2002年 秋 日韓同時上映                        交流にも参加ください。
日韓合作映画『夜を賭けて』に賭ける想い

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インタビュー 山 本 太 郎

山本太郎やまもと・たろう/1974年11月24日生まれ、26歳。91年「天才たけしの元気が出るテレビ」のダンス甲子園でデビュー。その後、数々の映画をはじめ、TVドラマやバラエティー番組などでも活躍。主な映画出演作には、『岸和田少年愚連隊』(96年)、『マルタイの女』('97年)、『ラブ・レター』('98年)などがある。『バトル・ロワイヤル』('00)でも存在感ある演技で話題を呼んだ。


◎オーディションで名前を聞かれた時、「金義夫です」と答えていましたね。
山本●テンションが上がっていて、よくは覚えてないんですけどね(笑)。原作を読んだ時に、ホントにまんまというか、「義夫は俺以外誰にさすねん」っていう感じだったんですよ。中学高校時代の大人になりきる前の自分、ブレーキをかけない自分を出せば義夫になる。だからもう、この役ができるのは僕しかいない、と思いました。だから、義夫以外の役は考えられなかった。1万歩譲って、健一ならやってもいいかなくらいの思いはありましたけど(笑)。

◎演技テストでも、金義夫のセリフを読まれていましたが。
山本●義夫、健一、申大起の三種類のセリフを渡されたんですが、そのなかで自分の味を一番出せると思ったのは健一だったんですよ。すごく過激で狡猾、しかも甘ったれの健一をやる自信があったんです。でもこの健一のセリフを読んでしまったら、たぶん義夫のイメージとかけ離れてしまって、外される可能性があるなと……。だから、説明セリフの義夫のセリフを読んだんです。

◎手応えのほうはいかがでしたか。
山本●それが噛み噛みだったんですよ。あぁ、噛んでもうた。まずった、健一にしとけばよかったかなと(笑)。でも、義夫のセリフを選んだ自分の考えに間違いはないだろうと思って、これでいこう、と。これであかんかったら、この映画はあきらめよう、と(笑)。

◎結構自信はあったわけですね。
山本●というか、演技のうまさで、義夫の役に近づける人はいるかもしれない。だけど、素の部分で義夫に近い僕みたいな人間を使ったほうが、この作品にとっては間違いなくいいわけで、そういう意味で僕を使わないということは、見る目のない奴らだなってことで(笑)。ダメだったらそう強がってあきらめるしか、僕の中ではないですからね(笑)。

◎その金義夫ですが、どんな男だと思いますか。
山本●男気のある男だと思います。ただ、その響きだけで疲れそうな雰囲気もある。なんかあぶらっこそうな……。でも、義夫はそうじゃなくて、すごくかわいげがあるというか、ちゃめっ気のあるやつだと思うんですよ。「俺は男だ」って言っているやつに限って、そうでもなさそうなやつが多いんですけど。義夫は違う。そのちゃめっ気があるっていうのは、僕のなかでも大事にしてるところでもあるんですよ。

◎不器用な男でもありますよね。山本さんも不器用なんですか。
山本●実は、僕もとても不器用なタイプなんです。

◎役作りのために、テコンドーの道場に通っているとうかがったんですが。
山本●言うつもりはなかったのに、なんで知ってるんですか(笑)。いや、今まできちんと武道とかをやったことはなかったんで、何かやりたいという気持ちはあったんです。今回の映画をきっかけにいいチャンスかなって思って。それに、鉄を盗み出すような屈強な体型に近づけるためにも必要かなと思ったし、顔つきも締まってちょっと変わってくるかな、と……。

◎テコンドーを選んだのは。
山本●あんまり深い理由はなくて、単純に、多少なりとも韓国の香りのするもので、そのスピリットが感じられればいいかなと思ったんです。クランクインまで、まだ3ヵ月くらいあるので、これからジムとかでも徐々にトレーニングをやろうと思っています。ボディービルダーみたいなのじゃなくて、野生っぽい体にしたい。あと、タバコも、ずーっと練習してたら、ニコ中になりました(笑)。でも、撮影期間中だけで、ラストカットが終わると同時にきっぱりやめられるんです。まあ、体には悪いですけど、でもタバコを吸うことで失われたビタミンはちゃんとサプリメントで補うことにしてます。僕にとってタバコとサプリメントはワンセットですからね。

◎この作品のどこに惹かれましたか。
山本●最近、本を読んでも、僕自身こんなにエネルギーがあふれてくるっていう感じはあまりなかったですね。すごいパワーを感じた。逆に、在日であることをある意味ではうらやましく思いました。なんとなく生きてるっていう人が多い中で、何か燃えられる対象を持っている。差別は喜ばしいことではないけれども、それが生きるパワーの源になっているようなところもあって、すごくその生命力に憧れを持っているというか……。もちろん、その差別っていうことに関しては、断固反対です。でも、状況は違いますが、汲めども尽きぬエネルギーを持ってるっていうところが、自分にも似ていますね。

◎応募書類の作文に、「この時代を生きることができていたら、僕の本領を発揮できたのに」というようなことをお書きになっていますね。
山本●原作を読んで思ったのが、この時代に生まれてたら、義夫のように生きていたかもしれないって。今の時代に生きている僕よりも、ひょっとしたらその時代に生きてた僕のほうが、もっともっと自分の力を出し切れる状況に出会えたかもって思うんですよね。

◎この映画を見る人たちには、どんなことを伝えたいですか。
山本●見終わった瞬間から、熱く生きようと思えるような作品になると思います。プラス、抑圧されてきた在日の人たちの状況や時代背景も理解できるんじゃないかと思います。

◎金守珍監督ですが、演劇界では鬼演出家で有名ですが……。
山本●らしいですね。噂には聞くんですけど、オーディションの時に金義夫と名乗った時に、笑ってくれたのが監督だけだったような気がするんですよね(笑)。そのときに受けた印象から、すごく器の大きい人だなっていう感じがしました。それが初めての出会いでした。だから一緒に仕事ができることになって嬉しくて。一度、一緒に食事に行ったんですが、もう熱い熱い想いを語る語る(笑)。自分たちのジレンマみたいなものをいろいろ聞かせていただきました。で、最後に「〜っていう想いを、お前に伝えてほしいんだ」って言われて、これはもう責任重大だと思いましたね。キャラクターとしての義夫はすでに僕の中にあるものだから、それは素直に出すことを心がければいいと思ってるんですが、その裏にある細かい気持ちとかは、監督をはじめ、周りにいる在日の人たちから吸収して、自分のなかで創りあげていきたいと思っています。

◎原作者の梁石日さんのことは知っていましたか。
山本●『月はどっちに出ている』の原作を書かれたってことは知っていました。それが監督と食事した時に、その待ち合わせ場所で、僕たちが座った斜め後ろに梁さんがいたんですよ。たまたま別件で来てたらしいんです。そこで、義夫をやることになりましたと挨拶をして、食事の後に合流したんです。梁さんは、そんなに多くは語らないですけど、戦争時代の話とか聞かせてくださいました。
山本は高校時代、TV番組「天才たけしの元気が出るテレビ」の一コーナーで、衝撃的なパフォーマンスでデビュー。その後、タレントとして精力的な活躍を見せる一方で、近年では俳優としても急成長。今後が期待される若手俳優として注目されている。

◎もともとタレント志望だったんですか。
山本●そういうわけではなかったんです。友達から「昨日、すごいキャラの女が出てたぞ」というのを聞いて、どんだけすごいやつやろ、と1週間期待を膨らませて次の日曜日の「元気が出るテレビ」を見たんですよ。そしたら、みんなが言うほどたいしてすごくなかった。こいつがテレビに出てるんやったら、なんで俺がでーへんねん、俺のほうがテンション高いぞと思って、ハガキを書いて送ったんです(笑)。それが始まり。だから、別にこのコーナーに出て芸能界に入ったろ、みたいな考えはまったくなかったんですよ。それで、調子に乗ってずっと出続けてたら、ある日学校の校長から呼び出された。ちょうどその時期がもうすぐ入試のシーズンだったんですね。私立だったんですけど、願書出した親から「あんな裸踊りをさしているような学校にうちの娘や息子を安心して預けられない」っていう苦情の電話が何本か来たらしくて、校長から「このままやったら君、学校にいられなくなるよ」みたいなことを言われたんです。それでも出続けてたら、1年生をもう1回やれ、と。でもその間に映画の話が来たりして、計算したら出席日数も足りなくなるんです。だったらもう片足を突っ込んだし、そのまま高校生活送ってても先に何があるかっていうのもよく見えてなかったし、ここは中退してやってみるかって。それくらいの軽い気持ちで入ったんです。

◎ということは、俳優になろうと望んでなったというわけではなかったんですね。
山本●はい。ただ、この世界に入るにしても、ずっと水着で行くのはつらいやろ、と(笑)。全部自分で考えてやっていくっていうのはあまりにもしんどいから、2・3年は食べれるかもしれないけど、これは長続きせーへんやろなと。それ以外の仕事はなんだろうっていう消去法でいったら、とりあえず俳優が残ったんです。はじめはそれくらいの気持ちだったんですよ。

◎で、その俳優業での手応えはどうでしたか。
山本●最初の2、3年は、もうなんでこの仕事をやってるのかもわからなかったし、いつやめてもおかしくない状況でした。でも、井筒和幸監督に出会って、あ、これは奥の深い、やりがいのあるおもしろい仕事だなと思ったんです。そこから本気になってきたっていう感じですね。

◎現在は俳優業とバラエティをうまく両立されてますね。
山本●こだわって俳優しかしないっていうのもありだけれども、バラエティでデビューしてるし、どっちもいける才能があるんだったら、いいんじゃないかなって思うんです。ひとつのことを一生懸命やるという、そういう職人的なやり方もあると思いますが、今の僕はいろんなことをやって平均点以上上げたい。いや、まだどれも平均点上がってないですけど(笑)。

◎テレビでは、とても明るい方だとお見受けするんですが、そのキャラクターは素の部分が多いんですか。
山本●そうですね、どっちかというと作ってはいないですね。キャラクターを作る人っていうのは、自分自身があんまり面白味のない人間だから作らないとしょうがないっていう部分があるんじゃないかなって……。強気でちょっと言ってみたんですけど(笑)。でも、逆に僕はキャラクターを作ったりするのがあまりうまくない。それだったらまだ素の自分のほうが、作った自分よりもいくらか素敵だから、素のままでいこうかなってことなんですけどね。

◎将来的には、どんな俳優になりたいと思っていますか。
山本●若手の俳優に「山本太郎みたいになりたいです」って言われて、目指されるような人間になりたいですね。今まで、そういうのとは無縁な人生だったんで(笑)。学生時代から「山本はあかん! あいつはろくでもない!」みたいなことをずっと言われ続けてきましたから(笑)。

◎最後にファンの方にひとことお願いします。
山本●間違いなく、おもしろくなります。台本を読んだだけでわくわくしてしまうような作品なんで。山田(純大)君に会った時も、お互いに楽しみにしてるのがわかる感じでした。これを見た人の、心に残る映画ベスト3くらいに入る映画になることは絶対間違いないので、首を長くして待っていてください。  

(本文『夜を賭けて』公式サイトより転載)

※『夜を賭けて』は、サッカーW杯の開催年・2002年の秋に日韓同時上映する。

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