(1993)
永六輔さんとワンコリアを語る。 |
ハナの想いは、年々素敵な人々に広がっています。 |
力を抜いて、自然体で出会いたいね。(朴) |
永★どうも大阪からようこそ。 |
日韓の間にカンボジア。 これって ワンアジアだね。(永) |
鄭★僕も一人でも多くの方に僕らがやっていることを理解していただいて、賛同していただくために、いろんな方に手紙を書いたり、紹介していただいたりするんですけど、本当に様々な繋がりができました。また、そういう繋がりがあるから、僕らのような素人が大きなイベントをやることができるんですよ。 |
疲れる人と、疲れない人を統一するのは大変だよ。(永) |
永★慶南と出会う前にも、一緒に仕事もしたり遊びにいったりする在日の仲間がたくさんいたんです。でも、在日と出会う度に必ず「永さんは北なんですか、南なんですか」と。これがすごく気になる質問だというのは、日本人でないと感じないんだろうけど。 |
謝るより、謝られる方が難しいと思う。(永) |
鄭★よくわかります。確かに僕らは被害者意識や近代化の立ち遅れた劣等意識を克服していかないといけないんですよね。 永★ええ。 鄭★日本が迫害したとか、南北間のいがみあいだとか、そういうことは早く過去のものにしよう。だから、未来に向かって「もう前のことはいい。今度は一緒に手を結んで、アジアのために、あるいは世界のために、こういうことをやっていきましょう」ということが、これからできるかどうかですよね。僕らがワンコリアフェスティバルをやっているのも、そこのところなんですよね。 朴★そこに行き着かないと、何にもならないものね。 永★今日(七月三〇日)、新政権が発足しますよね。自民党から細川に政権が移る。 鄭★はい。 永★細川連合の政策大網にはアジアに対する謝罪が明確に入ってるんですよ。 鄭★入ってますね。 永★これはね、自民党政府にはなかったことなんですよ。 朴★そうですね。 永★もちろん「謝罪」の意味合いはいろいろありますよ。いろいろあるけれども、僕はこれは大事件だと思うんです。ワンアジアということに対して政府が明確に考えていくという意思表明だから。これは、アメリカやドイツはきちんとしていることなんですよ。 鄭★ええ。 永★遅かりし、です。けれども「やる」と。今度の新政権に対してはいろんな人が様々な立場で不満も心配も口にしているけれど、この一点はすごく画期的だと思う。それが明文化されていることは評価していいと思うんです。 鄭★僕もそう思います。 永★これができるかできないかは、謝る側と謝られる側の両方にかかっているんですよね。まず謝る側の謝り方が、いつもみたいな下手な謝り方だと、これはよくない。ただ、ごめんなさいって言ったから済むもんじゃないんだから。それから朝鮮半島やアジアも日本政府に謝られた時にどう受け止めるか、受け止め方に問題があるんですよね。 鄭★そうですね。そのとおりです。 永★僕は謝るというのは、実は簡単だと思うんです。謝る方法というのは「徹頭徹尾」と決まっているでしょ。すると謝られることの方が難しい。なぜなら、謝られる方法というのも決まっていて、これは「許す」しかないから。 朴★ホント、そうだよね。 永★今、アジアが謝られた時にどうするか。つまり「どう償ってもらおうが、どんな経済援助をしようがダメだ、許さん」と言い続けていたら、これは絶対、謝ることが成立しなくなっちゃう。 朴★うん。 永★そうかといって「許してください」っていう言い方は、謝罪じゃないですからね。 鄭★そうですね。 永★やはり僕らが ―僕は謝る側ですから― 示せる誠意をすべて示した上で「あ、そこまでやるんだったら、もういいです」ってね、迷惑を被ったアジアの皆さんが、どの次元で言ってくれるかだと思うのね。 朴★うん。 永★だから先程の話の中で出た「疲れる人たち」 というのは、謝られるのが下手な人たちなんですよ。 朴★うーん、なるほど。 永★疲れない人たちは、度量が広いというか、過去に起きたことを明確に見定めているんだよね。つまり悪いものは悪い、いいものはいいと区別しておいて、それから五〇年近くたった今、それを日本がどう謝るか、きちんと見ようとする目を持っている。だから、過去を処理する時の謝られ方って、僕は難しいと思うの。なぐった直後に謝っているのとは違うんだから。 朴★それはキーポイントですよね。次の関係をつくる上での。 鄭★そうですね、もう四〇年も五〇年もたってますから。確かに一世二世は過去の被害者意識によって、かろうじて救われているというところもあったわけです。それをバネにして頑張ってきたというような。でも今は歴史とか環境のせいにしない世代が、在日の中でだんだん育ってきているんじゃないかな、と思うんです。 朴★そうですね。 鄭★そういう世代が、祖国の人と日本の人たちを結び付ける役割をはたすんじゃないかな、と…。だから、これから新しい関係をつくつていこうと思ったら、本当に「許す」ということがキーワードになると思うんですよね。 |
被害者意識に 固まるのは、終わりにしたい。(鄭) |
永★僕がワンコリアという言葉に感じるのは、政治的なことだけじゃなくて、例えば男と女がワン、あるいはキリスト教と儒教がワン、受け継いできた文化や伝統といった部分をワンにしていかないといけないなと思うんだよね。 鄭★おっしゃるとおりです。 永★だけどその過程で出てくる不都合なもの、例えば儒教が考えている男尊女卑的な意識は、まず崩さないといけない。 朴★うん。 永★慶南は、自分でひっくりかえしているように見えますが(笑)。 朴★う、ん。そうですね……。えっ?・ 永★あなたを見てると、とても儒教とは思えない(笑)。 朴★そうですかねぇ。 永★まあ、その崩す作業が大事であるという一方で、伝統としての儒教のいいところは、やはり守らなくちゃいけないでしょ。 鄭★長幼の序なんかは、悪いものじゃないですからね。 朴★お年寄りを大切にするとか、親を大事にするとかね。 永★だから、一度全部分解して、整理して、捨てるものは捨てる、これは守り抜いていくということを組み立て直さないといけないんだよね。 朴★そうだよね。 永★それがデスクワークじゃなくてフェスティバルの中で、おもしろおかしく、笑いながら、やれなきゃいけないんだよね。 鄭★本当にそのとおりです。 永★だから、僕は在日の人たちのおっしゃる被害者意識はあって当たり前だとおもう。よくわかる。けれども僕にしてみれば、部落の被害者意識、沖縄の被害者意識、アイヌの被害者意識もそれと同じなんですね。 鄭★同じ意味で障害者もありますね。 永★もちろん。だから、それを全部同じテーブルの上にぶちまけて、尚且つ、よ−くかき混ぜちゃってね、そんな形で考えられないといけないんだよね。 朴★うん。 永★それが文化というものだと思う。 朴★うん。そのとおりだわ。 鄭★だから、そろそろ整理をしていかないと……発言できなくなったり、逆に過剰な発言しかなかったりということは、もうおしまいにしないといけないないと思うんですよね。 |
互いの立場を 尊重することが 大切。(朴) |
永★この間、大分県で障害者の会があって行ってきたんですけど「我々障害者は健常者に何をしてあげられるだろう」というのがテーマだったんですよね。 |
来年はぜひ、永さんの司会を。 |
鄭★今日は本当にありがとうございました。楽しく過ごさせていただきました。 |
(1993)
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