2002年 秋 日韓同時上映
日韓合作映画『夜を賭けて』に賭ける想い
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◎「夜を賭けて」を知ったきっかけは。
山田●六平(直政)さんと一緒に芝居を見に行った時、「『夜を賭けて』っていうのがあるんだよ」って聞いたんですよ。すぐ読みたいと思ったんで新宿の本屋さんを何軒か回ったんですけど、置いてなくて。そしたら六平さんが自分のを貸してくれてやっと読めたんです。すごいストーリーだと思いました。パワーを感じましたね。みんな力強く生きているじゃないですか。こりゃぁ、すげえやと思いました。◎その作品が映画化されることになったわけですが、それを知ったとき、どう思いましたか。
山田●これはもう、やんなきゃって思いましたね。本当に一人ひとりが生き生きして描かれてるんで、そこに惹かれたんです。そういう時代だったのかもしれないし、そういう環境だったのかもしれないんですけど、普通だったら失礼になるようなことでもばんばん言ってしまう。僕の父親も神戸で、なんかこう、言葉とか激しさが似てるんです。周りにそういう人が多かったんで、すごく共感が持てました。◎『夜を賭けて』は日本と韓国の合作映画ですが、そのことについては何か思うことはありますか。
山田●最近になってようやく、日本と韓国がこういう風潮になってきてるじゃないですか。僕としては、遅すぎるっていうか、もっと前にやっとけよっていう感情はあります。なんかこう、ひとつ砕けたらじゃあ行こう、ワールドカップがあるから行こうとか、そういうんじゃなくて、なんでもっと前からやらなかったのかなって。日本には閉鎖的な部分がある。それに日本が韓国のことを語る時とか、韓国が日本のことを語る時とか、お互いワンクッション入っていないと話もできないような感じがしますよね。僕はアメリカにいたっていうこともあるし、そういうことをまったく感じずに来てたんです。韓国の人にコリアンタウンですごいおいしいものを食べさせてもらったり、おもしろい人たちにもたくさん会えた。今回、この映画に参加することができて向こうに行くんだよって言ったら、大学のやつらとかすごく喜んでくれて、みんな待ってるんです。そういうのってすごく素敵なことですよね。これからワールドカップがあったり、『夜を賭けて』みたいな試みの映画がばんばん作られたりして、この風潮がこのままずっと持続していったらいいと思うんですけど……。◎ご自身も韓国に興味をお持ちだったんですか。
山田●そうですね。韓国にも一回行ったことがあります。大学時代、すごく好きな韓国人の女の子がいたんで、家庭教師を雇って韓国語をやったこともありますし(笑)。挨拶とか悪いこととか覚えたいものだけで、話せないんですけど(笑)。そういう人たちがコリアンタウンとかいろんなとこに連れて行ってくれたんですよ。在日の友達もすごくたくさんいる。ベストフレンドも在日(現在ワンコリアフェスティバルのスタッフをしている南君のことだったことが判明)だし、アメリカにいる時も在日の子がいっぱいアメリカに来てた。だから、韓国に対してはすごいナチュラルですね。◎今回山田さんが演じられる健一は、両親殺しの冷酷な男ですが、どういう役作りをしていくんですか。
山田●僕も親を本当に殺してやろうと思ったことが何回もある。このやろう、みたいな。そういうのって覚えてるからね。自分の中にある、そういうのが出せればいいんじゃないかなって思っています。僕、結構いい子に見られやすいんですけど、実はそうじゃないんですよね。健一って親を殺すくらいまでいびりまくる。でも、彼の中では親のことが大好きで大好きでしょうがない。自分の中で、それがもうめちゃくちゃになっちゃってるんです。よくしてあげたいんだけど、それをどういうふうに出していいかもわからない。アメリカの映画のね、エドワード・ノートンや、ブラッド・ピットが『カリフォルニア』でやってた感じとか、ちょっともうやばい、こいつ気持ち悪い、やだ、怖い!っていうのを思いっきり出したい。怒りすぎちゃって、目の焦点が合ってないような感じなんです。子供がそういう癇癪起こす時あるじゃないですか。そういうのを出していきたいんですよ。『アメリカン・ヒストリーX』で、エドワード・ノートンが、母親や妹に食ってかかる時のシーンにちょっと似てるとこあるんです。ふだんはすごくいい人なんだけど、家族にはイッちゃってて、妹を引きずり回したり母親をののしったり、目が焦点合ってない。そういうのを出したいですね。描かれ方として、健一は、何のためにこいつは出て来て、何のためにいじめて、何でお金あげて死んじゃうの? っていう感じじゃないですか。その「何だったの?」っていうそれだけを見た人にダーンッて強く印象づけたいですね。◎金守珍監督はどんな人ですか。
山田●ポップコーンみたいな人ですね。体はちっちゃいんだけど、パーンッ、パーンッっていう……(笑)。あと、いい意味で、すごく単純な人なんじゃないかなって思いましたね。ダーッって言うんだけど、こっちが、「違うんですよ、こうじゃないですか」って言うと、「そうだな、ごめん」って言えるような人っていう感じがするっていうか。あのパワーが好きですね。中学から大学までの多感な時期を過ごしたアメリカでの日々。そのときの経験が、彼の魅力のひとつである"力強い眼差し"に輝きを与えているのかもしれない。
◎ここらへんで山田さんの人となりにも触れていただきたいと思います。小学校卒業後、自分の意志で渡米されたそうですが、それはどうしてですか。
山田●小学校5年生の時にハワイに行ったんです。そのときに、すごくいいなって思って。6年生くらいになると、中学行くと勉強難しくなるぞとか落第があるぞとかいろいろ言われるでしょう。それがなんかこう、窮屈に感じたんですよね。落第とか、子供にしてみたらすごく怖いことじゃないですか。僕、絶対落第すると思ったんですよ(笑)。それはやだなって思って(笑)。それで、ハワイには知り合いも多かったんで、ハワイの学校に行くことにしたんです。父親も忙しかったし、その代わりになってくれるようなすごい厳しい人がいたんで、そこに預けられるのが一番いいんじゃないかってことで、高校卒業するくらいまでお世話になりました。◎大学の途中でハワイからカリフォルニアの大学へ転校されてますね。
山田●格好とかきちっとしたものを身に付けなきゃいけないと思ったんです。ハワイではずっと、ゴム草履と短パンとTシャツしか着たことなかった。でも、ゴム草履ばっかり履いてると、みるみるうちに足とか広がってくるんです(笑)。靴とか履いたことなかったんで、これじゃいけないんじゃないかって思い始めて……。ハワイじゃ無理だなって思ったんです。それで大学1年の時にカリフォルニアの大学に転校したんです。本当にね、あのままハワイにいたら、今ごろ典型的なハワイアンみたいになってたと思います(笑)。やっぱり本土のほうがピシッとしたとこはあるし、気候的にもよかったと思いますよ。◎大学では国際関係を学ばれてましたね。
山田●はい。外国人留学生って、ビジネスとかを専攻する人が多いんですよ。でも僕はそういうのに興味なかった。だったら、アメリカ人の教授が、アメリカ人の人たちがどういうふうにアジアを見てるかっていうほうに興味があったんでね、アジアのことを勉強してる学部、学科に入ったんです。おもしろかったですよ。◎俳優になろうと思ったのはなぜですか。
山田●うちの父親もそうだし、家に来る人たちも俳優さんが多かったから、そういう人たちを身近で見てて、漠然といいなあって思ってたんじゃないですかね。だから小さい頃からいろんなことを真似たりしてました。そういうところからずーっときてて、大学2年か3年くらいのときにやろうって決めたんです。NHKの「大地の子」を見て、こういうのいいなって……。なんか気持ちいいじゃないですか。自分が演技して、それをたくさんの人が見てくれる。そういうのを、小さいころからずっとやってみたかったんだと思います。◎アメリカといえばハリウッドですが、ハリウッド俳優になろうとは思わなかったんですか。
山田●なかったですね。でも、もしアメリカに住んでいなかったら、たぶんやりたいと思ったと思いますよ。ただ、実際僕はアメリカに住んでいたじゃないですか。そこにものすごい人種差別があるのを知ってた。日本人としてやるには、まだまだできない環境にあると思います。香港があれだけ頑張っていて、最近韓国も映画に力を入れていますよね。その内容っていうのは、自分の国をテーマにしている。自分の生活に密着したものだとか、自分の国、自分自身を見て映画作りに励んでいるような気がするんですよ。そういう意味で、僕が中国人だったり韓国人だったりしたらやりたいって思ったかもしれない。だけど、今の日本人として向こうでやるには、すごくリスクが大きすぎる。やってもたぶん役はないでしょうね。その前に層が厚くてそこまでもいかないんじゃないですか。中国人や韓国人も、ものすごく多い。向こうの人たちはまだまだ、アジア人だったら日本人でも韓国人でもやれるっていう感覚ですから、特に日本人がやる必要もないんです。◎アメリカでの生活が、今の俳優生活に役立っていることはなんですか。
山田●役立ってることもあるし、役立ってないこともありますね。役立ってることといえば、日本に対して、日本人に対して、もっとしっかりしなきゃなって思えたことかな。もっと見詰め直さなきゃいけないとこがたくさんあるんだっていうのをいつも思って生きてるから、そういうのを感じてくれる人とはすごく合う。そういうのが強くて、なんかまあいいじゃんって見過ごせないタイプですね。アメリカに住んでて、日本っていう国を向こうの人たちと一緒に勉強して、見てたから、アメリカにやられるぞ、やられるぞっていう気持ちが大きいんですよ。だから頑張ろうとか、熱くなりすぎるとこがある。そういうところが、日本で役者としてやっていくにはちょっと邪魔になることがあるのかな。でも、それで助かってるときもあるし、いいぞって言ってくれる人もいますからね。◎今後、どんな俳優になっていきたいと思いますか。
山田●今度の映画を通して、へー、あんなこともやるんだ、できるんだっていう意外性を持った俳優になりたいですね。気持ち悪さだとか冷たさだとか、そういうものって演じようと思って出るものではないと思うんですよ。こびりついたものとかあるじゃないですか。他人には出せないような悲しみだとか寂しさだとかっていうものを、がっと一瞬にして出したいですね。それを見て、「あ、あいつ、なんか変だけどいいな」って思われたい。逆に正統なものがあったりとか、両極端でいたい。僕ね、あんまり普通っていうより、いい子だったらすごくいい子、変だったらすごい変っていう極端なのが好きなんですよ。そういう「いろんなことをやってるね」って言われるような役者になりたいですね。◎最後に、この映画を楽しみにしているファンの方たちへのメッセージをお願いします。
山田●すごい映画になるんじゃないですか。すごい試みだし、みんな気合が入っていると思いますよ。たぶんケンカとかぶつかることも多いでしょうね。そういうのが全部重なり合って、すごい作品になると思います。僕自身、すごく楽しみです。そういうものって、見てる側にも伝わると思うんですよね。それが僕も楽しみだし、皆さんもそれを楽しみにしていてください。 了(本文『夜を賭けて』公式サイトより転載)
※『夜を賭けて』は、サッカーW杯の開催年・2002年の秋に日韓同時上映する。
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