共鳴する空間の中のワンコリア


姜尚中(かん・さんじゅん)
1950年熊本生まれ。ニュルンベルク大学留学。
1987年より国際基督教大学準教授(政治学専攻)を経て、現在、東京大学教授。政治学、政治思想史。
『二つの戦後と日本』、『アジアを問う』。

主な論文に『昭和の終焉と戦後日本の心象心理』("思想"岩波書店)
『戦後バラタイムのゆらぎとジャーナリズム』
『戦後バラタイムはよみがえるか』 『歴史との戦いは終わったか』
『アジアとの断絶、歴史との断絶』(以上"世界")などがある。
ABC『朝まで生テレビ』出演中。

 

 今、明治大学名誉教授の中村雄二郎さんと二人でEメールを交換しあって、それを本にしようとしているんです(七月末既刊『哲学アゴラ・文化』岩波書店)。いくつかの話題があったのですが、最近ではクレオールのこと。僕はあまり詳しくはないのだけど、前にNHKでもクレオールを紹介していた友人の紹介で、カリブ海のアンティル諸島というところで生まれ育った文学者を知った。そこはフランスの植民地だったから、その人はフランス語とクレオール語で文学を書いているんです。

 僕、クレオールなんて、また日本が始めた新しもの好きの流行だと思って、ちょっと敬遠していたのです。でもいろいろ話をしているうちに、非常に面白い面が見えて。それはどういうことかというと、カリブ海は、ハンニバル−人食い−という言葉もカリブから来ているように、ヨーロッパから見れば非常に「野蛮な」世界です。で、フランス領アンティル諸島には、フランス人が17世紀頃やってきて、現地の人を全部殺してしまった。めちゃめちゃに殺して、生き残った人間はいないと言われていたくらいだけど、今度はアフリカから奴隷を連れてきた。アフリカから連れてきたものの、広大なアフリカだから、アフリカ人同士といっても言語が通じない。それで結局、彼ら同士コミュニケーションをとるためにはフランス語を使わなくちゃならない。それも正規のフランス語じゃなくて、我々の在日の一世がこちらで日本語を学んだように覚えたもの。

 そういう言葉をやがてクレオールという形で二世が伝えていった。向こうでは混淆も進んでいるんですよね。もちろん混血はかなり差別されている。そういう歴史があって、クレオールとはフランスの見方からすると出来損ないの言語、出来損ないの文学になります。ところが最近はクレオールは文学の世界でも評価されている。

 在日のことをクレオールといえるかはわからないんだけど、梁石日原作の映画『月はどっちに出ている』の中で、お母さんが一世で、段ボール箱に北に送るお金を入れて……というシーンがある。僕はそこで非常に身につまされた。そこに向こうの住所が書いてあるのね。わかる人にはすぐわかるじゃない、何をしているか。

 その一世が経営しているパブに、ルビー・モレノと他に三人くらいフィリピン女性がいるでしょう。ほとんど日本語わからないけど、ルビー・モレノは関西弁を話す。恐らく日本に来て、まず関西から東京に出てきたんだね。それで主人公のお母さんの一世は、なんて言ったかなあ、要するに「中国人というのは信用できないんだ。こういう人たちは、日本にやってきても、非常にせこくて」という話をするわけ。日本にやってきて成功するにはどうしたらいいかをフィリピン従業員に話す。それは間違いなく一世なんだけど、日本語を喋り、しかもどこか訛りがある。そして彼女のスタンスは日本人なんだよね、ある意味では。民族的な偏見やいろいろなことを、ぼんぼん言う。ところがフィリピンの女性たちには、なにを言ってるかわからない。日本語がよくわからないから。ルビー・モレノだけが最後に関西弁で茶化すの、一世の言っていることを。しかもそこには英語も入っている。

 多分、フィリピンから来ると、当然スペイン語がまず入っているでしょ、宗主国だったから。それとアメリカ。その前はタガログ語が現地の言葉としてあるわけ。だから言語学的に見れば、一つはタガログ語、場合によってはスペイン語の混成語、そして英語。その中に日本が一時期入ってきた。そういう世界の人間が日本にやってくる。そして関西に行って、関西弁を日本語としてある程度最初に覚える。日本語というよりまさしく方言としての関西弁ですね。一方、女主人は在日の一世で、しかも日本語を完全にはできない。そのコミュニケーションのありようが、はらはらするんだけど、どこか笑ってしまうような。これはどのように理解していけばいいんだろうと、映画を見ながら考えて。そういうことがクレオールというところにつながる。

 クレオールって要するに、アフリカからカリブまで連れてこられた奴隷たちが、自分たちが話そうにも言葉がわからない……アジア人といっても、我々がラオスの人とコミュニケーションできるかといったら、できないよね。そういう中で、結局、自分たちを一番支配した言葉としてのフランス語の変形されたものを使ってきた。そんなことが全世界的に起きているんじゃないか。というようなことを、クレオールということで考えたんです。

 それから八十年代の半ばに安部公房が「クレオールの魂」というエッセイを書いているんです。彼はもともと満州で育って、引き上げてきた。実は日本的な文学とか日本的な美意識とか日本語的なコミュニケーションのあるワンパターンに、ものすごく違和感があったのね。実は中村雄二郎さんと阿部公房が友人だったと今回初めて知ったんだけど。

 なぜこういうことを今自分が考えているかというと、いろいろあるんだけど、在日コリアンはもっともっと世界史の中での世界で起きているできごとと、どこかつながっているんじゃないかなあと思うようになったから。だから鄭さんのワンコリア、そして「ハナ」というその言葉の示している意味は、僕なりに感知すると、多様性の中のハナである。そしてその多様性は単なる言葉だけのものではなく、もっといろんな歴史の層が残酷な形で作られたものなのではないか。否応なしにそこに住まざるを得なくなって、そこで生きている言語。

 クレオールは自分の起源を語りえない言語なんですね。在日というのは、ある意味では一世はいろいろの歴史を知っているわけだけど−−故郷から切断された歴史だったり−−、クレオールとは違うにしても、そういうことを日本人も我々も考えていくことで、日本の社会ももう少し多様な社会に、そして我々もそうなって、そして将来統一されて、もっと開かれた多国籍的な民族統一国家になればいいなあと思ってね。

 今まで我々はなんとかして自分の存在証明を探すのに精一杯だったのね。それが逆に、変な意味でナショナリズムになってはいけないし、そのことも考えないと。文学の勉強もして。

 日本人の中にも、今までのような日本人という単一なアイデンティティではだめなんだという人も確かにいるわけね。だからもう少し社会にいろんなものが混ざりあって、で、混ざりあいながら自分の持っているものを見失わないで……、そんな社会になるといいよね。

 これはコソボの情勢を見ても、ある意味で人類の抱えた普遍的なテーマだと思う。我々の社会の中で、日本社会の中で角を突き合わせながら考えているいろいろなテーマが、そう簡単に解決できるとは思わないけど、やはり我々は大変なテーマを本当は担っていると思う。コソボの問題を考えていたら、そういう気がする。

 それからもう少し外側の、我々よりもっと過酷な時代を生きた人たちの歴史、それが何人であれ、そういう歴史を我々もまた貪欲に摂取して、そしてまた日本の社会の中に投げかけていく。ただそこの新しいものをとってきて、ファッションみたいに投げかけていく、そういう感じにはしたくない。

■クレオールというのは最近ファッションみたいになってるんですか。

 うん、一部、いわゆる文化人類学とかの学者の世界では……。つい最近までエスニックといってたじゃない。エスニックというと、それぞれ独立したある文化を持った民族集団みたいな意識があったんだけど、クレオールというのは、何人ということがいえない。日本で、どこの馬の骨かわからない、といういいかたをするでしょう。どこの名無しの権兵衛とかね。要するにあれだと思うんだよね。そして、どこの馬の骨かわからん奴とか名無しの権兵衛の正反対は、天皇だと思う。万世一系の。馬の骨とかは多分そういう意識で非常に蔑まれている。でもグローバル社会の中で、実はこういうところに、文化の活力を考えていく一つの手がかりがあるんじゃないかという感じがある。まあヨーロッパのフランス文学というものに、少しそれを再検討、再評価する意見が出てきたのね。

■クレオールについては言語学者の田中克彦さんがよく論じてたんです。ピジン、クレオール、一世がピジンなんですよね。代が変わるとクレオールになる。ピジンというのはまさに一世の、我々のアボジ、オモニ。その特徴として僕が今でもよく覚えているのは、その植民地の宗主国の命令形から覚えるという。

 それはその通りで、なぜかというと、言語のエコノミーというのは、構文が一番短いものになってしまうんですよね。当然のことだけど、構文を短くしていくというのは、その阿部公房のエッセイを見ると、人間には人間の生存を可能にしてくれる言語というデジタル的な部分がある、それはどんな過酷な状況でも、言葉を通じてしか人間は世界を知りえないから、とある。命令形って一番短いじゃない。だから一世が「この馬鹿野郎」と言ったりするのは、よく言われたというのもあるけど、たぶん言葉として短かったからというのもあるんだね。

 そういうものは、例えば日系アメリカ人の場合はハワイでも、ピジンからやがてクレオール、そして言葉が米語という形での英語へ。クレオールじゃなくなっていくわけです。在日の場合も、もちろん国があって、ちゃんと民族がいて、クレオールという形での言語の発展はなかったと思う。ただ、僕がいうクレオールというのは、ただ言語学的にいう狭い意味ではなくて、もっと広い意味でとってのもの。文化やいろいろなものが混ざりあう中で、どこがルーツかということではなく、そこから生まれてきたものに、それこそ触媒を通じて化学反応して、違うものを生む。そんなことを考えたい。

 どちらかというと、朝鮮半島も日本もルーツにこだわる文化だと思う。だから壇君神話があり、日本も『古事記』『日本書紀』がある。クレオール化というのは、どこの出自であるとか、どういう起源をもっているのか、というところからではない形で生まれ、新しい言語に向かっていく。もちろん田中克彦さんたちは、言語学の立場から、その問題についての過大評価をかなり抑制的におっしゃっているけれども、一つそれは真剣に考えてもいいんじゃないか。

 例えば日本の人が朝鮮半島に留学をして、例えばハングルで文学を書いたり。それこそ逆梁石日みたいなね。それから在日の人が、もう梁石日とかも出てきたわけだし、将来英文学で非常にいい作品を書くとか……、そういう世界が東アジアでもし生まれる状況があるとしたら、日本と朝鮮半島なんじゃないかと思うのね。それくらいそういう行き来が多くなってくるだろうし、それに、国民国家、民族、そこへの帰属、それしかないという人間たちの考え方に対し、クレオールという、そうではないものを出せて、いわば解毒剤にもなるし。

 今のコソボの問題―昨日まで同じ国を形成していたのに、今度は相手を民族抹殺するくらいのことをやってしまう―を考えると、民族幻想というのはそれほどまでに人を苦しめ、恐怖にかりたてるのかと思う。もちろん経済的な条件とかいろいろあるとは思うんだけど、ある状況の中で民族を煽り立てる人がいると、それによって人々が狂気の世界に入り込んでいく、そういうことが今もこうやって新しく続いていくことを考えると、もう少し我々は違う知恵を身に付けなくてはいけないんじゃないか。

 今南北は統一されていないけど、統一に向けて我々が努力するとしても、不遇な民族の大コリアンナショナリズムみたいなものではなく、統一させることがより新しい文化を作っていく、その大きな条件になるというようなことが必要なんじゃないか。

 だから最近になってようやく、鄭さんがワンコリアといっていた意味が、僕の曲解かも知れないけど少し理解できるようになったと思う。おそらくワンコリアというのはナショナリズムで水脹れしたものではなくて、いろいろな多様性を持った人々が、ワンコリアという大きな傘の中で互いに調和しあうというのかな。そういう夢を描いているのかなって。

■全くその通りですね。例えば最近よく言っているんですが、多人種多言語共同体。その意味にまで広げてるんです。多民族であり多文化であり。だからまさにクレオール‥‥。もちろんルーツも大事だと思いますが、我々がどこへ向かっていくのかということが、もっと大事だと思うんです。
 そのイメージをもっとはっきりさせたいと思って、去年ニューヨークでワンコリアフェスティバルをしました。今度ロスでもしたいと思っているんですが、そこでもそういうことを言ってきました。在米コリアンは本国から離れたけど、ほとんど一世です。そこは在日とは全然違う。彼らはでも、これから世代を経ると、やはり在日の状況と重なるところが必ず出てくる。僕らはすでに先取りしてるわけですから、そういう発想を宣伝しに、別の形でワンコリアフェスティバルをやろうと。前からそう思ってたんです。でもなかなか余裕がなかった。本当は十周年でニューヨークでやるつもりだったんですけど、バブルが崩壊したりしてできなかった。

 ニューヨークでやったときNHKで見て、ニューヨークでできるまでになったのかと、実体は在日と違っているところもあったかもしれないけど、感無量だったね。長い空間的な障壁を越えて人が結びついて、しかもそれぞれがローカルなバックグラウンドを象徴している。そこに現れてきたものが、例え本国の人たちの目から見るとパンチョッパリ的だといわれる「出来損ない」であったとしても、それを「出来損ない」と見る見方に我々は毒されていたしね。だから本国指向を常に持て余していた人たちもいるし、それでいろんな政治犯の悲劇も起きたけれども、それも徐々に解消されていきつつあると思う。これまでは、やはり自分たちは出来損ないで、本国の人たちより劣っているんじゃないだろうかという気持ちが半分、今度は逆に日本の目から、ここはだめだ、あそこはだめだというふうに難点を突いて批判がましいことしか言わないのが半分、その二つだったと思うんだよね。

 それがこの十年、大きく変わってきているだろうし、その点では鄭さんのやってきたワンコリアはとても意義深いものだったと僕は思う。最初はこの人何を言ってるんだろうと……本当にお気軽な調子のいい男だなあと思ってたけど(笑)、でもそういうふうにどんどんやってきて、今考えてみると逆に現実が鄭さんの後を追っているの、ある意味では。現実が自分に近づいているという気持ちがある人は、自信をもって生きていけるのね。振り返ってみて、そうなんじゃないかなと思うんだけど。

 南北を問わず共通の利害としては、とにかく戦争をしてはいけない。決してそういう悲劇的な事態を起こさずに我々はどうやって共存していけるか。これは北・南を問わない教訓でね。これまでなかったんじゃないかなあ、ワンコリアというものに近い意識がこのように醸成されてきているのは。

 その時に、もう一方で、南北をただくっつければいいというのではなく、半島の外側にいる人が加わりながら、そうしたものから恩恵も受ける。我々のもっているものが向こうにも活かされる。それは多人種多文化多目的な民族国家なんだよね。そのひとつにクレオール的なものもあるだろうし、どんどん自分たちの社会の文化を豊かにしていく、そういう意味でも、そのための手がかりを見つけたい。

 僕はもう四十代も後半になって、あと本当に自分で動ける時間はどのくらいだろうか、その十年や二十年で日本の社会はどう変わっていくんだろうか、と考える。我々が動いた時代、二世として動いてきて、何が自分たちの課題で、自分たちの時代というのはどういう時代だったのか、その辺のことを少し考えるようになった。

 僕は個人的に、もう少し自由に物を見、考え、そして自分たちのことを世界で起きている出来事と別にせずに考えようと思っている。そういうところにあって、鄭さんがもっと早くそういうことをやっていたな、この時代を生きてるんだなあと気がついて……。

 

■二つ事例を紹介したいのですが、ニューヨークでやったとき、日本からは沢知恵というシンガー・ソング・ライターが行ってくれました。彼女は日本国籍で、お父さんが日本人でお母さんがコリアン、彼女は小さい頃から三カ国に住んだために三カ国語ともできるんです。一番うまいのは日本語で、次に英語、韓国語、でもどれも不自由はない。
 それと在米コリアンのミュージシャンで、ジェーメーズというアメリカ生まれの韓国人がいるんですが、韓国語が全くできず、英語でラップをやっています。一回韓国へ帰って、ラップでそのことも歌ってるんです。やたら整形してる女性が多いとか。でも音楽は、コリアンの伝統音楽をアレンジしたラップで、自分のアイデンティティを探していく過程だと思うんです、まだ二十五歳くらいで。去年日本のワンコリアフェスティバルには彼に来て歌ってもらいました。

 ああ、それは面白いね。目の付け所がいいよ。

■今おっしゃったことと重なると思って。

 重なる、重なる。僕の同僚が教えてくれたんだけど、オーストラリアから来たある女性がいる。その女性はインドネシアで生まれた華僑で、全く中国語を話せない。インドネシアはオランダの植民地で、彼女のところはお金が多分あったんでしょうね、オランダで高等教育を受けた。ヨーロッパへ行けば皆からチャイニーズと言われたんだけど、チャイニーズとしてのアイデンティティはあまりない。そして彼女は北京へ行ったときには中国の人たちから、お前はなぜ中国語がわからないんだ、といつも言われてた。今オーストラリアで先生をしているらしいんですけど、僕、わかるな。そういう人が何を語って、そういう人から見たら何が見えてくるか。

■そういうイメージを、フェスティバルをやることで僕らから喚起していこうと。

 イメージね。僕達は、自分たちに与えられた自分自身のイメージ、これを破らなきゃいけない。他人から与えられたイメージだけではなく自分から作り出したイメージもあるしね。そのイメージを僕自身はまだ破れないではいるけど、やはり世界はだんだんそういうイメージを破る人が増えているしね、現実的に。
 話は飛ぶけど、『五体不満足』という本、なぜあの本があんなに皆に読まれているかというと、彼をカテゴライズすればいわゆる身体障害者となってしまうけれども、そういうイメージが本当に覆されるぐらいな感じだからではないか。例えそれがレアケースだといっても、そういう人は実際増えている。それはとてもいいことだし、そういう意味で我々がどこへ向かっているかということが捉えづらい社会にもなっている……。

■僕はワンコリアフェスティバルを最初に始めたときに、いわば『五体不満足』のような語り口をコリアの問題でやりたかった。楽しくやろうよ、と。統一というとすぐ悲愴になったり、政治的になったり、戦闘的になったり、気持ちはわかるけれども、それだけじゃだめではないか。目指すのは明るい未来なんだから。しかも我々の生活の中では、喜劇的なこともいっぱいあるじゃないですか。滑稽で、悲惨で。それをありのままに出していけば、十分魅力的であって。語り口があまりにも不幸せじゃなかったんで、それを十五年前にやったら顰蹙を買って叩かれましたが(笑)。

 でも、鄭さんのようにある時期金日成のことなどを学んだ人が、こういうふうにね……。それがあった人とない人とでまた違うと思うんだよね。その時期がなかった人はただ浮遊していたかもしれない。
 ワンコリアは鄭さんのブランドだけども、そのブランドを越えて、皆がやっとそういうものの、何といったらいいんだろうね、イメージ的にいったら、ざわめきが、ちょっと前より感じられるようになったんじゃないか。頭じゃなくて、ざわめき。そのざわめきが少しずつ岸に打ち寄せていって、その波がやがていろんな共鳴現象を起こしながら、少しずつ何かを変えていく。

 考えてみればこの十年、ちょっとしたことで社会がこんなにも変わるということを我々は体験した。半島についても全く固定的なイメージで見る必要はないし、いつどういうふうにドラスティックに変わるかわからないし。一方では、家族の皆がいるとか苦しんでいる人もいる。だからこそやはりこういうものが必要だしね。

 そして日本の社会にとっては、こういうものを本当に大切なものだと受けとめる人が、例え人数が少なくともあの場にいたということが今までと違うことだと。鄭さんがそういう触媒の役目を果たした。おそらく鄭さんを知らなければ化学反応を起こさずにすんだ人たちなんだ。ほかの原則に出会う、触媒となる場を作ってくれてるわけだし、この場を今後は海外コリアン五百万にまで、本国との関係を持ちつつ広げて。

 それからもう一つは、ちょうど僕が琉球大学の集中講義に行ったときに、ボスニア、コソボ、もう一つは日本海での不審船の領海侵入、そういうことが起きて、沖縄で話を皆としたんだけど、コソボの問題、僕が非常にショックだったのは、あれをNATOが制圧すると、今度は北朝鮮の問題でそれと同じような方式が適応されないとは、決して言えないのではないかと思ったのね。国連をたな上げにして、アメリカを中心とした多国籍的な安全保障体制と、主権国家に--たとえ内側でどんな悲惨な状況があるにせよ--軍事的な制裁を空爆のみならず地上にまで下ろしかねない。これは北朝鮮に関しても、当てはまらないということはないのではないか。そういうときに、海外にいる五百万のコリアンが、それぞれの社会で占めているポジションで横の連絡を取り合いながら、ある種の世論を喚起する。これはもしかしたら、我々には自分たちが考えている以上の大きな役割があるのではないだろうか、と思ったの。

 今の朝鮮半島の問題は、半島だけで解決せずに世界的な広がりをもっている。海外に離散状態にある我々がそれぞれの社会で世論を喚起する。そういう人たちとどうやってつながっていくか、共存していくか。これは非常に大きな問題だし、もっともっとネットワークを広げていく必要がある。そういう点では鄭さんがさっき言ったアメリカの広がりは、やはりタイムリーだし、もっと広げていかなくちゃならない。

 オーストラリアのある若い学者に聞いたんだけど、在日の女性でアメリカに行き、今アメリカの大学で助教授らしいんだけど、英語で在日コリアン特集の本を出すのだそうです。その人がエディターになって。前に比べると、アメリカの研究者の中に在日コリアンの研究をしたいという人が増えて、アプローチされたことがあるのね。だから我々の現象というのは、日本を知ろうとするときに、よくよくものを見る人には見えてくるものなんだ。

 今度のワンコリアの……グローバル・ワンコリア、それは本当に政治的な意味、文化的な意味、いろいろな意味で大きいと思っている。

 

■2002年までに、最低アメリカで二カ所、それに中国、ロシアでもやりたいと思っているんです。

 ああ、いいね。ワンコリアは世界に手を広げていって、それを結び合わせながら、しかしそれぞれの文化的なバックグラウンドを活かして、それがさざなみのように本国の岸へ押し寄せていき、それがまた押し返してくれて、というのがいいと思う。

■本国のことでいいと思うのは、最近韓国に語学留学する在日コリアンや在米コリアンがいっぱいいるわけです。それから昔よく孤児をヨーロッパに養子に出してた、その子たちが育って韓国に来ているわけです。そういう中で、本国の学生たちも変わっていくことができる。

 そうだね。二十年前にはそんな状況はなかったよね。南北分断の中で国が閉鎖体制をとっていたわけだから、ほとんど道は限られていたから。今は、これだけいろんな情報ツールが飛び交っている。これを利用して我々がいくつかの拠点で毎年どこかでこういう催しをやっていく……。

■今やインターネットの時代ですからね。

 逆にいえば、ワンコリアの世界的な条件が、前よりもっと整ってきているような気がするのね。

■僕はニューヨークに一昨年行ったんです。そうしたら去年開催できてしまった。思ったより反応が早い。何回か通わないとできないと思ったけど。

 やはり最近思うのは、この情報のネットワークのせいかも知れないけど、いわゆる同時代性というのかな、リアルタイムという性格はものすごくいろんな人と会ってて感じるもの。意外と人種、民族を越えて同じことを考えていたりするの。本当に、僕らが想像する以上に大きな変化が今起きている。

 だから在日の中で悶々としている人たちには、少し窓を広げていけば、自分が考えている以上に、いかに自分の存在というのが楽しくて、なおかついろんな人と出会えるか、というようなことを知ってもらいたい。自分の出自に苦しんでいる子供も、ちょっと何か違う窓が開かれると生き生きするのと同じなんだろうな。そういう手がかりを、どんどん、鄭さんたちは与えていってほしいと思う。

 地方に行くと、かなり旧態依然とした問題を抱え込んで、悩んでいる人たちの訴えを聞くわけね。それは非常に悲しいことだけど、でもそういう人たちに、もう少し窓を開いてごらんなさい、どんなにそれが楽しいことなのか、と伝えたい。今後在日というのは、かくあるべしというのじゃなくて、もっとそういう表現をしよう、と。そしてそれを解釈し受けとめていくことが、非常に人間を内側からわくわくさせる。そういうことがあって初めて人は集まってくるし、それがまた人を変えていくし。

 鄭さんが、自分は調子が良いといわれているといっていたけど、それがまさしく表現するということで、それがないとね。政治原理ではもう自分たちの生きざまは語りえない。二十世紀が終わってわかったことは、やはり政治というものに振り回された歴史と、政治言語の貧困だと思うんだよね。その点ではやっと、鄭さんの時代がきたと。

 僕は田舎者だから、年をとったら沖縄あたりに引っ込もうと思ってるの。自分が動けるうちはいろんな世界に行ってみたいと思うけれど、人には性格や自分のパーソナリティがあって、鄭さんのやっていることはほかの人間には代えがたいものがあるよ。やはりそのキャラクターがなくては、人は会わなかったと思うよ。それは本当に決定的なもので、人にはもって生まれたものがあるから、それを生かしてほしいし。それから大阪で鄭さんを支えている、逆に言えば支えられている人がいるし、これは何にも代えがたい財産だろう。それがもっと広がっていけばいいね。場合によっては強引だなあと思う人もいるかも知れないけど、何かコミットできることがあれば僕もやりたいし。将来アメリカや中国で、そういういろいろなルートがあれば……、例えば中国の延辺でやるとかね。

■まず最初は延辺でやろうと思ってるんです。

 いいねえ。そういうところから……。 クレオールというのを、ある人は共鳴言語といっているの、響き合う言語。

■いい言葉ですね。

 いい言葉ね。おそらく奴隷として連れて来られたときに、やはり韓国人というか朝鮮人というか、その場合、アイゴーがひとつの叫びじゃない。クレオールの前史というのがアフリカの大陸から連れてこられた人々の奴隷船の中の叫び。これはやはり音声だから。言語というのは、まずはやはり音声だね。決して書く言葉じゃない。そういう原体験というのがあるし。

 で、やはり書かれる言葉じゃなくて、語り部がいるわけですよね。それが夜のしじまの中でかつてアフリカではこういうことがあったということを語っている。やはり我々二世が一世から、昔こういうことがあって、村ではこういうエピソードがあって、で、朝鮮には昔からこういう諺があって、という……。諺なんてよく聞くじゃない、そういうものかなあと思う。書かれた言葉が高等で話し言葉は下等だとかじゃなくて、話し言葉は、ボディランゲージじゃないけど、伝わるよね。鄭さんには何かそういうものを感じるよ。それが共鳴しているというかね。ワンコリアは共鳴する空間の中のワンコリアで、そういうものが共鳴となって、ワンコリアに一回でも関わった人はかなりの数にのぼってるでしょ。それを見た人もね。

 今度の2002年の共同開催のワールドカップがターニングポイントになるし、それから今回鄭さんが韓国に行けるようになったというのが、一つ大きなエポックメイキングなことね。

 

■しかも向こうの名前もワンコリアフェスティバルですからね。義政府という38度線に一番近い町で6年前からやっているんです。ワンコリアフェスティバルという名前は彼らは自分たちのオリジナルだと思ってたけど、ニューヨークのワンコリアフェスティバルのことが韓国の新聞に載ったのを見て、自分たちより前からやっている人がいるとわかったわけです。それで去年わざわざ東京まで見に来たんです、会長はじめ5人ぐらいで。で、日を改めて話して、発想とかが全然違うということで逆に共鳴してくれて、それで今回招待に至ったんです。日本での常連出演者の朴保君と田月仙さんも一緒に行きます。日本のワンコリアフェスティバルに韓国から出てくれたロックグループや伝統芸能の人たちも駆けつけてくれます。彼らはソウルにいるんだけど、在日の僕らが間に入って。主催者も大喜びです、そんな有名な人が来てくれるというので。

 僕は言葉が下手ですけど、そんなこと関係なかったですね。コミュニケーションさえできればそれでいいと思ってる。言葉は民族の魂というけれど、そこから疎外されている我々はもう五十万人もいるんですから。

 クレオールという発想のよさは、今おっしゃったように、民族の魂の言語、文化の本質、そこから疎外されている人間が、自分の本来のものをそこに行けば培えるんじゃないかというものから遠ざかって行かざるを得ない、そういうところを支えるというか。韓国社会だけに限っていうと、依然としてワンコリアというと、南北統一というある意味での政治的なスローガンとしてしか理解していない人もいるかもしれない。しかしやはりこの十年と比べると、僕も本当に片言のハングルで喋ることしかできないけど、やはりそのときに、日本語でもいいわけ、こういう会話が成り立てばそれでいいし。そういう時代に少しずつなって来たんだと思う。そこで初めてそういう疎外された状況から、もう少し違う方向へ行けるんじゃないか。

■面白いことに先程いったジェーメーズは、同じ在米コリアンの1.5世の若者よりも僕に親近感を持っているんです。1.5世というのは韓国から来た在米コリアンのことですけど。ニューヨークのワンコリアフェスティバルの実行委員会の人は1.5世が多く、韓国語もペラペラ。日本でいえば一世ですけどね。ところが彼は韓国語ができない。僕は英語ができませんから、通じる言葉がない。

 それでも親近感を持つと思うよ。

■彼はまた、ワンコリアフェスティバルもアメリカより日本のほうが楽しかったというんですね。日本の場合、コリアン以外にもたくさん来ている。沖縄の人、アイヌの人、ネイティブ・アメリカンも。いろんなミュージシャンが来ています。それで彼は日本のワンコリアフェスティバルみたいなものをしたい、これからがんばってやるといっています。ニューヨークはまだほとんど韓国人ばかり出ています。これからだと思います。

 だんだん変わっていくんじゃないかなと思う。そして今回鄭さんが韓国に行くというのは、こちら側から何か投げかけて、それを受けとめてくれる共鳴板を見出せるということ。それは20年前、30年前には考えられなかったよね。

■そうですよね。聞いたら、韓国の側の主催団体である「芸総」はどちらかというと保守的らしいんです。その人たちも変わったと思うんですよ。

 変わったと思う。鄭さんが今までやってきたことが、これから発展途上だろうけど、いろんな人を支え、また支えられながら、こういうところまでよく変えたなあと。それを考えると、この十年の我々を取り巻く変化のあまりの大きさを感じるし、また同時に新しい時代を迎えて、困難もこれから強いかなあという気もするね。

 こういう中で、統一だけを考えると、何かもう一つ、かなり苦難の谷間を歩まないと到達できないんじゃないかと僕は思う。それが何なのかわからないけど。そういうときに、政治言語じゃなくて、自分たちの生活や生き方を支えてくれる文化、それは単なる狭い意味の民族文化じゃなくてね、そういうものがどこかに混じり合ってはいるけど、今を生きている自分たちのアクチュアリティがあるとね。それこそ、韓国の伝統芸能、それが民族文化だ、という発想ではなく。

 僕はワンコリアフェスティバルの外側にいるけど、自分のできる範囲のことであれば何かしたいなと思うし、一回やはり皆と歌ったり踊ったりしたいなという気持ちが最近になってやっと出てきた。

■しましょう。ぜひ遊びに来てください。

(1999)


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