自 分 を 磨 け

  李 泰 栄
    (コマーシャルフィルム・ディレクター)



 僕は東京生まれの二世である。

現在TV-CFのディレクターをやっている。父はもう他界してしまったが、戦後こちらに渡ってきて、小さいながらも銀座のど真中で貿易業を営み、その亡き後も母と弟とで何とかきりもりしている。
仕事柄としいうこともないだろうが、僕の両親はともに拓けた人で、同じ世代の同胞の中にあっては珍しく、国際感覚を身につけているのだと思う。CM キリン春滴ウーロン茶

それ故か、民族意識の方が強く、韓国人だから何のとか、日本人はどうのとかいう言葉は全くきかれなかった。結婚についても何の注文もなく、日本人との結婚に関して全く同国人とのものとしてとらえているようだった。ただ父は「どうせ外国に暮らすのだから、どうせだったら兄弟3人の内の一人くらいは金髪の娘をもらえは良いのに」と冗談めかしてポヤいてはいた。

しかし勉学には非常に口うるさく、それは一般的に見て、国籍の異なる者が異国で生活しようとするなら、それ国の人間よりも3倍の努力をしなけれはならない。という至極あたりまえの見地からであった。
もっとも元来が怠け者である僕は、その事がよく理解できているにも関わらず、何のかんのと言っては、それに反抗し両親を困らせていた。

そのかいあってかはいざ知らず、青学の初等部から大学へと、世に言うエスカレーターで何の苦もなく卒業を迎える。
そこで就職活動が始まるのだが、ある日大学の就職部からお呼びがかかった。何だろう!?最近は何も悪さはしていない、という確信はあるものの、やはり不安に駆られた。CM キリン春滴ウーロン茶

いざ出掛けてみると、係の人が何だか言いにくそうに、もじもじしている。
「誠に申しあげにくいのですが、李さんの場合、就職は非常に困難だと思えます。それは、その‥、日本にはまだ悪しき習慣が残っており、その、国籍に対する偏見が……。」

そこまで聞いて、何だ、心配して損した。胸を撫でおろした。即、心配しないでくれ、と逆に係に係の人を慰めた。それはとっくに覚悟していたし、外国で暮す以上、こういった状況において国籍の事がデメリットになるのは当り前の事だ。自分が採用の担当だったとして、2人の人間が最後の枠をめぐって同じ条什の下で競っていたとする、そしてそ内の1人の国籍が異なっているなら、僕は何の躊躇もなく、同じ国の人間を選ぶだろう。

それは韓国人だからという問題ではない。
人間としての当然の心理だ。
僕は大企業への道はハナから諦めていた。それを希望していないという事もあったが、もし望むのなら、青学ではなく東大へ進んでいなければならない。それが我々の覚悟だと思っている。自分を磨いておかなければ、誰も拾う者など現れないのだ。

もちろんそれは、何も学歴だけの事ではない。その人間の個性が重要なんだと思っている。そこが他よりも抜きんでていれば、国籍などに関係なく、必らずチャンスは訪れるものと信じている。もっとも僕の場合、全ての就職試験に落ちてしまったのだから、余り偉そうな事は言えないが。

今の会社は、就職を諦めて、取り敢えずアメリカの美術学校へ行こうと準備していたところ、友人からアルバイトを薦められ、それがきっかけで潜り込んだ。
この会社の人達は、韓国人であるという事で自分達の持ち得ない別のものを提供してくれるかもしれない。と期待して面白がっている。そういう暖かい眼差しがあればこそ、ここまでやってこれた。

もし就職活動が成功して、別の会社に入っていたら、今の自分はなかったかもしれない。まったく、ラッキー、いやというより悪運が強いのかもしれない。

CM 久光フレッシングクリーム、WOWOW、ホンダプレリュード

ただこれだけは言いたいのだが、どんな状況が巡ってこようと自分の意識は前へ向けておいて欲しい。
決して後ろを向かないように。
そうすればきっとチャンスは巡る。
悲しいかなどの国でも国籍の差別は存在する。
しかしそれは卑劣な人間の一群が行うのであって、全てではない。彼らは自分というものを見ることができず、自信ももてず、それ故、物事を単純に位置づけることにより人を見下すのである。

そんな下卑な人間の言葉や態度に惑わされてはならない。
全てはその人の個、即ち人格で決まるのであって国籍など関係ない。
困難な状況であればある程、個を磨くのである。
そこから始まる。

そんな意味から、僕は韓国人という民族意識より、李泰栄という名に自信と誇りをもち、それを磨いて、磨いて、磨いて、磨きぬいて、世界に通用させようと真から願っている。

(1987,1992)

李泰栄(い・てよん)
 コマーシャルフィルム・ディレクター。1955年、東京生まれ。青山学院大学卒。テレビコマーシャルの制作会社・CMランドでディレクターとして活躍後、独立して「モモコマーシャル」を設立。81年にパルコのCM『水と女』でデビュー。他にもサントリー、ホンダ、ソニー、レナウンなどパペットアニメーションを斬新に使ったCMで注目された。博覧会の総合映像演出も多くこなす。

 

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