メインステージ

司会

李由美
「チェ・ジウドラマコンサート」、「K−POPスーパーライブ」等ビッグイベントの司会やこの秋まで担当していたKBS京都テレビの看板番組「田渕岩夫の得ダネ!テレビ」のアシスタントをつとめるなど韓国語の司会、通訳、レポーターとして幅広く活躍中。
  チング
チングとは、朝鮮語で「友達」の意。 吉本興業所属の漫才コンビで、 高須賀 浩司(ポカ)(たかすか こうじ・左)、吉井 慎一 (よしい しんいち ・右)によって編成し、日本とともに韓国でも活躍する。


 

オープニングステージ

京畿道タンクッ
現在の保存会は1990年重要無形文化財に指定された後、都市化によってなくなる伝統のクッ(祭祀)を復元して、また現在の変化に合うよう活動作業も行っている。音楽、踊り、歌、儀式などの要素を別べつの作業に分離して、作品化する。
春川民芸総
1998年に創立された春川の民族芸術人、団体で構成され、11のジャンル(国楽、音楽、演劇、文学、美術、舞踊、映画映像、人形劇、プンムル、武芸、工芸)で構成されており、総会員数は約200名。韓国の民族芸術の発展に寄与することを目的に活動をおこなっている。
イ・ユラ/春川民芸総(京畿民謡・伝統舞踊) 李ユラ芸術団
韓国屈指の京畿民謡芸術家、李ユラ氏が芸術監督を務める韓国最高の民謡ミュージカル団体。韓国民謡をテーマに踊りと音楽が融合した総合民謡総体劇として数多くの国内外公演を通じ、韓国伝統芸術の世界化をめざしている。韓国国内の公演のみならず海外公演を通じて韓国伝統民謡の普及につとめている。

元京愛韓国伝統国楽院
大阪韓国伝統国楽院院長、元京愛氏は、元玉花、成錦鳶、朴貴姫、金一球、安淑善先生に師事し、伽や琴、伽や琴並唱を学び、日本全国巡回公演、米国巡回公演を行う。
2003年には全国国楽大祭典 国楽競演大会大賞大統領賞を受賞し、2005年、元京愛伽や琴独奏会(国立国楽院牛面堂)、韓国伝統文化&日本伝統文化交流公演(大阪いずみホール)を実施。
在日2世・3世をはじめ、韓国伝統音楽に深い興味を抱く沢山の日本の人々と出会い、少しずつ、大阪で学びの場を設け、韓国伝統音楽の普及とその伝統を受け継ぐ人材育成に尽力する。

金姫玉韓国舞踊研究所
主宰、金姫玉氏は韓国ソウルで生まれ、国楽芸術高等学校、中央大学芸術学科舞踊科を卒業後、李明子舞踊団に入団し多くの舞台を踏む。結婚を契機に渡日し、1994年より舞踊教室講師として活躍。学生達の熱意と頑張りで、基本から作品、練習から公演へと、呼吸をひとつに合わせて、伝統舞踊の素晴らしさを心と体で表現する。
 

セカンドステージ

大和太鼓 夢幻
矢田のまちづくり運動の一環として1990年に結成。「大和川の流れのごとく、時の無限の流れにのせて我らの夢・幻を太鼓で表現しよう」との思いから「大和太鼓『夢幻』」と命名。“すべての曲に部落解放・人間解放に向けて魂を込めてたたく”との信念で日々積極的な活動を展開する。
タッサーニ・タイ舞踊団
1996年に結成された舞踊団で、関西を中心に各地イベントへの出演はもちろん、タイ総領事館からの要請依頼も多く、NHKへの出演や国際交流のプログラムの実施、タイ国立舞踊学校との交流会や留学の紹介など幅広く活躍している。
中国胡弓 王ホ
中国胡弓の王ホ(二胡奏者)による演奏。
音楽一家に育ち、6歳より上海音楽学院の唐春貴教授のもとで二胡の英才教育を受ける。その後、二胡のソロ奏者として上海を中心に演奏活動を行う。
1990年の来日後、テレビ、ラジオに数多く出演。
1994年NHKの紹介で広島での第12回アジア競技大会の公演に特別ゲストとして参加。
1996年9月、1997年3月、1999年10月に大阪でのソロコンサートを開催。
最近は、中日の文化交流を目指し、日本各地でリサイタルを行うなど、関西有数の二胡プロ奏者として活躍する一方、二胡教室を開設して、その普及および奏者の育成にも尽力している。
コールアリラン
1989年5月、大阪市生野区(コリアタウン)在住.在日2世のオモニコーラス(ママさんコーラス)として結成。数々のコンテストで多くの賞を受賞し、若さあふれるママさんコーラスとして活躍。
1993年から数回にわたり、韓国の女性合唱団とともにワンコリアフェスティバルに出演。
まもなく結成20年が過ぎようという今日では、子供たちも成人し、大御所ママさんの雰囲気だが、最近では新たなメンバーや若手のメンバーも増え、在日2世だけでなく3世、4世の女性達で構成されつつある。 
金桂仙
在日芸術団体(金剛山歌劇団)でメゾソプラノとして1000回以上の公演に出演。現在、韓国歌曲研究会会員、川西音楽家協会会員、韓国語講師コリアを唄う"ウリノレ会"代表。特に韓国歌曲の普及、演奏に力をそそぎ、日・韓音楽の"架け橋"として活動する。
姜輝鮮朝鮮舞踊研究所 NARUSAE
1980年5月の設立以来、毎年1回定期発表会を開催。「舞う、舞いあがれ、ひとつになるまで!」をテーマに、愛する芸術活動を通して祖国統一を願う。中国、アメリカなどでの海外公演をはじめ、1995年8月には民間団体では前例のない朝鮮民主主義人民共和国ピョンヤン公演を開催し、大成功を修める。
 

前半部トークショー / サイン会

梁石日
1936年大阪生まれ。主な著書は『タクシードライバー日記』『夜の河を渡れ』『子宮の中の子守歌』『断層海流』『雷鳴』『Z』など多数。『タクシー狂躁曲』は崔洋一監督によって映画化されたが、映画『月はどっちに出ている』は映画賞を総なめにした。また『夜を賭けて』は直木賞候補作となり、『血と骨』で山本周五郎賞を受賞。
黒田征太郎
1939年大阪生まれ。イラストレーター。1969年より長友啓典とデザインオフィス"K2"設立。イラストレーターとして数々の賞を受賞する。イラストレーションの仕事を積極的に展開する一方で、1990年代に忘れてはイケナイ物語りプロジェクトを発足。その一環として戦後60年を控えた2004年から「うた」「コトバ」「絵」をキーワードに、童話、音楽、映像、ライブなどを通して「生きる」ことを見つめ直すピカドンプロジェクトを展開している。
 

中間ライブ

CENAL
2005年8月現メンバーにより結成。京都を拠点にライブ活動を開始。
心地よい歌声と、リアリティ溢れる詞の世界観を備えるボーカルの[容/Yoh]と、容の声の魅力を最大限に引き出すギター.コーラス[ホピョン/Hopyon]、テンションを保ちつつ曲のアレンジを拡げているピアノ.コーラス[優子/Yuko]とのメロディが多くの人達の心をつかむ。
ONE KOREA FESTIVAL応援ソング「HANA〜花〜」を作詞作曲し、ワンコリアフェスティバルのステージにて熱唱する。
現在、テレビ大阪(毎週土曜日深夜26:35〜)「アイドルスナイパー」のエンディングテーマ曲、新曲「道」がオンエアー中。
smile39
2008年7月にデビューした関西出身のアコースティックデュオ。
アマチュア時代より数々の賞を受賞し、デビュー後、朝日放送「ビーバップ!ハイヒール」のエンディングテーマや、全国ネットのラジオドラマの主題歌などにも選ばれ、韓国俳優、キム・ジェウォンや、ABCラジオのパーソナリティー、妹尾和夫に楽曲提供を行っている。
 

披露/ショー

韓国無形文化遺産教育開発院
芸術団長・陽根数(ヤン・グンス)
チュルタギ(綱渡り)を演じるパク・ソンミは ナムサダン の故ジョ・ソンジャ先生の系統を引き継ぐ唯一の弟子で、女性の中で最も技芸が優れてユーモアと共に語り口が独特で知られる。 今回の公演では「サンホンチェビ」「ホグンチェビ」など派手で多様な技芸を披露する予定。
 

後半部トークショー / サイン会

金 恵仙(キム・ヘソン)
『チャングムの誓い』では、チャングムの母親役を好演。その後もイ・ダヘさん主演の帯ドラマ『花王の仙女様』、キム・ヒョンジュさん主演の大河ドラマ『土地』にも出演し、韓国のテレビドラマに欠かせない俳優の一人になっている。
映画を中心に活躍していたが、この数年はテレビドラマにその主な活躍の場を移し、2002年には『メン家の全盛時代』に出演。『女子高同窓生』を主演。
クォン・ヘヒョ(権海孝) 権 海孝(クォン・ヘヒョ)
1965年ソウル生まれ。漢陽大学校演劇映画科を卒業後、舞台俳優として活躍。1994年MBC「愛を君の胸の中に」でドラマデビューを果たした。個性的な容貌とコミカルさを兼ね備えた演技力で数々のドラマに出演。主役を引き立たせる名脇役として欠かせない存在になっている。「冬のソナタ」のキム次長役で、日本でも人気がブレイクした。現在も、ドラマ・映画・舞台と幅広く活動中。
 

ファイナルステージ

李政美
在日コリアン二世。
国立音楽大学在学中から朝鮮民謡、フォークソング、フォルクローレなどを歌い始め、ドラマ・映画の挿入歌等を手がける傍ら、様々なミュージシャンとの共演、ソロライブを続ける。
この頃、朝鮮民謡、歌曲、歌謡曲等を集めた自主制作を行う。2003年7月、韓国ソウル公演を行う。
現在、小学校の教室、酒蔵、お寺、教会などの小規模な会場からコンサートホールまで、オリジナル曲を中心に年間100余りのライブ・コンサートを行い、透き通る歌声で、日本と韓国全土にファンの裾野を拡げている。
SANTA(在日パーカッション) SANTA(散打)
閔栄治(ミン・ヨンチ)がプロデュースし、音楽監督を行うコリアンパーカッション&ダンスグループ。韓国打楽器奏者と舞踊家たちが参加し、韓国伝統音楽をベースにヒップホップやポップスを融合させた新たな音楽を構築している。
朴保バンド(在日ロックバンド) 朴保バンド
1979年ソロでメジャーデビュー。1980年に韓国を訪れ自らのルーツに目覚め、朴保(パク・ポウ)に改名。1983年単身渡米し、平和運動などのメッセージを歌で伝える。1992年に帰国し、東京ビビンバクラブを結成。その後朴保バンドとして活動を始める。パンソリや韓国民謡、ソウル、レゲエ、ロックなどを混在させたパワフルな音楽でライブ活動を続け、平和や愛を力強く歌い続けている。