在日コリアンであることの"バランス感覚"
が僕の場合、
映画ビジネスで役に立っている。

李 鳳 宇 (映画プロデューサー)

 長身で整った顔立ち― 取材した撮影現場にはラフな格好で現れたが、スーツを着たらバリバリのビジネスマン、青年実業家に見えるだろう。シネカノン代表・李鳳宇氏、話してみても、知的な歯切れがある。
 そして、実際に優秀な"ビジネスマン""青年実業家"でもある。プロデューサー不在といわれる日本映画界で、1993年話題になった『月はどっちに出ている』をプロデュースし、数々の悪条件をもろともせずに興行的にも大ヒットさせた。そして1994年は『東京デラックス』を製作。
 シネカノンで最初に配給したのは、ポーランドのK・キェシロフスキ監督『アマチュア』。最近も『トリコロール「青の愛」「白の愛」「赤の愛」』の3部作が連続公開中のように、K・キェシロフスキ監督は今でこそ日本でも有名だが、その頃はほとんど誰も知らず、日本に初めて紹介したのが李氏である。パリでこの作品を観て気に入った李氏が、ぜひ日本でも紹介したいと思い、ポーランドに直接出向いて買い付けたという。
 2000年大ヒット映画『シュリ』、2001年現在全国の映画館で公開中の映画『JSA』も彼の仕事である。


 自分自身、映画というビジネスに向いているんじゃないかと思っているんですよ。だから、今のところ自信を持ってやっているんですけどね他人がどう言うかは知りませんが、こういう映画を作ったほうがいいだろうとか、こういう映画をこんなふうに作って、こんなふうに宣伝して、こういうふうに配給したらいいだろう、というような"勘"はあるだろうとね。


"ツギハギ人間"ならではの"バランス感覚"

 他の人は知らないけれど、ボクの場合は、在日だということが明らかに仕事に影響していると思います。でも、在日だということが直接パワーにつながる、なんて思っていませんよ そういう人もいるだろうけれどね。確かに、劣等感なりいろいろなものかパワーになって、仕事をするということもあるでしょうけどね。それはそれでいいんでしょうけどボクの場合は、バランス感覚というのか、そういうものですね。
 例えば、映画という仕事を考えると、今の日本映画は結局、中途半端なんですよね。興行的にうまくいかないから、どっちつかずにやるという。ハリウッドでは映画は産業として完全に確立していますから、映画は商売、映画ビジネスなんてす。それに対して、∃−ロッパの場合は基本的に芸術なんてすよね。第7芸術、総合芸術といわれるくらいてすから。∃−ロッパでも、どんどんビジネスになっている側面もあるにはあるけれどね。
 日本は、その狭間に位置しているということでしょうか。でも、とにかくヨーロッパ的志向でやりたいのか、アメリカ的映画ビジネスをやりたいのか、はっきりしていない。
 それと、日本人というのは小さいものを描くのがうまいんですよ。貧乏な小さい話を。これは、基本的には娯楽と結び付かないんですよね。だから、やればやるほど、両立させるのが非常にむずかしい。それで、バランス感覚というか、うまいところで落ち着かせることが必要だと思うんです。
 映画の中には娯楽的な部分もあるし、また映像的に見せる部分もある。それが日本人の考え方は娯楽映画と芸術映画という風に色分けしたがる傾向があるんです。一本の映画の中で娯楽性もあったり、芸術性もあったりという、いろいろな人を演足させることが必要なのではないかと思います。
 そういう意味で、ボクが日本で生まれた、在日朝鮮人二世ということが生きてくると思う。二世といっても、父が一世で、母が二世なので、正確にはニ・五世なんですがね。
 生まれたのは、京都。京都とは非常に日本的な街ですから、東北で生まれた日本人よりも、日本をよく知っているのではないかと思わないでもない。それは、何が日本人かという問題になっちゃうんでしょうがね。
 また、フランス語も知っているし、もちろんハングルも知っている。本物の日本人、本物の韓国人・朝鮮人、そしてもちろん本物のフランス人ではないけれど、いろいろな部分を持っているんです。
 いってみれば、ツギハギ人間なんですよ。しかし、そういうところが現在のポクの仕事、映画ビジネスでは有効だと思っているわけです。さっきも言った、バランス感覚ということでです。映画だけでなく、これからの日本の産業では、そういう感覚が必要だし、在日というボクたちのようなツギハギ人間が、力を発揮できるチャンスがたくさんあるんじゃないかと思ってますが……。


血が混じり合ってこそ、映画は活性化する。

 アメリカ映画は70年代に落ち込んだのが、今では盛り返してますよね。従来のスタジオ・システムが崩壊して、ニューアメリカンシネマ、『イージー・ライダT』とか『俺たちに明日はない』とかは生まれたけど、その後が続かなかった。アメリカは、どんな映画をつくっても駄目だったんです。それはベトナム戦争の後遺症などのメンタリティの問題もあるんでしょうがね。
 それが、いまのように勢いを取り戻したカになったのは、例えば『ゴッド・ファザー』やロバート・デ・ニーロの『タクシー・ドライパー』とかイタリアンのつくった作品、メキシカン、ヒスパニッシュたちの作品が起爆剤になったんです。そして80年代に入ってはブラック・パワーもあった。
 つまり、いろいろな血が混じりあったからこそ、映画という文化は、アメリカで蘇ったんですね。また、映画においては、それが当然なんですよ。決して1人でできるものではなくて、100人単位でやるものですからね。
 違う血が混じりあえば、パワーがでてくるはずです。まったく平穏な、日本みたいに、隣の人が同じものを着て同じものを食べているという感覚では、やはり緊張感は生まれてこないでしょう。何を考えているかわからないけれど、この感性はあいつにまかせたはうがいいとか、いろいろなことがあって、チームプレイがうまくいくと思うんですよ。お互いの感性を大切にしながらね。何でもそうなんじゃないですか。


在日はハングリーだから、いい映画がつくれる?

 昔の日本映画の現場は知らないけれど、もちろんいい映画もいっぱいあるし、ボクの知らないものもたくさんあるでしょう。でも、よくいわれるように日本が豊かになったからいい映画がでてこないというのは、納得できません。絶対そんなことはないと思います。ハングリーでないといいものはできないとか、それで、在日コリアンがハングリーだからいい映画ができるというような論理もね。
 日本は豊かだから駄目なんてことを言ってたら、映画だけでなくて、どんなものでも駄目じゃないですか。よくいわれるように、ボクシングで世界チャンピオンがでないのは、ハングリーさがないためなのだとかね。でも、それは一時的なもので、実際チャンピオンがでてくるじゃないですか。それだけの理由で可能性を摘んでしまうというのは、危険なことだと思いますよ。
 豊かな国だって、名作はたくさん生まれていますからね。貧しい豊かというよりも、血が薄いということこそ、問題なのではないでしょうか。とにかく、血が混じりあってこそ、文化というものは発達するのではないでしょうか。
 だいたい文明と文化というものは、まったく別ものですから。豊かな、素晴らしい文明があるところでも、くだらない文化しかないところはたくさんありますからね。文明の利器があまり発展していない、普及していないところにも、すばらしい映画はたくさんあるんですよ。たとえば、今度うちの会社でキューバ映画を配給するんですが、キューバ映画は素晴らしいんですよ。メキシコ映画も素晴らしいし、ギニア映画も素晴らしい。


在日という理由だけで組むつもりはない。

 最近は、いわゆるコメディをつくっていますよね。『月はどっちに出ている』と『東京デラックス』という。まあ、『月はどっちに出ている』がコメディかどうかはよくわからないところもありますが、ポクたちが新しいジャンルを造っているというぐらいのつもりでやっています。従来の型にはまったコメディをつくるつもりはありませんし。
 笑わせたいという気持ちはあるんですが、それは雀洋一監督とかなり話しを詰めて、そういう映画を目指していこうというコンセンサスが縛られたからです。脚本の鄭義信氏と監督が話していって、実際に楽しい話ができてきましたしね。3本目以降もまた、雀洋一監督と組むかどうかはまだわかりませんが、またいずれやるでしょうね。
 しかし、また一緒にやろうということだけで、そういう"場"を提示することはないでしょう。まず企画があって、それがうまくつながれば、また一緒にやるということです。
 監督と組むかどうかは、企画がその監督に適しているかどうかだけです。ボクの会社にもいろいろな在日の方が訪ねてくるんですよ。一緒に仕事がしたいとか、こういう企画で映画を撮りたいとか。でも、いままではみんなお断りしてきました。"同胞だから"という問題ではないですからね、あくまでも冷静にお断りしてきました。
 当然ですがどこの国籍の人とでも、企画さえ合えば一緒にやろうと思うんですよね。実際うちの会社で今度製作したものもそです。ポクが直接プロデュースしているわけではなくて、プロデューサーを別にたてているんですが(『櫻の園』-中原俊監督-の脚本を書いたじんのひろあきが企画・撮影・脚本・監督したSF映画『月より帰る』)これは16ミリで低予算で、自由に撮ってもらった作品。あと準備中のものもいくつかあります。
 これからもどんどん組んでいくでしょうね。実際、組んでみたいと思う監督もいます。例えば、阪本順治監督(赤井英和主演の『どついたるねん』でデビュー。最新作は『トカレフ』)とかね。彼だったら、アジア的なダイナミックな作品を撮れると思います。アジア的というと、中国の大陸的な、あるいはタイで象に乗るとかトロピカルなイメージでしょうが、実はメンタリティの部分で表現できますから…大阪的というかね。実際、ボクも大阪でオールロケの映画をやろうと思ってたくらいなんです。


戦後50年を真正面から考えた映画をつくりたい。

 企画を検討していて、同時に20本くらい考えていますが、切実につくりたいというものがあります。来年戦後50周年ということで、日本のメジャーな映画会社各社は、50周年記念映画をつくりますよね。『きけわだつみの声』のリメイクや人間魚雷とかの海軍物だとか……。それはやはり8月15日の終戦記念日に向けて公開してくると思うんです。ターゲットとしているのは、シルバー世代でしょう。こうやって戦った、こうやって死んでいったというドラマを、戦争を知っている世代の人が観て、きっと涙するわけですよ。日本も犠牲者だった、日本もかわいそうだったと思うんでしょう。
 でも、戦後50周年がそれだけでいいのかと思うわけですよ、映画として。そんな情緒的なものは、45年でも47年でもなんでもいいじゃないですか。そういう映画は完全に商売に走っているんでしょうが、ボクは違う映画があるべきだと思う。50周年なり、半世紀なり、戦後を総決算するということで考えるのなら、いまの20代のコとか10代のコが、その映画を観て、本当の意味で戦争というものを考えたりするものを、人間ドラマで見せるべきではないかと。そういうものを、いま考えているんです。やるならそういうものをやりたい。
 戦後50周年と日本では言っているけれど、アジアのはとんどの囲では解放50周年と言っているわけですよ。その解放50周年という視点でやってみようということもあるし。何かそういう意味で、日本人に、日本の映画界にショックを与えるようなことをやるのもいいかもしれないという気もしているんです。
 実際、アジアの国々では解放50周年という視点での映画がつくられています。韓国で空前の大ヒットを記録し、6月にうちの会社で配給した『風の丘を越えて・西便制<ソピョンジェ>』という映画があるんですが、そのイム・グォンテク監督が現在撮影している作品『太白山脈』は、第2次世界大戦後から朝鮮戦争を経て、解放50周年という時代背景を視野に入れた物語です。前作は伝統芸能「パンソリ」に生きる旅芸人親子を措いたものでしたが、今度は冷戦時代に揺れた男と女の関係、左派と右派の殺し合いを描いたもの。この作品はうちの会社で来年の夏に公開しようと思っています。
 この作品の企画には、ボクも非常に賛同しているんですよ。というのは、戦後のこの50年というのは、あらゆる意味において、イデオロギーの時代だったわけです。イデオロギーというのが善か悪かはよくわからないけれど、それに翻弄されてきたのは事実ですよね。ですから、これをきっちり描いていきたいな、と考えています。ボクたちの"バランス感覚"はそういうことにこそ、機能するものだと思いますしね。

(1994)


  李 鳳 宇 (り・ぼんう)

1960年京都府生まれ。朝鮮大学仏文科卒業後、ソルポンヌ大学、パリ第3学部へ留学。
帰国後、88年に映画の製作・配給会社シネカノンを設立、ポーランド映画K・キェシロフスキ監督『アマチュア』を配給。
以後、J・ベッケル監督『穴』などのフランス映画の名作をはじめ、アイスランド映画、ギニア映画、イギリス映画等を手がける。北朝鮮映画も数多く配給しており、91年には「北朝鮮映画祭」を開催し、企画・配給をする。また、在日コリアンがテーマの『潤の街』の宣伝、『月はどっちに出ている』の企画・製作・配給を担当。1993年公開の『月は〜』が各映画賞を絵ナメした。
『月は〜』と同じ雀洋一監督と組み『東京デラックス』(東宝洋画系公開)を製作。
ワンコリアフェスティバルの趣旨に共感し、古くから賛同人をつとめる一人でもある。


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