第一回に続いて民族衣装のファッションショーを行った他、朝鮮舞踊研究所と韓国舞踊グループ黎明の共演などで構成。しかし、会場の入りも第一回と同様で、広告もガタ減り。「甘くないな」との挫折感で離れていく仲間も少なくなかった。一人、実行委員長だけは「結構おもしろいことやってるやないか」と楽観視(?)していた。
黄 佑 哲(フォークシンガー) 字をかける人は字を書いて、力仕事をできる人は力仕事をして、金儲けのうまい人は金儲けを、
|
洪 栄 雄(フォークシンガー) 頭の上の旗をおろしてもやしてしまえよ
|
京都サークル在日 1925年、8月15日の解放の日は、分断とは同じ歳月を数えて41周年になる。41年の歳月は、朝鮮半島にも在日にも苦闘の連続の歴史であったことは言う迄もなく、その苦闘の洗礼は、まだ終りそうもない。 我々は、朝鮮民族の債務であるその歴史を受けとめて明日を引き継いでいくのだ。 かつて、朝鮮の国が地球上から消え、地図から消え、朝鮮民族は焼いて食われようと、煮て食われようと国家的な庇護は一切なかった。このことは三・一連動、関東大震災にも顕著である。 41年前、解放の喜びに湧きあがっているさ中、連合国によって民族のゆくてが、サイコロのように振り廻されていたとは…。それはやがて5年後の6・15戦争をひきおこした。民族相食み、この上、何が不足するのか、分断という大きな禍根迄も残した。元来、朝鮮民族はあらゆる外敵にも屈せず団結していた民族であったのに、6・25戦争のために、今日も尚、分断の悲劇を繰り広げているのである。 朝鮮半島に生きる民族の子、在日に生きる民族の子である我々は、これらの歴史をどう受けとめていくかが課題である。朝鮮半島同胞と、在日・一世二世三世が模索し戦った民族の問題は正に民族の子であるが故の悩み、喜びであった。究極的には、朝鮮統一を夢みながら、南北赤十字会談、7・4会談の有様にその夢が近くなったり遠くなったりしながら。 我々の課題とは、相違点をふまえながら、あらゆる差別を許さず、基本的人権抑圧には不服従であるということだ。息づまる、そんな中で、我々の祭も必要だ。 第二回を迎えた民族・未来・創造・ハナの祖国(一つの祖国)フェスティバルに惜しみなく拍手を送ろう。第二回と言えば、2歳の子供に例えられようか…。ヨチヨチ歩きなれど、親の髄亘いと愛情を一身に受け成長していく姿を思う。親は子に祈る。「どんな苦難にも負けるな!」8・15・民族・民来・創造・フェスティバルにも、胎動の頃より民族の祈りがしっかり込められて、歩んでいくようである。果たしてこのフェスティバルの何回目に朝鮮統一がなるのかたのしみである。祭りは民衆の、熱い渇きから始まるのである。
|
©1985-2001 OneKoreaFestival. tel,fax/06-6717-6645 mail:Webmaster