ナの想いによせて

鷺沢 萠(さぎさわ・めぐむ)
1968年東京生まれ。作家。
87年「川べりの道」で文学界新人賞、 92年「駆ける少年」で泉鏡花受賞。著書に「少年たちの終わらない夜」「スタイリッシュ・キッス」 「ハング・ルース」(以上、河出書房新社)、「帰れぬ人びと」「駆ける少年」(以上、文藝春秋社)、「海の鳥・空の魚」「愛してる」「They Thier Them」(以上、角川書店)等がある。
93年「駆ける少年」(駆ける少年・本当の夏の2編収録)が韓国で翻訳・発売された。

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  今年(※1993)の前半、一月から六月の半ばまで、韓国はソウルの延世大学校内にある語学教育院というところで韓国語の勉強をしていた。わたしは四分の一韓国人であるので―だからこそ韓国語を勉強しようと思ったのであるが―、韓国に対しては特別な感情を持っている。留学する前にもかの国には何度か足を運んでいるし、だからふつうの人に比べればあの国のことを判っているつもりでいた。ところが実際に暮らしてみると、やっぱり何にも知らなかったんだなあ、と溜息をつきながら考えなければいけないようなことが山のようにあった。

 そうだからこそ、半年間を韓国で過ごしているあいだにはいろいろなことを感じ、考え、思った。毎日毎日こんなにたくさん考えたり思ったりするのは、思春期以来久しぶりのことだった。
 そんなふうに毎日考えていたことの中から、「事情」ということばをめぐるわたしの考察について、書きたいと思う。

 ありとあらゆる人間は、それぞれにそれなりの「事情」を抱えて生きていっているものだとわたしは思う。どんなに小さな、些細なことでも人に感受性がある限りそれは「事情」になり得る。小さくも些細でもないことに関してはなおさらだ。幼いころから病弱で体育の授業は小学校のときからいつも見学だったとか、父親がバクチ打ちの酒飲みでいつも暴力をふるわれていたとか、そういうことも人の「事情」だ。

 ごく小さいときからまったく同じ環境のもとで暮らしていない限り、他人に自分の「事情」を完璧に理解してもらうのはとても難しいことだ。そういう意味では家族 ―とりわけ兄弟姉妹というのは、理解してくれるかも知れない唯一の他人かも知れないそうして、同じ環境のもとで同じ経験を踏んできているわけではないのだから判ってもらえないのが当然の他人に対して、理解できないことを責めるのはとても醜いことだとわたしは思う。

 そうしてそれよりも醜いのは「どうせ判ってもらえない」と思うこと、判りたがっている他人に対して「あんたには判らない」という口に出してもしようのないひと言を投げつけることだ。

 自分が在日朝鮮・韓国人であるということも、「事情」のひとつだと思う。それを何か重大で特別のことのように考えるのではなく、みんなが抱えているのと同じ「事情」のひとつとして、これからその「事情」とどんなふうに現実に即しながら付きあっていくか、その方法にはどんなものがあるのか、という考え方のほうがわたしは好きだし、生産的だと思う。

 ある在日韓国人の友人が、こう言ったことがあった。
 「あたしらはな、日本人ちゃうねん。でも韓国人ともちゃうねん。だからつまり、僑胞やねん」
 聞きようによっては至極あたり前であるこのひと言を、わたしは名言だと思った。

 韓国で生まれ韓国で育った韓国人たちも、僑胞であるという「事情」を理解してくれはしない。かの国を訪れたことのある在日の人は知っていると思うが、韓国語を決して流暢には操れないという事実が、なんとも理不尽な罪になる。大げさにいえば、わたしたちはそういう「罪を見る視線」と日ごと闘っていた。

 はじめのころは、わたしもそういう視線に触れると急速にビビり、「すみません」などとモゴモゴ韓国語で言って口を閉ざすしかなかったのであるが、後半は強かった(もちろんそれは、後半のほうがある程度韓国語を話せるようになっていたから、という状況があったからだが)。喫茶店で、飲み屋で、罪を見る視線や明らかにケンカをふっかけてくる人に向かって、日本で育ち日本で教育を受けたから日本語がいちばん上手なのはあたり前であること、けれどこの国のことばを喋れるようになりたいと思ったからこそ勉強しに来ているのだということを、下手くそな韓国語でまくし立てた。飲み屋にいて酔っているときなどはなおさらだが、ふつうのときでも「わたしの言っていることの何パーセントが柏手に伝わったかは定かではない。もしかしたら全然判ってもらえていなかったかも知れない。

 正直にいえばわたし自身、何回となく「みあ、判ってもらえないんだ」と切実に思ったし、「あんたには判んないわよッ」と言いたくなったことはそれよりもたくさんあった。もっと正直にいえば実際にそう言ってしまったこともある。
 言ってしまったのは、そう言うのがいちばんラクなことだったからだと思う。けれどわたしが判ってもらえるかどうかもあやしい下手くそな韓国語で長ったらしい説明をするようになったのは、「あんたには判らない」と口に出してしまったあとに、とてもイヤな感覚が残ったからだ。それは足踏みしている感覚 ―決して前には進んでいないんだ、という感覚である。どんなことでもそうだけれど、いちばんラクなことからは何もはじまらないのだと思う。

 僑胞であるという「事情」は、国を越えて存在するものだ。そうしてだからこそ、「事情」を持った人間にやれることは多いはずだ。少なくとも、誰にでも明日からでもはじめられることをわたしは知っている。それは感じ、考え、思い、声を発することだ。

(1993)

 


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