思いがけないキッカケで、探夜テレビ番組に出ることになった。テレビ朝日系列の「激論・朝まで生テレビ」という番組である。月に一度その最終土曜日に深夜の一時前後から朝の六時前後まで、ほぼ五時間近くに及ぶ生テレビ番組であり、今年で丁度丸五年になるそうである。正直に言ってテレビには常々にある種のアレルギーがあって、自分が出ることなど夢々思ってもみなかったことである。しかし考えてみれば、映像メディアに対して抱いていた「偏見」は、自分の中に依然として戦後啓蒙主義の垢がこびりついていたからである、と悟るようになった。
映像メディアよりは活字メディアが上回っており、一握りの知識人が活字媒体を通じて大衆を啓蒙し、指導する、そういったお決まりの公式にどこか郷愁にも似た憧れを抱いていた時代遅れの自分の中の旧さに気づいた時、テレビのもつ不思議な、しかし危うい魅力が実感できたように思う。特に、このことを思い知らしてくれたのは、例の湾岸戦争であった。あれほどに奇妙な戦争はなかった。映像メディアがこれほどに人々の感性にまで食い込んだ戦争はなかったし、テレビの果たした「情報操作」の機能は絶大であった。メディア特にテレビのような映像メディアを半ば軽べつしながらシカトしてきた高踏的な知識人の立場など全く無力であることが判明した。
「テレ朝」の生番組に初めて出たのは、湾岸戦争をめぐってであった。世界中が戦争の勃発に驚愕し、一種異様な興奮のるつぼの中にあった時、この戦争の意味や「何をなすべきか」について白熱した激論を戦わせることになったのである。この種の番組に対して抱いていたわたしの予想とは違って、事前の打ち合せはほとんどないに等しく、出たとこ勝負のぶっつけ本番であった。番組の常連の間には和気藹藹の手慣れた雰囲気があったが、それでも戦争の成り行きを固唾を飲んで見守る人々の関心の高さもあって、本番直前には緊張した空気が漂っていた。わたしなどテレビ向きの人間とはとうてい思えないし、一体どうなることやら皆目検討もつかなかったが、意外に落ち着いている自分を発見して何か妙な気分になったことを覚えている。
大声で渡り合うことに慣れた常連の「論客」たちと論じ合うことに最初は抵抗があったが、とにかく持論を淡々としゃべることがよいと思い、出来るだけそれに努めた。計算された「演技」などまったくなかったし、その余裕もなかった。しかしそれが思わぬ効果をもったようである。意図せざる結果と言えるかもしれない。それに「在日」のわたしが、さしあたりそれとは直接関係のないことで意見を述べる機会に恵まれたことは、それなりの「効用」を生み出してくれたように思う。「在日」が「在日」だけに限定されない事柄にもコミットしうるということ。ここにその意味があるのかもしれない。人としての全体性ももっている以上、それは当然のことなのだが、この国では今までそれがほとんど実現されてこなかったように思う。とすれば、テレビに出ることにもそれなりの「効用」があるのだろう。メディアを軽蔑すればメディアに復讐される。肝に銘じておきたい。
(1993)
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姜尚中(かん・さんじゅん)
1950年熊本生まれ。ニュルンベルク大学留学。
1987年より国際基督教大学準教授(政治学専攻)を経て、現在、東京大学教授。政治学、政治思想史。
『二つの戦後と日本』、『アジアを問う』。
主な論文に『昭和の終焉と戦後日本の心象心理』("思想"岩波書店)
『戦後バラタイムのゆらぎとジャーナリズム』
『戦後バラタイムはよみがえるか』 『歴史との戦いは終わったか』
『アジアとの断絶、歴史との断絶』(以上"世界")などがある。
ABC『朝まで生テレビ』出演中。
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