いい男の極地 |
朴 慶 南
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心をときめかす魅力的な異性との出会い、これに勝るものはない(と思いませんか?)。世にたくさんおわす"いい男″の中でも、とびっきりすてきな方にお会いできた。巡り合えた幸せを、いま私はしみじみとかみしめている。
岡本文弥さん。伝統的な語り物芸の流派の一つ、新内の第一人者である。御年九十九歳で、白寿を迎えられた。最初にお名前を耳にしたのは知人の言葉からだった。
「"従軍慰安婦″の問題を日本の政府がちゃんと取り上げないのなら、オレが新内でやるつて『ぶんやアリラン』を作ったんだそうだよ」九十九歳のお年で現役(!)としてご活躍ということに感嘆し、さらに従軍慰安婦を演目にしているというに至っては、驚きとともに「一体、どんなふうに?」と興味はブワーンとわいてきた。
思いは通じるもので、東京・葛飾のホールに出演された文弥さんに花束を贈呈させていただくことになり、舞台のそでで「ぶんやアリラン」を初めて聴いた。慰安婦にされた朝鮮女性の哀しみと怒りを、ピーンと張りつめたお声で切々と謡う文弥さん。その節回しが出番を待っていた私の体じゅうに波のごとく押し寄せ、気がつくと嵐に打たれたように立ちすくんでいた。促されて、花束を抱え舞台に出たが、お顔を見た途端、感動が涙になって噴きこぼれそうになり準備していた韓国語でのあいさつがつかえ、つかえになってしまった。
しばらくして、やはり東京は大塚で催された舞台を、今度は客席で一言一句洩らさず聴きたいと、出かけた。舞台の文弥さんは、いすに手を添えながらもシャンと立ち、慰安婦にされた十六歳の少女の晴らすに晴らせない“恨(ハン)”を伝えてくれる。
「♪峠を越せば故郷です。行こか戻ろか泣きました。かくなり果てた身の上で、どうして我が家へ戻れよう。無情非道を繰り返し。顧みて、そっぽ向くのはどこの国。千代に八千代に……。このくやしさは忘れられぬ。アリラン、アリラン、アラリヨ♪」もう一つの演目は「ノーモア・ヒロシマ。原爆詩人である峠三吉さんの「父を帰せ、母を帰せ……」の詩を、原爆の悲惨さを描写しながら謡う。燃え上がらんばかりの反骨の魂と深い人間愛が、九十九歳のお体からあふれ出てくる。1920年代に、レマルクの「西部戦線異常なし」を新内にし、反戦を謡い上げた文弥さんの、時代に真摯に向き合う姿勢はいまだ衰えを知らない。
それでいて、艶やかで男の色気すら漂わすのだ。これぞ、いい男の極致ではなかろうか。
可愛い一輪の花の周りに「ナントナクアシタガタノシミ」と書かれた文弥さんのサインに胸が躍った。
そうだよねえ、明日が楽しみ、ホントにいい明日を作りたいねと、私もうなずいてしまう。
八月は人形劇団プークと一緒に、「アリラン」と銘打って、五日間の公演をこなす文弥さん。疲れた、疲れたなんて、私はもう言えない。
(1993)
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台本「ぶんやアリラン」
わたしは一九四〇年、
じさま、ばさまよ、ちちははよ。 ~宵の明星またたいて、 ~われらばかりかよその国、 ~千代に八千代にさざれ石の ~アリラン アリラン アラリヨー |
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朴慶南 (ぱく・きょんなむ)
1950年鳥取生まれ。
エッセイスト。
立命館大学文学部史学科卒業。
ラジオ・テレビの構成作家を勤める一万、
88年から90年「キョンナムさんと語る」(ラジオたんぱ)を担当。
その体族を「クミヨ!ゆめよ」(未来社)にまとめて出版。
近著に「ポッカリ月が出ましたら」(三五舘)かある。
92年第10回青丘文化奨励賞受賞。
現在「エコノミスト」「世界」及び毎日新聞日曜版にエッセイを連載中。岡本文弥 (おかもと・ぶんや)
1895年東京生まれ。
1923年岡本派を再興、文弥を名乗る。
30年「西部戦線異常なし」「太陽のない町」など新作を多数発表。
64年日本民族代表として初めて中国訪問。
87年ノーモアヒロシマコンサート出演。
92年「ぶんやアリラン」発表。
93年白寿記念出版歌集「味噌・人・文学」出版。
勲四等旭日小綬賞など受賞多数。
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