(1993)

永六輔さんとワンコリアを語る。

ハナの想いは、年々素敵な人々に広がっています。
今年は、実行委員長と同時に青丘文化奨勧賞を授与された朴慶南さんと、その素敵なお友達であられる永六輔さんにも伝えることができました。
こんな素敵な関係が、このパンフレットを読んでくださるあなたにも広がりますように――。

 力を抜いて、自然体で出会いたいね。(朴)

永★どうも大阪からようこそ。
ワンコリアフェスティバルの主催者である鄭甲寿さんとは一度ゆっくりお話ししたいと思っていたんですよ。
鄭★お言葉に甘えて参上しました。
永★まずは改めて、青丘文化奨励賞受賞おめでとうございます。
鄭★ありがとうございます。僕は今まで永さんのご活躍をテレビや雑誌で拝見していて、是非一度お話を伺いたいと思っていたんです。それで永さんと懇意である朴慶南さんと同時に青丘文化奨励賞を頂いたことで、こうした機会を得ることができて、すごくうれしく思っています。
永★僕は多くの在日の友達がいるけれど、あの青丘文化奨励賞の時に初めて大阪にワンコリアフェスティバルというものがあると知ったんですよ。
鄭★そうなんですか。
永★そう。それで僕自身、在日に関しては好意的な面と逆の面があって、ぜひ慶南と一緒に語り合いたいと思っていたんですよ。
朴★え−。私、今日はおとなしくしていますよ(笑)。私としては鄭さんと永さんを引き合わせるのが目的なんですから。
鄭★えーっと、僕もスタッフに釘を刺されているんですよね。せっかく永さんとお会いできるんだから、じっくりお話を聴いてこい、と。
永★何ですか、それは。
鄭★いや、僕はしゃべりすぎるタチで(笑)。自分の意見ばかり口にするから、今日はなるべく永さんの話を聴いてこいと怒られているんですよ(笑)。
永★うーん、じやあ今日は、僕だけ話すわけ?
朴★たまにはそれもいいんじゃないですか。いつも私ばかり話しているから(笑)。
鄭★ぜひ、ワンコリアフェスティバルに対するご意見やご要望を伺いたいですね。
永★じゃあ、青丘文化奨励賞の話からしましょう。先程言ったょうに、僕はお二人が受賞した時、初めてワンコリアフェスティバルを知りました。
鄭★ええ。
永★僕にとって「統一」というと今までいつも政治的なことが関わっていた。それが、文化によるワンだと聴いて「なんて素敵なことなんだろう」と思ったんです。だから、あの時、朴慶南の受賞にもおめでとうと言いたかったけれど、ワンコリアフェスティバルが受賞したのはさらに素晴らしい、と素直に思ったんですよ。
朴★うん。私もそう思いました。
鄭★ありがとうございます。
永★そういう素晴らしい運動をなさっている鄭さんと朴慶南が同時に受賞したことが我々の出会いですよね。
朴★だから出会いの輪というものは、こういう予期せぬ形で広がっていくから、素敵だなと思うんですよ。
永★こういう広がり方が、さらに一人、一人、また一人という形で広がったら何も問題がないのに、未だに国家間の政治的問題を抱え込んでいる人がいるのは、不幸せなことだよね。
朴★だから私はやはり、力を抜いて、皆が自然体で、重なり合う部分だけを大事にしていけばいいと思うんです。
鄭★そうですね。
朴★ありがたいことに私の場合、本を書いても話をしても、民団も総連もさちんと受け止めてくれるんですね。置かれている立場はそれぞれ違っても、普遍的なものは変わらないし、通じ合うものなんですよ。誰も反対しない、そういう想いをすくい上げて、繋がり合っていけると思うんです。ですから、そういう繋がりを強くして広げていくために、やっていきたいと。私は仕事の中ですごくそう思うのね、うん。

 

 日韓の間にカンボジア。 これって ワンアジアだね。(永)

鄭★僕も一人でも多くの方に僕らがやっていることを理解していただいて、賛同していただくために、いろんな方に手紙を書いたり、紹介していただいたりするんですけど、本当に様々な繋がりができました。また、そういう繋がりがあるから、僕らのような素人が大きなイベントをやることができるんですよ。
永★全くですね。僕にとっては朴慶南と出会ったことが在日とのつきあいに大きな風穴を通してくれたんですよ。
鄭★お二人が出会われたのは、どういう経緯からなんですか。
朴★一番最初に会ったのは相模原ですよね。
永★でも、そのもっと前に、セタリンさんがいるじゃない。
朴★そうそう。セタリンというのは私の親友なんですよ。
永★順序だてていきましょう。
セタリンさんはカンボジアから来られた方で、町田というところにカンボジア料理のお店を出しているんです。その店に僕が行くようになって、そこで慶南の噂をよく聴いていたんです。
朴★でも、セタリンのお店では、なかなか会えなくてね。
永★その後、僕が相模原の市民会館で講演した時に聴きに来てくれたんだよね。
朴★その時に『ポッカリ月が出ましたら』を、ずうずうしく「読んでください」ってお渡ししたんですよ。
永★それを読んでみたら、確かにいい本……おもしろいと思ったんで、僕がやっている番組で紹介したり、ゲストに来ていただいたりして、そのうちに深みにはまって…(笑)。
朴★深みにはまって、今やこう、毎日のように会っているという感じ(笑)。
永★僕の方からは、そういう話。
それで慶南が何で僕に興味を持ったか、そのあたりの話をしてくれる?
朴★永さんは『永六輔の土曜ワイド』(TBS)というラジオ番組をやってらっしやるんですよね。それをたまたま聴いていた時に「日本人はアメリカの数の数え方がワン・ツー・スリーだと知っているけれども、すぐ隣りの朝鮮半島ではイチ・ニ・サンをどうやって数えているか、全然知らない」と。そして「それって変と思いませんか」つて永さんが言った時に、ドキッとしてね、私たちが何かを語ろうとすると、肩にカを入れて「朝鮮・韓国と日本の関係は」と語りがちになるでしょ。それをそうしないで、皆が見落としがちな、本当に身近なところから、さらっと話してくださった
ことに胸を打たれちゃって、ああ−、素敵な方だなあと。
永★ハハハハ。
朴★そんなことを思っていた時に、私の知合いが永さんの番組に「セタリンのお店を紹介してほしい」とハガキを出したんですよ。
永★そう、それでセタリンの店に行ったんだ。
朴★これがおもしろいんだけど、セタリンはカンボジアから来ているから永さんを知らなかったんですよ。だから閉店前に来られた永さんに「お客さん、すいません、もう何もないんですよ」と言ったら、永さんは「あ、そうですか」って帰られかけたのね。セタリンが気の毒に思って「何か、間に合わせでしたらつくりますけど」って声をかけたら「いや、もう、迷惑ですから、いいです、いいです」って帰ていかれたということで。セクリンが「すごく感じのいい人だった」って感動していてね(笑)。
永★もててるなあ、うん(笑)。
朴★そのあとで、永さんがご自分の顔が載っている番組のハガキをセタリンに送ったら、セタリンは手帳にそれを貼ってね。今度永さんが来られる時までに顔を覚えるんだとか言って(笑)。だから、そういうエピソードか らも、人柄が窺われるでしょ。
永★そこが僕らの出会いのおもしろいところなんだよね。普通、日韓の出会いは直接なんですよね。それが我々の間には、カンボジアが入ってきてる。
朴★日本、カンボジア、韓国。
永★これは僕は、ワンアジアということに関してとても象徴的な出来事だと思っているんですよ。
朴★象徴的ですよ、ねぇ。
鄭★まさしく。

 疲れる人と、疲れない人を統一するのは大変だよ。(永)

永★慶南と出会う前にも、一緒に仕事もしたり遊びにいったりする在日の仲間がたくさんいたんです。でも、在日と出会う度に必ず「永さんは北なんですか、南なんですか」と。これがすごく気になる質問だというのは、日本人でないと感じないんだろうけど。
鄭★そうですね。在日はよくそれを尋ねますね。
永★とってもくたびれるんだよね。こちらはどっちだっていいんですよ。相手が北だろうが南だろうが、日本列島と朝鮮半島との関係なんだから。はっきり言えば、その質問のせいで、在日の方とつきあう時にかまえるようになってくるんですね。
鄭★なるほど。
永★一方で日本人とのつきあいでも変だなあと思うことがあるわけです。僕の「永」というのは本名で、中国では「ヨン」と発音するんです。当然ながら僕の父や祖父は「ヨン」と名乗っていたわけです。「永」という名前は朝鮮半島にはないはずなんだよね。あったとしてもすごく珍しい。
鄭★そうですね。
永★中国にはあるんですけど。それを勘違いして「永さんってご本名ですか」「ええ、本名です、本当はヨンって読むんです」と言うと、すごく困った顔をする人たちがいるんですよ。たいへんなこと聴いちゃったって。
朴★あ、ふれちゃいけないこと聴いちゃったわ、って。
永★そう。あ、、傷つけちゃったって感じで(笑)。僕は僕でそれを見てると、変だなあと思うわけ。「ヨン」という名前だということで、日本人とのつきあいにはそういうことがあるし、在日は逆に楽につきあえると思っていることは確かみたいですね。在日コリアも在日中国も同じ在日外国人だから、と。
朴★う、ん。
永★だけど同じ在日外国人と言っても、歴史が長いんですね。僕で十七代目ですから。
鄭★何時代にいらっしゃったんですか。
永★徳川時代の最初の頃なんです。中国から学僧として呼ばれてきて、それっきり引き続いている。だから「永さんは江戸っ子ですね」と言われる場合もあるし、それが「え、じゃあ、江戸っ子じゃないんだ」という風になってしまう場合もある。僕はそういうわだかまりが周辺にあるまんま、子供の頃から育ってきているんですよ。だから在日の方たちと同じ気持ちではないけれど、在日の苦しみもわかる。特に戦争中は同じですよね。名前でイジメられたことは、いやって言うほどあったんだから。
朴★永さんもイジメられちゃったんですか。
永★ええ。「シナポコペン」って言葉を知らないでしょ。
朴★……知らない。
永★「チャンコロ」。
朴★「チャンコロ」?そんなこと言われたんですか。
永★言われますよ。「チャンコロ」とか「シナポコペン」とかさんざん言われてイジメられた。戦争中の朝鮮半島は日本の植民地だったからまだしも、中国はそれこそ敵なんだから。だからイジメられたことに関して、あるいはイジメられてきましたっていう人たちに関しては、僕の方から積極的に話すことはないけれど、どういうふうにイジメられてきたか、どんなに辛かったかはよくわかります。
朴★ふぅ、ん。
永★でもね、戦争が終わって「江戸っ子」なんて言われるようになると、もうその時のことはいいやって気もしてくるんです。だけど傷つき続けているタイプの人もいるでしょ。
朴★そうですね。
永★それが僕が在日の人とつきあう時にかまえてしまうことで、かまえるからくたびれるという悪循環があったんです、ずーっと。
朴★う、ん、うん。
永★その後に慶南と知り合った時は、こんなに疲れない人がいるとは…(笑)。
朴★ハハ、ハハハ。
永★どうしたんだろう、この人はって、ね(笑)。だから、一緒に権利を取り戻そうとか、力を合わせて戦おうとか、僕にとってはそういうことは関係ないの。疲れる在日と疲れない在日。それで、慶南は…。
鄭★疲れない在日(笑)。
朴★おっかしい(笑)。
永★でも疲れない人って、少ないんだよ。はっきり言うけど。
朴★そうなんですか。
永★うん、とっても少ない。今まで北だ南だ、あるいはアンチ日本かどうかというような人間の分け方はいろいろあったけれど、僕は疲れる疲れないですべて分けちゃうんです。この人は疲れる人、この人は疲れない人。それで、疲れない人とのおつきあいは、つづくんだよね。
朴★それは基本だもの。人と人がつきあっていくのに、疲れるばかりじゃあ、つきあっていけないもの。
永★考えてみたら、疲れる人と疲れない人を統一させなきやいけないというのは、これは大変なことだ、と。
朴★大変なことだよねぇ。
永★だから、ワンコリアを実現することは、疲れる人と疲れない人が一つになることなんだよね。これを実現するには、疲れない人が疲れる人に近寄って、疲れないように馴らしていかないといけないし、疲れる人たちは自分も疲れているけれどまわりも疲れさせていることに目覚めないといけないんですよね。

 

 謝るより、謝られる方が難しいと思う。(永)
鄭★よくわかります。確かに僕らは被害者意識や近代化の立ち遅れた劣等意識を克服していかないといけないんですよね。
永★ええ。
鄭★日本が迫害したとか、南北間のいがみあいだとか、そういうことは早く過去のものにしよう。だから、未来に向かって「もう前のことはいい。今度は一緒に手を結んで、アジアのために、あるいは世界のために、こういうことをやっていきましょう」ということが、これからできるかどうかですよね。僕らがワンコリアフェスティバルをやっているのも、そこのところなんですよね。
朴★そこに行き着かないと、何にもならないものね。
永★今日(七月三〇日)、新政権が発足しますよね。自民党から細川に政権が移る。
鄭★はい。
永★細川連合の政策大網にはアジアに対する謝罪が明確に入ってるんですよ。
鄭★入ってますね。
永★これはね、自民党政府にはなかったことなんですよ。
朴★そうですね。
永★もちろん「謝罪」の意味合いはいろいろありますよ。いろいろあるけれども、僕はこれは大事件だと思うんです。ワンアジアということに対して政府が明確に考えていくという意思表明だから。これは、アメリカやドイツはきちんとしていることなんですよ。
鄭★ええ。
永★遅かりし、です。けれども「やる」と。今度の新政権に対してはいろんな人が様々な立場で不満も心配も口にしているけれど、この一点はすごく画期的だと思う。それが明文化されていることは評価していいと思うんです。
鄭★僕もそう思います。
永★これができるかできないかは、謝る側と謝られる側の両方にかかっているんですよね。まず謝る側の謝り方が、いつもみたいな下手な謝り方だと、これはよくない。ただ、ごめんなさいって言ったから済むもんじゃないんだから。それから朝鮮半島やアジアも日本政府に謝られた時にどう受け止めるか、受け止め方に問題があるんですよね。
鄭★そうですね。そのとおりです。
永★僕は謝るというのは、実は簡単だと思うんです。謝る方法というのは「徹頭徹尾」と決まっているでしょ。すると謝られることの方が難しい。なぜなら、謝られる方法というのも決まっていて、これは「許す」しかないから。
朴★ホント、そうだよね。
永★今、アジアが謝られた時にどうするか。つまり「どう償ってもらおうが、どんな経済援助をしようがダメだ、許さん」と言い続けていたら、これは絶対、謝ることが成立しなくなっちゃう。
朴★うん。
永★そうかといって「許してください」っていう言い方は、謝罪じゃないですからね。
鄭★そうですね。
永★やはり僕らが ―僕は謝る側ですから― 示せる誠意をすべて示した上で「あ、そこまでやるんだったら、もういいです」ってね、迷惑を被ったアジアの皆さんが、どの次元で言ってくれるかだと思うのね。
朴★うん。
永★だから先程の話の中で出た「疲れる人たち」 というのは、謝られるのが下手な人たちなんですよ。
朴★うーん、なるほど。
永★疲れない人たちは、度量が広いというか、過去に起きたことを明確に見定めているんだよね。つまり悪いものは悪い、いいものはいいと区別しておいて、それから五〇年近くたった今、それを日本がどう謝るか、きちんと見ようとする目を持っている。だから、過去を処理する時の謝られ方って、僕は難しいと思うの。なぐった直後に謝っているのとは違うんだから。
朴★それはキーポイントですよね。次の関係をつくる上での。
鄭★そうですね、もう四〇年も五〇年もたってますから。確かに一世二世は過去の被害者意識によって、かろうじて救われているというところもあったわけです。それをバネにして頑張ってきたというような。でも今は歴史とか環境のせいにしない世代が、在日の中でだんだん育ってきているんじゃないかな、と思うんです。
朴★そうですね。
鄭★そういう世代が、祖国の人と日本の人たちを結び付ける役割をはたすんじゃないかな、と…。だから、これから新しい関係をつくつていこうと思ったら、本当に「許す」ということがキーワードになると思うんですよね。

 

 被害者意識に 固まるのは、終わりにしたい。(鄭)
永★僕がワンコリアという言葉に感じるのは、政治的なことだけじゃなくて、例えば男と女がワン、あるいはキリスト教と儒教がワン、受け継いできた文化や伝統といった部分をワンにしていかないといけないなと思うんだよね。
鄭★おっしゃるとおりです。
永★だけどその過程で出てくる不都合なもの、例えば儒教が考えている男尊女卑的な意識は、まず崩さないといけない。
朴★うん。
永★慶南は、自分でひっくりかえしているように見えますが(笑)。
朴★う、ん。そうですね……。えっ?・
永★あなたを見てると、とても儒教とは思えない(笑)。
朴★そうですかねぇ。
永★まあ、その崩す作業が大事であるという一方で、伝統としての儒教のいいところは、やはり守らなくちゃいけないでしょ。
鄭★長幼の序なんかは、悪いものじゃないですからね。
朴★お年寄りを大切にするとか、親を大事にするとかね。
永★だから、一度全部分解して、整理して、捨てるものは捨てる、これは守り抜いていくということを組み立て直さないといけないんだよね。
朴★そうだよね。
永★それがデスクワークじゃなくてフェスティバルの中で、おもしろおかしく、笑いながら、やれなきゃいけないんだよね。
鄭★本当にそのとおりです。
永★だから、僕は在日の人たちのおっしゃる被害者意識はあって当たり前だとおもう。よくわかる。けれども僕にしてみれば、部落の被害者意識、沖縄の被害者意識、アイヌの被害者意識もそれと同じなんですね。
鄭★同じ意味で障害者もありますね。
永★もちろん。だから、それを全部同じテーブルの上にぶちまけて、尚且つ、よ−くかき混ぜちゃってね、そんな形で考えられないといけないんだよね。
朴★うん。
永★それが文化というものだと思う。
朴★うん。そのとおりだわ。
鄭★だから、そろそろ整理をしていかないと……発言できなくなったり、逆に過剰な発言しかなかったりということは、もうおしまいにしないといけないないと思うんですよね。

 

 互いの立場を 尊重することが 大切。(朴)

永★この間、大分県で障害者の会があって行ってきたんですけど「我々障害者は健常者に何をしてあげられるだろう」というのがテーマだったんですよね。
鄭★なるほど。それはいいテーマですね。
永★これはなかなかいい会でしたよ。
鄭★やってもらうだけでは切ないですよ、それこそ在日でもアイヌでも部落でも。
朴★だから、お互いが尊重しあうっていうのかな、相手を大事にできたら自分も大事にしてもらえるんですよ。互いの立場をちゃんと尊重しあえたら問題はないんです。それだけじゃないかなって思うの。それが結局、自分を大事にしてることになるって。
鄭★そうですね。
朴★私、本当にそう思う。大事にされるのは、逆にものすごく辛いことなんですよ、実は。だから、何かしてあげるってことは大変に難しいことなんだと思う。
永★僕が慶南に感動した部分は何かと言うと、関東大震災の時にどれだけの日本人が、同胞を助けてくれたかということを彼女は言ったんだよね。在日の朴慶南が、日本にしてあげられることっていうのは、まさにそこだと思うのね。
朴★私はただ、自分が心を動かされたことを伝えたかっただけですけどね。
永★そりゃ、理屈じゃないと思いますよ。あなたは、人間誰しも好きな人だから。
朴★確かにそれは事実だけど(笑)。
永★僕らは慶南の本を読むと、どうしてこんなにしてくれるんだろう、とね。これは僕らがやりにくいことなんですよ。たくさんの人を虐殺したかもしれないけれど、ここではこれだけ助けたぞ、こっちでは助けたぞって、我々は言えないんですよ。そこのところをよく言ってくれた。だから、慶南がやってくれて、本当にホッとしたんですね。感謝してるわけです。
鄭★なるほどね。そのとおりです。
永★ええ。だから、慶南に青丘文化奨励賞が贈られたのは、そこのところなんだろうなって思ってましたけどね。
鄭★そうでしょうね、きっと。だから僕もいい時に、いい人と一緒に頂いたなっ
て思っているんです。
永★うん。本当に。
朴★照れるなあ(笑)。

 

 来年はぜひ、永さんの司会を。

鄭★今日は本当にありがとうございました。楽しく過ごさせていただきました。
朴★いえいえ、何のおかまいもなく(笑)。
永★しゃべりすぎるとおっしゃってましたが、そんなことはなかったですよ。
鄭★いやいや、もう必死になってセーブしてたんですよ(笑)。
永★気にせずしゃべってもよかったのに。
鄭★そうしたかったんですが「甲寿がしゃべると独演会になるから絶対ダメッ」ってさんざん言われましてね。何せうるさいんですよ、そのスタッフは(笑)。
永★今年のワンコリアフェスティバルは10月17日(1993年)でしたっけ。
朴★そう、私が司会をさせていただくことになっているんですよね。
永★この日はダメなんだけど、また来年でも手伝えたら、ぜひ。
鄭★本当は永さんにも司会をお願いしたかったんですが、仙台に行かれるそうですね。
永★そうなんです。
鄭★……。
永★ごめんなさいね。
鄭★まあ、あつかましいお願いだったんですけどね……。
朴★私もその話を聴いた時「とんでもない」って言ったの。「永さんに頼め」「頼めないッ」とね(笑)。私は「永さんは忙しい人だから、ダメッ」と、けんもほろろに断ったんだけどね(笑)。
鄭★でも、あんまりめげないんですよ(笑)。
朴★めげないんです、私がダメだって何回言っても(笑)。結局、永さんのスケジュールをお聴きするまで、ねばるんだもの(笑)。
鄭★まあ、来年はぜひお願いします。来年は十周年なんですよ。ですから、今から予約をしておいて(笑)。
永★はいはい。時期は同じ頃ですか。
鄭★一応、十月の第三日曜のつもりなんですけれど。
永★じゃぁ、手帳に書いておこう(と、手帳を取り出す)。
鄭★あ、ありがとうございます。もう、これで安心(笑)。
永★今年はどんな方が出演するんですか。
鄭★これに書いてあるとおりです(と、チラシを差し出す)。
永★えーっと、サムルノリ、近藤等則、黒田征太郎……。これはすごい。よくこんな錚々たるメンバーを集めましたね。
鄭★お蔭様で。
朴★たいへんな出演者だわ。
永★こりゃ、慶南。たいへんだよ、この司会は。
鄭★いやいや、皆さん、いい方ばかりですから(笑)。
朴★私、前にテレビで見たんだけど…、描くんですよね、黒田さんが絵を。すごく楽しみにしているんですよ。
鄭★うちの名物みたいになってますよね。
朴★永さんも来年はぜひ。
永★大丈夫。来年の十月の第三日曜日って書いたから。
朴★ぜひ、来年は一緒に、コンビでやらせてください。
鄭★もちろんです。楽しみにしています。本当に今日はありがとうございました。

(1993)


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