韓・日文化交流の発展を願って

映画 『 家 族 シ ネ マ 

インタビュー 映画監督:朴哲洙(パク・チョルス)

朴哲洙のFILMOGRAPHY
1948、慶尚北道 青島生まれ。1976、映画に入門(甲フィルム、甲サンオク監督)。1978、映画監督デビュー。1980、MBCテレビ放送局に入社。PDとして勤める。1988、独立映画会社"朴哲洙フィルム"設立。
映画―『夜になると降って来る雨』『オミ(母)』『301・301』『産婦人科』他多数。
テレビドラマ―『センインソン』『出会い』他多数。
白想芸術賞大鐘賞韓国放送大賞、他受賞多数。

〜〜ワンコリアフェスティバルの賛同人でもある柳美里さん原作の芥川賞受賞作『家族シネマ』が、朴哲洙監督(53)によって映画化された(台詞は全て日本語による)。この映画には、ワンコリアフェスティバルに縁の深い作家の梁石日さんや、演出家の金守珍さんも出演している。「今後も、韓国と日本の交流に積極的に力を注いでいきたい」と語る朴哲洙監督に、『家族シネマ』への想い、将来への希望を語っていただいた。


― 『家族シネマ』を映画化しようと、思われたキッカケ、もしくは動機は何だったのでしょうか。
 以前、私は物語作家と呼ばれていました。しかし、「物語を作り続ける」ことは、ある意味で嘘を生み続けることでもあります。そこで、虚ではない現実イコール「人間が生きている姿」、つまり、日常生活を撮る、いうことに思いが至りました。
 日常生活というものは、見逃しがちですが、新しい自分の未来について考えるためには、絶対に必要なものですね。実は「日常生活」という意味で私は自分の家族のとこを映画化しようか、と考えていたんですが、その時、この『家族シネマ』に出逢ったのです。この小説は、私が考えていた「家族のビジョン」に自然に一致したのです。
 私は、韓日の問題を、時代を超えた視点で考えたかった。その時代、どの国で住もうと関係なく、人間そのものが重要だと思います。
 そして、もう一つ、私は韓国の家父長制度、血縁関係に対するあまりにも強いこだわりは家族を縛り付けるものだと考えていたのですが、家族の一人一人を独立した個人として認める『家族シネマ』はそのこだわりを捨てさせるスタイルともっていました。それが、私の新しい映画への抱負と自然な形で重なったのです。

― この作品には日本人の役者を多く使われています。その辺りに何か意図はあったのでしょうか。
 役者にとっては、表情、アクション、台詞の三つがとても重要です。これを映画にして、初めて映画が成り立ちます。
 ご存知のように、『家族シネマ』は在日同胞3世の作家が日本語で書いた小説です。表情、アクションはともかく、韓国の役者が、下手な日本語を使った演技ではどうしてもムリが生じます。そこで、昨年の夏頃から「自然な日本語が話せる」役者を「同胞」の中から探したのですが、限界があって、結局、日本人の役者が多くなったのです。
 ただ、韓国では日本人の役者を多く出演させたり、30%以上日本語を使ったりした映画は上映できないという制限がありますので、その意味では「同胞」の役者にこだわりたかったのですが、これがネックになって韓国で上映できなくなったとしても、それはそれで仕方のないことだと覚悟はしています。

― 現在、韓国の大統領が金大中氏になったことにより、韓国国内での日本文化の解禁が進みそうな雰囲気ですが、そのことについてはどうお考えでしょう。
 この映画を準備したのは、韓国の新政府が韓日文化交流の開放を発表するより以前でしたが、その後の急激なウォン(韓国の通貨単位)安を始めとする経済問題、外交問題などを考えると、この映画の制作はまさにタイムリー、非常にタイミング良く着手したと思っています。
 韓日文化開放は、両国がお互いに市場を確保しつつ交流する、という生産的なものでなければならないでしょう。日本文化を背景にした商品は韓国産より商品価値が高いという事実の前に、韓国はこれに対応しなければならない。その面でも『家族シネマ』が韓国をより発展させる役割を少しでも担えたら、と思っています。
 文化交流は、急いで進めるものではなく、役者同士の交流、韓日映画祭、技術交流などを通して少しずつできればいいと、思っています。
 さしあたって私にできることは映画の完成度を高めることですが、『家族シネマ』が韓日文化開放にあたって、何らかのキッカケになってくれたら、と思います。そして、この映画をキッカケに、韓国社会で世界市場を確保する、という次元にまで発展させたいという夢、希望は強く持っています。

― この映画の制作にあたって、監督にとっての"テーマ"は何なのか、教えていただけますか。
 以前は、顧客に観てもらうということを、ものすごく意識していました。「感動を与え、それに対してペイをもらう(金を支払ってもらう)」という意識。今はそういう過剰な意識は捨てました。今回はただ「自分が楽しいこと、自分が興奮し、苦悩すること」に基づいて作ることだけを考えました。
 映画のわかりやすい手法分類には、ハリウッド式と非ハリウッド式があります。ハリウッド式とは事件の展開を重視した、勧善懲悪の感動的な手法です。私は今回はこの手法によらず、「家族のビジョン」を第一に考えました。すなわち、ハリウッド式を異なり、形式や作る手法にこだわらずに真実をありのままに表現しています。ちょうど、イスラエルやインドの映画が、自分の生の姿を探すことに焦点を定めているように。
 「テーマ」とは何なのか、と言えば、以前は「テーマ主義」でした。しかし今は、現実の生活を描くという視点、「家族のビジョン」を大切にしようと思っています。映画の中に顧客自らがテーマを探してもらいたい、家族がどうあるべきかを観客にも一緒に考えていただくことで、この映画が完成すると思っています。

― 「家族」とは人間にとって普遍のテーマですが、今回、在日3世の柳美里さんの作品を映画化されたわけです。そこでおたずねしますが、「在日文化」とは一般的に存在すると思われますか。
 日本人とも、本国の韓国人とも違う在日同胞の文化はあると思います。
 同胞は世界各地にいます。皆、自分の意志で外国に移り、自主的に生きています。
 しかし、日本に住む同胞は、強制連行されてきた人が多い。在日同胞は、日本の伝統社会に入りにくいし、日本は多民族を容易に受け入れない。そして在日同胞は韓国に帰ることも難しい。そんな、日本人とも韓国人とも違う在日同胞にとって、在日同胞文化が成立することは自然なことだと思います。
 例えば、日本の文字で書かれた在日同胞の小説は、韓国文学なのか、日本文学なのか。
 今までは韓国の文学と見なしていませんでしたが、韓国の文学者の中で、韓国の文学としてみようとする人も出てきました。
 私が日本の記者に聞いたところでは、日本文学として見ているから、受賞や賞候補としてエントリーされはしますが、しかし純粋に日本文学として見られてはいないということです。在日同胞文化や在日同胞文学はあると思います。

― その在日同胞文学の代表的作家である梁石日さんや、演劇界で高い評価を受けている演出家の金守珍さんも出演されていますね。
 梁石日さんをキャストしたのは、家父長的な意識が残っている人だからです。これは冒険的な選択でしたが、とてもよかったと思っています。
 撮影しながら、金守珍氏は重要な役割を担当してくれました。金守珍氏は演出家であり、同胞としての自分の考えをしっかり持っている人なので、映画にもよく表れていると思います。

― はじめての日本での撮影で難しかった点はなかったでしょうか。
 初めは緊張の連続でしたが、韓国での撮影よろもむしろ面白かったですね。
 ビジュアル自体が日本の土地や畳、看板など日本の風土であり、それを韓国の監督が撮るんですから。
 事件やはっきりした構成になっている具象的な映画だったら、難しかったと思いますけど。家族の話になると、どこでもみんな同じです。演劇や映画は、グローバルランゲージで、世界中に通じます。

― 今後の韓国映画の展望をお聞かせ願えますか。
 ハリウッド映画や香港映画が圧倒的に強い韓国では、韓国映画の上映を一定保証する法律保護が必要であり、もっと映画を多様化する努力が必要だと思います。いい映画を海外映画祭に出したり、受賞したり、またそれをキッカケに韓国の映画を全世界に配給することも必要だし、技術力も向上させる必要もあります。
 日本文化が開放されれば、日本映画も入ってきますし、同時に韓国市場ももっとオープンにならざるを得なくなるでしょう。韓国映画は、まだまだジャンルに偏りがあり、映画界自体が小さい。ですから、法的保護の下でも早く世界に対応していかなければいけないと思います。

― 最後に、ワンコリアフェスティバルに一言お願いします。
 ワンコリアフェスティバルのことは韓国でも聞いたことがあります。ワンコリアのために、映画人として一緒に参加して、機会があれば何かを創りたいと思います。
 韓日映画の交流が始まれば、韓国映画の発展に日本人や在日同胞の力がとても需要になって来るでしょう。
 この作品が成功するか、失敗するかに関係なく、これからも日本人や在日同胞たちと一緒に仕事や様々な活動を通じて交流し続けていこうと思っています。
 鄭実行委員長をはじめとして、スタッフの皆さんの健闘をお祈りします。

(1998)

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