アートメッセンジャー
黒田征太郎との出会い。


黒 田 征 太 郎 (くろだ・せいたろう)
イラストレーター。1939年大阪生まれ。69年より長友啓典とデザインオフィス"K2"設立。K2展、黒田征太郎美術館等の開催をはじめとするイラストレーションの仕事を積極的に展開する他、映画「竜馬暗殺」のプロデュースやテレビの企画、司会等を手掛ける。大阪ではFM802のイメージステッカーも手がけている。69年ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ賞、73年東京アートディレクターズクラブ賞、87年日本グラフィック展「1987年間作家賞」等を受賞。87年及び90年にはN・Y近代美術館ポスターコレクションに参加。ワンコリアフェスティバルには90年以降ポスター制作を担当している。


私たちが黒田征太郎氏に出会ったのは、1989年のことであった。「クロダ・セイタロー」といえば、デザイン業界にたずさわる者で知らない人はまずいない。が、どれだけメジャーだろうがギャラが高かろうが一向に関係なく、有志としての協力を取り付けてしまうのを得意技とする我らが実行委員長は、例のごとく初対面もおかまいなしに一席ぶつのであった。


主旨に共感してくださった黒田氏は、さっそくその年のワンコリアフェスティバルに参加。ダイナミックなライブペインティングで、フェスティバルを大きく盛り上げてくれた。

そして、その夜。スタッフや出演者達が打ち上げに興じあう最中、ほろ酔い加減の氏は「これからも協力するから、何かあったら声かけてよ」とにこやかに言った。言ってしまった!(これがどれほど恐ろしい言葉か、スタッフに出会ったら聞いてみよう!)
「じゃあ、90年のポスター制作をお願いしますね」。
有名人やTVに出た人と聞くと、一も二もなく尊敬してしまうミーハー娘の事務局員Nが「え!そんな立派な方にノーギャラなんて!」と声を震わせるのも意に介さず、どんな大物もこき使ってしまう。実行委員長とはそんな男である。


しかし敵(?)もさるものの、我々とは懐の深さが違うのだ。ホホイのホイ、といった調子で引き受け、ある日事務所に現れると「持ってきたよー」と、スタッフの目前にポイ、とイラストの原画をおいた。

南北のアイデンティティの和合、ワンコリアをイメージする虹の掛け橋……フェスティバルの真意を見事に表現しきったイラストレーションに、一同感激のあまりにしばし絶句。が、氏はどう勘違いしたのか「え、それ気に入らない?じゃあ、こんなのはどう?」と次から次へ、まるで魔術師のように、イラストを取り出し始めたのである。
ここからいつも忙しいとわめき続けているスタッフの幸福の責め苦が始まる。あれが足りない、これが足りない、これがまだだ、あっちはやく、ととにかく"ない"ところを埋めていくのが仕事だと思い込んでいたスタッフにとって、"ある"状態から一つを選びぬくというのは青天の霹靂。しかもそれはすべて、フェスティバルの象徴として非の打ち所がない作品ばかりだったのである。誰もが舞い上がってしまったのも無理はなかった。以来、これがいい、私はこっちが好き、俺はこれだと思うけれどこっちも捨てがたい等々、スタッフ会議のたびに他の議題はそっちのけで、喧々がくがく言いたい放題すき放題のバトルが繰り広げられるのであった。
たまりかねた事務局長が「今日こそ決めてくれないと、俺は当日までに全ての事務作業を終わらせる自信はないからな」と実行委員長につめより、自分の好きな作品にすがりつくスタッフ一人一人をなだめて、ようやく90年度のポスターのイラストのみが決まったのである(この後、ポスター明記事項を決めるのにどれだけかかったのかは、ご想像におまかせします)。もちろんこの年も、黒田氏はライブペインティングを披露。フェスティバルにアートの花を咲かせた。
打ち上げが終わると、それまでの苦労もけろっと忘れてしまうのが、ワンコリアスタッフのいいところである。けろっと忘れてしまうから、毎年毎年、しなくてもいい同じ苦労もしてしまうのである。「91年もポスターとライブペインティング、自由にやってくださいね」と黒田氏に語る実行委員長を止めるやつなど誰もいない…。



これがまずかったのだ!!なんと、91年度のフェスティバル開催日と黒田氏のスケジュールの調整がつかず、氏はフェスティバルを断念する。それがなぜまずいかというと、氏はあきらめきれないのか、少しでも協力したいとの思し召しか、前回にも増してたくさんのイラストを描き上げ、それをぜ〜んぶ事務所に持ち込んだのである。そうご察しのとおり、我々はまたもや幸福のるつぼに落ち込んでしまったのあった。しかも今回は量が量だけに、それも出来栄えの素晴らしさ故に、前回を上回るるつぼとなってしまったのであった。結局、この年は最後の最後まで意見がまとまらず、しぼりにしぼって2点を採用。それでもやはり、自分の愛する1点がもう1点と同列に扱われたことに執念を燃やすもの数名。「92年はこれじゃなきゃ、ヤダ!」とダダをこねる。ふとスタッフの脳裏に例の"幸福の責め苦""幸福のるつぼ"状態がよぎった……そういうわけで今年、92年度版は、前年のイラスト使用の運びとなったのである。



話はここで終わらない。前年のイラストを使ったポスターが刷り上り、すでにあちこちに貼られ始めた8月中旬、黒田氏は事務所に現れ「みんなで絵を描こうよ」と言った。「う〜ん、そうだね。ハナにちなんでフラワー、飛翔するフェスティバルでバードなんかどう?」と言いつつ、画材を握り、鼻歌まじりに楽しそうに描きはじめたのである。あぁ、我らがクロダ・セイタロー氏は、かほどさようにワンコリアを愛してくださっているのだ……。我々は氏の手から、次々に生み出されるワンコリア・アートを見つめつつ、来年、さ来年はきっと、あの"幸福の責め苦"状態に自ら飛び込んでしまうであろう、とつくづく感じてしまったのであった。

(1992)


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