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だれか百億円下さい

   鄭 仁 和

 

 いま、北部タイの山の中で“村おこし”運動をしている。
村はタイ、ミャンマー、ラオス三国の国境が集まり、俗に“黄金の三角地帯”といわれる地域のど真ん中にある。
そこに私は家をもっている。だから私の″村おこし″運動は共同体の一員としての運動で、ボランティア活動ではない。
 村の名をヒンテックという。ここはタイ、ミャンマー両国政府はもとより、CIAからも生命を狙われ、現在ミャンマーのシャン州に身を隠しているクンサーという麻薬王がついこの間まで私兵軍団を置いていた村だ。村人はシャン族と台湾・国民党残留軍の出身者で構成されており、今でも村人の半数はなんらかの形でクンサーの影響下にある。
 こう説明すると、私の村は「黄金の三角地帯」を代表する"麻薬の巣窟"のように思えるだろう。確かに十一年前まではそのとおりで、今でこそ爆撃の跡も修復されているが、タイ政府軍とクンサー軍が激しく撃ち合った弾痕は家々の璧にいまだ残っている。
 私がこの村を初めて訪れたのは、今から二十五年も前のことになる。当時はベトナム戦争の只中で、二十数キロしか離れていないラオスではながく内戦が続き、数キロ先のミャンマーでは独立を主張する各民族戦線が政府軍やそれに雇われた私兵軍団と国境付近でゲリラ戦を戦いまたアヘン商人を守る傭兵部隊、大陸復興を叫んでいた中国国民党残留軍も、三国の国境が入り乱れたこの地域に基地を置いてそれぞれに活動していた。
 だが村人はシャン州の独立を主張してミャンマー政府から命を狙われたシャン族の人々であり、また中国系というだけでミャンマー政府軍に追われた難民の人びとである。ミャンマー政府は中央集権の立場から少数民族の時とマリ自治を絶対に容認しなかったし、また東西の冷戦下、当時国が貧しかった台湾は雲南省経由でミャンマーに避難した軍事組織を台湾に引き取る経済的余裕がなかった。その一方で、台湾が非合法の軍事組織を駐留させているというミャンマー政府の抗議は東西の冷戦下、国連に無視されてきたため、ミャンマー政府は彼らを武力で掃討しようとした。簡単にいうなら、この地域はまさに第二次世界大戦後の矛盾を一手に集めた特殊な地域で、この地域に住む人々はその犠牲にされてきた人々だったのである。そして、彼らが生きるために手を染めてきたアヘン、ヘロイン売買の事実だけが浮き彫りにされ、この地域のイメージとして定着してきたのだった。
 こうした矛盾は、いまなお村人の上に重くのしかかっている。ベトナム戦争の終結、台湾中国の国連脱退、大陸中国の台頭、東西の冷戦の終結など世界の政治構造が変化して、政治の善悪にかかわらず政治が安定し経済システムが整備されるにつれ、周辺各国が紛争を嫌うようになると、小規模のゲリラ戦も戦いにくくなった。こんな事情から、村人はいまだ無国籍のままである。タイ政府は村人に居住を認める一方で住民に武器を与えて国境の防備につかせている。つまりヒンテックは、いまだタイの行政地図には記載されておらず、村人は無国籍者として、定められた地域以外には旅行することもできない。したがって商業活動、教育を受ける権利など、村の若者は将来に希望がもてない閉塞状況にある。
 そこで私が村人と話し合って決めたのが、観光開発である。私が家を建て、それを村営ロッヂとして観光客に開放する。許可がない限り、晋通の旅行者はこの村に入れない。したがって、いまだこの村に観光客は現れていないが、それもここ数年で開放されるだろう。そうなると、平地の大資本が村に入ってくる可能性があるから、その前に村の資金でロッヂやホテルを建てておく。むろん、観光の目玉は「黄金の三角地帯を代表する麻薬の巣窟」である。
 観光客用のロッヂは一軒五十万で建つ。今のところ私が投資した額は百五十万円。ロッヂとともに、オーキッド・ガーデン(ラン園)やバタフライ・ファーム(チョウ園)も建てる予定だ。しかもこの“村おこし”は、タイ、ラオス、中国政府がライバルでもある。この四か国はアメリカの主導で、この地域の紛争防止のために、この地域の観光開発を計画中なのだ。しかし、この地域の人々は、こうした各国の思惑で難民にされた人々である。とてもじゃないが、「政府主導はまっぴら御免」という点で意見が一致している。
 というわけで、“麻薬の巣窟”である「黄金の三角地帯」の住民のために、誰か百億円ほど私にくれる人はいないだろうか。お金で歴史の一ページに参加できるなんて、こんな楽しい遊びはありませんよ。それに、在日である我々が、国際政治の矛盾を一身に背負わせられた住民のためにこの地域を開発すれば、日本社会がアッと驚くこと請け合い。お金で日本社会を驚かせられたら、百億円なんて安いものです。

(1993)

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鄭仁和 (ちょん・いんふぁ)
1948年東京生まれ。
作家。
上智大学文学部新聞学科卒。
学生時代より狩猟採集文化の科学研究史、トナカイ牧畜の起源、焼畑農耕の変異などを研究テーマに世界各地に居住。
現在、朝日新聞社「週刊百科」編集部で分子生物学や環境地理学の雑誌編集に従事。
主な著書:「幻のアヘン軍団」「いつの日か海峡を越えて」「遊牧」
「アメリカ陸軍サパイバル・マニュアル」シリーズ等。

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