(2000年12月10日(日) 大阪国際交流センターにて行われました"ONE KOREA FESTIVAL OSAKA 2000"フォーラムの内容をここに公開します。)
21世紀のワンコリアと東アジア
──南北共同宣言の意義と海外コリアンの役割──
<パネラー・コメンテーター・司会者の紹介>
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司会 文京洙 (立命館大学国際関係学部教授):
私、本日司会をおうせつかりました、文京洙と申します。本日は、立教大学教授の李鍾元氏、並びに神奈川大学の教授であられます尹健次氏、そして大阪市立大学教授の朴一氏のお三方の討論を中心に、パネルディスカッションの形で、今日のテーマ、「21世紀のワンコリアと東アジア・南北共同宣言の意義と海外コリアンの役割」について議論をしていきたいと思います。
パネラーの方に、お一人15分から20分程、お話をいただいて、その後フロアの皆さんも交えて討論ができればと考えています。時間に限りがありますので、要約をはさんで、韓国からいらした方々への便宜を図るため、日本語の発表を韓国語に要約して内容をお知らせするという形にしていきたいと思いますので、ご協力よろしくお願い申し上げます。
「21世紀のワンコリアと東アジア」李鍾元 (国際政治学者・立教大学教授):
ただいまご紹介を頂きました立教大学の李鍾元と申します。今日金学俊先生の講演(※『最近の韓半島情勢と東アジア』)を頂きました。また今日全体のテーマ「21世紀のワンコリアと東アジア―南北共同宣言の意義と海外コリアンの役割」のテーマについて私なりに普段考えてきた事を手短に申し上げたいと思います。
ワンコリアは長い歴史になるんですが、個人的には、ワンコリアに参加させていただくのが初めてで、光栄に思いますと同時にこれまであまり貢献できなかった事をある意味でお詫び申し上げたいと思います。私の家内は踊り手なんですが、家内の方はワンコリアに貢献したと思うんですが、私はそういう面で大きく遅れをとっておりまして、民主主義の面では貢献した事はあるんですが、民族統一についてはこれまで大きな貢献ができなかったので、今日をひとつのスタートにしましてワンコリアの為に、またこれからワンコリアという運動も新しい段階で大きな要求がされると思いますので、そういう意味でお手伝いができればと思って、今日参加させて頂きました。
今日のシンポジウムの題が「21世紀のワンコリアと東アジア―南北共同宣言の意義と海外コリアンの役割」というテーマですが A南北共同宣言、金大中大統領と金正日委員長との間の南北首脳会談をきっかけとした大きな変化というものの持つ意義を、3つの点に要約できるのではないかと思います。
3つといいましてもそれぞれ相通ずるものだと思いますが、第一点は、南北共同宣言、南北首脳会談というものが、振り返って考えてみますと、朝鮮半島が国際政治の面で客体から主体に踊り出、大きく主体的な存在としてクローズアップされたと見ることができると思います。これまで朝鮮半島は「問題」だったわけです。朝鮮半島問題というのが、常に語られる切り口だったのですが、あるいは東アジア全般の状況が常に大国に先導され、国際政治の大波に翻弄される哀れな存在だったというのがこれまでの大まかなイメージであり、実体だった思います。
しかし、6月に実現した南北首脳会談の動きというのが、突如として朝鮮半島が、東アジアだけではなく世界の国際政治の大きな流れにおいて主役的な役割を担ったという意義を確認したいと思います。これはうぬぼれ的なナショナリズムに基づいたものではなく、これからの朝鮮半島の状況、或いは東アジアの状況というものが南北朝鮮の、二つのコリアの選択、二つのコリアの指導者、或いはその市民がどういう選択をするかによって、大きく影響されてくるという構造にあるということが明らかになったのが、この6月の大きな事件だと思います。このように、常に客体としてのオブジェクトだった朝鮮半島が主体として踊り出たがゆえに、私達が目の当たりにしているような、これまで状況を牛耳ってきたアメリカや中国が、慌てた対応を迫られている状況になっているわけなんですね。ですから、非常に象徴的なことですが、南北がお互い消耗するばかりの分裂状況がこれまで続き、大国に翻弄されたわけですが、注目すべき点ですが、この南北が大きな一歩ですが、和解と協力に向ったとたんに状況の主体になりうる大きなポテンシャルがあるということが明らかに実証されたと思います。もちろん一回の会談で成されたわけではなく、これは長い段階のプロセスですが、一つの会談で、一つの出会いで朝鮮半島が大きな主体として役割を果たすことができるということが、見事に現れたということを第一点として確認したいと思います。
第二の点ですが、二つのコリアが地域秩序への抵抗者、あるいは撹乱要因になっていた存在から秩序の形成者としてのポジティブな存在への第一歩を踏み出したというのが、6月の会談の第二の点だと思います。つまりこれまで大国主導の秩序の犠牲者でありましたから、その認識からその秩序に抵抗しようとし、そして場合によっては抵抗をするためにその秩序を乱さなければならない、という運命が長年続きました。例えば、北朝鮮による朝鮮戦争の開始というものも、大国によって強いられた分断の構造をなんとか打破して、武力に訴えてでも統一しようとする試みでありました。そういう意味では、押し寄せてくる秩序への抵抗でありますから、動機は自らの利益に基づいた行動でありますが、客観的には常に戦争を起こし、緊張を激化する存在として描かれてきたのが常でありました。これは北に限った事ではなく、南の李承晩(イ・スンマン)も北進統一を試みたり、機会があれば武力に訴えてでも統一をなしとげようとする面ではそれ程か変わらなかったと言えます。50年代全体を通して冷戦対立を激化することで自らの主導で統一を成し遂げようとしたのが李承晩でありました。で、また時代は下りますけれど、例えば金泳三(キム・ヨンサン)大統領が一時期、吸収統一を政策的に進めたことがありますが、それは大国によって分断が固定化されることに対する抵抗の動きであり、秩序を破壊するものとして捉えられなければならない状況だったわけです。しかし、今現れている南北朝鮮の動きというのは、明らかに朝鮮半島だけにとどまるものではなくて、東アジア全体に新しい地域秩序の形成をもたらす大きなスタートラインになるということであります。しかしご存知のように、世界で地域秩序が形成されていっている中で、東南アジアにはもちろんありますけれども、北東アジアにだけは唯一地域的な横のつながり、地域的な枠組みが存在しません。北東アジアというのは朝鮮半島、日本、中国、台湾をいれた東アジアの北の部分を指しますが、他のどの地域を見てもなんらかの地域機構が存在するわけですが、この北東アジアにだけは存在しません。このような地域の枠組みが北東アジアにだけない理由を通常二つ挙げられるのですが、主に大国によって指摘される第一の要因ですが、アジアの強烈なナショナリズム、文化の多様性、歴史的な要因によって深く根を下ろしてしまったナショナリズムの対立構図。こういうもののために相互に不信感が非常に強くてそのためにそれぞれまとまらないんだというのが通常いわれます。そもそも北東アジアというのはそれぞれ国家が単一民族で固まり、それぞれ似たように見えてそれぞれ特殊な独特な文化を持っている。しかも日本の侵略という歴史的な要因によって深く根を下ろしてしまったお互いのナショナリズムというのが、対立しやすいような構図になっている。
このようにして北東アジアには相互不信が強くてそのために横のつながりが成立しないんだというのが通常の説明であります。そのために北東アジアは、縦割りの地域構造しか存在しないというのがあります。しかし、私がもっと注目したい第二のより大きな要因としては、アメリカや中国の地域内外の大国の消極姿勢がより強いというのが大きな要因だと思うんですね。そもそも世界的な大国であるアメリカ、中国というのは、この域内の自発的な地域システムが作られることには基本的に警戒感を強く持っていますので、APECが出た時の時アメリカの消極的な姿勢にも現れますように、あるいはASEAN(東南アジア諸国連合)を始めとして東アジア全体のなんらかの地域的な枠組みへの動きに対し、大国のアメリカと中国が政策的には消極的であるというのが現状であります。大国が進めようとしている秩序というのは、勢力均衡的な枠組みであります。それぞれアメリカ・中国が自らを中心に据えた放射線上の勢力均衡システムというもので、それぞれを中心に据えてコントロールするというのが大国の正義であります。アメリカは明らかにそういう政策を、冷戦期から新しい秩序が要求されているポスト冷戦期においても強めておりますし、中国もそのアメリカに対抗して二国間の関係で自らの影響力を様々な面で強化する戦略を、米中間にある種の戦略的な協調と牽制のシステムを持とうとしているのが中国であります。
そうした中で日本という域内大国でも日米関係 日米中ロという大国を中心とした様々な極構図を実際に進めようとしているのが、現在の日本外交の大きな戦略です。このように大国が自らの利害に基づいて大国中心の勢力均衡のシステムに走っているというのが、東アジアにおいて地域的な枠組みを創ることを阻害している東アジアの現状だと思います。それをはねのけてなんとかしているのがASEAN諸国だと思いますが、まさにそれと結びつく形で新しい動きが朝鮮半島問題を中心として四者会談という一つの枠組みを創り、それが金大中大統領と日本の間でも進められている六者会談というものに拡大してつながっていくというのであれば、大国中心の均衡的なシステムではなく、自発的な域内の横のつながりをベースとした地域の枠組みを創り出す大きな基盤となるわけでありまして、そういう意味で南北の和解というのが大きな地域的な意義を持つと考えます。こういう点では金大中大統領も常々強調している点だと思いますし、南北の和解というのは南北朝鮮にとどまるものではなく、さらに地域に安定的なシステムをもたらすものだということをここで強調しておきたいと思います。
第三の点は、今回の南北共同宣言というのは、南北の従来の相互否定、相互の排除から、相互の認定、あるいは共存に大きく転換したという意義が大きいのではないかと思います。これはこのワンコリアの一つのテーマでもありますが、統一ですとか、その統一の気持ちへのナショナリズム、私達の民族が強く持っているものでありますけれども、これにも新しい展望を与えるそういう契機だという風に考えます。これまでの私達が考えてきた統一というのは、一方の他方に対する全面的な否定というのが、掘り下げていけばそう言う考え方に基づくものでありました。どちらかがどちらかを否定した上で、相手を自分と同質化してそれで物理的にという発想に基づいた統一でありました。ですから統一を進めれば進めるほど、統一を追求するということがかえって分断、対立、対決を激化させる、深めるという逆説的な構造を生み出し、そのために私達が半世紀以上苦しんできたという状況があったわけです。
過去の20世紀は、戦争の世紀、世界大戦の世紀かもしれません。しかも社会主義というイデオロギーが具体的な国家体制として成立したという意味で、イデオロギーの世紀と言えるかもしれません。色々な表現があると思いますが、一番大きいのが私自身の考えでは、国民国家の世紀、国家の世紀だという風に表現していいかと思います。つまり20世紀を最も集約して言うなら、17世紀から始まった主権国家というのがありますが、その後国民国家に衣替えするのですが、国民国家というのがピークに達したのが20世紀の始まりであり、ピークに達すると同時に500年以上続いた主権国家が大きく変容していく。しかもその変容が始まってその変容していくビジョンが明らかになったのもこの20世紀であったと思います。20世紀は帝国主義と世界大戦に向かう時代として幕をあけました。この帝国というのは国民国家が最も大きくなった、国民国家が肥大化すれば辿りつくところが帝国だということでありますが、そう言う意味では20世紀の始めにおいては、サイズの面で最大規模に達した時代でありました。最大規模での絶頂というのは、相互の衝突による大戦と結び付かざるを得ないということでありました。振り返りますと、その1世紀を過した後の20世紀最後の10年、つまり1990年代ですけれども、80年代あたりから薄々と姿を現してはおりましたが、90年代に入って冷戦という枠組みがはずされた時に、そこに姿を現したのは、グローバリゼーションであります。国家あるいは国境というものが全く意味を成さない、従来のような堅く、高い壁のような浸透できない障壁のようなものが、全く意味を成さなくなったということが明らかになったのが、20世紀の最後の10年で私達が経験してきたこと、いわゆるグローバリゼーションであります。グローバリゼーションを全面的に讃美することはできませんが、少なくとも明らかになったのは、主権国家システムが従来のようなものとしては対内外的に限界に達したこと、それが明らかになったのがこのグローバリゼーションという現象ですね。そういう風に考えますと、東アジアというのがこれまで縦割りになった最も大きな要因の一つというのが、国民国家へのこだわりによるものだと先ほどお話しましたが、この時点において私達は20世紀に何が起きたのかということを振り返り、その中で東アジアを展望しなければならないと思います。
非常に手短に申し上げますと、私はこの20世紀に起きたことで重要なことは二つ三つくらいあると思うのですが、例えば、主にヨーロッパを見ますと、20世紀の1世紀間にヨーロッパは戦争を経験しましたが、まず一つ起きたのは、今やヨーロッパの主な国の間では典型的な意味での主権国家がなくなったというのが第一点であります。世界で主要な国家を見渡しますと、どの国でも理念的な典型的な意味では、主権が100%保障されるという主権国家が存在しなくなったわけなんですね。いろんな意味で政治的に、軍事的に主権というのが大きく制約されているというのが第一点であります。
もう一つの点というのは、もはや主な国の間では戦争ができなくなったというのが、20世紀のもう一つ私達が普段気づかない点です。世界大戦が終った後の20世紀の後半においては、おもな国家の間では戦争が考えられなくなったというのが第二の点であります。
第三の点では、それと関連しますけれども、主な国においてナショナリズムというものが、以前のような軍事的な攻撃的なものから、文化的なものへと大きく変容したということであります。
主権国家の意義が変わったのがこの20世紀でありますが、でもある意味では不幸にもこの東アジアにはまだそういう認識が相対的に弱いというのが依然抱えている問題だと思います。それは東アジアの人々が頑固であるからというわけではなくて、中国を見ましても、あるいは私達朝鮮においても、国民国家を目指そうとするプロセス、そのレースが始まって、完成も見ないうちに、ゴールを目前としてゲームのルールが変わってしまってゲームが終ってしまった、そういうある種の挫折感があるゆえに、中国大陸、台湾においても、朝鮮半島においても、いずれにしても依然として主権国家へのこだわり、ナショナリズムへのこだわり、これが非常に強くあるのが私達の現状であると思うのですが、しかし、このグローバリゼーションの流れは私達に押し寄せてくるわけであります。そういう流れにおいて私達がやるべき事は、既に古いゲームになりつつある、強い頑固な主権国家を創るというゲームを続けるのではなくて、これからの私達のそれぞれの社会を、それは日本であれ韓国・北朝鮮であれ中国であれ、それぞれの東アジアの社会が国境というものをもう一度考え直し、それぞれの社会を魅力あるものとし、様々な世界から資源と能力を取りこんで、魅力ある社会を創り、強い社会を創りあげる事でその社会に対するプライドを持つ、これが新しいナショナリズムだという風に私は思うわけであります。そういう流れにおいて海外コリアンの果たす役割というのは、新しい時代、グローバル化する時代においてナショナリズム、国家という意味をもう一つ多様に考える、そういう実存的な主体としての意味が非常に大きいのではないかという風に考えております。その点においては、その問題を私より実存的に研究されてこられた他の在日の友人の方々にゆだねる事にしまして、長くなりましたけれども、私の話しはここで終りたいと思います。ありがとうございます。司会 文京洙 :
李鍾元先生、どうもありがとうございます。「21世紀のワンコリアと東アジア」という大テーマで非常にスケールの大きいテーマでのお話だったと思います。
続きまして、あとのお二方は「南北共同宣言の意義と海外コリアンの役割」という点に焦点を当てたお話をしていただけると思います。尹健次先生、よろしくお願いいたします。尹先生は、在日の問題、日本社会のあり方、近現代史をめぐる朝鮮観との問題で多くの著作を書いてこられましたし、最近では現代韓国の政治社会思想状況について本を書かれています。よろしくお願いします。
尹健次 (神奈川大学教授):李鍾元先生が、非常に国際政治学の立場から大きな視野で、南北共同宣言の及ぼす影響、特に国民国家の問題や東アジアの問題という大きな問題をコンパクトにお話下さったかと思います。私は京都生まれ、京都育ちの在日朝鮮人ですから、在日の問題というところからこの問題についてお話をしたいと思います。
ワンコリアフェスティバルは、在日の運動だろうと思うんですけれども、それに即してお話をするのが私の役割であろうと思います。来る前に、このワンコリアフェスティバルを少し、調べてみました。鄭甲寿さんが中心になって、またたくさんのボランティアの方々がおやりになっているわけですけれども、これが始まったのは1985年で、解放40年を契機にして、南北統一を目指す「在日」を拠点にして始められた運動なんだろうと思います。勿論、在日の運動とは、在日本ですから日本の問題にも関わるわけでして、ワンコリアですから南北朝鮮の統一と朝鮮半島の問題にも関わると、朝鮮半島の問題と言いますと、南北の問題だけではなく、東アジアさらには世界の問題に関わっていくということになります。これは、ワンコリアフェスティバルが85年に出発した時からやはりこれは、東アジア、世界につながる運動として意図されたんだろうと思います。毎年のワンコリアのパンフレットや決議文、集会の案内文を読んでみますと、5周年目の1989年にヨーロッパECと言う言葉が初めて出てきます。緊張緩和と平和共存のモデルとして、ワンコリアフェスティバルも将来的にはこれを目指すんだということが鮮明にされたと思います。また、90年の第6回フェスティバルを見てみますと、「ワンコリア・アジア・世界」というスローガンが案内文の全面に登場しております。当初から、自分たちの運動を世界史的な視野で捉えたということができると思います。それは同時にアジア共同体の一員としてワンコリアフェスティバルをするんだと、アジア共同体を一緒に創っていくんだということを鮮明にされたのだと思います。その後、運動を続けてこられて、93年に「アジア市民」という言葉が出てきます。アジア市民の一員として、あるいは、アジア市民を連帯の中で創り上げていくんだと、在日コリアンの南北問題だけではなくて、日本の皆さん、朝鮮半島はもちろんのこと、東アジアも含めた中で、アジア市民を創出する運動なんだと、それによって東アジアの共同体というものを考えていく、南北の統一を考えていくことだろうと思います。
そうして、90年代を終えてもう21世紀ですけれども、ちょうど2000年の6月に、南北共同宣言と言うのが出されまして、在日も新たな運動の転換点、新たな見通し・目標を創っていかなければならないというところに立ち入ったんだろうと思います。国際政治のことは李鍾元先生のご専門なので、私からのコメントは省くとして、では在日として何をしていけばいいのか、ということについて私自身の若干のコメントをしていきたいと思います。ワンコリアフェスティバルの主催者の意見でもないし、私が代弁する立場でもないということです。
在日の立場でいいますと、まず一つは自分たちの主体的な問題、在日とはなんなのか、どのような存在なのか、あるいはこれからどのように生きていくのか、自分たちの問題があると思います。もう一つは在日をとりまく周辺状況、あるいは在日を規定しているものはなにかという、この二つに大きく分けて考える事ができると思います。
在日と言うと、日本に、韓国人といおうが、朝鮮人といおうが、日本に住んでいるという存在だろうと思います。約63万人いると思いますけれども、そのうち戦前の植民地支配の当時生きていた一世あるいはその二世三世四世、いわゆる旧植民地出身者、およびその子孫たちと、そう言う形でくくられる特別永住者は今で約53万人いると言われています。それ以外の10数万人は韓国からいらっしゃったと思います。ですから在日は旧植民地出身者、およびその子孫たちと考えていいし、しかもおそらくいかなる政治情勢の変動によっても、未来においてもこの日本に住み続けていく存在だと思います。現在でいいますと在日を規定する問題は、やはり日本社会との関係という事になります。もう少しこれを朝鮮半島の問題と引きつけて考えてみますと、我々在日を既定する大きな要因の一つは南北統一の問題。統一するかどうか、対立するかどうかで在日の存在、生活に大きく影響してくると思います。国籍問題、本名を使う問題、就職問題にしろ、ありとあらゆる分野で我々が意識するとしないとに関わらず、南北の政治情勢、統一という問題は、大きな規定要因となるということが確かに言える事と思います。
もうひとつは日本の植民地支配の精算の問題。日本はかつて植民地支配はしたけれども侵略はしていないと、植民地支配も当時の大韓帝国政府と交渉して、合意の上で条約を結んだからこれは合法なんだと。そこから日本国政府は、植民地支配について、あるいは侵略について謝罪する必要はないという、当然賠償ということはありえないと日韓基本条約もそうですし、共和国と日本との外交交渉もそうです。経済援助ならするけれども賠償はまかりならんというのが、今の日本の立場だと思います。
それゆえに在日の現在、未来を考える場合、日本の過去の清算を求めていくと、単に日本の過去の謝罪とか補償という問題ではなくて、在日が市民として市民権を獲得し、内外人平等の原則にできるだけ近づき、基本的人権の保障を求めていくということを含めて、日本の過去の清算を求めていくという、この二つがやはり大きなものであろうと思います。
そうした場合、在日の主体的条件とは何かということになりますと、一世がかなり減ってこられて二世あるいは三世が中心になって、おそらく四世五世となっていく。そうすると在日とは何かという問題になるだろうと思います。先ほど国民国家という言葉が出てきましたけれども、われわれは国民国家と言った場合は、一体どこに属するのかという問題が大きな問題になる。これは、大韓民国なのか朝鮮民主主義人民共和国なのか日本国なのか、とすると現在はそれぞれの3つに属している。昔は違ったのでしょうけれども、現在においてはある人は大韓民国の国籍、ある人は朝鮮民主主義人民共和国の国籍、と言いますとこれは少し違和感がありますけれども、というのは、日本と外交関係を持っておりませんので、少なくとも観念的、意識的には共和国の国民だと思っていらっしゃる人がいると。外国人登録でいいますと、国籍表示は記号の朝鮮ということになっているそういう人がいらっしゃる。朝鮮という記号を持ちながらも朝鮮民主主義人民共和国の国籍ではないんだと、これは統一朝鮮なんだという考え方、おそらく金時鐘さんや金石範さんがそういう考え方でいらっしゃると思いますが、国籍表示のいかんに関わらず統一朝鮮に自分は属しているんだと言う方がいらっしゃる。
また帰化というある意味でいまいましい言葉だと思いますが、日本国籍を取得した方がいらっしゃると思います。私はこれら全てが在日だと思います。在日朝鮮人というのは、あえてこの言葉を使いますが、これを規定するのは民族意識だろうと思います。ただ、民族と言った場合、昔からのスターリンが言った血筋血統とか言語、文化だとかいった頑固な民族の規定では無理だろうと思います。逆にいえばそういった全部が抜け落ちているのが在日だとおもわれますが、私はそういったことではなくて、出自、来歴、その意味で生まれ、ルーツというもので民族のアイデンティティーを括ってもいいのではなかろうかと思います。国籍や血でもって言えるわけではないと思いますし、言語で言うと韓国語、朝鮮語がどれだけできるかというと疑問になってきますし、文化で言いますとキムチが好きな人は日本人の方が多いとも言えますし、そういうと民族のアイデンティティーがいらないかということになると、そうではないんですよね。民族の意識は、日本社会が差別社会である限りにおいて、対抗、抵抗のアイデンティティーを持たなくては生きていけないというのが現状であります。それをなんと言うのかというと、括弧付きの民族的アイデンティティーと言う以外にはないんではないかという風に思っています。
我々の場合は民族と言うとまたややこしくなりますから、在日のアイデンティティーというある意味で便利な言葉で表現していいのではないかと思います。その核は、やはり歴史認識だと思います。これはかつて日本が朝鮮を植民地支配し、日本列島に渡ってきて定住したという一世、あるいはその子孫であるという出自、血ではなくその来歴をしっかり持てば我々は現実に国籍がどこであろうが、あるいは日本人との血がどれだけ混ざっていこうが、イギリス、あるいはフィリピンと結婚して、ダブルといっていろんな血が混血していくという場合でも大丈夫ではないかと、在日のアイデンティティーを明確にすることが必要なのではないかと思います。問題はそういうのがきちんと持てるかどうかなんだと思います。それが持てない様にされているのがこの日本社会だと思います。
日本近代史を見る場合、歴史を見る場合いくつかの柱があると思いますけども、幕末、明治維新以降、1945年代までの日本近代史を貫いたものは、私は、3つくらいあるんじゃないかと思います。一つは、日本の侵略、アジア全体で言いますと、アジアをいかにして自分のものにするかということだったと思います。二つ目は、日本の場合は共和制、大統領制という近代的な国家を創る余裕がなかった、準備ができていなかったという理由で封建的と言いますか、天皇制というものを天から引き下ろして来て、天皇制を持って、アジアを侵略することで日本自身が植民地支配されることから免れようとしたと、つまり欧米列強に対抗するためには軍艦や大砲が必要なのですが、それを作るお金が足りないと、足りないから植民地になっていいかというといやだと、それで朝鮮、満州、中国に出てかっぱらってくると、こういう風になったんだろうと思います。
したがって、近代日本の歴史の3つの柱は、一つは、欧米列強のアジア進出、二つは欧米列強に対抗して天皇制という特異な自民族中心主義の制度を持った。これは民族主義です。三つ目は、それだけでは足りないからアジアを侵略することによって、日本が独立を保とうとしたというのがあります。人間というのは好き好んで日本に生まれてきたのではないので、生まれてきた子供たちにこの三つの路線に必要な意識を植え付けていく。国民統合や全ての分野において、欧米列強に対する欧米崇拝思想、天皇制イデオロギー、アジア侵略を正当化するためのアジア蔑視感とがあります。とくに朝鮮蔑視感は強く、日本に生まれ日本の教育を受けた人は、基本的にアジア蔑視感を持っていると、持っていないのは嘘だと私は思います。それが国家の制度です。韓国の制度で教育を受けた人は、基本的に反日意識を持っていると、親日意識を持っている人はよほどの場合いないと思います。そういう国民国家のなかに生きているんだと思います。
ナショナリズムや国民国家が嫌いだといって批判して、ポストコロニアルやコスモポリタンで生きていけるかというとそうはいかない。日本の植民地支配を全部忘れてわれわれ同じ人間だから仲良く行きましょうと、平和と民主主義、あるいはエスニシティー・アイデンティティーの自覚で行きましょうというのは無理です。やはり日本国民、日本人として過去のアジア侵略、朝鮮支配、そして現在のもろもろの差別を是正していくというのでないと、無理です。逆にいえば在日もそうなんです。在日も来歴、現実の現象を無視して仲良くやりましょう、あんまり民族を言わないで生きていきましょうというのは無理です。そういう意味で在日がお互い連帯して生きていく事が必要だと思います。
朝鮮半島、南北統一の動きが出てきますと、すぐわかりますけれども、アメリカおよび、日本というのは冷ややか、あるいはブレーキをかける。朝鮮半島を統一する事が在日にとっても、あるいは日本にとっても大きなプラスになるんだと思いますけれども、現実には冷や水を浴びせる問題が出てくる。ということは、南北の統一というのは、南北間の問題にとどまらず、東アジア、世界の安定に貢献できるのですが、そうはいかないと。朝鮮半島の問題は、周辺の大国の思惑によって作られてきたイデオロギーですから、南北が統一するためにはアジア、東アジアの問題が必要で、これが必要だということは、一緒に闘うということです。在韓米軍の問題と沖縄の基地問題につながると、日本全体でいうと日米安全保障の問題につながると、ということで、一つの問題の解決に周辺国の民衆が一つになって闘っていく以外にないと、そういう意味で存在するんだと、自分たちの国の問題を解決するために周辺国と手をつないで闘うというのが、開かれた民族主義だと思います。在日は一つの存在として、南北朝鮮とともに日本政府に対して、戦後処理の謝罪と賠償というものを求めていく重要な立場にありますし、それをやり遂げていく中でわれわれの幸せもありますし、南北朝鮮も日本も東アジア全体が幸せになって行くのだと思います。
ワンコリアフェスティバルというのは、その意味で非常に重要な役割を果たすと、在日だけではなくて、日本、朝鮮半島、東アジア全ての人たちが闘っていくそういう一つの大きな運動体であると思います。
私は在日の立場からこの様に思っています。ありがとうございます。
司会 文京洙 :
尹健次先生、どうもありがとうございました。
続きまして、大阪市立大学の朴一先生にお話を頂きたいと思います。朴先生は紹介する必要がないと思います。経済学を専攻されて、韓国経済についての著作、編著をおもちです。で、一方で在日の人権問題、あり方についても、積極的にある意味現在、在日のオピニオンリーダーとして最も注目されていると言っても良かろうかと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。
朴 一 (大阪市立大学教授):私、コメンテーターですのでお二人のお話を聞いてコメントをしようと思って、何も考えてきておりません。それで李鍾元先生から南北首脳会談以降の簡単な東アジア情勢を政治学の立場からまとめていただきましたし、尹健次先生はその変化以降のとくに在日コリアンの役割について文化の側面から言及していただきました。私は、政治、文化と来ましたので、経済学者の端くれとして経済的な立場から話しをつなげていきたいと思います。
南北首脳会談の前に起こった出来事として東アジア全体に、97年通貨危機というのがありました。これはご承知のようにタイ、インドネシア、マレーシアなどのニックス(NICS新興工業諸国、韓国・台湾・香港)、ASEANだけではなくてこの日本にも深刻な経済不況を与えたんですけども、なによりも私は、韓国が高度成長から急速な経済停滞に転化したということが、一韓国経済を研究する人間としてショックを非常に受けました。その後、金大中大統領が就任し、構造改革によって韓国経済は現在かなり急速な回復を見せつつありますけれども、依然として通貨のウォンが非常に不安定であり、暴落しているような状況であります。私はやはりそういった面で考えてみますと、金大中氏の構造改革というのは、韓国経済の構造的な問題点としての政経癒着の構造の膿を、徹底的に出すということに対しては一定の成果を得たといえるかもしれないですけども、この通貨危機の根本的な要因としての通貨流動性といいますか、アジアの経済というのは基本的に自分たちの通貨をドルに連動してきましたので、ドルに過度に依存したシステムがこの通貨危機の大きな原因ではなかったかと思います。
したがって、97年に通貨危機がおこってから、とくに日本の経済学会、政財界では円を基軸通貨にしようという声が非常に高まってきました。この声は、日本だけではなくて、例えばマレーシアのマハティール首相も支持しておりますし、いくつかのアジアの国際通貨会議の中でも何人かのエコノミストから提唱されてきた経緯があります。
しかし、このアジアの経済共同体を創るという意味で、EUのように基軸通貨を創ろうという考え方は21世紀に大きな課題となっていくと思いますが、円を基軸通貨にする事については周辺の国々から大きな反発があります。先ほども尹健次先生が述べられましたが、日本は戦後処理をまだ終えていない。戦後補償問題を解決していない日本の円を基軸通貨にする事は、非常に抵抗があるというような風潮があります。
私はこの意味で、20世紀が残した課題として21世紀にアジア共同体を創るために、またこのドルに連動した通貨危機を二度と起こさせないためには、やはりこの共通の通貨を創る。ここに日本の円が大きな役割を果たすと考えるならば、まず日本は20世紀の宿題としての戦後処理を克服しなければいけないという風に強く思います。
もう一つの東アジア共同体を創るときの大きな問題は、依然として朝鮮半島は分断という構造が残っているということです。この分断構造によって、東アジアの経済循環構造が切断されてきたという問題がございます。しかしこれについては、南北共同宣言が行なわれて以降、急速に東アジアの最後の冷戦の砦である朝鮮半島に緊張緩和の波が訪れ、李先生がおっしゃられましたが、お互いに敵対視するのではなくて、相互に認め合い、この南北共同宣言の中でその宣言の一つとして、南北経済の均衡的発展という象徴的な言葉が出されました。私はこれからそういう意味で、東アジアの経済共同体の大きな阻害要因であった朝鮮半島の分断の構造が、21世紀初頭から大きく変容していくのではないかと期待しています。
そこで在日コリアンは、21世紀のグローバル化する時代にどういった役割を果たせるのかと言った時に、私は、こういった事をいうと非常にお叱りを受けるかと思うのですけれども、在日コリアンというのはこれまで韓国と北朝鮮の二つの祖国の間で揺れ動いてきた、逆にいえば悪い言い方で言えば、振り回されてきたという側面もあるんですけども、そういった国家的なナショナリズムに振り回される生きかたではなくて、むしろ在日コリアンという特別の存在として、3つの国家間矛盾を克服する存在として、これからの三世四世は生きていかなければならないのではないかと考えています。
こういった状況から21世紀の在日コリアンの課題を考えて見ますと、一つは日本のために何ができるか、もう一つは祖国のために何ができるか、最後に東アジアの平和と安定のために何ができるか、という3つの大きな枠組みから在日コリアンの役割を考えた時に、在日コリアンの役割として、日本の戦後処理を進める主体的な担い手になって行く、これはおそらく、この間在日コリアンが、日本の市民運動と連動して大きく日本の戦後処理改革を進めてきたという自負があります。旧日本人軍属問題もそうでありますし、従軍慰安婦の問題もそうです。そしてまた強制連行の実態調査にしてもそうですけども、在日コリアンがその運動の推進に大きな役割を果たしてきました。一方でまた朝鮮半島の分断を克服する試みとして南北の経済交流が現在祖国で進められているわけですけれども、実は韓国が実質的に北朝鮮との経済交流を進めたのは1980年代の末になってからのことです。大規模になされたのはご存知の通り、金大中大統領の太陽政策が進められてからですけれども、実質的にはそれよりもかなり20年先行する形で、日本の朝総連系の経済人が経済メリットということにかかわりなく祖国愛という観点から、この間北朝鮮との経済交易を積極的に進めてきました。無論、商慣行の違い、あるいは向こうのインフラの未整備という事で途中で挫折した商工人の人がたくさんいることも私は知っています。しかし、彼等がこの20年間にやってきた祖国との交易というものが、これからおそらく南北交易の発展、あるいは日本と北朝鮮との経済交流にとって欠かせない財産を残していくのではないかと私は思っています。
実は北朝鮮という国が韓国経済にとって大きく注目されているのは、北朝鮮の人件費が非常に安いということがまずいわれています。韓国のある学者の研究によれば、一五分の一程度の人件費ですむと。そして何よりもハングルを使うという事でコミュニケーションギャップの心配がない。そして最も大きいのは、北朝鮮の労働者が非常に優秀である。非常に高学歴で、納期の遅れもなく、不良品の発生も非常に少ないと、私が調査した北朝鮮交易の人が言っておりました。
そういう意味で、おそらく東アジア全体で日本からニックス、ニックスからアセアン、アセアンから中国と、どんどん円高に伴って生産拠点が移転してきたわけですけども、おそらくこれから生産拠点の中心的な地域は、中国から北朝鮮にうまく行けば移行していく可能性もあると思います。実際、現在韓国の財閥を中心に衣類や電子製品などの労働集約型の産業部門の生産拠点として、北朝鮮が有望な候補地として挙がっておりますし、たくさんの、韓国の企業でいえば500社ほどが進出していると聞きます。
しかし、全てがばら色であるかというと、私はそういう楽観的な考え方も見なおさなければならない点があるのではないかと思います。韓国の貿易協会の調査で、南北首脳会談以降に、北朝鮮と貿易したいという風に答えた会社が全体の8割を占めたと聞いておりますけれども、依然として北朝鮮には不安定な要素が強いと思います。とくに社会主義国家であるために商慣行や流通システムが大きく違っている。その意味で昨今、韓国と北朝鮮の中で投資保障協定や二重課税防止協定などが結ばれ、経済紛争を処理する話し合いが行なわれたという事は画期的な進展であったと私は思います。
これから韓国の企業だけではなくて、在日、日本の企業が安心して北朝鮮でできる環境を、その北朝鮮、韓国、日本が話し合いながらどう創っていくのかというのが、これからの朝鮮半島の緊張緩和にとって非常に大切だと思います。
しかし、現実的な話をすれば、北朝鮮に進出する上で心配している企業の本音は、北朝鮮のインフラ部門があまりにも整備されていないという事であると思います。韓国政府は現在、そのために南北経済協力基金という形で約1兆ウォン、日本円で言いますと約1000億円程度の資金を準備していると聞きますけれども、到底この資金だけでは北朝鮮のインフラを整備する事ができないと思います。韓国は現在北朝鮮にIMF(国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行)に加盟を勧め、そして両組織から大規模な経済開発資金を引き出すという交渉を進めておりますけれども、やはり一番北が期待しているのは、日本政府の全面的な協力を必要としているという事だと思います。そういう意味で日朝国交正常化が大きく期待されるところであります。南北経済交流への支援というものが東北アジアの平和と安全にとって不可欠だと強く意識するならば、北朝鮮に対するある程度の経済協力はやむを得ないと、私は思っております。
しかし、依然として北朝鮮に対するバッシングは日本で根強く行なわれていまして、日本のタカ派のマスコミは北支援に対して非常に警戒的です。日本政府が昨今行った北朝鮮に対する米支援についてもいくつかのマスコミは、日本人拉致疑惑が解明するまではこのような米支援を与えるべきではないという警鐘乱打を鳴らしてきました。
私はやはり、そういった日本の世論をどのようにしずめ、南北首脳会談という一つの風を有効に使いながら、日本が北朝鮮と国交を正常化し、日本が北のインフラ開発に対して全面的な協力をするシステムをどう創っていくか、それに対して、やはり在日コリアンが協力しながら雰囲気を醸成していかなければならないのではないかと思います。
無論、今私は経済資金的なお話を中心にしたと思うんですけれども、当然このような南北朝鮮の問題は金銭問題にとどまるものではありません。北朝鮮の食糧不足を救済するNGOを通じた人道支援のことですとか、ジャイカなどの組織からインフラ部門に必要な人材を派遣するというような試みも、日韓のNGO組織が協力して進めていかなければならないと思います。
私も先日、このワンコリアフェスティバルの実行委員長である鄭甲寿氏と北朝鮮の人道支援の会というのに協力しまして、チャリティーコンサートをし、日本円で200万円分の医薬品、食料品援助をする催しをこの間行いました。そしてこの26日、第一陣が北朝鮮に行き、人々に医薬品を渡しに行くわけですけれども、まさにこれから民衆レベルでの日本と韓国と北朝鮮の連帯というものが、いろんな分野で活発に行なわれていかなければならないと思います。
この間、私は別の学会で朝鮮大学の先生と始めてこれからの在日コリアンの将来の行方について議論する機会を与えられましたが、これから、日本と韓国だけでなく、北朝鮮も交えた議論が活発に行なわれる必要性があると思います。
今日は、本国から金学俊先生が来られましたし、李鍾元先生も本国から来られたといえると思いますし、我々は在日コリアンなのですが、ここに北朝鮮からの学者がいないのが残念なところです。是非来年のワンコリアにはここに北朝鮮の学者も入れて東アジアの平和と安定、朝鮮半島の統一に向けた議論を活発に進めていただけることを大きく期待したいと思います。
そしてできれば、北朝鮮に韓国からたくさんの歌手や芸能人が行き板門店でコンサートをするという話も聞いておりますが、ワンコリアフェスティバルも38度線の板門店でフェスティバルができる事が近づく事を心から期待して私の話にかえたいと思います。カムサハムミダ。
司会 文京洙 :
本日は3人の先生にお話をいただきました。簡単な要約を非常に十分でない通訳でしたけれども韓国から来た方にお伝えしました。
(その後、若干、客席の方と質疑応答がありましたが、割愛させていただきました。)
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