メッセージ

ワンコリアフェスティバル2000

1・金 真須美
2・吉田 康彦
3・丁讃宇
4・俵 万智


金 真須美 
東京の桜会でシェイクスピア演劇を学ぶ。
藤本義一氏選で第4回香大賞エッセイ部門審査特別賞受賞。
小説「贋ダイヤを弔う」で第12回大阪女性文芸賞受賞。
小説「メソッド」で河出書房主催第32回文藝新人賞優秀作受賞。

【何としても会いましょう】

 その日室に居合わせた大人達は、テープレコーダーからの声に身じろぎもせず聞き入っていた。天井を見上げて涙を堪える父。懐かしそうに耳を澄ます母。無言で俯いている叔父・・・。一同が聞いているのは、60年代に船で北朝鮮に渡った父の姉の声である。
 どういう経緯だったか忘れたが、北朝鮮に渡った知人が秘密裏に収録してきてくれたものだった。国際電話もままならなかった時代のことだ。わが家は韓国籍だが、伯母は朝鮮籍の伴侶を得ていた。地上の楽園を夢見ての帰国だったが、「カレーが食べたい」「薬を送ってくれ」そんな内容の手紙が届いていたのを思い出す。
 小学生だった私は、日本名で育ち、自分の出身を知らなかった。だが、時折、何ともいえない異匂のするエアーメイルが父宛てに届く。黒塗りの手文庫に納められた手紙をそっととりだすと、「ヒロシ君、会いたいです。会いたいです。なんとしても、生きている間にあいませう」そんな古めかしい日本語が、粗末な藁半紙に重ねてある。そこだけ時空が止まったかのような言葉の羅列。ところどころ涙に滲んだ文字が、叔母のものだと知ったのは、いつの頃だったか。
 手紙は、私にもう一つの国の存在を教えてくれた。年月が経ち、やがて日本語の手紙には、ハングル文字が多くなっていった。叔母の無心も、いつしかあきらめに変わっていく。後年届いた写真には、土餅頭の墓を背に、すっかりアジュマになった伯母の姿があった。
 在日コリアンの多くが、同じような思いを共有している。人々は、汚泥に屹立する葦のごとき強さを胸に秘め、それらの葛藤と戦ってきた。だが、長いまどろみから、揺さぶりをかけられた赤子のように、まもなく何かが生誕の声をあげ始めることだろう。イムジン河の両岸から、地響きのような歓声もあがることだろう。白日夢が現実になるには、今少し時間と、未だ多くの思いが必要なのだろう。数十年前に叔母が重ねた言葉。なんとしても会いませう、思いが。


吉田 康彦 
埼玉大学教授 「北朝鮮人道支援の会」代表

【南北平和統一と民族共生を願って】

 21世紀の幕開け目前に、ワンコリアフェスティバルを開催される運びとなったことを心からお慶び申し上げます。
 南北平和統一と民族共生のための精力的な活動に心から敬意を表します。


丁讃宇(ジョン・チャヌ)
パリ国立音楽院を主席で卒業、韓国国立交響楽団主席コンサートマスター、東京交響楽団第一コンサートマスター、韓国KBS交響楽団主席コンサートマスター、延世大学教授を経て現在に至る。(韓国音楽評論家協会により、評論家賞を受賞)

 【在日二世の僕には離散家族の悲哀がよくわかる】

 今年、ユニティコンサートを行った動機も、一日も早く韓半島が統一されてほしい、という願いからだ。指揮者で友人の金洪才君は朝鮮籍で、僕は韓国籍。統一への思いを込めて、その昔、「ハンギョレコンサート」と銘打って大阪で企画されたのだが、直前に中止となった。あれから、15年。今年の6月、念願のコンサートを成功裡に終えた。演奏後の盛大な拍手は、僕達の音楽へと同時に、人々への統一への思いを語るかのように熱かった。このコンサートで半世紀以上に及ぶ民族の悲劇を終え、非人道的な分断に早くピリオドを打ってほしいと切望している。そのためにも、今後もあらゆる地で、ユニティコンサートを展開していきたい。僕のバイオリンの音色が、玄海灘を越えて、人々の琴線に触れる日も間近いのだと確信している。


俵 万智
1962年大阪生まれ。1985年、早稲田大学第一文学部卒業。1986年、作品「八月の朝」50首で第32回角川短歌賞を受賞。1987年、歌集「サラダ記念日」(河出出版社)刊行。同書で第32回現代歌人協会賞受賞。著書「ひまわりの日々」「チョコレート革命」「あなたと恋の歌百首」ほか多数。

【視野が広がりました】

 ワンコリアフェスティバルの座談会に出席して、視野が広がりました。
 南北の対話は、今や世界が注目するところです。
 これからも、このフェスティバルをきっかけに、関心を高める人が増えることを期待しています。

 


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