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田中優子(たなか・ゆうこ)
1952年、横浜生まれ。
法政大学教養部教授(専門:日本近代文化・アジア比較文化)。
1974年法政大学文学部卒業。80年同大学博士課程終了と同時に
第一教養部専任講師となり、83年助教授。86年度北京大学交換研究員
を経た後、91年から教授。93年度オックスフォード大学在外研究員。
著書:「江戸の想像力」(筑摩書房・1986年度芸術選奨文部大臣新人賞)、
「江戸はネットワーク」(1993年・平凡社)他多数。
つい先日、在日三世の大学院生、夫学柱さんが釜山の倭館を復元設計したということを新聞で知った。倭館は日韓交流のシンボルというだけでなく、江戸時代の外交思想のシンボルでもある。私も釜山に行った時、倭館の跡だという龍頭山を感慨深く眺めたことがある。倭館はいったいどんなところだったのか、ぜひ見てみたい気がする。
江戸時代になる前、秀吉にとってアジアは征服と搾取の対象でしかなかった。そのとき倭館は秀吉の城(釜山城)と化していた。江戸時代のあと、明治から戦前までの近代国家日本にとって、アジアは植民地化の対象だった。そのとき倭館は総督府の出先機関と化した。その両方のことを念頭に置いて江戸時代の倭館を考えると、江戸時代の特殊性と凄さがわかってくる。
倭館の職員のほとんどは対馬藩の人々だった。秀吉の侵略戦争の後、講和・外交の日朝関係を樹立したのはひとえに対馬藩の努力の結果だった。対馬という、日本と朝鮮との間にあり、日本と朝鮮双方の立場を熟知した存在に江戸幕府が事を一任したからこそ、倭館は外交施設であり得たのだ。中央(江戸)と中央(ソウル)の関係ではなく、対馬と釜山の関係が、日本と朝鮮のあいだの緊張や誤解をおおはばに減少させていたのである。政治経済の機能が各地に分散していた江戸時代だからこそできたことであり、幕府もその利点を大いに活用していたのだ。もちろんその根底には、戦争をしない、という江戸幕府の基本方針があった。これは秀吉の姿勢から180度の転換である。
江戸時代の日本と朝鮮半島の関係を象徴するのは倭館だけではない。朝鮮通信使というものがあって、江戸時代のあいだ9回にわたって大きな使節団が日本を訪れた。私はついこのあいだソウルの本屋を見てまわっていたのだが、李朝を中心とする生活の歴史や民俗学の本がずいぶん多くなっているのに驚いた。政治史だけでなく、韓国らしい生活の足許を見はじめたようだ。しかし、日本でよく見かける朝鮮通信使関係の本は無い。理由はわかるような気がする。
朝鮮通信使は江戸時代の前と後を視野に入れると、確かに蜜月の外交関係だと思える。実際、戦いを放棄することと平和外交に向かって双方が最大限の努力をしているからだ。このような時代は、古代から戦前までのあいだで言えば、江戸時代にしか実現されなかった。
しかし他方、中国朝貢システム(周辺諸国が中国に毎年使節を派遣するかたちで維持されていた当時のアジア秩序)からその方法(朝鮮側が日本にやってくる)を見ると、まるで日本が朝鮮を従えているように見えるのである。明らかに幕府はその外見――「国際的に承認され慕われている幕府」を、国内秩序に利用していた。平和外交は素晴らしいが、韓国の人たちがそのことにひっかかるのは当然だろう。平和の時でさえ「どちらが上か」に双方が神経をとがらせる。もう二度とこんな状態になりたくない。
ソウルの本屋をめぐったと書いたが、じつは1995年から、日韓文化交流基金が中心となり、私と立教大学の五十嵐暁郎教授が、専門家から意見を聞いたり選定する委員になって、韓国の良質の研究書を10年間にわたって翻訳出版していく、というプロジェクトに奔走している。五十嵐さんは日本政治の専門家、私は日本文化の専門家である。なぜ私たちが、と思うだろうが、私たち日本の専門家は、韓国の方たちと特別なつながりも研究上の利害関係もないからである。時に名誉や利益と結びつきやすい本の出版は、派閥や肩入れや頼まれ事でなされてはならないし、もちろんお金や何かの優遇が行われてはならない。その配慮から出発した企画だった。私も五十嵐さんも日本の専門家ではあっても、韓国に対しての関心は長くて深い。この仕事を始めて、ますます深くなってきている。
朝鮮半島をめぐる情勢は緊張を増してきているが、そういうときこそ、権力と関係のない人々のあいだのつながりが大きな働きをする。在日の人たちの役割は江戸時代の対馬人と同じか、もっと重要になっている。しかも、在日の人たちの小説や研究は、自分が何ものかわからなくなってしまった日本人をしのぐものがあって、漠然と富に酔う日本人たちに己を振り返らせる。ますます良いものを作り、書き、活躍して欲しいし、私もその刺激の中で自分を育ててゆきたい。
最後に宣伝しておくと、「韓国の学術と文化」叢書の一冊目は、法政大学出版局から今年の暮れか来年はじめに出て、そのあとは次々に出版される。よい本の情報を持っている方、翻訳能力と専門分野の双方を持っている方、連絡をください。
(1998)
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