金石範(きむ・そくぽん)
作家。小説家。『鳥の死』、大作『火山島』など。
大佛次郎賞受賞。
(インタビュアー高橋至)
――お忙しいところ有難うございます。
金石範先生につきましては、去年まとまりました『火山島』という小説が、最初「海嘯」という題名で1967年〜81年までの6年間「文學界」に連載されまして『火山島』第一部、それが単行本にまとまりまして、大佛仏次郎賞を受けられました。第二部が1968〜95年で完結して、単行本になったのが97年、そして一、二部あわせて毎日芸術賞を受けられたという経緯が大まかにはございます。第一部は韓国で『火山島』として翻訳も出ております。『火山島』は「四・三事件」を扱ったもので、1948年3月から翌年の6月くらいまでが背景になっております。ほぼ一万枚という長さを二十二、三年にわたって書いてこられたわけですが、純文学としましては世界に類を見ない長さだろうと思います。どういう意図で、ご自分の作家生活のかなりの部分をこれに投入してきたか、その辺のところをお話しいただければと思います。書き始められた1976年頃というのは、「四・三事件」に関しては、韓国の済州島ではまだ口にすることすら難しいという時代状況だったと思います。それをあえて日本の文学雑誌に、それをテーマに書こうと思われたことの意味というのは、小説家としての金さんの中にかなり大きなものがあったと思われますけれども。
金 短い時間で話すのは難しいけれど、1957年に「文芸首都」という同人雑誌に書いた「鴉の死」という「四・三事件」を背景にした小説があるんです。これが今から40年昔で、そこから「四・三事件」に対する私の関わりがあるわけで、私の文学に対する姿勢、「四・三事件」に対する姿勢というのは、『火山島』といえども「鴉の死」から外れてるものではないんです。すべて最初に「鴉の死」ありきで、その後もいろいろ「四・三」に関することを書いてきた、その一つの集大成みたいな形で『火山島』が始まるわけです。
それで『火山島』の第一部を終えてから、ふと気がついたときに、私は「鴉の死」の世界に戻ったと、そういう感じを抱いてびっくりしたわけ。一所懸命やってきたつもりだったけど、何だ、おれは「鴉の死」に戻ったんじゃないか、と。
――作家生活がもう四十年越えておられますけれども、いわば『火山島』に始まり『火山島』に終わるといいますか、「四・三」に始まり「四・三」に終わるという―終わるといっては失礼ですが―この四十年間「四・三」のことを追求してきた作家ということができますね。
金 そういうことです。一部だけじゃなく、今度第二部全部終わっても「鴉の死」に戻った、そういう感じね。「鴉の死」は私の文学の原点であり、それだけの力があるということ。
――そもそもなぜ「四・三」に作家として関わろうとされたのですか。
金 それは済州島が私の故郷だからです。それと怨念ですよ。故郷の地でこの前代未聞の惨劇が起きた。そして、もともと私の中にあるニヒリズムの克服の方法として、「鴉の死」があった。
――「四・三」を扱い、小説に書くことで、自分の中にあるニヒリズムを克服しようとしたということですか。
金 そうです。「鴉の死」を書き上げてから、私は人生を肯定して生きられるようになった。島民に対する虐殺のまえで、私の多分にセンチメンタルだったニヒリズムの後頭部が打ちのめされました。今でもずっとニヒリスティックなところはありますが、それは原則的な肯定の上にある。でも若いとき、31歳だったけれど、そのとき、おれは何とか人生を肯定して生きられると思いました。
――なるほど。「四・三」そのものは、済州島が故郷だということもありますし、もう一ついえば、あの事件が今の朝鮮を決定づける一つの要因になったという歴史ということがあるのではないですか。
金 韓国の解放後の歴史、あれは正さないと。「四・三」は解放後になるけれど、今はかなり歴史が一応まともなほうへ正されていってるけれども、「四・三」は戦争状態でないところで起こった一番大きい事件であり、今まで歪曲され、闇に隠されてきたんだから。朝鮮戦争以前の韓国で起こった、アメリカ軍政下で起こったもろもろの事件の核として 「四・三」がありますから。
――分断されている朝鮮の大きなきっかけもそこにあるわけですね。
金 1948年5月に単独選挙が南で行なわれ、それに反対する戦いですから、それを完全につぶしてしまうことで分断が確定していく。それはあります。
――そういう意味からいえば、「四・三」を四十年間モチーフとして、テーマとして持ってこられたというのは、一つのコリアにとっても大きな意味があると思っています。
――88年に初めて済州島に入られたわけですが、現実にはそれ以前にも取材等で行く必要があったのではないかと思います。88年に初めて行かれるまでの事情というのを簡単にお話しいただけますか。
金 ともかくそれまでも、韓国側に来てくれという韓国政府の招請が何度もありました。簡単にいえば、その時分から国籍を変えろというのがあったわけです。
――しかし金さんは政府からの招待は一切拒否していたわけですね。88年に行かれたときは、どこの招待だったんですか。
金 それは民族文学作家会議。しかし、政府が公式に認めている団体じゃないからと
いうことで、表向きは取材になっています。
――その第一回目は大変いろいろあったわけですが、朝鮮籍のまま入国した。40数年ぶりに初めてソウル、済州島に行かれて、後書きによれば『火山島』を完結するには大変よい契機になったということです。二回目に済州島に行かれたのは九六年ですけれども、これはどういう招待で行かれたんですか。
金 実は88年の後、91年に『火山島』取材のための入国を申請した時、入国を拒否されているんです。一昨年の場合は二回目の入国で、世界韓国文学人大会の招待でした。
――これは政府主催なんですか。
金 いわば政府主催。しかし無条件ということだった。私は行くつもりはなかったが、文藝春秋の担当の田嵜さんが、取材のためにはよい機会だからと勧めてくれて。それでも最後まで国籍を変えろとしつこく迫られていた。私は無条件だから行くのであって、そうじゃなかったら行かない。
――二回目の入国は、いわば政府の招待ということですね。このときは金永三政権でしたね。そしていよいよ今回三回目で、今年は済州島で「四・三」の五十周年ということもあって、「21世紀東アジア平和と人権会議」があって、日本からは文学者や国会議員がいろいろ行った。最初はそこに金さんは入れなかった。国籍を変更しなさいという条件が相変わらずあって入れなかったのですが、これに対して、会議が政府に対して強い抗議決議をした。それで急遽行けることになった。いずれにしても三回とも大変な困難で、無条件で朝鮮籍で入られたわけですね。
少し話が前後しますが、なぜ金さんが朝鮮籍を変えないのか、例えば実際の故郷に帰られるには韓国籍のほうが便利ということもあるでしょうし、その他いろいろと便利なことも多いと思いますが、なぜ韓国籍に変えないのかをお話いただけますか。
金 単純な言い方をすると、まず、私は何か得をするために国籍を変える気はない。だからといって他人が国籍を変えるのはいろいろな事情があるから、他人の批判をする気はない。だけど自分は変えない。自分の個人的な利益のためには変更しないという気持ちが一つ。国籍変えるのには、商売にしても墓参りにしても、複雑な事情があるんです。日本にいる在日朝鮮人は95%が南の出身じゃないですか。だから変えない人が不思議なくらい。大変なことですよ。
――一世であり先輩である金石範先生に、二世、三世の人間に対して、統一のためにやれること、やらなければいけないことを具体的にお話いただければと思います。
金 本土のほうでは許可なしに三八度線を越えれば銃殺されますが、日本には三八度線がないわけです。これから韓国籍の人もいずれ実現するだろう「北」と日本の国交正常化で、在日の朝鮮籍(十五万)の中から「北」国籍になる人たちと、そうでない、つまり「南」でも「北」でもない無国籍的な人たちもいろいろ出てくるでしょうけれども、だからといってこの状態は絶対的なものではない。朝鮮はもともと戦前は一つだった。二つの朝鮮は冷戦構造の中でできたもので、解放直後から50年の間にはっきりした既成事実になってしまった。だから現時点で統一するというのは、当時に比べて難しい。はっきり国家とか体制としてできてしまっているからです。解放直後はまだ流動的だったが、朝鮮戦争ではっきり可能性が失われてしまった、朝鮮戦争以来半世紀近い間に。難しいけれども、願望とすれば、朝鮮民族が、南北政府が、本土に住んでる人も日本に住んでる人も、統一を本当に望むなら、やはり統一が絶対性を帯びているとするなら―
私はそう思ってます、統一は必要であると ―、そのために、一切を越えなきゃいけない、国籍も。具体的にはどこに所属しているとかあるけれども、精神的にはそこを超越する思想をもつべきだ。
――国籍はある種の記号として持たざるを得ないので持っているのですが、それによって意識を固定化していくのではなくて、記号として持ちながらも、朝鮮民族として……。
金 記号であるのに、南・北ともに「国籍」化されることで一方の国家の構成員になるということです。記号性が一つの普遍性をおびて現実と衝突する、現実を超えるバネになる、そのような歴史的な条件のもとにあるのが在日ということ。
――そうすると在日というのは有利というか、運動しやすいというか。
金 そう、それは統一に対する一つの視点、思想の持ち方です。現実には韓国籍であっても朝鮮籍であっても、日本で超越できないことはない。たまたま与えられた旅券がそうであったり、より具体的に例えば取引銀行(共和国系、韓国系)が違うとか、所属団体、その他、教育機関にしてもいろいろあるけれど、統一のために一切を超越する、そこに収斂するという思想を持たねばいけない。
その一つの具体的な要望は、まず韓国政府が朝鮮籍のまま在日朝鮮人を自由に入国させる。例えば南の経済人が北へ行って長期滞在もできる、今そういう往来が、北から南へはあまりないけど、南から北へは現実にできている。必要に応じて韓国籍の人が自分の故郷である北へ行ける。それなのに在日は、なぜ行けないのか。これはやめろということです。今冷戦構造もなくなったし、やろうとさえすれば難しくないことです。
――逆に、在日の韓国籍の人間は北朝鮮へは入れるんですか。
金 難しい。
――すると、両方ですね。
金 両方。
――それでは、日本人がワンコリアに対してできることがあれば― 多分あるのでしょうが、何ができるか、何をすべきかとお考えでしょうか。分断の責任が日本にはあると私は考えるのですが、日本は50年以上そのままの状況を見てきて、それなりに利益を得てきたのですけれど、今、若い人たちに、金さんがメッセージを渡せるとしたら、日本は、そして日本人は何をすべきでしょうか。
金 硬い話になるけど、例えば日本人の拉致など、外交の正常化の支障になるようなものは起こっているけど、基本は日本が元来やるべき宿題を果たしていないということ。宿題を果たす大きな方向への途中で少々の引っかかりはあっても、それは絶対的なものではないんだ。宿題というのは、引っかかりがあっても、それ以上に日本の戦後処理の責任の問題。それは北との国交です。国交正常化のプロセスで生まれてくる副次的な問題はそれなりに解決していくべきだけれども、そこに全てをまわしてはいけない。
――とりあえず共和国政府との国交正常化を目標としていくべきだと。これは政治的な課題といえるものだと思うのですが、個々の学生だったり若い人が今できることはないでしょうか。もう少し具体的な日常的なことでは。
金 難しい問題ですが……ワンコリアフェスティバルに大勢が集まること……、これは冗談でなく重要なことですよ。それだけでも、本当に。それから歴史を勉強してほしいな。近代の日本と朝鮮の関係とか。やはり原則的な考えを一般的な人にも持ってほしい。
――原則的なこととは。
金 日本の責任の問題です。半世紀たって若い人の目には見えない問題になっているけれど、北に対する国交正常化は一番大きな問題。これが北のいろんなあまりよくない副次的なことで目隠しされている。けれども、そんなことじゃない。
――もう少し本質的に、歴史的にちゃんと見、認識しなさいと。
金 そうそう。
――日本の一般市民ができることはそこからのスタートだろうと。
金 もう一つ、在日朝鮮人に統一的な国籍をつくれということ。
――つまり、北の政府、南の政府でもない。
金 そう、これから統一を前提にするなら。いわゆる準統一国籍を作って、その「国籍」を持てば、南・北の祖国を自由に往来できるし。ともかく交通できる、出入りの自由。その前に、朝鮮籍が現実にあるんだから、韓国政府が大きな気持ちで、朝鮮籍で韓国に行けるようにして。将来的には韓国籍で北へも行けるようにならなければ。統一できるまでの過程には、在日の無国籍の状態がこれから起こるんだから。統一できたら問題にならないけれど、それまでは必ずエアポケットみたいな真空地帯ができます。
――統一よりも国交正常化が早ければそういうことが起こる。
金 そう。だから、在日は大きな緩衝地帯で、まず在日が朝鮮籍で韓国入国ができれば、かなり大きなインパクトになりますよ。統一祖国を志向するなら、韓国の政府が現状を過渡的な状態と見るなら―
分断を絶対的なものと見るなら永遠に敵対しますが、そうじゃなくて同じ民族で統一国家や連邦を作ろうとするなら、在日に準統一的な国籍をつくる。在日は国籍いろいろあるけれども、統一でまたかぶさるじゃない、地理的な三八度線ないから。朝鮮籍のままの道が開ければ、準統一国籍というのは決して夢じゃないと思う。
――それは今の朝鮮半島にいる人たちより、在日のほうがやりやすいということもありますね。
金 まあ政治というのは情報を一手に握っているトップ同士がぱっと手を結べば……、ということもあるからわからないけどね。しかし体制をそのようにもっていかないとだめだね。昔と違って南北合わせて総選挙というのはできないですよ。
――話を少し戻しますと、日本人がワンコリアのために何ができるかということですが。
金 それは、国交正常化。一般的にはですよ。
今の分断された状態が当たり前みたいになってしまっているから、普段は問題にならないし、拉致事件やテポドンがあると、関東大震災のときのような反応になるけど、そういう問題じゃない。北はああいう状態だから今すぐにはだめでも、もっと大きく包んで。日本は大きな国じゃない?(笑)
※「四・三事件」=1948年5月、アメリカ軍政下で南朝鮮だけの単独政府樹立のための単独選挙が行なわれたが、祖国を南北に永遠に分断することでそれに対する南朝鮮全土での反対闘争の一環として、同年4月3日に起こった人民蜂起。一年間に島民二十数万のうち、数万が虐殺された。「鴉の死」はその当時の済州島ゲリラ闘争を背景にして描かれた小説。
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(1998)