座談

梁石日 小林恭二 山本容子

今年(1998年)は、在日コリアンの作家として日本文学に大きな衝撃を与えた梁石日氏が、『血と骨』で山本周五郎賞を受賞。
また長年ワンコリアフェスティバルを応援してくださっている小林恭二氏が『カブキの日』で三島由紀夫賞受賞と、嬉しいダブル受賞があった。
このお二人に加え、日本を代表する版画家の山本容子さんを迎え、ワンコリア、小説、美術、また三人の新しい関係について、存分に語っていただいた。


小林 僕がワンコリアフェスティバルを知ったのは、もう十年以上前なんです。ある日突然、見も知らぬ人から「鄭です。お会いしたいんですけど、行ってもいいでしょうか」って電話がかかってきた。何者かよく分からないけど、勢いに飲まれて「どうぞ」と答えたところ、うちにきて四時間、自分の理想を喋り続けていました。その話が面白い。 これほど実のある話を聞いたのは、一生で初めてだったし、それから後もありませんね。今から思えば、その当時のワンコリアフェスティバルは今はど大きくなかったし、まだ東京に足掛かりがなかったから、自分の力で、相手に自分の理想を受け渡すくらいの覚悟でやってきたんでしょうね。それは、聞いていて分かりますから。ある種の迫力というか、オーラのようなものが出ていた。だからこちらも、真剣に受け止めようと思ったんです。で、受け止めた結果、僕の温泉旅行に引き込んでしまったんですけど(笑)。

 鄭甲寿というのは、なんか不思議な男ですよ。彼の理想を聞いていると、なぜかだんだん、こっちもその気になってくる。

小林 自分で信じていない理想というか、空疎な理想というのは、そのへんにいくらでも渦巻いていますでしょう。でも彼の場合は、理想を肉づけしようと必死だったし、理想のベクトルが本当に共感できるものだった。理想論のようなものにあれだけ共感できることは、これから先も、もうないかもしれない。

山本 きっと理想じゃなくて、ビジョンなんでしょうね。

小林 そう。それも、すごく地に足のついたビジョンだと思います。遠くは見ているけど、射程が近いんです。

 始めた頃は、「そんなことできるわけないだろう」と、周囲から馬鹿にされていたらしいけど、でも現実にやってみなければ分からないわけでしょう。それで現実にやっていくなかで、だんだんいろいろなことが実現化していく。こういうふうにして物事は前進していき、変わっていくんだって思いましたね。

小林 そんなわけで鄭さんとはつきあいが古いんですけど、初めて梁さんに会ったのは、鄭さんが青丘賞を受賞した時のパーティーでしたよね。

 青丘賞は際立った文化活動を行った在日コリアンに与えられる賞なんですけど、ちょうどあの時、僕は選考委員をしていたんです。

小林 でも作家としてすごい作品を発表すると、やはりこちらも見る目が変わる。それが 『夜を賭けて』 だったんです。僕は、これは日本文学の事件だと思ったし、だからあちこちのマスコミでそう書きました。別に知り合いだったから書いたわけではないんです。この作品は、日本文学で十年に一本の作品だと思いましたから。もちろん今回の『血と骨』も大変な力作ですけど、『夜を賭けて』と出会った時、これは一種の奇跡だと思いました。今、純文学とエンターテイメントがクロスオーバーしてる、などと言われていますよね。それはある意味ではいいことだけど、やはり上質な文学というのは残しておきたい。僕は『夜を賭けて』というのは、日本で数少ない上質の文学だと思うし、純文学サイドから言うと、あれが純文学のひとつの典型とならないから日本の文学が弱いんだと思っています。

 小林さんには、『族譜の果て』が徳間から文庫本になった時にも解説を書いてもらったし、幻冬舎から出た『夜を賭けて』の文庫版にも書いてもらったけど、そこで身に余る激賞をいただいた。

小林 僕は特に褒めたつもりはなくて、ただ、この作品がどういう作品かという座標軸を示したつもりです。

山本 その座標軸を決めるというのが、今は耕しい時代ですよね。私たち読み手は、知りもしなかった座標軸のここにも小説が有り得るんだと思った時、新しいとか、面白いとか、感じるわけでしょう。

 かつて政治運動や学生運動をしていた在日コリアンで、挫折を経験して、今は不動産とか金融とか金儲けの世界に生きてる人たちが大勢いるわけです。だいたい50代前後で、学生以降、小説からずっと離れて生きてきた。そういう人たちが僕の本をかなり読んでくれていて、感激してくれる。それは本当に嬉しいですね。特に組織の活動家は、戦後の韓国・朝群や日本の歴史を知っているつもりだったのに、僕の『Z』とか読んでびっくりしている。そういうもんだったか、と。

山本 私は『血と骨』を読んで、確かに在日コリアンの世界を書いてはいるけど、アメリカのオレゴン州かなんかに舞台を移しても、十分やっていけるなって感じたんです。読んでちょっと怖かったですけど(笑)。

小林 構えが一種の神話なんですよね。だからアフリカであれアメリカであれ、どこの世界にもっていっても構わない。確かに在日から生まれたものだから、在日の財産ではあるけど、いいものはそれを越えてしまう。作った人間の意思を越えて、人類の共有財産になってしまう。本来、それだけの普遍性を持たないと、文学として恥ずかしいんですけどね。


浮遊するゴシック

 今回、小林さんが三島賞を受賞したのはとても嬉しい話ですけど、それまで芥川賞とか三島賞とか、ずいぶんたくさんの賞の候補にあがっていましたよね。それで10回くらい、フラれてきた(笑)。でも僕は、これをきっかけにして、これからは10回くらい賞をとるんじゃないかなと思ってます。

山本 こういうストーリーテラーって、他にいませんからね。でも絵を描く人間にとっては、ものすごくイメージが沸く作品なんですよ。色の表現もたくさん出てくるし。

 『カブキの日』というのは、とんでもない、摩訶不思議な小銃ですよ。胎内巡りみたいだという人もいて、確かにそういう面もある。人間の持っている名状しがたい情念が、世界座という、とんでもない建物のなかで、迷路に入りこんでいくわけですから。おそらくこれまでの日本の小説では、考えられないような次元の小説ですね。

山本 ゴシックという概念がありますよね。それまでゴシックは大変重いものだと思われていたけど、あの小説を読んで、軽くて浮遊しているゴシックもあるのだ、決してカビ臭いものだけではないのだと思ったんです。つまり言葉の意味を変えてしまうだけの力があるんですね。

 世界座そのものが、宙に浮いている感じがありますよね。

山本 重力のない不思議な世界というか……。でもそれでいて、重厚さもある。重さが軽さを呼ぶ世界を描くというのは、大変なことですよね。

小林 ちょっとここで山本さんとの出会いをお話ししますと、実はご本人よりお母さんに先にお会いしてるんです。僕はずっと歌舞伎を見ているんですけど、いつの頃からか、一緒に歌舞伎を見にいくグループに初老の品のよいご婦人が参加されるようになった。それが偶然、山本さんのお母さんだったんです。なんか親戚の叔母さんみたいな感じというか、その間、僕は両親を同時に亡くしていますので、お母さんがわりみたいな感じもあって。山本さんご本人とお会いしたのは、それとはまったく別に、違う方を通してだったんですけどね。

 

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