空想してみる。


小林恭二

 

 二十年後の歴史書を空想してみる。

 地球が存続している限り、当然コリアに対する記述がある筈だ。

 どのように書かれているか。

 まずいちばん考えたくないのは、今とまったく変わらないふたつの国家が、半島に存在していること。

 しかしどう考えてもこの可能性は低いだろう。限りなくゼロに近い筈だ。別に希望的観測を述べようと言うわけではない。ごく自然にゼロに近いと思うのだ。イスラエルとPLOが握手をかわす時代なのだ。このような不自然なかたちが、そのまま二十年も残るなどということは(いや十年だって)、ちょっと考えられない。だからこの可能性は0。

 統一の可能性はちょっと置いておいて、次は統一以外の可能性。

 たとえば民族国家という概念が崩壊して、アジア連邦のような大きな枠組が誕生したら?

 ないとは言えない。少なくとも北と南に分断された現状が、二十年間ずっと続く可能性よりは高いだろう。

 しかし、可能性を具体的にみつもるとなれば、さほど高い数値はつけられない。せいぜい1パーセントといったところか。アジアにおいて、二十年くらいで現在の国家の枠組が崩壊するとは、やはり考えにくい。ヨーロッパなら話は別だが、これだってそうは簡単にいかないだろう。

 あと思いもつかない何かが起こるかもしれない。これを1パーセントとする。

 合計2パーセント。

 残りの98パーセントは統一国家となる。

 強引だろうか。

 わたしはそうは思わない。半島に統一国家が生まれるのは、よほどのことがない限り、規定の路線だと思うのだ。

 わたしの楽しみはもはや、統一国家ができた後、ワンコリアフェスティバルがどのように評価されるかという点に移っている。

 「統一コリアを夢見るお祭騒ぎ」が、二十年後、どのように歴史書の中で評価されるか?

 中心的に扱われたらそれは最高だが、そこまで高望みをすることもあるまい。

脚注でも十分いいのではないか。


「ワンコリア・フェスティバル(1985〜)大阪で毎年繰り広げられる統一コリア誕生を祝するお祭騒ぎ。(ただし統一前には前夜祭としておこなわれた。)コリア統一に関していかなる役割を担ったかについては、いまだに諸説紛々。統一のメンタリティーを普及させる上で、絶大な影響を持ったとする説から、今も昔も他愛のないお祭騒ぎに過ぎず、大勢に何ら影響を与えなかったとする説まで。実行委員長は鄭甲寿。大阪の秋の風物詩と言われる。」

なんてね。

(1993)

小林恭二(こばやし・きょうじ)
1957年兵庫県生まれ。作家。84年『電話男』で海燕新人賞を受賞して文壇デビュー。ポスト・モダン文学の旗手として注目された。主な著書に『小説伝・純愛伝』『ゼウスガーデン衰亡史』『半島記・群島記』『短編小説』『瓶の中の旅愁』『俳句という遊び』『酒乱日記』など。1998年、『カブキの日』で第11回三島由紀夫賞を受賞。第5回ワンコリアフェスティバルから賛同人をつとめ、エッセイをパンフレットに寄稿するとともに、数多くの友人・知人を鄭実行委員長に紹介して賛同の輪を広げる。東京におけるワンコリアの中核的存在である。

 

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