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ΥξΦΨ ――●最近の世界情勢を見ると、まずソ連崩壊に象徴される解体の動きがあります。しかしEC(ヨーロッパ共同体)やNAFTA(北米経済機構)の形成、また先日のサミットでのクリントン大統領によるPC(新太平洋共同体)発言など、統合へ向かう力も強く働いています。こうした動きを見ますと、私達ワンコリアフェスティバルが提唱する「アジア市民」が、理想論でなく現実に成立する条件が増大しているのではないかと思うわけです。そこで本日は「アジア市民の創出」について思想的・政治的・経済的視点を絡ませながら市民化の現状や問題点、あるいは日本、在日、南北コリアの課題の共通性と異質性などの様々な問題を忌憚なく話し合っていただき、皆さんのご意見を拝聴したいと思いますのでよろしくお願いします。 文●●韓国や日本で「市民」ということを考えるには、その社会が基本的には都市型社会に移行しているという前提をはずすわけにいかないと思うんです。もちろん都市型社会イコール市民社会ではないわけですが、現実に旧来の共同体が解体し、生活や人間が個人主義的にバラバラになっていることを前提にして、社会をどうつくっていくかというところから考えなきゃいけない。ただ、その場合留意しなければならないのは、かつて日本で1967年に革新都政が成立し地域の住民運動や市民運動がすごく盛り上りましたよね。その当時、石牟礼道子さんをはじめ水俣問題に関わっていた方が『水俣病闘争 ― わが死民』という本を出しています。市民でなく、死民。当時の市民運動というのは、それまでの革新政党主導の運動とは次元の違う非常に新しいタイプの運動として下から盛り上がってきたわけですが、彼女たちはそういう市民運動をかなり冷めた視点で眺めているわけです。「水俣の漁民はむしろ市民社会から疎外された民である」ということを前提にして、そこを基盤に考えていたみたいで、いわゆる市民運動とは少し次元が違うところでいろんな問題提起をしている。ですから石牟礼さんたちが提起した市民社会に対するシニカルな見方というものを、今後の市民社会形成において、どう取り込んでいくか。これが大きな課題として残るんじゃないか、という気がするんですが。 竹田●歴史的に言うと、共同体を形成する槻念として民族、宗教、それから王政国家という単位があって、その後十七、八世紀に市民という原理がヨーロッパで出てきたわけですね。この場合の市民という考え方が具現化していくのは、確かに近代国家が成立する過程においてですが、石牟礼さんの言う「死民」というのは、そういう近代型の市民社会に対する反発がある。繁栄した先進国の国家における市民と、そこから疎外された人間がいるという図式ですね。 文●●日本では1960年代に、自治体改革や地域民主主義を前提に市民主義の成長が確かにありました。しかし一方でやはりそういう市民社会から疎外された民の存在をふまえた、いわば「土くさい」抵抗の形も根強かった。そして、その対立は1970〜80年代になってくると、日本対アジアという形で広がっていったと思うんですよね。その「土くさい」抵抗をアジアの方が担い、日本の方は市民主義が支配的になっていく。かつては反近代というか、西洋的な基準でアジアを見ちゃいけない、アジアにはアジアなりの抵抗や世の中を変えていく原動力や道筋があるんだという議論が多かったじゃないですか。韓国でもそういう要素がすごく残っている気がするんですよ。ですから、近代ということでは割り切れない人々の動きをどう組み込んでいくか、それから北朝鮮のように市民社会の要素がほとんど及んでないところも、これから一緒に考えていかなきゃいけない。とすると、もちろん百年二百年という長い展望で考えればどうなるかは別として、いまは一足飛びに市民社会という視点だけでは、なかなか割り切れない問題が出てくるような気もするんですけどね。 竹田●ただ、20年ぐらい前は日本でも「市民社会なんか、成熟するはずがない」と、かなり言われてましたね。日本には天皇制があるから、西洋的な民主主義が根づくはずはないと、ちょっと進歩的な人たちの殺し文句みたいに(笑)。当時はその言い方にも説得力があったけれども、今の時点で言うと、僕はもはやそういう反近代、反西洋的視点は成立しないと思います。つまり「市民化」は意識よりもまず経済であり、国際関係であり、それから知識や文化の交通といった場面で抗いがたく進行していったわけです。気がついたら反近代や反西洋的な視点が依拠できる現実がどこにもなくなっていたというのが実情ですね。確かに地方へ行けば、意識的な面でいかにも旧態依然とした日本的なところを指摘できる。しかし14〜5年前と今と比べると、これは日本全国もう「市民化」としか言えないような進み方をしていることは明らかです。「死民」つまり市民からも疎外されているような市民は、日本では消滅しつつあるわけです。それは、いいとか悪いというのでなく。だからやはり、歴史の展望というのは常にある長いスパンで見ていく必要があると思うんです。また、そうでなければ目標あるいは展望を持てないというのが、ぼくの基本的な考え方ですね。もちろんアジアや韓国が日本と全く同じプロセスを進むかというと、それは新しい国際関係の要素があってそうはいかないでしょうが、少なくとも反近代型のモデルというのは成立しがたいと思いますね。 文●●いずれにせよ、都市型社会に移行することが、市民化の前提条件であるということは、一致しているわけですね。 竹田●ええ。 川村●都市型社会というか、経済発展のない市民化はありえないでしょう。 鄭●●そうですね、それは必要条件ですね。 |
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ΥξΦΨ 文●●韓国における市民社会の成立ということでは、僕は1987年に全斗煥が退いて慮泰愚が出てきた時が市民社会成立への一つの節目になっていると思うんです。さらに、冷戦後という社会状況、あるいはあれだけ都市化、工業化が進んだという現状をふまえると、今後は「市民」が重要なキーワードになっていくだろう、と。そこで韓国の市民化を考えると、日本の1960年代とオーバーラップするところがあると思うんです。一方で都市貧民を含めて旧来の伝統的な共同体を前提に起こる抵抗のあり方がある。それと別に都市型社会に移行する中で、都市的な生活意識や生活様式を前提に起こる抵抗のあり方がある。結局、少なくとも当面は韓国における市民化も、在日の状況におけるそれも、この大きな二様の動きをどのように調整していくかが問題だと思います。 鄭●●確かに1986年から87年の韓国の変化は大きな変化だと思います。市民運動あるいは市民化の中で、例えば差別への抵抗だけを取り上げてみても、機会の不平等の問題とか性差別の問題、労使の問題、地域差別の問題と、1987年以降はありとあらゆる問題が出てくるようになったと思うんですけどね。ただ私は、相も変わらず全く崩されていない部分、つまりナショナリズムやそれに伴う内国人と外国人の間にある問題の方が気になるんです。何と言いますか、外国人に対する伝統的な差別や民族優越主義に対して、基本的に誰からも今のところまだ問われていないという感じがするんですよね。今度の金泳三政権以降に、若干そういうムードらしきものが出てきていますが、私はまだ本物だとは思っていない。つまり都市化は市民社会への必要条件であっても十分条件ではないと思うんです。ですから日本側のそういう市民運動と韓国側の運動が似ている、私の言葉で言う「パラレル」なものであるとは私には思えない。むしろまだはっきりとステージの差があると思うんですけどね。 川村●そうですね。僕は以前、福岡の市民とプサンの市民が衛星放送を通じて話し合うというテレビ番組に参加したことがあるんです。しかしプサンの方からは、市民レベルの話合いということなのに「日帝36年間を解決しないうちは話合いは出来ない」「教科書問題をきちんとしろ」「従軍慰安婦云々」といった民族や国を背負った発言になってしまうんです。 竹田●なるほどね。 川村●そういうことは東京とソウルでも十分やれることなんですよね。ですから「これは市民としての話なんだから、例えば玄海灘を挟んだ都市である福岡とプサンの固有の話題や地方的なレベルの問題ってありませんか」と水を向けるんですが、そういう話にはならない。「市民」が成立する前に、やはり国民とか民族という非常に大きなものがあるわけです。姉妹都市などはいくらでもあるけれど、いざ都市住民のレベルで話をしようというと、どうもまだまだで、やはり日本は日の丸を背負い、韓国は太極旗を背負う。理屈や是非でなくそうなってしまうのが実情なんですよね。 鄭●●お互いに国を背負うというよりは、韓国の方が絶対に太極旗をまとって出てくる。はっきり言えば。 川村●そう。だから日本もつられて日の丸を取り出してしまう。 鄭●●日本の場合は国を背負うというより、そういう場でも一種の市民意識みたいなものは残っている気はするんです。福岡市民としてのアイデンティティで物を考えることはある程度可能だと思うんですけどね。韓国の場合はプサン市民として何かを話すのはかなり難しいんじゃないかな。 川村●まあ、日本の方で市民的にと言った時でも、国家や民族性のない市民はまだいない。コスモポリタン的な市民なんて、実際にはいないわけですよね。福岡市民というのは福岡の市民であると同時に、日本国の市民でもある。プサンもそうですね。ですから多少、国柄が出たとしても市民レベルで話が出来るはずだ、と期待したんですが、どうもそうならない。プサンの方はソウルを見ながら、ソウルとキャッチボールでしゃべっているというような感じを受けたんですね。 鄭●●市民レベルの会話というのは、日本の年配層と韓国の若手の層ならば、ある程度は可能かもしれませんね。日本人の若い世代は自分と民族や国家という大きな集団を結び付けて語る習慣が全くないわけで、これはもう国家単低で話を持ち出す相手には太刀打ち出来ない。だから、ある程度経験のある日本の年配層と、若干は頭のやわらかい若い韓国人が話すとおもしろく通じるかもしれませんけれども、両国の同じ世代の人間が語り合う場合は、やっぱりズレがある思いますね。 |
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ΥξΦΨ 文●●ナショナリズムと市民的なものをどう結合させるかということは、もちろん問題だと思います。ただ、お話を伺っていますと「韓国の場合はナショナリズムが強すぎて、とても市民的なものは出てこない」ということのようなんですが。 鄭●●う−ん、まあ、そういう否定的な気持ちも多少は…。 文●●あの、「市民」の定義は様々ありうると思いますが、じつはすごく簡単なことを言っているんだ、と僕は思うんです。どういうことかと言うと、例えば僕の息子が学枚から通知表を貰ってくる。通知表には学枚の教育目標というのが三つ書かれているわけです。一つ目が「自分から進んで勉強する」。二つ目は「人を思いやる気持ちを持つ」。三つ目が「健康」と。市民というのは、健康はともかく前の二つのことなんですね。政治学的に言えば「自治」と「共和」。自分の頭で考えることと、他人と協調すること。また、他人との関わりで自分を顧みるといったことをしていく、と。だから「市民」とは教育したり啓蒙したりして生まれるというよりは、小学生や中学生の時代の人格形成の過程で、人間が備えなきゃいけない基本的な資質だと思うんです。 川村●そうですね。そのとおりだと思います。 文●●しかし在日の民族学校では民族や反日といった政治教育が先行して、そういう基磋的な教育が充分になされていない、むしろ軽んじられてきた。これは韓国でもそうだと思うんですけどね。 鄭●●ええ。 文●●ただ、従来そうであったのが、最近は「相手との関係で自分を顧みる」あるいは「韓国人の自画像を描いていく」という状況に、多少はなりつつあると思うんです。それは、もちろん悪い意味もいい意味も含めてですが。 鄭●●確かにそうですね。 文●●少し楽観的すぎるかもしれないけれど。 鄭●●まあ、条件は出てきていると思うんですよ。私は戦後の日韓関係を考える時、三つの段階に分けて考えているんです。まず、1945年から65年くらいまでが一期で、これは国交関係がなくつきあいのない時代ですよね。その後、1965年から先程言った88年の転機までが、言い方は変ですが「一方通行の交流」の時代。物や情報が日本から韓国へ行く時代だったと思うんです。そして88年に韓国で海外渡航の自由化がはじまり、それ以降日本に人も物もある程度来るようになった。一方、交流の相互化や増大だけではなく、情報化が非常に活発になってきた。これは通信衛星、衛星放送の影響が非常に大きいと思います。衛星放送を通して日韓が互いのニュースを見るなど、この五年ぐらいの変化というのは非常に大きいと思うんですよね。 竹田●僕は韓国の状況はあまり知らないんですが、韓国のことに限定すると、日本における共同体意識と韓国のそれに、大分差があることはよく理解でさるんですが、その問題を具体的に考えていくには、僕としてはやはり何らかの視座となるモデルがないと考えていけない。そしてそれは、近代の社会思想として出てきた「市民」という概念が、僕には一番しっくりくるわけです。二十一世紀を前にして人間社会が新しい多様な問題を提示している中で、今まであった国家や民族という概念では包括しきれなかったものを包括するモデルを構想できるとしたら、おそらく今言った「市民」という概念だけではないのか、と‥冷戦構造が終わって、どういう国家がいいのかという問題の枠組みが消えた時、僕の中では「市民」という考え方が、非常に大きな可能性として出てきた。 鄭●●ええ。 竹田●今、文さんが「市民とは、自治と共和という人間の基本的資質である」と言われましたが、僕なりにできるだけシンプルに言うと「市民」というのは思想・信教・民族・階層に関係なく「法のもとに平等である」ということです。日本国家は日本人のものではなく、日本国という社会の単位において、そこに参加してルールを守っている限りは、誰でもその社会の成員であると認められること。おそらくそういう点では皆さんの考えとそんなに違いはないような気がしますが、どうでしょうか。「市民」というのを、どういう概念でとらえればいいか、ちょっと伺ってみたいんですが。 川村●あまり違わないですね。つまりそういう視点での「市民」は、日韓だけでなく、北朝鮮であれ香港、中国、ロシアであれ、ある意味では共通だと思うんです。ですから僕が考える「市民」のあるべき姿というのは、卑近な言い方ですが、住んでいるところにスーパーマーケットがあって、そこにお金を持っていけば欲しいものが買える、その程度の欲望はその社会で努力すればかなえられる。極論すれば衣食住において不自由のない状態であり、そこでは民族、国籍等による差別は何もない、と。それが「市民」として目指す共通項として出てきたのが今の時代じゃないかと僕は思うんです。そしてそういう社会づくりを疎外するような要因に対しては、それは違うと言っていく。これが僕の考えている市民社会の姿なんですが、では「市民」を「民族」や「国民」というものと相対化して、ど、概念として規定するかは、まだうまく言えないんですよ。 竹田●鄭さんはいかがですか。 鄭●●そうですね、基本的には同感ですね。 |
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