キム・ドンチャン
統一祖国のために、全世界のコリアンよ、団結しよう。 top▲
8・15フェスティバル・フォー・ワンコリア実行委員長
すでに14回もワンコリアフェスティバルを続けてきた友人達に心からお祝いを申し上げます。
異国の地で祖国を愛し、統一を願う皆さまの熱い努力に、アメリカに住んでいますが、深い同胞愛を感じます。半世紀もの分断の苦痛の中で生きてきたわが民族の前に、祖国南北の現実はあまりにも暗いといわざるを得ません。
しかし、闇が深ければ深いほど夜明けが近いように、遠からず南北の同胞は試練に打ち勝ち、
祖国統一を成し遂げるものと信じています。ともに海外に住む私達も、祖国の未来のために努力し、祖国南北を助ける様々な活動をすべきでしょう。
私達は過ぐる8月15日、祖国光復53周年記念祝典(8・15フェスティバル・フォー・ワンコリア)を開催しました。日本のワンコリアフェスティバル実行委員長、鄭甲寿先生をはじめ、あらゆる人達が、物心両面で援助してくれたことに今一度、心から感謝申し上げます。
この行事は、ここニューヨークで初めて祖国光復を祝う場となり、老若男女みな参加して創った同胞祝典の場でした。今後も継続して統一祖国のために、日本のワンコリアフェスティバルとともに世界各地に分かれている同胞と団結し、その力を結集する礎となるように不断の努力をするものです。
日本の困難な状況の中でもコリアンの気概を失わず堂々と生きている在日同胞の模範に学び、アメリカに住む私達も世界の中のコリアンとして新たに立ち上がります。
第14回ワンコリアフェスティバル開催を重ねてお祝い申し上げます。
統一祖国のためにニューヨークにて
ジェーメーズJAMEZ
NYのアジア的ヒップホップ top▲
1972年NY生まれ、在住。韓国の伝統的な音楽であるパンソリ(Pansori)とシナウイ(Shinawi)をアメリカの黒人音楽ラップと融合させることによって、新しいミュージックスタイルの創造を試みている。今年8月15日に開催されたNYでの初One
Korea Festivalにも出演。
「アジア的ヒップホップ」、私の口ずさむメロディを人はこう呼ぶそれは、韓国で育まれたパンソリやシナウイという伝統曲を現代のラップ音楽に採り入れることで、前世代が受けとめている過去の体験と多文化の中で生きるアメリカンコリアン2世としての自分の生き方をこの曲を通して表現しているからです。
私は、私の曲が文化の架け橋となって一歩でも互いに歩み寄れるきっかけでありたいと望んでいます。またこれからの若い世代が、アメリカに生きるマイノリティとして模索と韓国民俗音楽とプライド音楽のような文化的な融合を私の曲の中で発言できたとき、私の曲が自らの過去を知り、自らの創作意欲がかきたてられるきっかけであって欲しいと思います。
今日は(東京で)私のデビューアルバム「Z-Bonics」から3曲、皆様にお届けしたいと思います。最初の曲は、「F.O.B.」(Fresh
Off the Boat=ニューカマー)です。
この曲は、アメリカで育つコリアンアメリカンの日常的な感情の動きを表現しています。
それはアメリカのマイノリティとして生きる葛藤とコリアンとしてのプライドとの間で悩み続けた自分の姿でもあります。
2曲目の「Now You Will Never Know」(今となっては誰も知ることができない)はCindeという私と非常に親しく、去年自らの命を絶ったコリアンアメリカンの彼女に捧げて書いた曲です。
最後の曲、「Z-Bonics」は、アジアンアメリカン社会での彼らの行動をユーモアいっぱいに表現した曲です。
私は、これらの曲をアメリカ各地を歌い回り、伝えてきた曲です。ワンコリアフェスティバルというような一つの創造を結集した場で、私の海外デビューパフォーマンスとして、これらの曲を日本にいらっしゃる皆様にお届けできることを大変光栄に思います。
外資系商社を経て、90年「黄金を抱いて翔べ」で日本推理サスペンス大賞を受賞。93年「リヴィエラを撃て」で日本推理作家協会賞を、同年「マークスの山」で直木賞を受賞。
他に「神の火」「わが手に拳銃を」「地を這う虫」「レディジョーカー」等の著書がある。
六歳まで大阪市内の東住吉区で過ごしたわたくしは、母親に連れられて、当たり前のように鶴橋の市場に行っていました。どういうわけか、母はキムチが大好きだったのです。その辺りが在日韓国・朝鮮の人たちの街だと知ったのは、ずっと後のことでした。
不幸なことにわたくしは、多くの日本人と同じように、戦前の朝鮮併合から今日に至る複雑な歴史の背景を学ばなかったのですが、一方では知識がなかった分、まったく偏見も抵抗ももたずに大人になったのは、ある意味では幸せな出発点だったと思います。
大人になってから、あらためて在日韓国・朝鮮人の人たちの置かれている現状を考え始めたとき、市井の一日本人には十分に理解出来ない複雑さの前で、いつも消化不良のような気分に陥ってきました。
日本人の側と在日韓国・朝鮮人の側の双方の問題が半分はあるにしても、ともに日々暮らしているわたくしたちの頭越しに、政治や国家がかってに困難な状況を作っている部分が半分はあるのだろうと、今は感じています。
その意味で、日々同じ土地で暮らしている人たち自身の肉声が、ワンコリアという形で結実していくのを見るのは、日本人のわたくしの目にも何かしら希望の一端が開けていくようで、感動を覚えます。
ワンコリアは、あくまで在日韓国・朝鮮人の人たちの問題ではありますが、同じ土地に暮らしている日本人として、運動に声援を送らずにはいられません。お隣さんの希望は、いつかわたくしたち日本人の希望にもなると信じております。
岩波書店「世界」編集長
建国・分断五〇年のいま、朝鮮半島は南も北も、大激動、大変動のときを迎えている。
食糧危機、金融危機と悪いことばかりのようだが、その中でも、南北の民間の交流が始まり、
米朝の関係の枠組みも定まって、ゆっくりとだが安定と平和の方向へと進みつつあるように思える。
予断は許さない。しかし朝鮮半島の歴史はつねに予想外の展開の歴史だった。
この転換と苦しみの中で、「統一」の可能性がふいに目の前に現れるかもしれない。
「ワンコリアフェスティバル」は、その統一の姿をすでにここで表現しているではないか。
1959年生まれ。「囚人狂時代」「調律の帝国」(新潮社)「天皇ごっこ」(第三書館)等の著書がある。新日本文学賞受賞。
ワンコリアフェスティバルの成功を祈ります。
民族の中での全ての差別、白眼視、国境や憎しみがなくなるよう、全ての民族の尊厳と底力を信じています。
1963年福岡県生まれ。現在、光華女子大学専任講師(社会学博士)。
主著「在日韓国人青年の生活と意識」(福岡安則と共著、東京大学出版会)。インターネットで在日コリアンをテーマとした「ハン・ワールド」を運営。
近年の調査研究から明らかになりつつある在日青年のアイデンティティ像は非常にダイナミックなものです。歴史・国家・民族・地域などの全体的〈時空間〉と、等身大の民族性にもとづく〈個〉のせめぎあい。民族への〈愛〉を基調とした関係性と、民族的な〈誇り〉を求める主体性の相克。こうしたダイナミズムの中でつむぎだされる青年たちのアイデンティティは、「同化的で弱々しく劣等感に満ちている」という一般通念とは異なり、むしろ清新で活力に満ち、柔軟かつ頑健なイメージこそ実態に近い。にもかかわらず、多くの在日青年が、自己の民族性に何らかの不安をかかえ、アイデンティティに確証をもてずにいるのはなぜか。それは、在日社会がナショナリズムから要請される画一的な民族像に固執してきたことにより、リアルで等身大の民族性が発露する可能性を奪ってきたことに加え、 ”在日としての生き方“の多様なモデルを青年たちにとってリアルなかたちで効果的に提示することに失敗してきたからでしょう。
私がワンコリアフェスティバルに注目し、また少なからぬ期待をいだいているのは、理念としての歴史・国家・民族・地域と個人の関係を多角的に模索してきたことはもちろんのこと、実践面において斬新な手法を効果的に用いつつ、とりわけ若い世代に”ワンコリア“をシンボルとした在日の可能性を鮮烈にアピールしてきたと信じられるためです。今後、内的には日本籍者や二重国籍者の増加が、外的には祖国情勢の変化や他の在外同胞との交流がすすむことにより、在日コリアンをとりまく環境は
いっそう複雑化することが見込まれています。そうした時代状況の中、ワンコリアフェスティバルの意義はさらに重要性を増していくことでしょう。第14回開催を契機として、さらなるご活躍をなされることを期待します。
大木雄高 top▲
晴れの日に「アリラン」
1945年生まれ。東京の大学時代から小劇団を組織し、60〜70年代の同時代演劇を、作、演出、俳優として手がける。また、「松田優作追悼コンサート」(春)及び
「松田優作メモリアルコンサート」(冬)、「黒田征太郎ライブペインティングVS近藤等則グループ」等々をプロデュース。著書に「ロマーニッシェス物語」他。
今年の二月の中旬ごろ、神々の詩「アリラン」というテレビのドキュメンタリー番組を見た。一九二六年、日本の植民地時代に、韓国のソウルに朝鮮総督府(一九九五年、この占領の象徴的建物は、韓国政府の手によって、取り壊された)がつくられたが、同じ年に朝鮮映画「アリラン」が封切られ、主題歌は世界中に広まったので、僕も小さいころから馴染んでいた歌ではあった。
ところが、歌手・新井英一の語りで進む、朝鮮半島の「アリラン」の旅番組は驚きだった。中部の山岳の村チョンソン(旌善)は”アリランの故郷“と呼ばれる程、そこでは極めて素朴な生活歌を歌い、南の島チンド(珍島)では「楽しいときしか歌わない」のがアリランだという。だが、旧満州に残された朝鮮族の人にとって、中朝国境の図們大橋は、親兄弟を遮るアリラン峠となって怨歌を生む。三八度線の悲劇を歌った「ホルロ・アリラン」をヒットさせた歌手のハン・ドルは「いつわれわれが峠ばっかり越えてきた!日本がアリランを”恨“の歌にした」と怒りを隠さない。そして、従軍慰安婦の宿であるナヌムの家で「トラジの花(従軍慰安婦の意)」を歌って、「これが今の僕のアリランです」という。
このように、千数百年前からある、その人、その時代の数百のメロディー、数千の歌詞が、アリランの正体なのだ。
ところで、僕は「アリラン」の詩書を持っている。書いてくれたのは金大煥という韓国の打楽器奏者で、六七年、韓国グループサウンズ初代会長にして、あのチョー・ヨンピルと金大煥トリオを結成していた人だ。隠されたリズムという意味の「黒雨」を異名に持つ彼の特徴は、両手に六本のスティックで、ポリリズムを叩きだすことにある。
卓越した音楽家の金大煥は、同時に比類ない書家としても知られている。一月のわが「ロマーニッシェス・カフェ」の閉店ライブにも、韓国から駆けつけてくれて、渡辺香津美や梅津和時と共演中、白布の裏から筆で逆さ文字を書いて、客を唖然とさせたし、玄米一粒に般若心経二百七十六字を微細彫刻して、ギネス認定者になっている達人でもある。
六年前、その彼に拙宅に泊まっていただくことになった。ある朝、「ちょっと新宿まで出かけてくるよ」といって、買ってきた和紙と墨で書いてくれたのが、ハングルのアリランと、漢字の般若心経だった。どんな「アリラン」が書かれているのか、僕にはわからないが、「もし南北が統一したら、この歌がきっと国歌になるね」と金大煥が言った言葉を、先の番組で思い出し、目からうろこが落ちる思いだった。(「アサヒグラフ四月十日号」より転載.加筆)
1949年大阪生まれ。佛教大学(通信本科)卒業。佛教大学歴史研究員在籍後、韓国延世大学語学留学。
日本写真協会会員。フォト・ジャーナリストとして朝鮮問題の他、アラル海環境問題、セミパラチンスク核実験被爆者の取材などを続けている。
主な著書に「ヒロシマ・ナガサキ 韓国の被爆者たち」「中国の朝鮮族」「アジアの人びと」「北方四島」などがある。
今年は、8月に第一回目のニューヨーク・ワンコリア・フェスティバルが開催され、成功のうちに終えたと聞く。今後、中国・ロシアでのワンコリアフェスティバル開催を目指していただきたい。
欲を言えば、コリアだけの「ハナ(ひとつ)」でなく、すべての民族の「ハナ」を実現していただきたい。
1962年、大阪生まれ。1985年、早稲田大学第一文学部卒業。1986年、作品「八月の朝」50首で第32回角川短歌賞を受賞。1987年、歌集「サラダ記念日」(河出書房新社)刊行。同書で第32回現代歌人協会賞受賞。
著書「ひまわりの日々」「チョコレート革命」「短歌をよむ」「あなたと恋の歌百首」ほか多数。
ワンコリアフェスティバルの座談会に出席して、視野が広がりました。これからも、このフェスティバルをきっかけに、関心を高める人が増えることを期待しています。
薄井ゆうじ top▲
文化はひとつ
僕の小説を韓国で映画化したいという話が現在進行中です。当初はすべて韓国の俳優で、韓国ロケで、韓国のスタッフで、というお話でしたが、文化交流の雪解けムードのなか、俳優の一部は日本人で、ロケの一部も日本でというふうに企画が変わりつつあると聞きます。文化は誰の物でもなく、まして国家単位のものではないのですから、互いに交流し、交換し合い、無国籍化していくことが理想だと僕は思っています。僕は韓国へは、トランジットのために金浦空港へ降りたことしかありませんけれど近いうちに日程をとって旅をし、隣人の暮らしに触れたいと思います。