2002年 秋 日韓同時上映
日韓合作映画『夜を賭けて』に賭ける想い

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インタビュー 金 守 珍 監督

金守珍きむ・すじん/1954年、東京都出身。東海大学電子工学部卒業。蜷川スタジオを経て、唐十郎主宰「状況劇場」で役者として活躍。蜷川と唐という「アングラ・小劇場」の代表とも言うべき演出家から直接に指導を受けた。1987年、新宿梁山泊を創立。旗揚げより新宿梁山泊の演出を手掛ける(演出名・金盾進)。テント空間、劇場空間を存分に使うダイナミックな演出力が認められており、1997年にはオーストラリアの国立演劇学校から「特別講師」として招かれ、世界に通用する演出家と評判を呼んだ。2000年は6月に「愛の乞食」「アリババ」のアトリエ公演を行った。演出以外にも広く演劇活動を行い、外部公演への出演、「家族シネマ」(98年)等の映画、NHK大河ドラマ、CM出演等、役者としても広く活躍している。ワンコリアフェスティバルの演出も手掛ける。


僕は表現者として、
 この闇を表現したい。

 ある日、金守珍が耳にしたのは、梁石日と詩人・金時鐘が語る自分たちの青春物語。彼らが漫才形式で話した鉄をかっぱらうその情景は、かつて、開高健の「日本三文オペラ」や、小松左京の「日本アパッチ族」で描かれた勇ましいアパッチ族とは違い、ドジ間抜けあり、笑いありの大武勇伝だった。実は、開高や小松も、梁や金詩鐘からの話を基に、作品を書き上げたのだったが…。

「ふたりとも物書きなのに、なんで自分で書かないんだろうと思ったんですけどね。小説家は、あまりにも実体験がすさまじいと書けないものらしいんです。梁さんは、そういう迷路の中でずっと個人的な逃走を繰り返して、やっとそこから抜け出せたから、この『夜を賭けて』を書けたんじゃないかと思います。そして自分の青春期を書けたから、あの「血と骨」ができた。フィクションとして描くことがやっとできるようになったんだと思いますね」

 この作品を読んで、金守珍は表現者として心を大きく揺さぶられることになった。
「この小説には、在日なら誰もが一度は通ってきたいろんな苦悩が、あらゆる側面から描かれている。それは、教条的に、こうあるべきだ、こう生きてきた一辺倒みたいなきれいごとではなく、この日本で僕らが生きていくために必死に何かに向かっていく姿なんです。夜や闇という見えないものから手探り状態で掘り出していく。未来なんか見えないけど、唯一の希望が祖国統一であり、北に向かうことだったこともちゃんと書いてある。僕自身も青春期、民族教育を受けながらも日本の大学に行って、何をしていくか見えず、闇を探っていた。そこで演劇というものを掘り当てたんですけどね。でも、闇の中で共有できるものって大きいと思うんです。光に当たってるものは誰にでも見えるけれど、闇の中のものは闇の中にいなくては見えない。そこでお互いに触れあい、ひとつになる。でも実際は、本国もふたつに分断され、文学も北朝鮮志向、韓国志向に分かれてしまっている。あるいは、在日として差別を受けてる。でも、この「夜を賭けて」は、差別とかそういうものを忘れさせるような壮大なエネルギーを感じさせる小説であると思います。だから、この小説は大変にいろんな意味で嬉しかったですね。また、これを一番身近にいた梁さんが出したことで、また計り知れない闇を梁さんに感じました。これだけの壮大なドラマは、演劇では意味ないんです。一番有効な表現方法は映画だと。だから、映画監督になりたい、とかそういうんじゃない。僕は表現者として、なんとしてもこの作品を表現したい。 そう思ったんですね」


ロケ地、群山。

一方、韓国でのロケ地がすでに決定された。群山、韓国の西部・全羅道にある都市だ。
「まず韓国を選んだのは、発展していない何かがあって、エネルギーを感じるからです。日本は、何か出来上がってしまっている感じがするんですよね。それにこの映画の時代背景が50年代、60年代ですから。もっとワイルドで雑然とした、工場の煙もバンバン出ていて、公害なんか気にせずに、とにかく豊かさを目標に頑張ってた時代なんです。それは韓国のほうがあるんじゃないかと思うんです。ただ、第一次ロケハンで韓国に行ったら山ばっかりで。山のない平野が希望だったんで、そうすると西海岸沿いなんですよね。だったら、西海岸を全部漁ろうということになったんですが、それでも小高い丘が多い。地平線が見えたのは、群山だけだったんですよ。あと、韓国の都市のなかでも群山だけが取り残されてるんですよね。米軍基地があったり、飛行場はあるくせに特急が止まらなかったり……。 しかし、群山は港町で、空が広い。電柱も少ないし、道が大きくて、砂埃でほこりっぽいんですよ。韓国のなかでもちょっと異質な空気があります。でもまさに僕らの幼少期の風景の匂いと色があるんですね。それで決めました。

植民地時代には、日本人がいっぱい住んでたんですよ。だから、日本の建物もいっぱいある。そういう意味でも、街の雰囲気があう。地平線に向かう一本の道があって、それがまたいいんですよ。日本が作った広い田んぼもあって、土がいいので韓国のなかでも一番米がおいしいところらしいですよ。そういう因縁のある場所でやるっていうのもおもしろいなっていうのもありますね」

その群山に、金守珍は100軒の家と町並、さらに運河まで作ったのだ。その大規模なセットを恊カきている町揩ノするために、そのバラックに1週間前くらいから役者たちを実際に住まわせるということもした。

「生活臭を出して欲しいんです。小道具だって、実際に使うと自然に居座りがよくなるだろうし、着物だってそうです。あとは役者同士、夫婦同士のコミュニケーション自体もありますからね」

役者にキャラクターを染み込ませる。
キャストが決定するとまもなくリハーサルが始まった。金守珍は、このリハーサルを通して俳優たちに何を求めたのだろうか。

「リハーサルで重視したいのは、思いっきり演技するということですね。今の日本は、あまりでしゃばらず、過剰な演技をしない、抑制していくことで表現というのが成り立っちゃってますから。そうじゃなくて、リハーサルではとにかく思いっきりやってもらう。怒鳴ってもいい、くさくてもいいんです。まずはキャラクターを染み込ませて、その上で、現場で削ぎ落としていきたいんです。このキャラクターと役者の個性とのミキシング作業は、すごいエネルギーでシェイクしないと染まらないんです」

キャラクターにこだわるのは、「日本の役者はキャラクターがない」と感じるからだという。
「アメリカの役者は演じるたびに人格が違うけど、日本の役者やスターは何をやっても同じになってしまう。やろうとしてもできてないんです。内面まで変わってないんですね。また日本ではその必要がないんです。自分を出せばいい。それに、台本をその人に合わせて書いてるから無理がないんです。だからおもしろくないし、表面的」舞台で脚本・役者のキャリアを積み上げてきた金守珍にしてみれば、小手先の演技が我慢できないのだろう。

「ですから、そこらへんを大きなエネルギーでもって役者と役をぶつかり合わせて、残ったものを頂こうと思っています。リハーサルをしたいっていうのは、そういうことですね。下手なものをうまくするためのものじゃない。不器用な役者は、そういう作業に時間がかかるんですよ。他者を演じるということは異物ですから。他人の言葉を食べて消化するには、いろんな方法がある。すぐにできる人もいるんですけど、1ヵ月2ヵ月かかる人もいる。どちらがいいかとは言えないんですが、不器用な役者ほど深みのあるいい役をしたりするんですよ。それを期待してますけどね。うち(新宿梁山泊)の役者も不器用で、すぐ現場に行ってできませんけど、誰にも負けないおもしろい演技ができる。それは自信を持って言えます。つまり、有名な俳優であれば、今までにない部分を引き出したいし、無名であれば、こんな役者がいたんだと思わせたい。スタッフにもその稽古を見せながら、音を作っていく。このリハーサルは、現場に行く前の大変贅沢なシミュレーションだと思って下さい。そういうのがやな人はいらないんです。だから、オーディションで”監督のわがままに付き合える人”を募集したんですから(笑)」


この映画を通して、
 何かを得て欲しい。

 『夜を賭けて』の製作は、日韓合作の利点を最大限に利用しながら進んでいる。そこで生まれた作品で、われわれ観客にどんなことをアピールしようとしているのだろう。

「日韓の問題で、いろんな知らないことを、この映画を通して知ってもらいたいと思っています。それは、アジアでのこれからの真のパートナーとして大変重要なことですから、お互いの知らない部分を怺wぶ揩ニいうより、こういう文化を通して理解しあうということに、この映画が重要な位置を占めると思いますね。これからアジアのいろんな文化・芸術が発展するためには、日韓において交流が盛んになって、お互いの閉塞状況、日本と韓国の中で遮断されている何かに、穴を開けて風通しをよくしないと。そうするといままで知らないこともわかるわけですよね。ただ、知ったから理解できるという問題ではないので、だからそこを慎重に、誤解のないようにしていきたいですね。過去は過去。でも過去をしっかり踏まえた上で我々がどこに向かって一緒にやっていけるかという希望ですね。象徴的になっちゃうけど、この映画のプロジェクトの内容もやり方も、何か得るものが必ず出てくると思います。だからそのへんを期待してて欲しいですね。それは作り終えてみないとわからないし、ひとりよがりかもしれないんですけど」

在日として生きてきたからこそ、できることがある。そんな思いを金守珍は強くもっている。

「顔が似ていて親近感持つくせに、食べ物や文化も違う。近いからよけい期待しているだけに、裏切られたと思って異物としてみちゃうんですね。これまでの歴史も踏まえて、僕らははっきり違う、そしてその何が違うかを理解していく。自分に取り入れて、おもしろがる。染まっていく必要はないんですよ。両方持ってるってことで、その中間に在日がいるんです。この作品は、我々在日が主体となった映画ですし、日韓がもっと強力なパートナーシップを持てるようなひとつの契機になると思いますよ。

日本でも韓国でもできないことをできるわけですから。そういう意味でも、在日からメッセージがふんだんに組み込まれているんです。それは1個じゃないので、どういうかたちで受け取るかは、できあがってから観客が判断してくれると思うんだけど。

これは喜劇ですけど、悲劇でもあり、社会的なものでもあり、エンターテイメントでもあって、すごく深いメッセージがあるんです。それをどうとってもいいし、どう誤読してもいい。間違えてとってもいいんですよ。自分なりに引き寄せて、実生活でもアイデンティティの問題でも、それぞれの問題に前向きに関わるメッセージを受け取って欲しいと思います。僕は原作から大変豊かなメッセージを受けていますから、それが僕というものを介してどう出るか。丸山さんとのコラボレーションでも、僕らも気づかないいろんなものが出てきましたんで。脚本にした時にセリフでも世界でも新しいものが出てくる。そういうのを大変おもしろくやってます。これを観客の皆さんに通して帰ってきた時、何になるかなって楽しみにしているんですよ。必ずや皆さんの期待に添える素晴らしい作品になることは確信してます。期待していてください。」 

(本文『夜を賭けて』公式サイトより転載)

※『夜を賭けて』は、サッカーW杯の開催年・2002年の秋に日韓同時上映する。

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