演劇界の風雲児、金守珍氏。
在日コリアンの格闘家、前田日明氏。
熱き血をたぎらせて、それぞれの分野で先頭を走ってきた二人の、初顔合わせが実現。時に司会の朴慶南さんが口を挟むすきのないほど、激しい対談となった。だが、その底に流れるのは、民族に対する同じ思いだ。在日としての生き方、南北問題、そして喧嘩道。熱い男たちの三時間のバトルは、実に多くの問題提起を含む、豊かなものであった。
◆ 強さをアイデンティティに
金●●前田さんは、梁石日さんの『血と骨』を読んで感激されたとか。
前田●あれを読んでいると、自分と重なるんです。登場人物が、自分の親戚一人一人とだぶっていく。
朴●●確か梁さんとは、不思議な縁があるんですよね。『血と骨』の中で、梁石日さんを思わせる人が生まれた時、お父さんが儒学者を探し出して名前を付けてもらうという下りがあるけど、その儒学者のモデルが前田さんのお祖父ではないか、と。
前田●当時、母方の祖父が大阪にいて、易学や漢方医をやっていた。在日社会の間で儒学者として支持してくれる人が多かったようで、子供の名付け親にもずいぶんなっているんです。だからひょっとしたら、梁さんの名付け親である可能性がある。
金●●僕が今こだわっているのが、梁さんの世界、猪飼野なんです。僕は東京生まれ東京育ちですが、梁さんたちの生きざまを映画化したくて、今、準備しています。梁さんたちの世界、つまり在日コリアンの精神的な世界を、なんとか形にしたい。僕は2世ですが、1世たちはなぜ日本に来たか。それぞれ何かがあって、故郷を離れて日本に来て、僕らを育ててきたわけです。誰もが、何かを背負ってきた。でも誰もそこを、きちんと描いていない。たとえば『ゴッド・ファーザー』は、シシリー島の人たちがニューヨークに来て、闇の世界で揉まれながらも家族の絆を深めていく。そのなかで自分たちは、次の世代に何を伝えていくか。そういったイタリア移民の世界を、しっかりと描いている。ところが在日コリアンの場合、タブーと思われてきたのか、避けて通ってきた。崔洋一監督がやっと『月はどっちに出ている』で少し手を染めたぐらいです。それ以前は、『キューポラのある街』や『伽揶子のために』など、むしろ日本人監督が在日を描いてきた。でもその表現を見て、いつも「違う、違う」と思い続けてきたんです。
前田●在日コリアンには二通りあると思うんです。古い儒教的な教えを守って真面目に生きようとしている人、一方で、血の熱さに従って、白であれ黒であれ、跳ね返ってワーッと生きてしまう人たちがいる。梁さんが『血と骨』で描いたのは、後者のほうでしょう。
金●●前田さんもそうだろうけど、僕ら、強くなければこの国で生きていけないと教育され、自分もそう思って生きてきた。僕は高校まで朝鮮学校ですから、喧嘩も乱闘もさんざんしましたよ。一度小学校の時、十人くらいの日本人に襲われたことがあるんです。僕らは日本の祭日も休みではないから、天皇誕生日もランドセルを背負って学校に行く。そこを狙われた。僕らが中学一年の時、高校の先輩たちが国士館と帝京に徹底的にやられましてね。これは仕返しをしなければということで、パッとみんな集まった。普段はコリアンは、群れることが嫌いなのに。
前田●そういう熱い時は、パッと集まるんですよね。大阪でも電車で建国とどこかの学生がやりあったら、十三の駅に着く頃にはもう建国の連中に動員がかかっている。
金●●僕らが高校の頃、山手線が10分遅れたとか、よく新聞の三面記事を賑わせましたよ。
朴●●えっ? 電車、止めたんですか?
金●●駅で国士館の連中と乱闘をして、電車が止まる。僕ら、新聞に出るのを勲章だと思ってたから(笑)。相手は大人ですよ。大学生がガクラン着て、高校生に混じっている。体なんて、それこそ前田さんくらいあった。でも僕ら、怖いものなかったですね。
朴●●熱い時代ですね。喧嘩に明け暮れて……。
前田●僕もそういう思い出は、いっぱいありますよ。
金●●喧嘩で負けるほど、悔しいものはないですからね。朝鮮学校どうしの喧嘩もすごかった。千葉対池袋の大決闘(笑)。たまたま僕は極真会で空手をやっていたけど、相手はそんなこと知らないから、平気で喧嘩をしかけてくる。それで学校で大決闘をやったことがあって、僕は小指を噛み千切られ、相手は一月間、顔が潰れていた。それを見て極真会に入った人間が何人がいましたけど、続かなかったですね。当時はものすごく厳しかったから。
前田●大山道場の時代は、在日の青年をどう強く育てようかということを意識していたみたいですからね。
金●●僕らはある意味で、強さをアイデンティティにしていましたから。たとえば僕らにとって、力道山は心の支えだった。在日に違いない。半分は疑いながらも、そう信じていた。僕ら小学校時代から高校まで、「強い人」はみんなコリアンにしてきたんですよ。今でも朝鮮学校に行ってる子供はそうですよ。
前田●親父たちの世代の言うこと聞いていると、ゴジラもウルトラマンも、全部コリアンということになる(笑)。
朴●●アハハハ。そう、そう。
金●●僕の甥っ子たちも、前田日明も長州力も、もしかしたらコリアンかもしれないと思っていた。そうあってほしいという願望があるんです。在日はよくスポーツ選手や芸能人のことを、「あの人もコリアンらしい」などと言いますよね。やはり何かを渇望してるんですよ。自分たちの中から、時代のヒーローが出てほしいという……。在日が強さや力を求めるのは、僕らの親たちがいろいろな苦汁を嘗めるなかで、知らず知らず子供をそう教育したのだと思います。梁さんのお父さんも、ヤクザではないが、一匹狼として、自分の精神が作った圧倒的な肉体を持て余しつつ生きていた。何ものにも染まらず、しかし時代のなかで激しく翻弄され、答えはないが頑固一徹、何かに向かって突っ走って生きていた。いつもそのストレスが、家族にぶつけられる。そのなかで、梁さんは小説を書く火種を持ったわけです。在日コリアンで、家庭に何も問題がなくハッピーな人って、まずいないでしょう。
朴●●私の父も梁さんのお父さんに似ているんですが、確か前田さんのお父さんも、すごかったんですよね。
前田●父親の一族を全部集めると、たぶん前科100犯くらいになりますよ。懲役で言うと、100年を越える(笑)。親父は男三人兄弟でしたが、グレにグレて、跳ね返って、どうしようもなかったんです。
金●●前田さんは僕より少し下ですけど、世代としてはほぼ同じでしょう。でもその時代でも、まだ梁さんのような世界が大阪であったというのは驚きです。梁さんには『血と骨』の前に『夜を賭けて』という作品があって、あれは梁さんの青春の物語です。大阪造兵廠跡地で鉄をかっぱらった、いわゆるアパッチ部落が舞台で……。
前田●あそこで自分の父方の祖母が働いていたんです。
朴●●そうなんですか。実は私の母の実家も、アパッチ部落にあったんですよ。
前田●親父の話によると、その後も鉄屑関係の仕事をしていて、広島に鉄を拾いに行った時に放射能で汚染されている鉄をずっと触ってるうちに、白血病になったそうです。
金●●在日には凄まじい生きざまをもった人が、いっぱいいる。これを表現したい。映画にしたいと思っているんです。
前田●でもそういう話は、何も在日コリアンに限らず、世界中にいっぱいある。アメリカの中西部にいくと、いまだにひどい差別ですよ。自分の友人の日本人で、14歳で父親を亡くして、アメリカにいる叔父さんに引き取られた男がいる。彼がある時、通りがかりにいきなりピストルで撃たれて病院に連れていかれたところ、まず白人から手当てをして、彼は放っとかれた。
朴●●黄色人種に対する差別なんですね。
前田●彼はもう少しで死ぬところだったんですよ。そういうことは、世界中にありますよ。
金●●僕は差別そのものは、人間の本質に根差していることだから、決してなくならないと思います。そのなかで差別される側になった時、コンプレックスをばねに何ができるか。試されるんだと思います。
朴●●本当はコンプレックスをもつ必要はないんだけど、社会的状況で否応なくもたされるわけで、それをどう変えていくかが問われますよね。
前田●自分が大人になって、母の長兄が亡くなった時、亡くなった祖父が生前話していたこととして、年寄り連中が集まってこんなことを言ったんです。自分らは差別されてきたけど、もし立場が反対だったら、自分たちも日本人を差別しただろう。もしかしたらもっと激しく差別したかもしれない。何が大切かというと、おまえたちがこの国でどれくらい役立つ人間になるか、それにかかっているんだ。おまえたちは誰に対して役に立っているか。家族なんてあたりまえだ。友人に対してはどうか。おまえたちのいう仲間。人のつながりに対してはどうだ。役に立たない人間であったら、いつまでたっても差別される。
朴●●だからお祖父様が、日本で輝く太陽のような存在になれということで、日明と名付けたとか。
前田●そうなんです。差別されるのが嫌だったら、人の役に立つ人間になれって。
朴●●存在で認めさせてしまえ、ということですよね。
◆ 両親や祖父母から受け継いだもの
前田●自分はずっと日本の学校に行っていたこともあって、若い頃は自分の血について、あまり考えていなかった。初めて血をすごく意識したのは、31歳の時です。UWFを解散した時、なぜみんなとこんなに根本的に考え方が違うんだろうと考えて、これは血の問題かもしれないと思ったんです。
朴●●具体的にどう違ったんですか?
前田●具体的にと言われてもうまく言葉にできないんですけど、たとえば人に対するかかわり方の感覚が違う。自分は、一緒に頑張っている仲間は、自分の家族というか身内のようなもので、同じように考えていると思ってしまう。ところが全然、違うわけです。
朴●●みんなもっと個人主義的なんですね。ところが前田さんは、ある意味で儒教的な感覚で生きている。
前田●僕だって、きちんと言葉で教わってきたんじゃないんですよ。ただ小さい頃から、年寄り連中、大人連中が話していることをなんとはなしに聞いているうちに、自然とそうなった。そういうこともあって引退を機に、在日コリアンであることを公にしたんです。自分は新井将敬さんが最後の諮問委員会に出た時、たまたま見ていましてね。彼は初めて選挙に出馬した時、対立候補に元北朝鮮人というシールを貼られた。その時は落選したけど、日本人や在日コリアンのいろいろな人が、また頑張ろうと応援してくれた。そういう人たちを裏切るようなことを、なぜ自分がすると思えるんですかと彼は言った。あれを見て、胸が潰れましたよ。そうこうしているうちに、あんなことが起きてしまった。すごくやりきれない気持ちです。その後の新井さんに対する報道を見て、やっぱり日本人は在日のことをわかってないなと思いました。彼のことを、日本人になろうとしたとか、日本人らしい日本人を演じていたなどと言う。僕はそうじゃないと思います。自分たちは、日本に渡ってきた祖父たちの感覚を引きずっています。それは、李朝朝鮮的な儒教精神です。それに従って行動すると、古い時代の日本の道徳や正義感と一致するから、良き日本人を演じようとしたなどと言われてしまう。
金●●今日は鄭甲寿氏の提案でこうやって集まったわけですけど、僕らがワンコリアフェスティバルにかかわっているのは、帰化しているいないにかかわらず、また北だ南とか関係なしに、問題意識をもって一年に一回出会おうよ、ということなんです。そこには、日本人も入ってこなくてはいけない。僕らは"在日"ですから。それと芸能界にも帰化した在日は多いですが、一年に一度くらいは別の名前を使ったらどうか。そういう出会いをどんどんしていきたいということで、15年続けている。僕も最初の頃からかかわっていますが、今回はテーマを作って、テントでやろうと。我々はどこから来て、どこへ行くのか。どこから来たということをしっかり持っていたら、どこかに行けると思うんです。
前田●在日の人達がやっているイベントはたくさんあるけど、自分は疑問がいっぱいあるんです。今、たとえば中朝国境で何が起きているか。日本や日本人に何か言う前に、自分らはやるべきことがあるのではないか。僕の身内にも、北朝鮮に帰国した人がいます。今、行方不明です。たぶんもう、死んでいるでしょう。それから自分は韓国に行った時、言われのない中傷を受けたり、蔑んだ態度をとられたことがある。そういう問題に対して、なぜ黙っているのか。在日はある意味で、北にも南にも食い物にされてきた。
金●●その通りです。
前田●それに対して、なぜ何も言わないのか。ふざけんな。それで何が祖国だ、何が統一だ。自分の身内も守れんような奴が、何を言ってるんだッ!
金●●同感です。
前田●在日ということを利用して、人や金を集めて、何をやってるんだ。そういうことだったら、自分はこれっぽっちも手を貸したくない。
朴●●在日はもっと北にも南にも、発言していくべきですよね。私の親戚も北に行ってるので、うちの父は何も言わずに送金していますけど、きっと思いは複雑なんだろうなと思います。
前田●かつて帰国が盛んだった時、北朝鮮はしきりと在日に帰国を促した。北は地上の楽園だと。その言葉を信じて、自分の親戚たちも帰国したんです。
朴●●行方不明になった人も、かなり多いみたいですからね。
前田●そういうこと、なぜもっと問題にしないの?
金●●いや、そんなことはない。今、それを僕らは問題にしようとしている。
前田●ぜんぜん聞こえてこないですよ。
金●●僕らがやらなくてはいけないんですよ。北にも韓国にも頼らずに。民族教育もそうです。もう南にも北にも頼るのをやめようよ。自分たちで学校を作ろうよ。今、そういう動きが始まっています。
◆ 在日からの発信
前田●僕は韓国の現代グループの会長を尊敬してるんです。彼、牛をトラックに乗せて、陸路、北に行きましたよね。もちろん、パフォーマンスだという批判はありますよ。でもたとえそういう面があったとしても、同胞の飢餓を救いたいという思いは真実だと、自分は信じています。ところが我々は在日は、何をやってるか。自分には見えてこない。
朴●●みな、それぞれの持ち場で、いろいろな形で支援はしていますよ。
前田●金さんの芝居を批判するわけじゃないですが、もっと現代に目を向けてほしい。今回の『東京アパッチ族』のなかで、関東大震災の時に虐殺されたどうのという話が出てきますが、それより今この瞬間に、何が起きているか。中朝国境の凍った河の上を、年端もいかない子供が、銃の弾を避けながら渡ってくる。それで中国側の朝鮮族に、なんとか助けてくれと懇願する。でも中国の朝鮮族も、次から次と北朝鮮から逃げてくるから、もうこれ以上助けられない。四歳か五歳の子供が地面に頭をこすりつけて、「このまま帰ったら、家族全員が殺される。来たからには帰れないんです」と言っても、受け入れる余裕がない。どちらも胸が潰れるじゃないですか。逃げたほうも、涙ながらに追い返すほうも。
朴●●悲惨な状況ですよね。
金●●僕も前田さんと同じ思いで、昨年、中国の延辺朝鮮人自治区に、『人魚伝説』という芝居をもっていこうとしたんです。僕は今、中朝国境の延辺に逃れてくる人たちと話がしたい。それで企画したんですが、延辺で水害が起こり、北京公演のみで終わってしまった。この公演のために800万円作ったけど、当初の目的の延辺公演はパーですよ。
前田●自分も素性を公にしたことで、いろいろありましたよ。UWFの分裂騒動の時も、日本人ではないということで、いろいろあった。そういうことは覚悟していましたから、どうだっていいんです。自分の問題を、自分で頑張ればいいだけだから。ただ在日コリアンに対して言いたいのは、祖国の問題に対して何をやっているのか、見えてこない。聞こえてこない。だから日本人から、「何もやってないくせに民族面するなよ」と言われたら、何も言い返せない。恥ずかしいです。
金●●誰も何も言わない、動かないというのは、前田さん、ちょっと違いますよ。前田さんは今まで、そういう人と出会ってこなかったかもしれないが、僕らはもう走り始めている。もう既存の組織や団体だけを頼りにはできない。自分たちが主体的に動かなくては、どうにもならない。みんな、真剣にそう思ってますよ。それは前田さんも興味をもって、もっと見てほしい。ただ僕も自分なりにできることはやってるつもりだけど、ある虚しさはある。自分の声が、どこまで届くのか。一人の力なんて、たかが知れてますから。じゃあ、たとえばワンコリアフェスティバルという場がどうなるか。組織になっては硬直するし、前田さんとか僕とか、いろいろな人間の声が反映されるワンコリアであってほしい。お祭り的な平和さもいいけど、現実に血を流している人もいるんだから。コソボの問題だって、次は北朝鮮ですよ。日本はそういうシナリオで動いてます。そうしたら、否応なく自分たちの問題になる。
朴●●その通り、私たち一人一人の問題だと思います。今、日本の状況は危ない方向に向かっていますから。
金●●北へ帰ったのは、僕の幼馴染みたちです。一番、帰国事業の盛んな時期でしたから。僕ら、修学旅行が新潟ですよ。帰国する友を見送るために、新潟に3回、万歳をしに行った。級友の半分は北に行き、そのうち3分の2は音信不通です。みんな小学校から一緒の連中で、特にワルが全部送られた。僕は彼らに会いたくて、延辺に行くわけです。僕がなぜ、芝居をやるのか。「俺は芝居をやって生きているけど、おまえらはどうしているのか」、北の友と交信したいからです。僕らも信じた時代があったんです。北はかっこえぇなって。アメリカに物申して、突っ張って。教育のせいもあるけど、韓国より筋が通ってる時期は確かにあった。でも行った連中のほとんどは、在日どうしでしか結婚もできないんですよ。
前田●そうなんですか?
金●●俺たちって、何?って思いますよ。それで韓国に行ったら、パンチョッパリと馬鹿にされる。言葉もできないから、半日本人だって。チョッパリというのは、豚のひずめのことです。こんな悔しいこと、ないですよ。僕は韓国に芝居をもっていく時、日本語でやります。僕らは喜怒哀楽は、日本語でしか表せない。そのどこが悪い。それをどうのこうの、言われる筋合いはない。でも闘ってもしようがないから、僕は文化で対等になろうと思っている。僕は日本とも韓国とも北とも、すべて対等でいきたい。それが、親に対する一つの答えです。あなたたちの生き方を受けついで、どう生きていくか。それを、形にしていきたい。今まで在日は議論ばっかりで、目に見える形で何も残していかなかった。でも今の僕らは、目に見える形で提出していかないと。僕らは政治的にどうこうできる立場にないけど、表現として、世界に発信していきたい。前田さんの怒りは僕の怒りでもあるし、良識ある在日はみんな同じ怒りをもっていますよ。
朴●●そうですよね。みんな、怒りをもっていますよ。
金●●その怒りを、どう表現できるか。正直言って、わからない。でも我々が出会うことで、思いが接点となって、何か力を生むことができるのではないか。鄭甲寿氏は、そういう出会いの場を作ってくれる。そこを評価しています。
前田●自分たちも、何かできると思いませんか? そう声をかけてまとまらない連中は、ほっとけばいいんですよ。もし自分らが今、何もしなかったら、何もできなかったら、歴史に残りますよ。在日コリアンの愚かさとしてB自分も年をとって、きっと後悔すると思います。自分が在日コリアンだと明かしたことを。こんな発言をして、じゃあ、お前に何ができるんだと言われたら、確かに今の自分には胸を張れるものはない。でも黙っている奴、かかわらない奴よりはマシだと思っています。自分はこういう発言をすることで、傷つくかもしれないけど、傷ついても何かをしたいという思いはあるんです。この対談も、ワンコリアフェスティバルのパンフレットに載るわけでしょう。劇団をやっている金さんと、在日コリアンの格闘家の前田が、こういう話をした。それを、多くの在日が読んでくれることに意味がある。僕はこの場で、言葉を濁す気はありません。言葉を濁すくらいだったら、この対談もやる気ありません。それでは申し訳ない。自分に名前をつけてくれたお祖父さんに、申し訳ない。
◆ 今、自分たちがなすべきこと
前田●自分はよく思うんですが、コリアンは自浄作用が足りないのではないか。差別撤廃とか、いろいろな運動をやっている在日コリアンの人がいますけど、正直言って似非団体もある。自分も出自を公にしたことで、いろいろな人たちがワッと飛びついてきました。信用できる人だと思って行ってみたら、「えっ?」と思うようなことも、何度もありましたよ。そういう経験が重なると、いったい誰を信じていいかわからなくなる。芸能人にしてもスポーツ選手にしても、なかなか自分がコリアンであることを明かせないのは、日本の問題だけではない。理由の一端は、在日コリアンにもあるんです。実際に公表した人は、いろいろ利用されたり、被害にあったりしてますから。それでみんな、疑心暗鬼になってしまう。だから芸能人に「なんで隠すの」と言うのは、かわいそうなんです。ただ自分はもう、悪い奴だろうが、善い奴だろうが、どうでもいい。どんなに悪どい人間でも、人道的な面では協力しあえると思うからです。自分の友達が北に行ってるでしょう。親戚や兄弟が行ってるでしょう。親が行ってるでしょう。親が酷い目にあってるかもしれないですよ。子供たちが飢えて死んでいくんですよ。それを見て見ぬふりするんですか?どうするんですか?その一点においては、まとまるでしょう。その良心さえなかったら、在日コリアンだなんて名乗るのは恥ずかしい。それとこれは、日本人の問題でもある。この飽食の国で、米なんて、古米、古古米と、何十万トンと残っている。それを、なぜ北朝鮮にもっていかないのか。援助を政治のカードにしてしまい、人道面が抜けている。
金●●日本政府は、送った米は人民軍にいってしまい下に渡らないなどと理由をつけて、送らない。国交がないとか、補償はどうするとか。国レベルでは二の足を踏んでいるけど、個人レベルで送ってる人は、一生懸命送ってますよ。在日コリアンも。
朴●●今、いろいろな人が、いろいろな形で、人道的支援をしていますから。
金●●この春、映画監督の山田洋次さんと韓国で「韓日文化交流シンポジウム」に参加して、僕は「在日」という立場で発言したんですが、「日本から北に行った10万人のことを、あなたたちは知ってるのか?」と問い掛けたら、知らないんです。韓国人も知らない。これを言っていくのは、僕ら在日しかいないんです。それより何より、韓国人は「在日」を知らない。彼らは、もう日本人になってしまった人たちだから自分たちには関係ないと思っている。1965年の日韓条約で、韓国は僕らを捨てたんです。3世問題、つまり僕らの子供たちは日本人に帰化するんだから、法律なんかいいじゃないかといって捨てられた。それに対して北は、君たちの国はこっちだよと言った。でも故郷は90%、韓国ですよ。慶尚道、済州島……。北出身の人間なんて、ほとんどいない。なのになぜ、北朝鮮をみんな支持して帰国したか。その時の北の闘い方、アメリカに物申し、ソ連とも中国とも対等にやりあった、その一時期を信じたわけです。今でも僕は、あの時期を信じています。その時の金日成は、偉かったと思う。そのあと、なぜああいうことになったのか。わからないけど、あの一時期に希望をもった友たちは、間違っていなかったと思う。今もそう思っています。ただ、その後にどれだけ悲惨な目にあっているか。それは僕たち、目をつぶるわけにはいかないし、今、闘わなくてはいけないし、救わなくてはいけない。そのためには、自分たち在日が何を考えているのか。韓国政府にも、北朝鮮にも、日本政府にも、はっきり示していかなくてはいけない。もちろん、まだ実っていませんよ。そのもどかしさはある。でも、これが大きくなっていった時、確かに力になるはずです。ワンコリアフェスティバルに対してだって、僕は批判もしていますよ。批判はしているが、今、僕らにとって必要なのは、鄭甲寿みたいな人間なんです。前田さんの怒りのメッセージも、僕の思いも、形にならなくては意味がない。個人でものを言っても、限界がありますから。そういう時、鄭甲寿みたいな人間がいて、僕らを出会わせてくれる。
前田●自分たちは、在日がもっているいい意味での正義感――誰にへつらうこともな
く、悪いものは悪い、いいものはいいとハッキリ言いきれる「強さ」をもって、今、発言すべきでしょう。李朝朝鮮から受け継いだ精神性と、日本がつちかってきた近代的な合理主義と、在日コリアンはその両方を身につけている。その頭で考えて、やりましょうよ。もう、時間がないんですから。
金●●まさにその通りだと思います。
朴●●今日もここに新しい出会いがありましたが、まず、ひとつひとつの出会いがあって、その出会いをつなげることで、新しい力が生まれてくる。それぞれが自分の場でできることをやりながら、出会いを育てることで、大きな波を起こせるんじゃないでしょうか。
(1999、司会:朴慶南、構成:しのとう由里)
プロフィール
前田日明(まえだ・あきら)
小学校より少林寺拳法、高校在学中から空手を学ぶ。77年、新日本プロレス入団。82年、イギリスに単独遠征。翌年、ヨーロッパ・ヘビー級王座を奪取。84年、新団体UWFに移籍。エンターテインメントを廃した独特のスタイルのファイトを展開。その妥協を許さないスタイルや異種格闘技戦での実績から「格闘王」と称号を得る。88年、新たにUWFを旗揚げ。さらなる理想を求めて、91年、リングスを設立。99年、人類最強の男アレキサンダー・カレン戦の後、現役を引退。現在は国内外の選手の発掘、アマチュア組織の整備など、プロデューサー的な立場として新たな挑戦を続けている。
金守珍(きむ・すじん)
演出家・俳優。蜷川スタジオで俳優として基礎を学んだ後、78年より唐十郎率いる状況劇場に参加。87年、新宿梁山泊を旗揚げし、野性的なエネルギー溢れるテント空間での芝居、熱いノスタルジーを呼び起こす叙情的な舞台で多くのファンを獲得した。89年には『千年の孤独』の韓国公演を行い、以後、ドイツ、中国、フランス、カナダ、台湾、ニューヨークなど、海外公演を重ねている。93年『少女都市からの呼び声』で文化庁芸術祭賞を受賞。98年、オーストラリアのナイタ国立演劇学校で『少女都市からの呼び声』を演出。
朴慶南(ぱく・きょんなむ)
在日コリアン2世のエッセイスト。フリーの構成作家としてラジオ・テレビ番組に関わった後、執筆活動に。92年、『ポッカリ月が出ましたら』(三五館)で、在日コリアンの優れた社会・文化活動に授与される青丘文化賞を受賞。現在は新聞や雑誌への執筆や講演などでも活躍中。常に発想の原点に「人間としての尊厳」を据えて発言を続ける。著書に『クミヨ!(夢よ)』(未来社)、『いつか会える』(毎日新聞社)、『命さえ忘れなきゃ』(岩波書店)などがある。
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