アジア共同体の可能性


 

舟橋洋一(ふなばしよういち)
1944年生まれ。東京大学卒業後、朝日新聞社入社。北京支局員、ワシントン支局員、米国際経済研究所研究員、アメリカ総局長などを経て、朝日新聞編集委員に。主な著作に『冷戦後』(岩波書店)『国境が点線となる』(朝日新聞社)『日本の対外構想ー冷戦後のビジョンを書く』(岩波書店)『アジア太平洋フュージョンーAPECと日本』(中央公論社)『同盟漂流』(岩波書店)他、多数。『同盟漂流』は今年度の新潮学芸賞を受賞した。



 

 私は91、92年頃、編集委員という立場でアジア各国を頻繁に訪れたのですが、その時、アジアの人々が他のアジアの国々に関心を持ち始めているな、という感触を得ました。それまで多くの日本人もアジア人も、私を含めてですが、アジアの国々をアメリカ経由で見ていた。しかしアジアをまわりながら、アメリカ経由の見方ではなく、隣のアジアの社会をもう少し知る必要があるぞと実感したのです。なぜかというと、みんなとても面白いことをしている。たとえば中国は78年に対外改革を行いましたが、これは韓国、シンガポール、台湾、香港の経験からものすごく大きな刺激を受けている。つまり自分たちの近隣の社会の実験や経験に、関心を持ち始めたということです。

 これは昔のアジア主義とは違い、もっと普遍的な契機をはらんでいる。たとえばそれぞれの国で民主化が進み、中産階級が生まれてくると、そういう人たちはどこの社会であろうと、かなり同じような意識を共有している。タイで民主化運動をしている人たちの意識と、韓国で民主化運動をしてきた人たちの話を聞くと、ハッとするほど響き合うものを感じるわけです。これは新しいアジアだ。たぶんこれからのアジアは、そういうつながりのあるアジアになっていくのではないか。その基本には経済の成長や発展があって、そのなかで中産階級が一種の社会の重しのような存在になっていて、そこから少しずつ、市民意識みたいなものが生まれてきている。まだ完全な民主主義には達していないけど、その過程がダイナミックな動きとして生まれてくるのが新しいアジアだ、と感じた次第です。

 ところが日本人はそれまで、そういう新しいアジアを知らなかったわけです。日本人のアジア観は、日本がアジアの中で最初に近代化したとか、日本は特殊で例外である、あるいは日本が先に走って他のアジアの国々はそれについてくるといった、きわめてヒエラルキカルで日本例外主義的なものが勝っていた。しかしそのアジア観は、どうも実情からずれているのではないか。自分たちもアジアも同じようなチャレンジをしていると認識すると、我々のアジア観とかアジアにおける我々の役割なども、新しい視覚からとらえる必要がでてきます。つまり普遍的なものを共有するアジア――わかりやすく言うと、「アジア共同体」という概念です。私が『アジア太平洋フュージョン』を書こうと思ったきっかけは、そういうことでした。

 当時ヨーロッパ統合の動きが深まっていたということも、この本を書く動機の一つでした。ヨーロッパ統合の動きは50年代からありましたが、90年代に入ってから、質的に違いが出てきた。その違いは大きく二つあって、一つは、単に主権をプールするといった国家からの動きだけではなく、さまざまな地方や都市や地域が、下から上へ押し上げていく動きがでてきた。それによって、統合の動きにより深みが出てきたということがあります。そのため単に経済ではなく、政治、文化、労働なども融合し始めた。サッカーのユーロリーグなども、その流れの一つといってもいいかもしれません。

 もう一つは、今まで分断されていたヨーロッパ、つまり共産圏・社会主義圏も一緒になって統合していくのだというダナミックさです。これはアジアも、参考にできるのではないか。というのもアジアも、朝鮮半島が一番悲劇的な形ですが、まだ分断されているからです。そういう諸々のことを含めて、もう一度アジアは、ヨーロッパから何かを学ぶことができるのではないか、と思ったわけです。

 ヨーロッパの統合の意味とは、まず経済を統合することによって、政治の安定と平和の構造が実現できるということ。同時に、市民社会が広がることによって、一つの共同体概念を作るということ。さらに言えば、新しい地域主義でもって、冷戦を本当の意味で終わらせる、ということだと思います。この三つのダイナミズムは、アジアも大いに学ぶことができるし、学ぶべきだと思います。

 もちろん、それをそのままコピーすることはできません。中国の政治文化問題もあるし、日本の過去の問題もある。だからそう簡単にはいかないけれど、チャンスはあるはずです。それが、私の本を貫く問題意識でした。

 ヨーロッパ統合に勢いがついたのは、ヨーロッパの指導者たち、つまり政治家たちに知恵があったというのも大きな要因でしょう。先日もドイツの前の外務大臣であるゲンシャーの回想録を読んだのですが、ドイツにとって一番難しかったのは、やはりポーランドとの関係でした。なにしろドイツとソ連は1939年にポーランドに侵入し、41年には分割したという過去があります。しかもその前から考えると、何度も「ポーランド処分」と称して領土を奪っている。ポーランド人からすれば、ドイツに対しては恨み骨髄の極みです。そのポーランドに対して、ドイツの政治家が冷戦後に与えたメッセージが実に見事だった。

 戦後、ポーランドのシュレジア地方からは300万人のドイツ人が追放されていますが、その人たちは大変な右派というか、ナショナリスティックで、領土回復みたいなことを言うわけです。しかしコールにしてもゲンシャーにしても、そういう勢力を押さえ込み、「シュレジアの問題は過去に戻さない。我々は新しい未来に向けていくのだから」というメッセージを、まず最初に送った。それを1989年の国連総会でゲンシャーが演説したのですが、その時ゲンシャーはポーランドの外務大臣の目を見ながら話しているんですね。その場にいたシュワルナゼはその演説にとても感動し、ある人とのランチの約束を変えて、「あなたとぜひ昼食を食べたい」とゲンシャーを招いたというのです。

 国連総会は確か10月頃ですから、まだベルリンの壁が壊れる前です。この状況の先取り、そして世論についていくのではなく世論をリードしていくという在り方が、まさに指導力だと思います。ドイツの領土問題は19世紀に溯るわけですが、その問題を克服し、越えて、未来を目指していった。そのドイツの指導力には感服せざるをえません。

 ドイツとポーランドに限らず、過去ヨーロッパの各国は常に微妙なバランスの上に成り立っており、それが破綻すると戦争を行ってきました。その流れは最近まで続いており、たとえばベルリンの壁が崩壊した直後、フランスのミッテラン大統領はモスクワに飛んでいます。これは強大なドイツを押さえ込みたいという、フランスの伝統的な感覚が働いたからで、ベルリンの壁が壊れた瞬間、フランスは確かに恐怖感を感じたはずです。しかしそれまで40年間、ドイツと共にヨーロッパ統合を進めてきたのだから、この新しい枠組みの中で共に歩むしかないと、その後、思い定めたのだと思います。

 フランスは81年にミッテランの社会党政権が生まれましたが、最初は企業の国有化などの伝統的な社会主義政策をとり、大失敗をしています。それで83年に路線を全面変更をして、一国経済政策ではもうヨーロッパは生きていけない、だから思い切って統合に向かうという政策をとるわけです。つまりフランスには、経済政策で欧州統合の方向にいくしか道がないという判断があったということでしょう。いくら政治的に恐怖感があったとしても、そこで袂を分かったら、経済が成り立たないという現実があったわけです。

 ところがそうした統合の動きに反したイギリスは、どんどんマージナルな存在になり、ヨーロッパでの影響力を失っていくことになります。やはり新しい共同体を作り上げていくという、主体的に歴史を動かそうとする力のほうが勝っていくわけです。

 EUの場合、経済統合は一つの段階で、その先に目指しているのは、ヨーロッパ市民としての共同体意識だと思います。そのことで思い出すのは、ベルリンの壁が崩壊した一週間後にベルリンを訪れた時のことです。私は、東ベルリンのグランドホテルに東ドイツの知識人と西ドイツの知識人が集まる席に同席したのですが、その時、東ドイツの人が「私は初めて、今、自分はヨーロッパ人と思った」と言った。すると別の東ドイツの経済学者が、「知識階層やエリートは、自分たちが初めてヨーロッパ人になったと思って高揚しているだろう。でも大衆は、今初めてドイツ人と感じているだろう」と言ったんです。私はここに、深い問題意識が提示されたなと思いました。ヨーロッパ人という感覚と、ドイツ人という感覚が、フューズし始めているんですね。その両方が変わりながら、馴染みながら、必要である。これが素晴らしい。これがもしドイツ人ということで凝り固まったら、うまくいきません。

 もちろん現実はそう簡単ではなく、年金生活者やお年寄りだとか失業者とか、実際に大変な状況にある人に、ヨーロッパ人という自覚をもてと言っても無理でしょう。現在のドイツは失業率が12%で、ドイツ人としてさえ乗り遅れた人たちが大勢いるわけですから。またトルコ人やクロアチア人の問題も抱えている。そうした何層にも重なった問題に対して、堅い壁を作るのではなく、優しく大きく包む被膜のような存在であろうと努力している点が、今のドイツから学ぶべきことだと思います。 

 ここで日本とアジアに立ち戻って考えてみますと、20世紀、日本はいろいろな失敗を重ねてきました。まず明治維新、福沢諭吉の脱亜入欧的な思想の背景を考えてみると、彼の言うアジアとは清朝だったと思います。清朝のような生き方では、歴史のなかで生き延びれない。だから、欧米から学ばなければいけない。そういう意味では、慧眼だったと思います。

 ところが日本の場合、決定的に足りなかったのは、他のアジアと連帯して欧米に当たるという思想が根づかなかったことです。気分としてはあったし、それはアジア主義的な形でさまざまに表われましたが、世界システムビジョンのなかに位置づけられなかったし、日本の国内政治の民主化と連動させることができなかった。朝鮮半島が乱れてきて、きわめて弱いと見ると、不満を持つ旧士族が、朝鮮半島を国内政治の矛盾のはけ口にしようとする。そういうふうに問題が始まるわけです。

 ユーラシア半島の東端が乱れてくると、日本はすぐ出兵しますが、シベリア出兵、旧満州問題、ノモンハン、朝鮮半島、すべて日本は失敗している。それは、まったくビジョンなしに出ていったからです。どういう理念をお互いに共有するのか、どういうコミュニティを作るのか、それがないままに、やみくもに出ていくわけですから、五千年もにわたる民族、社会固有の歴史を持ったアジアで、うまくいくわけはない。

 普通に考えれば、ここまで失敗して、第二次世界大戦にいくはずがありません。それなのに、なんでここまで失敗するのだという反省がなく、第二次世界大戦に突入したわけです。その結果、アジアの各国に多大なる傷を与えてしまう。しかも日本は、まだ20世紀のその問題の精算を完全にすませていません。これはアジア共同体への道を阻む、大きな壁となっています。

 もちろん、他の地域も問題がないわけではありません。まず中国も朝鮮民族も、社会が豊かで、分断されずに十全な、そして偏狭なナショナリズムとは縁を切った国家、社会であってほしい。そうでないと、これからの21世紀に、日本が過去に経験した失敗と似た失敗をする危険性があります。

 たとえば中国は、どういう社会を目指すのか、他のアジアが共有できるビジョンを示してくれないと、なかなか協調が難しいというのが現実でしょう。また朝鮮半島が分断されている限り、日本と朝鮮半島と中国が広い共存のビジョンを共有することは考えにくい。ですから朝鮮民族の統一は、日本にとっても、実に大きな問題となるわけです。

 ところが一般の日本人が、そこまで大きなビジョンで物を考えられるかというと、今なかなか難しいと思います。特に不況が続き、いろいろな意味で自信がなくなってきているので、より一層、閉塞的な考えに陥りやすい。そういう時、小さな風穴を開けるのは、実は大きく構えた国家の論理ではなく、市民レベルの連帯ではないか、と私は考えています。私はサッカー・ファンですが、ヨーロッパでは16世紀、17世紀の都市国家の名残があって、それぞれの都市でサッカーチームがある。そういうチームが集まってリーグを作っていますが、東アジアでもそういうことができればいいなというのが、私の夢です。北朝鮮のチーム、韓国のチーム、中国東北部、ロシアの東部、日本、アラスカのチームなんかが集まって、楽しくプレイをする。そういう、心をゆるめて一緒に遊ぶという地域感覚が欲しいし、そういうことにもっと日本が積極的になってほしい。植民地支配への補償も、もちろんやらなくてはいけないことだけど、それだけではだめで、もっと未来思考でなければならない。一緒に物事を作っていくという関係を通して未来を築いていかなければならないと、私は考えています。つまり、向かい合う関係ではなく、隣に座って一緒の方向を向く、ということです。

 日本が次のアジアのビジョンを見いだせないうちに、日本が不況に陥り、続いてアジアが経済危機に見舞われた。これは大きな試練であると同時に、アジアがいい方向に行くチャンスでもあると、私は考えています。日本でいえば、官主導の体制がだめだということが明らかになった。韓国もインドネシアも、体制を見直す時期に入った。ですからこの危機を乗り越える知恵を持てば、アジアはいい方向に向かう可能性がある。

 問題は日本です。日本が今抱えている問題は非常に複合的で、経済だけではなく、政治、行政、将来のビジョン、中国や他のアジアとどう関わっていくかという座標軸、市民社会の在り方、教育の在り方など、あらゆるシステムが一気に問われている。たとえ経済が立ち直ったとしても、これらすべての問題をクリアしていくには、相当時間かかることだと思います。

 ただ、ぼやぼやしていると、アジアの他の国に抜かれて置いていかれるのは必至です。もちろん経済規模は、いまだに中国の八倍もありますが、問題は経済規模ではありません。たとえば日本はこのままだと、国際社会におけるネットワークから疎外されてしまいます。日本人はネットワークというと、自分に何か得があるよう、どこかのグループに所属することだと考えがちですが、そうではない。市民が、他の国の社会の人たちとよりよく生きていくために、どのような表現でお互い理解し合うのか。どうやって物事を一緒にやっていくのか。その時、誰がリーダーとなり、どういう方法論でやっていくのか。そういったことの受け皿と言ってもいいし、ダイナミズムと言ってもいいし、乗り物と言ってもいいし、そういうものがネットワーキングだと思います。ところが日本は、そういうものから、はずれてしまう可能性がある。

 英語に関しても、今やインターネットなどの共通言語として割り切っていくしかないと思いますけど、日本の教育の現場は対応しきっていないのが現状です。明治以降の文部省主導の教育システムが軍艦のようにそびえているので、現実とずれているわけです。

 その点アジアの他の国々は、自分たちでシステムを作るのが遅れた分、欧米に留学したりするなかで、学ばざるを得なかった。すると今や彼らのほうがはるかに、共通言語で考え方などを共有する力を持っているし、ネットワークに入りやすい。ところが日本は、特に官の部分が、ネットワークから切れている。ですから東南アジアの国々のほうが、グローバリズムのなかで一緒にサーフィンできる状況にあるわけです。ところがそれに乗り遅れた日本は、下手をすると、アジアの国々から孤立していく可能性があります。

 それともう一つ、日本国内を見てみると、在日コリアンを始め、多様な民族が共存しているわけです。なぜそういう人たちを、もっと活用しないのか。居ながらにして多様性に触れることができるのに、それがなされていないというのも、日本の弱さだと思います。

 広大なネットワーク空間が広がり、深まれば、個人の生き方、社会との関わり方も重層的にならざるをえません。アイデンティティの在り方が、一国家や一民族に縛られる画一的なものではなく、もっとゆるやかで多層をなすものになっていくわけです。

 アイデンティティの在り方は固定的であるべきではなく、常に創造的で、ダイナミックであるべきだと思います。今、日本人に問われていることは、官や権力によって縛られた国民をほどき、二つ三つの世界を同時に生きる豊かな個人をどれだけ育てることができるか、ということだと思います。そういう個人をたくさん持っている社会が、強いし、豊かな社会であるはずです。しかし残念ながら、行政も教育もそのことがわかっていないのが日本の現状です。もし日本がそのことに気づき、豊かな個人を大勢生むことができたら、その時こそ日本がアジアに本当に貢献できるようになると思います。

 いずれにせよ、そう簡単にアジアが共同体化するはずはなく、紆余曲折があるのは当然です。ヨーロッパだって、70年代には通貨統合に失敗しているし、スタグフレーションになるし、失敗の連続だった。ただ長期的な大きなビジョンを持ち続けていたからこそ、ここまで辿り着いたわけです。
 まだアジアは始まったばかりです。でももし南北朝鮮が統一されれば、アジア統合の動きに、はずみがつくのは確かです。共に豊かになるために、未来に向けて、我々がどれだけ大きなビジョンと哲学を持つことができるか。今、コリアにも日本にも、そして他のアジアの国々にも、そこが問われているのだと思います。



(1999)

●撮影/大野純一
●構成/しのとう由里

 


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