこか限界を感じてた。
姜★★それは我々にもありましたね在日が集まるとすぐ政治がどう、日本は悪いといった議論になってしまう。
若一★そのしんどさを最近は感じなくなってきた。感じないだけじゃなくて、そのことがもっとメッセージ化できるような状態になってきた。
ぼくら日本人側がそういうメッセージを発することができるのも、在日の人達がやっぱり頑張って、政治を超えて自立形態、自己存在を持ち出したということがものすごく大きいと思います。
姜★★同感ですね。もう戦後五十年近くたって、いつかは帰れると思いつつ、歳を取って死んじゃった人もいる。民団も総連も、そういう現実を無視できなくなっている。民団や総連は結局、擬似国家なんです。国家的イデオロギーを振りかざしてその中で動いていた。もちろん、そうでなければ同化されてしまうという、せっぱ詰まったところで動いていた人もいたと思うんです。ところが、二世になってきて我々の実感からすると、そういうものにはリアリティがなくなってきているんですね。
若一★ぽくはひとつ、在日との関わりでずっと思っていることがあるんですが…戦後の在日の歴史の中で、在日者が日本の社会に対して訴求してきたのは、自分たちの歴史的正当作、社会的正当性ですよね。そのことは当然の権利であり、また出発点でもあると思うんですが、とにかく在日側が、日本の社会に関わる時は常に正当性の訴求であり詰問であったわけです。けれども、逆にいえばそういう訴求のために、いつまでも正当性の殺に自分たちを閉じ込めていたという現象があるわけですね。
姜★★ありますね。
若一★以前、ある討論番組で司会をやってた時、日本人の若い子30人と在日の子をゲストとして5〜6人呼んで討論させたことがあるんです。すると最後には「お前ら、俺らが存日としておることの歴史を全然知らん」と。知らないんですよ、日本の子たちは。で、「それをちゃんと知ってくれな、話できへん」みたいなことになっちゃって、どちらも激昂して、そこで切れてしまう。日本の子にしてみたら「勉強してないのはもちろん自分たちがアカン、反省しないとアカンけども、でも、教えられてないんや」というひらきなおりも持ってるわけですよ。今、言われたから「じゃあ、勉強しようか」という気にもなるけれども「勉強しないことにはつきあいできへん」と言われたら、これはもう、めんどくさい。
姜★★そうでしょうね。正当性に固執することで自分を守らなければならない時期があったことは事実だし、それも大事ですけれども、そこからいかに拡散していくかが我々の課題でしょう。
若一★課題というか、そういう拡散がここ5〜10年、少しずつ起こってきている。それがやはり一番大きな変化で、その拡散をいい意味で、日本側も受け止めていく状況が生まれつつある。お互いにとっていい状況になってきているなと思います。このワンコリアフェスティバルも象徴的なできごととして、その状況に合致しているんじゃないかという気がするんですね。


●"住民として"。在日と日本人の等身大の出会い。●

姜★★正当性の訴求、あるいはイデオロギーからの脱却ということと非常に密接したことで、ぼくも前から考えていたのは、在日というと、どこかステレオタイプにはめこまれてしまうことなんですよ。それはちょうど、身体障害者は人なみの恋をしてもだめ、老人になれば人なみの性欲を持ってはいけないというようなもので、そういう風な人間はそういうとこで悩んでいるはずだ、それ以外のことでは悩まないはずだ、と決めつけちゃってる部分があるわけですよ。
若一★在日というと在日問題でしか発言できない、というね。
姜★★決してそんなはずはないんですが、そういう風潮があることは否めませんし、自分自身もそれに捕われちゃった時期があるんです。それで、日本人に向かっては絶対、問題提起しなければならないということがだんだんいやになって。かといって逆に何もいわないでいると、日本の方から、聖人君子抜いを受ける時がありますね(笑)。その状況が、非常に苦しくて仕方がなかった。
若一★人間は本来、多面性を持ってますよね。例えば姜さんの場合ですと、在日であると同時に、政治学者であり、子供の父親であるという。
ところが我々日本人は、在日であるという部分だけをクローズアップして、画一的に見てしまう。
姜★★日本人がそうだというのではなくて、差別される側の人間は絶対そこにいなくてはならないという、差別する側の目ですね。しかし、やはり普段着の人間は物を食べて恋もして、いろんな欲求も持っているし、悩んでいる。そういう多様性を、もっと出していってもいいんじゃないか、自分も在日問題以外のことを発言してもいいんじゃないか、と。むしろ発言しなくちゃいかんと思いはじめたんです。
若一★なるほどね。
姜★★それが、ぼくがメディアに出て発言する理由といいますか、ひとつの大きなキッカケでもあったわけです。ちょうど湾岸戦争の時で、専攻の政治学者として出演するということで。本当ならぼくは、書斎でワープロを打っている方が向いてるんですけれど (笑)。
若一★在日の可能性、多様性が打ち出されていくことで、結局、ぼくらの側もまた、見る目が変わる。等身大でつきあえるようになってくると思います。
姜★★個人的な話ですが、ぼくは指紋押捺拒否したんです。埼玉で最初に。で、今振り返ってみても、あれは日本人と在日とが、フェイス・トゥ・フェイスで、はじめて出会った時だと思うんですよ。若一さんのおっしゃった等身大で。かつての総連・民団というのは、組織動員してこれだけの数が集まった、だから日本の制度に入っていったり、圧力をかけたり……。人でなく人数、数に重点があったわけです。
若一★確かに、指紋押捺拒否運動は違いましたね。おっしゃるとおり、
等身大で向い会えた最初だと思います。
姜★★それは戦後数十年たってやっと日本の中に、いわゆる市民運動が草の根からでてきた時期と、ちょうど重なったんじゃないかと思うんです。我々にとって、総連・民団に収まりきらない何かが出てきたのと同じで、日本のいままでの既成の政治勢力とか、運動団体はどうも金属疲労をおこしてきてうまく機能しない、あるいはいらなくなってきた。市民運動は、そういう日本社会の、デコボコしたところから自発的に声があがってきたものだし、在日もまた、同じような状態においつめられてきた。
若一★それが指紋をテコにして、うまく出会ったといえるでしょうね。
姜★★それは本当に大きな財産になった。いままで自分はエトランゼであると思いこんでいた、エトランゼとして生きてたまわりの環境が、逆に見えてきたんですね。住民同士の出会いというか。そうすると自分は、いままで身障者の人も知らなかった。女性差別の問題とか、いろんな問題をぜんぜん知らなかったわけです。自分だけが、差別の限界点にいるんだ、被害者なんだという理屈しかなかった。しかしやっと日本の方あるいは他の差別と闘っている方と、住民同士として出会えた。それが非常に新鮮で、その時はじめて"住民としての在日"という意識が、自分の中に実感としてでてきたんです。
若一★"住民としての自己"という意識の目覚め、これは日本人側にも在日の側にも共通して言えることだと思います。日本の市民運動が熟成してきたのと、"住民としての在日"の訴求が、ある意味で合致した。そして、それができたのはやはり、在日の人達の自己主張というものが、世の中にでてきたことが大きい。いままでだまって指紋を押してきた人たちが「押さへんぞ」と言い出し、その正当性を訴えだした。そういう動きがあってはいじめて、日本の市民運動もついていけるわけですよ。市民選動ばっかりが「指紋押捺は人権無視だ、押捺反対」といっても、押捺拒否を実行するやつがいないことには、これは運動にならない。そういう意味では日本の状況は、一番しいたげられてきた人たちが闘わなければ、動かないわけですよ。
姜★★そのとおりですね。
若一★そういう意味において、在日が闘いはじめた。それがいままでできなかったのは、一世二世はやっぱり"守る"こと、最低限のものを守ること自体あるいは生活自体が第一義であったからだと思うんです。けれども、二世の後半それから三世にかけて、住民としての意識、市民意識において自己表現をしだした。そのことが日本の市民運動にもいい影響を与えて欲しいし、まさに市民選動を育てることにもなると思うんですね。

 

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