自然体で生きる天才漫画家が話す人間の愛。
子どものときは差別なんてしない  ―
― それでいいのだ!  赤塚不二夫氏

 NHKでドラマ化「これでいいのだ」までされてしまった、赤塚不二夫氏の波乱万丈な人生。子どものように純粋な気持ちを持ち続ける彼のところには、年齢・性別・人種を超えて多くの人たちが集まってくる。そんな人たちと自然に仲良くなれるのは、彼が漫画家ばかりでなく生き方の天才でもあるからだろう。彼の代表的なキャラクター”バカボンのパパ”を地で行くような見栄もてらいもない真正面からの言葉は、聞くものを引き込み心地よくする。


 昔さ、15年くらい前だな、セブ島ってあるじゃない。あそこに旅行したんだよ、ツアー組んでさ。そしたら、旅行社のヤツが逃げちゃったんだよ、2日目に。オレに全員のパスポート渡して「あと頼みます」とか言って、日本に帰っちゃったんだ(笑い)。そのパスポートの中にひとつだけ色の違うやつがあったんだよ。在日韓国人の高木っていうヤツのだったんだ。本名はジョって言うんだけど。アイツは3世なのかな。

 その時ひと晩中、話をしたの。朝鮮問題とかね。当時、ヤツは25歳くらいで若かったし、すごくナマイキだった。日本のことをものすごく悪く思ってたよね。でも、日本に帰ってからちよくちよくウチに遊びに来るようになって、今じゃ大親友だよ。 

 丸太で作る家、ログハウスっていうの。あれを全国につくってるんだよ、ヤツは。なんかその世界じゃ有名らしいんだけど。あ、そうそうコレ(壁にかけてあるお面を指さして)、コレを彫ったトコ・ヌグリさんっていう世界的に有名なアイヌの彫刻家とも親しくさせてもらってるんだけどね、高木は阿寒湖のアイヌ集落にトコ・ヌグリさんのアトリエを作ったんだよ。すごくデカイの。あれは立派だよなぁ、うん。

 でね、高木って名古屋に住んでるんだけと、東京に来ると必ずウチに泊まるわけ。それでいつも入ってくるときにオレが「カードを出せ。見せないと入れないぞ」とか言って遊ぶんだ。外国人登録証ね。だけどアレ、ひどいよなあ。日本で生まれ育った人間にあんなもの持たせてるんだから。さすがに指紋押捺はなくなったけど、ほとんど犯罪者扱いだもの。

 まあ、ソイツだけじゃなくてウチにはいるんな国のヤツがとまりにくるよ。アイヌ、朝鮮、台湾、アメリカ……ウチはまさしく人種の坩堝なんだな(笑い)。


人間の意識を弄ぶ怖い『イデオロギー』

最近、毎日見てるビデオの中に北朝鮮のパレードとかマスゲームの映像が入ってるんだけど、あれはすごいよ。確かに異様な世界なんだけど、観てると妙に元気が湧いてきたりして。

 今の日本の若いヤツらも1年間ぐらい北朝鮮に留学させたら、少しはビシッとするんじゃないかと思っちゃうよ。主義とか思想は別にしてね。確かに”自由”ってすごく大切なことだけど、自由と勝手なことやるのとは違うじゃない。今の日本の若者には、最低限の礼儀やマナーというものを持ってないヤツが多すぎるね。

 オレが『漫画少年』に投稿してた若い頃なんて、もっと覇気があったと思うけどな。投稿者の常連には、藤子不二雄や石ノ森章太郎の他に黒田征太郎、横尾忠則、筒井康隆、それに篠山紀信もいたな。そいつらは漫画家になれなくて違う世界に行っちゃったけど(笑い)。

 というより、その頃は何かクリエイティブなことをやろうと思っても物がなかったから。篠山だってカメラを買いたくても買えなかつたんだ。そういう仕事もなかったし。今は何でも手に入る時代でしょ。それなのに、若いヤツらはグズグズダラダラして何もしない。

 ただし、覇気があるとか、目標を持つことと、イデオロギーに邁進するというのは違う。イデオロギーってのは怖いよ。オレは10歳のときに終戦を迎えたんだけど、それまで特攻隊になろうと決めてたし、本気で天皇のために死んでもいいって思ってたよ。軍事教育ってやつだよね。朝鮮の南北問題だってそうだろ、教育されて信じ込んでることってある。在日の人たちなんて北にも南にも親戚がいるのにイデオロギーで「どっちかにつけ」って変だよな。


差別をなくすために必要な『人間愛』

 差別っていうのはさ、言葉じゃなくて心の中にあるんだよな。「こういうことを言わないようにしようぜ」って言いながら、心の中で思ってることが最低なんだ。

 オレは満州から引きあげてきて、奈良の大和郡山に3年間住んでいたんだけど、あのあたりってヨソ者を徹底的に排除する風潮があったんだ。隣がエタ村で、差別意識が定着してたのかもしれないな。オレも差別されたよ。配給の列に並んでて、オレの順番になると「満州、ダメ」とか言って本当にくれないんだから。いい大人が子供に対してだよ。今でも忘れられないよ。

 でも、子供同士は違うんだよね。ジョ・ネギっていう韓国人の友達がいて「おネギ、おネギ」ってからかってよくケンカしたけと、変な意識はまったくなかった。あと、同じクラスに重度の小児麻痺のヤツがいてね。運動会のときだったなあ、ガキ大将の親分がさ、オレにソイツの面倒を見ろって言って。オレも運動会に出たいんだけと、仕方ないから2人で教室に残って窓から見学してたんだ。ソイツ、キャッキャッ言って喜ぶんだ。「静かにしろ」なんて頭をペシッて叩くと、今度はビービー泣くし。でも、そういうのも普通のガキ同士の遊び方だし、他にもいろんなところに一緒に遊びにいったし仲間みんなで可愛がったよね。そういうのが、人間の”愛”、思いやりなんだと思う、1番大事にしていきたいことだと思うんだ。で、結局ワンコリアフェスティバルっていうのも、そういうことを言おうとしてるんじゃないかな、と。だから、オレにできることはしていきたいと思っているわけ。

 

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赤塚不二夫(あかつか・ふじお)
1935年満州生まれ。終戦後日本に戻る。
20歳で上京。56年、少女向け漫画『嵐を越えて』の処女単行本を出版。この頃、伝説の漫画家アパート”トキワ荘”に住みついた。
62年『おそ松くん』を発表、日本漫画界に「ギャグ」というジャンルを作り上げた。その後『モーレツア太郎』『天才バカボン』など次々とヒット作を発表。 また、彼の人脈の広さは有名無名に関わらず、多伎に渡る。タモリを見出したのは、有名な話。現在、その豊富な人生経験をもとに週刊プレイポーイ誌で、人生相談を連載。
自他共に認める日本ギャグ漫画の産みの親である。

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(※すべて1994年現在です。)

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