ドキュメンタリー映画 『渡り川』
自分の言葉で語り始めた若い世代に期待!
先日、Sという友人を介して、ある日本人の新人ライターから「原稿を見て欲しい」との依頼があった。その二、三日前にひさしぶりでSと電話で話していたところ、Sが「マダンの取材記事を書いた友達がいてるねん」と言いだし、「ふ〜ん、読んでみたいなぁ」と私が応えたのが原因であるが(世間話の言葉尻をつかまえて本当に実行してしまうあたり、日本人のSは思いっきりコリアンづいたヤツである)、「在日の状況をまだ理解できていないので、ぜひ在日の目で見た意見をきかせてほしい」「ライターの先輩として悪いところをなおしてほしい」などと真剣に言われるといささか面はゆく、また「つとまるだろうか」との不安もあった。
まぁ、それでも原稿は楽しく読ませていただき、その後3人でひとしきり在日や統一についての話題に花が咲いたのだが、その時Sがひとつの質問をぶつけてきた。
「教子にとって統一って何?」。
これは私にとってショッキングな質問だった。― 統一は民族の悲願と言われているものの、果たして自分自身の問題として真剣に向き合う気持ちがあるだろうか?そんな話になったキッカケは、その取材記事の中の「私たちがいかに統一を望んでいるか、日本の人に知ってもらいたいんです」という10代の少女の言葉だが、その少女は本当に、自分自身の問題として統一を語ったのだろうか、という疑問があったからである。
私自身も含めてだが、今の20代10代の人間が民族や統一について語る時、親や祖父母の世代の経験をそのまま受け売りで語っている気がなきにしもあらずなのである。(もっとも参政権などの問題はひとまず置いて)「日本人は私たちの文化を知らなさすぎる」という言葉もあるが、隣の家の食生活を知らないからといって、昔の一世二世への就職差別、結婚差別を持ち出すのはちょっと違うんじゃないかなぁ、なんてことを考える今日この頃であるさて、映画『渡り川』だが(やっと本題に入れた)ここに登場する高校生たちはそんな私の危惧を軽々と越えてくれた。簡単にストーリーを紹介すると、高知の高校生が「なぜ、多くの朝鮮人たちがここにいたのだろう」という素朴な疑問を持ち、朝鮮人学校の生徒たちとの交流や韓国への旅行を通して歴史的事実を学び、友情を育てていく映画である。と、書いてしまうと「何だ、在日の歴史の話か」と思われるかもしれないが、この作品の新しさは、実際に日本人学生からのアクションがあったこと、それをドキュメンタリーで追ったことにあるだろう。高校生という、チョゴリを見て「わ−、きれい」の認識を卒業した若い日本人が、親や教科書の受け売りでなく自分達の目で見、足でたどった軌跡であり、そして在日の高校生にとってもまた一世二世の呪縛から解き放たれた日本との関わりを自分達の手でつかんだ一歩でもある。私のつたない文章でそのすばらしさを表現するより、この映画に登場する神戸朝鮮高級学校の梁玉出先生の寄稿に、いままでの日本人と在日の関係と、この映画のような実際のふれあいとの違いを的確にとらえた文章があるので引用してみたい。
―― もちろん今までだって朝鮮学校と日本の学校との交流はあった。しかしそれはどこかしら『よそゆき』の交流であったように思う。文化祭などに招かれて朝鮮の歌と踊りを見てもらう。生徒会役員が相互訪問し儀礼的なあいさつを交わす。それでオシマイ。(中略)
日本の高校生たちは受験勉強に追われ歴史認識は浅く在日朝鮮人間題が視野に入るはずもなく、ましてや内なる問題として自分に問いかけることなど考えも及ばなかったであろう。ごく一部の生徒たちを除いてほとんどの生徒たちは熱心な先生方に誘われるままに朝鮮学校を訪れただけだったはず。
そんな彼らを迎える側の朝高生たちはといえばその空気を敏感に感じとり「無関心すぎる、知らなさすぎる」と責めるばかりで会えば必ず「教えよう」とする態度に終始した。それをまた日本の高校生たちは敏感に感じとりウンザリ。
こんな中で真の交流が生まれるはずはなかっただろう。――朝高生ばかりではない。日本の学校に通う在日の中にも同じような姿は見受けられる。歴史を知ることは大切だが、私たちは過去を振り回すことによって現在を見えなくしてしまっているのではないだろうか。それはもちろん高校生の責任ではなく、大人の側に大きな問題があるのだが。
―― 幡多ゼミは高知にある県下9つの高校の有志生徒らの集いで『足元から見つめよう青春と平和』をモットーに多彩な活動をくりひろげている。そのゼミの1員である横田さんと本校生の金有美との文通がきっかけでぜひ高知に来て下さいとの招きを受けたのが2年前の夏。(中略)ゼミの先生方も生徒たちも、みんなとても温かかった。その温かさは彼らと話しあい、ゲームをし、歌を歌い、夜布団を並べ、おしゃべりする時も感じられたが四国の山奥に連れてこられダム工事に従事し、故郷を想い、家族を想い、恨(ハン)多くこの世を去った朝鮮人の墓―それは石ひとつおいただけの!―に共に頭を下げた時も強く感じとることができた。(中略)朝鮮と日本の高校生が手を携え墓の周りをきれいにし、花を捧げお酒や果物を供え哀悼の心を胸に手をあわせるその姿を私は忘れられない。生徒たちにとってもとても大切な思い出になったことであろう。――
さらに梁先生の言葉は続く。
―― 誠意が温かい心を生むのだろうか、あたたかい心が誠実さを生むのか。(中略)もっと多くの日本の学校や生徒たちともこんな風に交流できたらどんなにすばらしいだろうとも思う。
夢物語と笑われるかもしれないが、この夢を大事にしたい。人間は他人と関わることによって自分を見つめる目を養う。異国の地に生まれ育った朝鮮人である子らにすればなおのことそんな機会を与えたい。日本の若人らにもそんな場をもっと多く与えたい。そして切っても切れない両国の絆を若い世代の力でもっと強く、もっと強く結んで欲しい。
会うこと、話しあうこと、これが大事。――日本とコリアの問題を語り縫いでいくことは大切だと思う。しかし、戦争を知らない世代が「日帝36年が悪い」と大上段に叫ぶのは、もういらない、と思う。映画の中の高校生たちは、互いの家を訪ねたり、お互いの言葉を覚えたり、ごくフツウのコミュニケーションの中で、戦争の悲惨さも、友情の尊さもしっかり自分のものにしている。自分の言葉で語り始めた若い世代の声を、この映画は多くの人々に知らしめてくれるだろう。
大人たちもうかうかしていられない。
そしてまた、ワンコリアフェスティバルもイデオロギーを越えた"本物の言葉"をくみ取れる場であらねばならないと、叱咤してくれる映画でもあるのだ。(コピーライター・李教子)
※梁玉出先生の文章の引用は、朝鮮時報(1994年6月2日付)に寄った。
『渡り川』スタッフ
●監督‥金徳哲/森康行
●プロデューサー‥森康行
●撮影‥金徳哲
●録音‥古賀陽一
●編集‥吉田栄子
●音楽‥原正美
●ナレーター‥井川比佐志
●歌‥李政美
●伴奏‥小室等
●製作‥「渡り川」製作・上映委員会
16mm カラー90分/1994年製作作品あらすじ
「日本最後の清流」といわれる四万十川。その中流域にある西土佐村の鉄道(旧)江川崎線、上流の大正町にある当時四国随一の津賀ダムなどが、戦時中多くの朝鮮人によって築かれたことを若者たちは知る。
「なぜ、幡多地域に多くの朝鮮人がいたのだろう?」当時を知る人たちに会って話を聞き取る中で、朝鮮から強制連行されてきた人たちがいたことがわかった。
92年1月、NHK青春メッセージで、"共に生きる明日を築くため「お会いしませんか」″と呼びかけ最優秀賞を受質した神戸朝鮮学校の金有美(キム・ユミ)に手紙を出し、夏、四万十川に招く。
若者たちは語り合い歌い交流が始まった。
そして、お互いにホームステイをしながら友情を育てていく。
93年夏、若者たちは韓国へと旅立ち日本軍の従軍慰安婦にさせられた金学順(キム・ハクスン)さんに会う。
「あなたたちと話し合えてうれしい。若いあなたたちは、歴史の事実を正しく伝えてください」と語りかける金さんの言葉に若者たちは胸がつまり、戦争が人間に残した傷跡の深さを知る。
ソウルの大学路、小雨の降る中、若者たちは韓国の学生たちと肩をくみ「朝露」を歌った。国境を超え、日本とコリアの人々が、真の友好関係を築くには、アジアの人々と共に生きる社会をつくるには、今、自分にできることは何か考え、歩み始めた。
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