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財団法人ワンコリアフェスティバル設立記念シンポジウム

「 東アジア共同体の未来に向けてー市民・地域交流を中心にー」

 

報告概要



 








 

「東アジアの生活者の連帯を夢見て」

李元範(イウォンボン) 韓国東西大学教授

 今日、東アジア日中韓3国のあり方は、国家や民族レベルでは葛藤が続く反面、民間レベルではお互いの親密さが深まっている。歴史認識の問題、領土問題のように国家間の葛藤は依然として3国間交流の難問でありながらも、民間レベルではTVドラマや映画、音楽のような大衆文化を媒介とする文化交流が活発となり、お互いの生活文化への親密さが深まりつつある。日本や中国では「韓流」と言われる現象があり、韓国では最近「日流」と言われる現象が注目されている。
 東アジア地域における「韓流」あるいは「日流」と言われる現象の背景には3国の市民社会の共通の情緒的な基盤があるといえる。つまり、相手の国のドラマや映画を見て深く感動し、共感を覚えることが出来るのは、仏教や儒教、または道教のような共通の精神伝統が基盤となった倫理意識や価値意識が共有されているからだと言うことである。
 東アジア共同体を実現するためには国家や民族レベルでの和解や妥協が必要だという主張は間違っていない。だが、戦後、65年も過ぎた今日まで日中韓の代表により議論されてきた歴史認識の問題や領土問題などが和解や妥協によって解決されるとは思えない。我々が期待できるのは、3国の健全な市民社会の価値意識や倫理意識の基盤の上に立つ消費者運動や環境運動のような生活を守るための生活者の連帯である。東アジア共同体への歩みは市民社会、地域社会から始めるべきであろう。
 

 

「東アジア共同体」よりまず「東アジア共同知」の発見を

王 柯(オウカ)神戸大学教授

 東アジア地域の平和と繁栄を保つために、互いにとって何が有利かということを常に冷静に考える必要があると強く感じられる。それによって、衝突を引き起こすような要素を減らし、相互信頼の基礎を築き、地域の民衆ははじめて最大の利益を享受できる。それを実現するために、国家間関係における「弱政治化」や「脱政治化」が必要であるが、「近代国家」という言説から脱出し、互いの利益になるような東アジア地域関係を構築する一つの重要な方法は、東アジア地域の市民による政治家の跳梁に煽られないような市民意識の育成、そして「東アジア共同知」の発見または再発見であろう。











 

「東アジア地域における歴史認識問題へのアプローチーささやかな経験にもとづく展望」

勝村 誠(かつむらまこと)  立命館大学教授

 90年代以降の急速なグローバル化の展開のもとで、東アジア域内諸地域では、貿易・金融のネットワークが緊密化し、域内経済の相互依存関係が深まるとともに、人・モノ・カネの移動も飛躍的に活発化している。また、同じ時期に、冷戦終結後のアメリカの覇権の低下、日本の経済的低迷にともなう政治的発言力低下、中国・インドの台頭などにより、東アジア地域における国家間の力関係も大きく変化した。
このような変化を背景にして、第一に戦争予防と平和体制構築、第二に持続可能な経済発展と地域開発、第三に人権の保障と政治的民主化、その3つの価値を実現していく手段として、東アジア共同体構想が注目されるようになった。東アジア共同体を語るときには、このような価値や理念を共有することを前提としなければならないだろう。
 報告では2つのことを語りたい。第一に東アジア共同体構想とは、地域秩序形成の不断の営みであるということである。EUのように加盟諸国家が単独の国際機構に統合されるイメージよりも、東アジア地域をめぐる様々な地域制度を並存させながら、緩やかに共同体に向かっていくイメージを共有することが重要だということである。
 第二には、日本が東アジアの諸国家と向き合うときに、必ずといっていいほど問題化する歴史認識問題の重要性をあらためて指摘し、これに向かっていくためにどのような視点で、どのような努力を重ねることが重要かについて考えてみたい。自国中心主義的な発想から、歴史認識問題や領土問題で弱腰になる必要はないと論じる論者もいるが、私は歴史認識問題に正面から向き合い、国民的に理性的な認識を持つことが、かえって東アジアにおける日本の国益にもかなうものであるという視点を提示してみたい。











 

「ポスト3・11」の日本外交と東アジア共同体

李鍾元(リジョンウォン、立教大学法学部教授)


 東日本大震災は、「パワーシフト」と「パラダイムシフト」が交錯する東アジアの巨大な転換期と重なっており、「ポスト3・11」の日本外交がどのような方向性を示すのか、重要な分岐点を迎えている。震災と原発事故という悲劇の中で、韓国や中国など東アジア各国でも日本に対する関心が広がり、ある種の「共同体」的な絆も見られた。日本の復興のために、日中韓を中心とした東アジアの地域協力が欠かせないという認識も高まった。しかし、その反面、日本の「内向き化」を懸念する声もあり、領土や歴史問題などをめぐって、韓中ロなど近隣諸国との間で摩擦が広がりつつあるも事実である。予想以上の勢いを見せる「中国の台頭」は日本の警戒感をさらに強め、民主党政権が掲げた「東アジア共同体」への政治的、社会的動力も低下している。
  「中国の台頭」にどのように対応し、安定的な地域秩序を構築すべきか。各国の思惑が錯綜し、地域情勢も不透明さを増しつつある中、日本外交は明確な方向性を見いだせないでいる。11月の東アジアサミットには初めて米ロが正式参加し、今年と来年のAPECはハワイとウラジオストクで開催される。各国で政権(権力)交代が相次ぐ2012年にかけて、「東アジア」という地域の枠組みをめぐる大きな外交の季節を迎える。日本をはじめとする「ミドルパワー」にとって、「G2」のような覇権的秩序ではなく、「共同体」的な地域秩序を築く正念場でもある。









 

プロフィール

 李元範(イウォンボン)  1955年 韓国全南完島出生、東京外国語大学日本語学科卒、一橋大学大学院日本地域研究科修士課程卒、東京大学大学院人文社会研究科博士課程卒(文学博士)。専攻は日本近代思想史、日本宗教文化史、日韓比較文化論など。著書に『韓国内日系宗教運動の理解』((韓国)J&C出版、2007年)、『日韓宗教文化交流の最前線』((韓国)人文社、2011年)。論文に「日本『韓流』の人文学的理解」(『日本近代学研究』26輯、2009年)、「近代日本の国民教化と宗教」」(『日本近代学研究』29輯、2010年) などがある。
王柯(オウカ)  1956年生、82年中国中央民族大学を卒業、同大学教員、中国政府文化部社会文化局勤務を経て89 年東京大学大学院総合文化研究科前期課程に入学、学術博士(94年3月)、96年から神戸大学国際文化学部助教授、2001 年から教授、現在同大学院教授。著書に『民族国家を目指して――中国における民族国家思想誕生の国際的要因』(中国、商務印書館、2011)、『西陲烽煙―― 二十世紀東トルキスタン独立運動の歴史』(香港、中文大学出版会、2011)、『「天下」を目指して―多民族国家中国の歩み』(農文協、2007年)、 『民族与国家』(韓国東北アジア歴史財団叢書、2007*)、*『20世紀中国における国家建設と「民族」』(東京大学出版会、2006 年)、『多民族国家中国』(岩波書店、2005年)、『民族と国家―中国多民族国家思想の系譜』(中国社会科学出版社、2000 年)『東トルキスタン共和国研究』(東京大学出版会、1995年、第18 回サントリー学芸賞受賞)があり、ほかに編著『東亜共同体と共通文化認識――中・日・韓三ヶ国学者の対話』(人民出版社、2007 年)を始め編著、共著と論文多数あり
勝村誠(かつむらまこと)

 1957年、大阪府守口市生まれ。立命館大学コリア研究センター長、立命館大学政策科学部教授。中央大学法学部政治学科卒業、同大学院博士後期課程満期退学。専攻は政治学、日本政治史、東アジア国際関係史。著書に『韓流百年の日本語文学』(共著、人文書院、2009年)、『『人民戦線』解題・総目次・索引』(不二出版、2006年)、多摩市史 通史編二』(共著、多摩市、1998年)、論文に「大正・昭和期の朝鮮―中西伊之助」(『社会文学』29号、2009年)などがある。

李鍾元(リジョンウォン)

 1953年韓国大邱市生まれ。国立ソウル大学中退後、82年来日、国際基督教大学卒業、東京大学大学院法学政治学研究科修了(法学博士)。東北大学法学部助教授を経て、96年より立教大学法学部教授。同法学部長、副総長など歴任。専門は国際政治、東アジア国際関係。米国プリンストン大学客員研究員、朝日新聞アジアネットワーク客員研究員、同論壇委員など歴任。主な著書に、『東アジア冷戦と韓米日関係』(東京大学出版会、1996、大平正芳記念賞受賞)、『歴史としての日韓国交正常化』(共編著、法政大学出版局、2011)、『アジア太平洋と新しい地域主義の展開』(共著、千倉書房、2010)、『歴史の中の国際政治学』(共編著、有斐閣、2009)など。

鄭甲寿(チョンカプス)

 1954年生まれ。財団法人ワンコリアフェティバル代表理事、(特活)コリアNGOセンター代表理事。1985年新しい統一ビジョンをめざす「ワンコリアフェティバル」を開始、以後、毎年開催し、現在ではイベントを超え、国境を越えた横断的な市民ネットワークとして機能するにいたる。1990年より「アジア共同体(東アジア共同体)」の指向を明確にし、東アジア共同体をめぐるシンポジウムを重ね、東アジア共同体に関する議論をリードしてきたと評価されている。
 著書に『<ワンコリア>風雲録−在日コリアンの挑戦』(岩波ブックレット)、編著に『ONE KOREA』(東方出版)、共著に『ニッポン猪飼野ものがたり』(批評社)、『王仁博士「難波津」の歌と猪飼野』(アットワークス)などがある。

朴一(パクイル)

 兵庫県生まれ。大阪市立大学経済学研究科教授。
  専攻は、朝鮮半島地域研究、日韓、日朝関係論。国際高麗学会日本支部会長、現代韓国朝鮮学会理事、北東アジア学会理事、韓国民主平和統一諮問会議委員、在日韓人歴史資料館理事。大阪市、神戸市、伊丹市、堺市などで外国籍住民施策に関する委員を歴任。マスコミにおいても「たかじんのそこまで言っても委員会」「ビートたけしのTVタックル」「サンデージャポン」「みのもんたのサタデーずばッと」など数多く番組に出演し、辛口のコメンテーターとして活躍。在日コリアンに関する書籍は、『「在日コリアン」っなんでんねん?』(講談社)『<在日> という生き方』(講談社)など。

李鋼哲(りガンチョル)

 北陸大学 未来創造学部教授。
 1959年中国吉林省延辺生まれ。北京市中央民族大学哲学科卒業、北京市共産党大学院政治学研究科卒業。中華全国総工会(中国労働組合全国総会)傘下の大学で専任講師。91年来日、立教大学大学院経済学研究科博士課程修了。東京財団の研究員(「北東アジア開発銀行」研究プロジェクト担当)、名古屋大学国際経済動態研究センターで外国人教授、内閣府傘下の総合研究開発機構(NIRA)国際研究交流部で主任研究員等を経て2006年より現職。
 日本における中国朝鮮族のネットワーク構築に携わっており、OKTA千葉支会の諮問委員、朝鮮族研究学会会長を務めている。世界における海外コリアンネットワーク構築のために様々な活動に携わっている。中国延吉市政府任命の広報大使・経済特使も務めている。豆満江地域開発や北東アジア地域協力について長年研究および活動を行い、日本政府に地域開発政策に関する政策提言などを行った。
 専門は中国では哲学と政治学、日本では東北アジア経済、東アジア経済、中国経済、開発金融論。主要著書に『北東アジア開発銀行(NEADB)の創設と日本の対外協力政策』(共著、東京財団、2002年)、『岐路に立つ北朝鮮、変革への道筋と国際協力』(共著、笹川平和財団、2003年)、『東アジアのグローバル化と地域統合』(共著、ミネルヴァ書房、2007年)、『経済から見た北朝鮮』(共著、明石書店、2010年)等がある。その他著書や論文多数。





 
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