1991年 賛同のメッセージ
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鄭
東 和 (アーティスト)
26歳。武蔵野美大を卒業後、アメリカヘ。
DEEE・LITE(ダンスミュージックグループ)のメンバーとなり、あのビルボード・ヒットチャートのナンバーワンに。アメリカで絶大な人気を得ているグループ。
●在日コリアの若者よ、もっと自然にボジティブに生きてほしい
ワンコリアには全く同感。当然でなければならない。僕らのアルバムに『ワールドクリック』というのがありますが、それは「世界とつるむ」という意味で、ワンコリアの発想とつながると思います。今回は日程的に出演は無理ですが、気持ちは参加しています。
まず、僕のことを少しお話します。名前は小学校から鄭東和という名前で日本の学校に通っていました。親には感謝しています。やはり、本名が一番自然ですから。大学卒業後、ビデオアートで世界的に有名なナンジュン・パイクさんに逢いたいと渡米しました。彼には憧れていました。同じコリアンであることもやはり励みになりました。
国籍といえば、ディー・ライツのメンバーが日本は差別的だと言っていました。アメリカではそこで生まれれば、自動的にアメリカ人。日本は、僕のように日本で生まれても日本国籍ではない。僕自身、帰化する気はありませんが、メンバーから見れば、日本国籍をとるために日本で生まれても、わざわざ面倒な申請しなくてならないのは不公平なわけです。
僕のこれからですが、もともとグラフィックデザインを専攻していましたが、今後は音楽とグラフィック、ビジュアルを組み合せてやっていきたい、と思っています。パイクさんはまったく新しい分野を開拓し、創造してきましたが僕もポップアートの新しい試みにチャレンジしたいと思っています。僕は本来ボジティブですから。
在日コリアンの若者ももっと自然にポジティブに生きていってほしいですね。
康 珍 化 (作詞家)
'78「バスルームから愛をこめて」(山下久美子)で、作詞活動に入る。'85日本レコード大賞・作詞賞「桃色吐息」(高橋真梨子)▽映画「稲村ジェーン」(桑田佳祐監督)脚本。映画「トウキョウ・ステップ」(東北新社製作)の原作・脚本・プロデュース。※第5回ワンコリアフェスティバルでテーマソング「ハナの想い」を作詞。
●不自然なものへの治癒力に
それはそこにあるものとして、そして容易には破壊できないものとして、長いあいだ盛り上がった傷あとのように横たわっていた厚い壁が、ある日あっけなく取り除かれるのを見ました。そして時間の流れと、硬直したものの崩壊を感じました。半島に祖先を持つ極東の異邦人たちのフェスティバルが、不自然なものの治癒力に成長して行くことを今年も祈っています。
?拳道(テコンドー)は単に肉体を鍛えるためのみあるのではありません。身体をととのえる上で、もちろん基本的な訓練とはなりますが、それは同時に、内部的な力、克己心や勇気、寛容などの資質を与えるものです。?拳道(テコンドー)をする2000万人以上の人たちはまた、言語や皮膚の色、思想や信条を越えて、国際的な友情で結ばれています。ONE KOREA−今日のこのイベントの意味は、等しく、テコンドーに共通するものであると信じます。
呉 籠 幸
(ファッションデザイナー)
大阪朝鮮高級学校卒業後、マロニエファッションデザイン専門学校入学。
(株)ガムガム入社後、棉生テキスタイル入社。
1991年北朝鮮初のファッションショーに作品を出展。
チョンカプス氏の
熱意にうたれ、
ワンコリアに
参加します。
民衆の声の
小さなかけらとして、歌います。
もともと一つの家族なんだから、一日も早く
あるべき姿に
戻られんことを願ってやみません。
●大事
大事を成す人間は、皆真面目である。逆に言えば真面目な人間でなければ大事は成せない。だから、事の大小はその現象の物理的な大きさより、それを成した人間の真面目さにかかわっているのだ。物事はどれだけ一時的に栄えても、真面目な人間が起こしたものでなければ月日とともにうすれてゆくし、ちょっと見は地味なものでも真面目な人間に起こされたものは、じわじわと存在を大きくしてゆき、ついには大事と呼ばれるようになる。そして私は確信する。とぴきりの真面目人間「鄭甲寿」を実行委員長にいただくワンコリア・フェスティバルは、いつの日か世界史における大事中の大事になるにちがいない、と。
私が「ワンコリアフェスティバル」に触れて、自分の心が解放されたような気になってしまう理由を考えてみると、それは、「民族」の問題が、普通的な「人類の問題」にまで高められているからだと思います。また見に来た生徒にとっても、押しつけがましくなく、「コリア」が自然とハートに入ってゆくことに感動します。
●「ハナ!」、何と素晴しい言葉
今、我々はかってなかった世界潮流の渦の中で、<激動>の時代を迎えています。しかしながら、いかなる外部からの衝撃にも揺らぐことなく囲められてきたのが洋々たる流れを汲む、同族意識ではなかったでしょうか。在日同胞は「ハナ」。
何と素晴しい言葉ではないでしょうか。昨年についで南北文化人の間の橋梁の一端を担う「ワン・コリア」がまたもや民族同質性を象徴する画期附なイベントを開催することになったことを心から祝賀し、激励を送る次第であります。昨年、この世を去った、亡父南相吉・前南北商事社長の後を謎ぐ私としては、父が生存時、口癖のように願って南北統一の日を見ることができず逝ったことが悔やまれるばかりであります。「ワン・コリア」公演の成功を衷心から祈ってやまない次第であります。
お腹がへったよ
遊びたいよ
行きたいよ
逢いたいよ
いつでも 何処でも
大丈夫 大事にすれば
自然を
素直な気持ちを
愛やね
う−ん 眠くなってきたよ
じゃ おやすみ
統一のために
38度線で
歌いたい。
魚も鳥も生れたところに一度は戻ると言いますが、私ども人間もその様な本能を誰しもが持っているものと信じております。ワンコリア・フェスティバルの開催は、この様な私の長年の願望を達成できる、門戸的な役割を意味するイベントとして心から歓迎し、又、この大成功を期待するものです。関係者の皆様、そして出演者の皆様、御苦労様!サラン ハムニダ!! 1991年 仲秋
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