2002年 秋 日韓同時上映
日韓合作映画『夜を賭けて』に賭ける想い
 完成間近。映画、『夜を賭けて』の現場から

今、韓国で、映画『夜を賭けて』の撮影が着々と進んでいる。
原作・梁石日、監督をつとめるのは、劇団新宿梁山泊座長の金守珍
そして音楽監督には朴保と、ワンコリアフェスティバルの仲間が顔を並べている。
戦後の大阪を舞台に在日コリアンの姿を生き生きと描いた小説『夜を賭けて』が、惜しくも直木賞を逸した夜から始まり、さまざまな人々の出会いのなかで実現化していった映画製作。
映画ができあがっていく過程そのものが、一大ドラマだと言ってもいい。
そのドラマが教えてくれるのは、出会うことの素晴らしさ、手をつなぐことの力だ。
在日コリアン、日本人、そして本国の韓国人。
多くの人々の熱い思いがひとつになり、間もなく、歴史的な映画が完成しようとしている。

サッカーW杯の開催年・2002年の秋に日韓同時上映する。

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◎ ストーリー ◎ ―――――――――――――――――

 舞台は昭和30年頃・大阪。戦後10余年を過ぎた大阪には、まだ戦争が影を落としていた。
 かつてアジア最大の兵器工場であった大阪造兵廠跡近辺の朝鮮人集落に住むコリアン。女たちは家族のためせわしなく働き、仕事の無い男たちはぐだぐだと一日を過ごしている。

 ある日、集落の住人であるヨドギ婆さんは造兵廠跡の廃墟に戦後から放置されてきた兵器の残骸である鉄屑を掘り起こして売り飛ばし、大金を得る。その噂は瞬く間に集落に広まり、住民たちは、ヨドギ婆さんから情報を得るべく、あの手この手で懐柔しようとする。朝鮮戦争後も鉄の値は高く、鉄屑も高く売れた。皆が鉄屑拾いで一山当てる夢にうかれていた。そのとき、かつてこの集落にいた金義夫が何かに追われるように帰ってきた。 

 義夫をはじめ、男たちは総出で鉄屑探しに精を出す。しかし兵器の残骸とはいえ国家財産であるため、警察の目を忍び、夜の闇に紛れての辛い作業であった。そんな日々の中、美しい娘・初子と義夫は互いに惹かれあうようになる。初子は集落の住人・ヤン婆さんの姪で、戦争で孤児になり、最近ここに移り住んできたのであった。

 ほどなく鉄屑の窃盗を阻止しようとする警察との攻防が始まったが、そのころ、かつて自分の父と兄を殺して刑務所に入っていた健一が、情婦を連れて部落に舞い戻ってくる。相変わらずの残忍さ、やくざ仲間とつるんでいる様子などに、住民は脅えた。一方、警察との攻防は次第にエスカレートしていき、ついには死者を出すに至る。

 とはいえ部落唯一の飯のタネである鉄屑集めは止まるはずがない。そんな中、李三元が誤って警官を殺してしまうという事件が起こる。警察の追及は事件を契機にますますきびしくなり、血眼になって彼らを追いつめてきたのだ。一方、健一はつるんでいたやくざ仲間に追われ、殺される。追われる最中、健一は盗んだ金を義夫に託すのだった。その金を警察に届けた義夫は健一を殺して金を奪ったと誤解され、激しいリンチを受けた。やっとの思いで釈放された義夫は、開き直って堂々と昼間から鉄屑を持ち出しはじめた。

 警察の最後の手入れが間近に迫り、みな切羽詰まって、逃げ出しはじめた。初子も部落を離れることになり、義夫のもとを訪れる。二人は、最後を惜しむように抱き合うのだった。そのわずかな逢瀬の最中、警察の威信をかけた、大規模な手入れが始まる。義夫は初子を床下にかくまい、自らは警官に立ち向かっていった。

 なぜ、義夫は追われていたのか。この混乱の中でその理由も明らかにされる。そして義夫はさらにアナーキーに生き続ける。それが彼の生きる道であった。朝鮮人集落が権力によって跡形なくこわされていっても。(本文『夜を賭けて』公式サイトより転載)


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