報告
: 鄭 甲 寿 (ちょん・かぷす)
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1999年5月2日、「ハナ!」コールが、韓国の夜空に響いた。〈38度線〉にもっとも近い街、議政府で6年前から開かれている「統一芸術祭
―ONE KOREA FESTIVAL」のフィナーレを、今回はじめて「ハナ!」コールが締め括ったのである。実行委員長である私とともに、朴保氏、朴実氏、田月仙氏も招かれ、また、日本でのワンコリアフェスティバルに出演している「風舞楽芸術団」(今回大阪公演にも参加)と「新村ブルース」も隣町といってよいソウルから駆けつけてくれた。日本のワンコリアフェステイバルで出会った出演者達が、ここ議政府で再会し、彼らが当地の「ONE
KOREA FESTIVAL」を、「ハナ!」コールに向けて盛り上げていった…。
議政府の関係者から私に連絡が来たのは昨年の夏頃であった。ニューヨークで昨年8月15日に開かれたワンコリアフェスティバルの記事を韓国の新聞で読み、「ONE
KOREA FESTIVAL」という、自分達が英語ではどう表記しようか苦労して考え出した同じ名前で、日本では既に10数年から開かれていたと知り、非常に驚いたという。ぜひ実際に見てみたい、そして交流したいと申し出て下さった。その後何度も連絡を取り合った結果、実際に来日されることになったのである。
イ・フンジェ議政府「芸総」会長、ヒョン・ソンジュ同事務局長をはじめ5名の役員方が、東京ワンコリアフェスティバル前日に日本に到着した。翌日公演を観、公演後には打ち上げにも参加、出演者、スタッフとともににぎやかに交流された。さらに翌日私達と懇談会をもち、和気あいあいとした雰囲気の中で率直に互いの意見を交換し合った。この席で、議政府側から「ハナ!」コールが感動的だった。ぜひ議政府でもしてほしいと要請された。これまで私は祖国を一度も訪れたことがない。もちろん行きたかったが、行くなら38度線を通って南北同時に行きたいという思いがあった。しかし、今回の要請には応えたいと心が動いた。「芸総」という民間の団体が同じ名前で開催していたことに、私も感激していたからでる。それでもその後ずいぶん考えた末に、よし行こうと決心するに至ったのである。
かくして、1999年4月30日、生まれて始めて祖国の地を踏んだ。
空港から出た時、ニューヨークのコリアタウンに何度か行ったせいであろう、何となく見慣れた光景に見えた。空港には議政府の関係者が迎えに来て下さっていた。
さっそく議政府に行くと、そこで待っていた昨年東京で会ったイ・フンジュ会長らと再会を喜び合うことができた。
議政府の「ONE―KOREA FESTIVAL」は街あげてのお祭であった。人口30数万の街だけにその規模は、私達の想像以上であった。行政も全面的に支援しており、市庁内、市庁前の広場などを自由に使っていた。うらやましいと思ったほどだ。市庁前広場の特設野外ステージもかなり大きく、客席側も5000人以上収容できそうである。
〈38度線〉に近く、軍事施設も多いこの街だからこそむしろ、一般市民の統一への願いや想いも強いのかもしれない。私達もまず軍事境界線の「チョンマンデ展望台」に案内してもらうことにした。一般の観光客は入れないところだそうだ。その展望台から見た北の祖国側のイムジン川は、実に美しかった。この時の想いを語るとなるととても紙数が足りないので、それは別の機会に譲りたい。ただ、こんな軍事境界線だけは1日も早くなくならなければならないと改めて痛感した。
翌日5月1日の夜に、前夜祭として私達を歓迎するレセプションパーティーが催された。市長や国会議員も参加して私達を暖かくもてなしてくれた。私もゲストとしてスピーチさせていただいたが、ここで最初の「ハナ!」コールを、いわば練習のつもりでしていただいた。パーティー最後には、全員が同じテープをもって「ウリエソウォン―
私達の願いは統一 ―」を合唱した。統一への想いが本番に向けて高まっていく。
5月2日本番当日。朝から地元の音楽家や舞踊家、演劇人らの公演、一般参加ののど自慢などが続いている。私達には来賓席が用意されていた。夕方早い時間頃から見させていただいた。いよいよ公演ラストのフィナーレに向け、日本とソウルから来た出演者の出番となった。時間はなんとすでに10時に近い。田月仙、新村ブルース、風舞楽芸術団、朴保と続き、会場は大いに盛り上がってきた。ついに私が祖国の数千人の同胞とともに「ハナ!」コールをする瞬間がやってきた。時間は11時をとっくに回っている。とはいえ、大阪、東京、ニューヨークでする時とほとんど同じ前口上である。すなわち「宇宙はひとつ、地球はひとつ、アジアはひとつ、そしてわが民族もひとつです。私達はひとつです。」と。嬉しいことに全員が「ハナ!」コールの呼びかけに応えて連呼してくれた。田月仙から始まった終盤は、日本でのワンコリアフェスティバルとほとんど変わらない雰囲気であり、まさに「私達はひとつ」であると感じることができた。
翌日、イ・フンジェ会長、ヒョン・ソンジュ事務局長らとあらためて会合をもち、今後交流を一層深めることを確認して、私達はソウルに向かった。
(1999)