座談 梁石日 小林恭二 山本容子



山本 私は『電話男』が好きで、面白い作家が出てきたなって、デビュー当時から気になっていたんですよ。

小林 山本さんの仕事を見ていると、現代の日本の美術家が本気で自分のまわりの世界と楽しくつきあうと、こういう版画家が生まれるのか、という気がするんです。代表作に西洋の知的巨人の人物エッチングがありますけど、そういう偉大な文明を作った人間と遊び戯れている。日本人でも在日でも、近代の東洋人にとって、西洋文化は壁のようにそそりたっていたわけでしょう。これを無視するのもばかばかしいし、玉砕するのもつまらない。多くの学者のように、近くにいって同化しようとするのもばかばかしい。それを山本さんは、遊び戯れている。それが面白いなと思うんです。

山本 集英社から出ている「世界文学全集」全二十巻の仕事もやったんですけど、ロシア文学から中国文学、ラテンアメリカまでありますから、ありとあらゆる世界を描かなくてはいけないでしょう。ですから、けっこう大変でした。

 まさか、全部読むわけはないでしょう?

山本 全部、読み込みますよ。

 へぇ!

山本 もうロシア文学なんて、二度と読みたくないというくらい(笑)。来年、新国立劇場で『罪と罰』をやるんですけど、全集の中の私の版画をイメージに使いたいという申し込みがありました。エラそうに言えば、『罪と罰』を一枚の絵に表現するって、なかなかできないことでしょう。でも小説一本を一枚の絵にするというのが、私の装丁に対する考え方なんです。読書感想文ではなく、読書感想絵。だから梁さんの小読も小林さんの小説も、読み終わった後、1枚の絵にしてくれと言われたらできるんです。

 僕の小読がどんな絵になるのか、ちょっと見てみたい気がしますね。


いい小説は映像的

山本 『血と骨』は、どんどん読めたんですけど、それってすごく大事な要素だと思うんです。世の中に本はいくらでもありますけど、読めないものがたくさんある。イメージが沸かないというか。でも生理的に自分に入ってくるものは、それが大衆小説であろうが、純文学であろうが、関係ない。やはり力があるんですね。

小林 よくエンターテイメントは読みやすいって言いますけど、実際は読めないものが多いですよ。文章がスカスカで、こんなの読めないよってものが。でもその点からいくと、今、実質のあるものを書くのは、ある意味では損だとは思いますね。でも損だけど、それがやりたいからやっている。僕は自分でよく、こんなこと書いて損だな、読者のいない方向に走ってるし、と思いますよ。もちろん、10ページ読んでくれれば引きずりこめると思って書いていますけど。最初の三行か四行で、文章の格をおとさずに、読者の魂をさらいたい。人拐いをしたいですね。

 井上ひさしさんが直木賞の選評で、『血と骨』のことを、この小説はほとんど暴力だと書いてるんです。

小林 暴力じゃない小説の、どこが面白いんだって僕は思いますけどね。梁さんの小説は、内容よりむしろ文体が暴力的だと思います。

山本 私もそう思う。

小林 わーっと引きずりこんで、最後まで放さないで連れていってしまう。作家の誉れは、文体の暴力性にあると思いますね。

山本 同じことを何回も、ゴツゴツと書いてらっしゃいますよね。それが、生理にそのままぐっと入ってくる。たいへん面白い文体だなと思いました。

小林 ゴツゴツしてるけど、滑らか。

山本 大きな岩おかきを口の中に放り込むと、おいしいんだけど、ゴリゴリ、ゴツゴツ口の内側に当たる。そんな感じ。ちょっと扱いに困るんだけど、すごくおいしいから、放り出せない。

小林 決してスルメじゃない。スルメのように、噛んでるうちに味が出るなんて、考え方自体が嫌らしいよね。そうじゃなくて、体の中にサッと入つてきて、傷をつけて去って行くみたいな感じといえばいいのか。

 まぁ書くほうは、読者を想定して書いてるわけじゃないからね。

小林 作家であれ実術家であれ、就者や受け手を想定して、この程度の人を相手に、なんて思ったら、作家の負けですよ。この程度の人にこういうふうに譲り渡そうと思った瞬間、作家ではない他の存在、つまり大量生産の部品みたいになってしまう。だから僕は、読者を考えない。受け取ってくれる人がいたら、望外の幸せ。本当に嬉しいです。

山本 私、この前、マルクリット・デュラスの『ラ・マン』を読み直して、気づいたことがあるんです。これはお二人の小説にも言えることなんですけど、いい小説というのはとても映像的なんですね。月並みな言い方かもしれませんけど。その時の映像というのは、昔懐かしく思い出すのではなくて、もっと錯綜したイメージが溢れている。『ラ・マン』で言えば、彼女が七十歳を準えてから、十代の自分を思い出して書いたんですけど、最初は小説を書くことが目的ではなかったそうです。ヴェトナムにいた頃の写真集を作ろうということになって、アルバムを貼るような感じで写真を並べて、そこにコメントを書いていった。そういう作業をしているうちに、その時の母の声だとか使用人の声、町の喧騒が聞こえてきて、写真は必要なくなった。そして母にも決して語らず、それまで封印してきた中国人の男との関係が、写真を並べるうちに全部蘇ってきた、って言うんです。面白いなって思いましたね。

 僕の場合、『タクシー狂躁曲』を書いたのは、タクシーの運転手をやめる前後あたりだったんです。そこから始まって、一種、溯行的前進というか、過去へ過去へと溯っていくわけです。書いているうちに、記憶が過去に進行していくといえばいいのか。

小林 デュラスの『ラ・マン』が出た時は、かなりショックでした。デュラスは前衛的な作家ですから、当然、生涯前衛的な小説を書き続けると思っていたんです。だから、すごく、びっくりしました。僕は私小説を認めないわけではありません。いいものであれば、いいんです。でも、早く書くな、というのはある。記憶が固定化され、発酵してゆくのに、十年、二十年かかるのは当たり前だから。梁さんの場合、三、四年前に、「今、癒しの過程だ」といった意味のことを伺った覚えがあります。癒しという言葉は、今や手垢にまみれてしまったので、あまり使いたくはないんですけどね。自分が何者であったか、やっとこの年になって、自分の過去を解剖できるようになった。しかも解剖すると、血がパーッと吹き出して、血まみれになってしまう。それでおずおず中を覗いてみると、恐ろしいものが出てくる。作家というのは、そういう作業をするわけですから、生半可なことではできないはずなんです。ところが世の中を見渡してみると、作品を発表するのが早過ぎる人が多い気がしますね。人に読ませるのだったら、自分の中で発酵させて、完成させたものじゃなければ意味がないでしょう。梁さんは晩成型の作家だろうけど、ここまで発酵させたのには、ひじょうに意味があると思います。

山本 その早過ぎた作家に必要なのが、「ジャンル」なんですよ。私小説であるとか、何々小説といったような。でもそういうジャンルなんか必要ない人は、「書きたいものを書くんだ」でいいんですよね。梁さんの小説は、私小説でもなんでもないですから。

小林 私小説なんて言うのはおこがましい。そうではなくて、あれは芸術なんですよ。

 まぁ小林さんも、今まで賞には恵まれなかったけれど、今回の受賞を突破口にして、すごいところに行くような気がしているんですよ。お互いに、これからですよ。

小林 そうですね。

(1998)

 


梁石日(やん・そぎる)
1936年生まれ。主な著書は『タクシードライバー日誌』『夜の河を渡れ』『子宮の中の子守歌』『断層海流』『雷鳴』『Z』など多数。『タクシー狂躁曲』は崔洋一監督によって映画化されたが、映画『月はどっちに出ている』は映画賞を総なめにした。また『夜を賭けて』は直木賞候補となり、『血と骨』で1998年度山本周五郎賞を受賞。『死は炎のごとく』『睡魔』。


小林恭二(こばやし・きょうじ)
1957年兵庫県生まれ。作家。84年『電話男』で海燕新人賞を受賞して文壇デビュー。ポスト・モダン文学の旗手として注目された。主な著書に『小説伝・純愛伝』『ゼウスガーデン衰亡史』『半島記・群島記』『短編小説』『瓶の中の旅愁』『俳句という遊び』『酒乱日記』など。1998年、『カブキの日』で第11回三島由紀夫賞を受賞。

山本容子(やまもと・ようこ)
1952年埼玉県生まれ。大阪育ち。1978年、京都市立芸術大学西洋画専攻科終了。アートをもっと身近に感じて欲しいと願い、書店もひとつのギャラリーであるという発想のもとに、話題となった吉本ばなな『TUGUMI』、集英社『世界の文学』シリーズをはじめ、数多くの書籍の装丁、挿絵を手がける。抜群の構成力と印象的な色使いで、酒脱で洗練された雰囲気をもつ独自の銅版画の世界を確立。油絵や水彩、エッセイ集、絵本を発表するほか、アクセサリーから壁画まで幅広い創作活動を展開する。1998年12月にはオペラ『モモ』の舞台美術と衣装を手がけた。 


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