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◆ 映画やテビで活する在日リアンたち

戦前から日本映画界で朝鮮の映画人が活動してきた。どちらかと言えば経済的にも余裕のあったインテリ青年たちであったようだ。名前まで日本式に変えさせられていた植民地支配下、中には国策映画を作った者もいた。ある者は力を蓄え、祖国の解放と共に帰国し名作を作った映画人もいた。またある者は日本に残り、同胞たちの生きざまをカメラに収め始めた。それから半世紀以上が経ち、新たなコリアン映画人たちの活躍が注目され始めて来ている。彼らの作品には、日本で生きるコリアンたちの姿と想いがある。そして共生と自由を求め、日本社会への提言を込めている

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カメラマン安承ミンは、日大芸術学部出身。独立プロの映画製作に参加。森川時久監督の『続 若者たち・若者はゆく』(69年)では宮島義男撮影監督の助手を務めた。その後、李学仁監督(69年)の『異邦人の河』(75年)山田典吾監督の『はだしのゲン』(76年)では撮影監督をしている。また政治犯(注:事実政治犯ではない)・徐勝の母、呉己順をモデルにした朝鮮映画オモニの願い』(86年)では、日本での場面の撮影を担当。

強制連行された多くの朝鮮人が動員され突貫工事で造られた松代大本営を扱った劇映画を企画していたが、果たせずにこの世を去った。この企画自体は、その後山田典吾監督のアニメ映画『キムの十字架』(90年)に結実した。

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金慶植は、韓国の労働運動に取材した劇映画オモニ』(78年)を撮影監督の中尾駿一郎と共同監督した。この作品は、人間らしく生きたいと願うソウルの若い労働者たちが労働運動に立ち上がる姿を韓国の民主化運動の激化した時代を背景に描いたものである。米倉斉加年を始めとする劇団民芸の俳優たちが多数出演した。また金慶植は、金芝河の演劇や金民基の歌『朝霧』などを日本に紹介している。

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映画プロデューサー姜貞錫(一九五三−一九九三)は、日本映画学校出身。小栗康平監督の伽耶子のために』(84年)の製作主任を担当。その後金佑宣監督のデビュー作『潤の街』(89年)のプロデューサーを務めた。この作品は、シナリオ、監督、撮影、プロデューサーの四つの主要なパートを在日コリアンが担った最初の作品であるという点でも画期的であった。

また、神山征二朗監督の『千羽つる』(89年)平田敏夫監督のアニメ映画『お星様のレール』(93年)に参加。後者は女優・小林千登勢が幼時に体験した植民地時代の朝鮮からの引き揚げの記憶を綴った児童文学作品の映画化である。コリアンと映画に対する想いは厚かったが、志半ばで、93年12月1日映画の日に病に倒れた。

この三人は既に故人となった。一人は祖国の北と、一人は南と、そしてもう一人は日本と関わった作品の製作にたずさわった。それぞれ立場は違っても彼らに共通するのはワンコリア、民族統一への希求であった。


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在日コリアンの映画監督が在日コリアンを描こうとした先駆的な劇映画に、李学仁監督の『異邦人の河』(75年)がある。カメラマンの安承ミンと俳優の中村敦夫が積極的に支援した作品。撮影を担当した安承ミンは流れるようなカメラワークを見せている。またここでは、主人公の青年李史礼を演じたジョニー大倉が、本名の朴雲煥でクレジットされている。
通名の山本を名乗って日本人として生きていこうとした二世の青年が、同胞の少女・方順紅との恋の中で韓国の政治の実相に触れ、祖国の歴史を知り民族意識に目覚めていくという物語である。自主製作であったため、一般にはあまり知られていないが、在日コリアンの映画監督出現ということでマスコミの注目を集めた。

他に徐勝の事件をモデルにした詩雨おばさん』(78年)がある。

また、在日韓国人・李得賢が物的証拠もないまま有罪判決を受けた丸正事件に取材した赤いテンギ』(79年)を撮っている。馬渕春子、松本達雄、若き日の風間杜夫が出演している。モデルとなった李得賢は一貫して冤罪を主張し再審のために闘い続けたが、認められないまま死去した。映画は完成したものの公開には至らず、プリントは現像所に眠ったままである。


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在日コリアンの自画像とも言うべき劇映画が一般の劇場で公開されるには、金佑宣(一九五一−)の監督作『潤の街』(89年)まで待たなければならなかった。金佑宣は早稲田大学卒業後、山本薩夫監督の助監督などを経て監督デビューした。この作品では、大阪市生野区に暮らす在日三世の少女・辛潤子(姜美帆)と日本人青年雄司(田中実)の恋愛が描かれる。その一方で雄司は、日本社会に生きるコリアンが抱えるさまざまな問題に直面する。そして自分の生き方について考えるようになる。共演は井川比佐志、李麗仙、他。カンヌ国際映画祭批評家週間やハワイ映画祭に出品された。また金佑宣はこの作品で映画監督協会新人賞を受賞している。現在(※1994年現在)は朝鮮戦争の時代を背景とした新作映画ひかりを製作中である。

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自我に目覚めた在日コリアンの若者が、力強く生き抜く姿を描いた脚本『潤の街で81年に城戸賞を受賞した金秀吉(一九六一−)は、日本映画学校在学中に製作した16ミリ映画純情す』(82)が評価され、日年本映画学校創立十周年記念作君は裸足の神を見たか』(86年)の制作者・今村昌平自身に大抜擢され、同映画の監督を務めた。当時24歳の若さであった。本作はイタリアのトリノ国際映画祭に出品された。

その後あーす』(91年)を監督。この作品は日本カトリック映画賞大賞を受賞し、またコルベイユ児童国際映画祭にも参加した。シナリオの執筆でも実力を発揮する金秀吉は、東陽一監督の『橋のない川』(92年)のシナリオも担当している。90年、大阪市が主催する、文化芸術活動に功績のあった人物に与えられる咲くやこの花賞を受賞している。

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劇団新宿梁山泊の戯曲の執筆兼役者でもある鄭義信(一九五七−)は、戯曲『ザ・寺山で岸田戯曲賞を受賞するなどその活躍が注目されているが、映画のシナリオでの活躍も目覚ましい。崔洋一監督との共同執筆による月はどっちに出ている』(93年)では日本アカデミー賞他多くの脚本賞を受賞した。崔洋一監督の新作東京デラックスのシナリオも執筆している。最新戯曲の青き美しきアジアは、今年も全国各地でテント公演が開かれる。(※1994年現在)

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崔洋一(一九四九−)は東京朝鮮高校卒。テレビドラマや大島渚監督作品などの助監督を経て十階のモスキート』(83年)監督デビュー。毎日映画コンクール新人賞を受賞。その後もいつか誰かが殺される』(84年)友よ静かに瞑れ』(85年)黒いドレスの女』(86年)花のあすか組!』(87年)などコンスタントに作品を発表。Aサインデイズ』(89年)はモントリオール映画祭で上映された。

ヒット作月はどっちに出ている』(93年)は、彼が自らの出自にこだわった最初の作品となった。主人公は在日二世のタクシードライバー姜忠男(岸谷五朗)である。昨年度の各映画賞を総嘗めにしたのは記憶に新しい。ベルリン映画祭や香港映画祭でも紹介された。現在(※1994年現在)は新作映画東京デラックスに取り組んでいる。また戦後済州島で起こった人民蜂起事件の映画化にも意欲を見せている。

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日大芸術学部出身の金徳哲は、近代映画協会の作品などを経て現在フリーの撮影監督。コリアン映画人の劇映画や韓国朝鮮問題をテーマにした日本人監督作などと積極的に関わっている。劇映画では君は裸足の神を見たか潤の街あーすなど、記録映画では世界の友へ神々の履歴書などがある。またピーター・ワトキンス監督が各国の家族を通して核戦争の危機を訴えた九時間に及ぶ大作ドキュメンタリー旅程』(88年)では、日本の部分を担当している。最新作(※1994年現在)には森康行と共同監督したドキュメンタリー渡り川』(94年)がある。この作品は日本とコリアの人々がどう関わって生きて来たのかを、初めて双方の視点でとらえたドキュメンタリー映画で、そして両民族の若者が過去を超えて出会い、友情が芽生える姿を二年間かけて撮った意欲作である。

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辛基秀(一九三一−)は記録映画監督。滝沢林三監督の江戸時代の朝鮮通信使』(79年)イルム…なまえ朴秋子さんの本名宣言』(83年)の製作を担当。朝鮮通信使の研究に関しては他の学者とも共同で調査を続けている第一人者でもある。また戦争の傷跡』(86年)や三時間半に及ぶ大作解放の日まで‐在日朝鮮人の足跡』(86年)を監督。後者は膨大な数の証言、写真などの資料を駆使して、戦前のコリアンの抵抗史を検証した。84年には、私財を投じて青丘文化ホールを開設した

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秋田県生まれの呉徳珠(一九四一−)は早稲田大学卒。東映の助監督を経てフリーの監督となり指紋押捺拒否1』(84年)指紋枠捺拒否2』(87年)ナウ!ウーマン・ドキュメント土井たか子』(87年)など、硬派のドキュメンタリーを発表している。そして、約70万人のコリアンが日本に暮らしている一方、一世が少なくなっていく現在、民族の伝統的な風習を若い世代に伝えようとビデオ作品祭祀(チェサ)を製作している。

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呉充功は日本映画学校出身。関東大震災六十周年を記念し、当時虐殺された朝鮮人たちの遺体を荒川の土手から発掘・調査し慰霊する市民たちの活動に始まり、大震災時における六千人を越える朝鮮人虐殺の実像を初めてドキュメンタリーでとらえた隠された爪跡』(85年)監督。また日本人の証言などを集めた続編払い下げられた朝鮮人を製作している。

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朴寿南ジャーナリスト出身。小松川事件では、獄中の李珍宇と文通を重ね、その膨大な書簡は著書罪と死と愛と李珍宇書簡全集としてまとめられ出版された。彼女はコリアンの被爆者問題や従軍慰安婦問題の取材を精力的に重ね、その一部はドキュメンタリー映画もうひとつのヒロシマ‐アリランのうた』(86年)アリランのうた‐オキナワからの証言』(91年)として発表されている。

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李水香は、日本のテレビ報道番組やドキュメンタリーなどの分野で第一線で活躍する数少ないコリアンの女性テレビディレクターである。ふりむけばアリラン峠』(89年・RKB毎日)は、放送文化基金賞を受賞。他にかあさん、ほんとはね…』(90年・RKB毎日)我ここにあれど、心ここにあらず‐中国残留孤児三世のある夏‐』(90年・TBS報道特集)ドキュメンタリー人間劇場大往生?何でござんしょ』(94年・テレビ東京)がある。

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テレビ番組の演出を手がける李康彦(一九六二−)は、横浜市大や東京都立大でフランス現代哲学を専攻した異色演出家。子供番組からバラエティまで何でもこなす。

現在(※1994)はテレビ東京の高城剛Xなどを担当している。日本テレビの知ってるつもり!?では、マルコムXやイサム・ノグチのエピソードを演出。今年7月放映分には、ベルリンオリンピックのマラソンランナー・孫基禎のエピソードがある。孫基禎は植民地時代に日本代表としてマラソンに出場し優勝。東亜日報など植民地支配下の朝鮮の新聞は彼のユニフォームに縫い付けられた日の丸を修正・消去した写真を掲載したことで発禁処分を受けた。いわゆる「日章旗事件」である。李憲彦は現在、劇映画の演出にも意欲を見せている。

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フリーランスの演出家金泰官(一九五九−)は、日本映画学校出身。現在はテレビの音楽番組や市販ビデオソフトの監督として活躍中。これまでに自主製作映画SHELTER』(84年)夢見るミノタウロス』(87年)を発表。また、フジテレビのドラマラ・クイジーヌで「プティング」(93年)のエピソードを、またVシネマバナナ白書2』(94年)の演出を手がけ、映画界進出の機会をうかがっている。

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京都生まれの演出家金鐘守(一九四六−)は、時代劇が減少している昨今において、一貫してテレビの時代劇の演出で活躍している在日コリアンの監督である。71年に助監督として東映京都のスタッフとなり、88年に初監督作として長七郎江戸日記を演出。水戸黄門や持番の時代劇を担当。現在(※1994年)江戸の用心棒』(日本テレビ)を演出している。

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CMディレクター李泰栄(一九五五−)は東京生まれ。青山学院大学卒。テレビコマーシャルの制作会社・CMランドでディレクターとして活躍後、独立して「モモコマーシャル」を設立。81年にパルコのCM『水と女』でデビュー。他にもサントリー、ホンダ、ソニー、レナウンなどパペットアニメーションを斬新に使ったCMで注目された。最近は博覧会の総合映像演出も多くこなしている。

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上田正樹の悲しい色やね、杏里の悲しみがとまらない、高橋真梨子の桃色吐息など歌謡曲の作詞家として知られる康珍化(一九五三−)は、ワンコリアフェスティバルのテーマソングハナの想いの作詞もしているが、映画のシナリオとプロデューサーとしても活躍中。山下賢章監督の19ナインティーン』(87年)ではシナリオとプロデュースを担当。他にシナリオ作品として桑田佳祐監督作『稲村ジェーン』(90年)長尾直樹監督の『東京の休日』(91年)がある。

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東京の朝鮮大学校卒業後、ソルボンヌ大学でジャーナリズムと映像理論を専攻した映画プロデューサー李鳳宇(一九六〇−)は、88年に映画配給会社シネカノンを設立。フランス映画などを中心とした外国映画の配給を手がけている。91年には「朝鮮映画祭」を企画し、朝鮮の劇映画を広く紹介した。その一方で、崔洋一監督の『月はどっちに出ているで映画の製作にも進出し、同作をヒットさせ、藤本賞奨励賞を受賞した。最近では韓国の林権澤監督作『嵐の丘を趣えて〜西便制を配給している。現在(※1994)は崔洋一監督の最新作東京デラックスを製作中である。

※文中の敬称は略させていただきました。資料面で金徳哲氏のご協力を頂きました。

 


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門 間 貴 志 (もんま・たかし)
1964年秋田県生まれ。
多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。西武百貨店渋谷店シードホールで映画上映の企画を担当。現在、アジア各国の映画に描かれた日本人像の変換に関する著書を準備中。 共著に「『月はどっちに出ている』をめぐる二、三の話(仮題)」(社会評論社・近刊)がある。

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(文中の”現在”、”最新”は執筆された1994年現在です。)

 

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