1998年8月15日午後7時半、ついにニューヨークにおけるワンコリアフェスティバルである「祖国光復53周年記念8・15フェスティバル・フォー・ワンコリア」がラガーディア・パフォーミング・アート・シアターに約500名の在米同胞を集め幕を開けた。規模は小さくても歴史的な瞬間である。白いチマ・チョゴリに身を包んだ司会の「ラジオコリア」のアナウンサー、チャン・ミソン氏が快活に開会を宣言し、この催しが単に光復53周年を祝うものではなく、祖国の統一を願う深い意味をもつものであることを静かに語りかける…。
この日を迎えるまで文字通り紆余曲折があった。ニューヨーク開催は、私達の掲げるヴィジョン実現の一環として構想され、早く1990年頃から表明されてきた。国連本部のあるニューヨークならワンコリアを世界にアピールできると考えたのである。できれば当フェスティバルの10周年には実現したかった。しかし、バブル経済の崩壊、さらには「阪神・淡路大震災」と続く状況では10周年どころか、いったんは遠のくのもやむをえなかった。
やっと昨年4月、長引く不況下にもかかわらず、ニューヨーク開催の可能性だけでも探りに行こうと渡米した。今度は15周年を目途に考えての行動開始であった。ところが当地の各団体、各界人士に会ってみると思いの他反応がよいのにこちらが驚くほどであった。
その年のパンフレットにはニューヨークから多くの連帯メッセージも寄せられ、私達は意を強くした。これならさっそく来年プレイベントの形ででも始めようと。
そして今年の3月再びニューヨークを訪ね、昨年出会った在米同胞を中心に準備委員会作りを具体的に始めた。在米同胞社会の中で最も影響力がある韓人会とキリスト教教会協議会の代表が共同代表に名を連ねバックアップし、複数の若者の団体が行動してくれることになった。あとは実務的な責任者を決めるだけになった。これも何度か説得した結果、キム・ドンチャンという責任感と行動力のある青年が引き受けてくれた。驚くなかれ、記者会見までして来たる8月15日のニューヨーク・ワンコリアフェスティバル開催を発表することができたのである。
今考えてみれば、アメリカで右も左もわからない私達が、ここまであまりにも順調すぎた。意気揚々と日本に戻った後、私達はそう簡単にはいかないことを思い知ることになる。
反共教育の強かった60年代、70年代に移民してきた在米同胞の中にはワンコリアすなわち統一問題を前面に掲げると警戒心や抵抗感をもつ人が多いので、第一回の今回は、光復節の記念を前面に出した方がよいという判断が大勢だという連絡が入った。ニューヨークでは光復節でさえ記念する行事がなかったという。キム・ドンチャン氏の立場も苦しそうであった。彼らの苦労を思えば、名称にこだわるより、まず始めることが大切だと考え、彼らと話し合った結果、「祖国光復53年記念同胞祝典8・15(パリロ)フェスティバル・フォー・ワンコリア」という実に長い名称になった。想えば日本で私達が始めた時も「8・15〈40〉民族・未来・創造フェスティバル―ワンコリア―」という長い名称であった。
ともかくも、こうしてニューヨークでついに幕が開けたのである。オープニングは子ども達のプンムル隊の演奏である。日本よりももっと遠いここアメリカで一生懸命民族楽器を叩く子ども達を見るのは嬉しい。続いて青年達のサムルノリ。かなりの力量だ。次に一転してニューヨーク芸術歌曲研究会会長、ソ・ビョンソン氏(テナー)によるコリア歌曲が披露される。そして、いよいよ日本から唯一参加した沢知恵氏の出番である。まずは、日韓混血である自分を歌う「私は誰でしょう」を韓国語で歌う。観客にけっこう受けている。韓国の「故郷の春」と日本の「ふるさと」を続けて歌った時は、観客の多くも「故郷の春」を一緒に歌っていた。また、様々なものの間に引かれる線は同時に結ぶ線でもあると歌う象徴的な曲「The
Line」も印象的だった。
第一部の最後は韓国から来た鄭泰春・朴恩玉の夫婦デュオである。抜群の実力でメッセージの込もったすばらしい歌を披露してくれた。アンコールがなりやまない。日本での出演(大阪のみだが)が楽しみだ。
司会から時間が押しているため、このまま二部に入ると同時に、ここで実行委員長のキム・ドンチャン氏と日本における実行委員長である私を紹介するとM・Cがあり、私もあいさつすることになった。私にはどうしてもしたいことがあった。「ハナ・コール」である。あいさつの後さっそく「ハナ・コール」を説明し、ぜひ一緒にしましょうと呼びかけた。ニューヨークはすごい。いきなり盛り上がった。全員がひとさし指をつき出して「ハナ」を唱和してくれたのである。本当にニューヨークまできてよかったと感激した。
引き続く二部は、米東部地区国楽人協会副会長、イー・ギヨン氏の京畿民謡のメドレーで始まった。この後韓人会会長、シン・マヌ氏もあいさつに立ち、キム・ドンチャン氏と私の労をねぎらってくれた。次はアメリカ生まれの2世であり、ラップ歌手であるジェーメーズが全て英語で歌うというより語る。彼は日本でもアメリカからの参加者として出演する(東京のみ)。いよいよトリの登場という雰囲気で韓国から来た男性二人のデュエット「ヘバラギ」がステージに現われる。在米同胞の間でも人気があるという。
フィナーレは、青年達によるプンムル隊の迫力ある演奏でしめくくられた。午後7時半から11時までの公演が今幕を降ろした。アメリカは車社会なので電車の時間を気にする人はいない。ほとんどが最後まで残っていた。
主催者は、もう少し宣伝できたら700名収容の会場は超満員になっていたと口惜しがっていた。主要な出演者である鄭泰春やヘバラギの出演決定がビザ問題などのためギリギリになり、彼らの名前をほとんど告知できなかったのが痛かったという。しかし私ははじめてでこれだけできれば立派だと言った。何より観客の反応がよかった。みんな満足そうに帰ってくれた。もう来年を期待してくれているようだった。中には「ハナ・コール」が良かったとほめてくれる人、自分も思いっきり大きな声で「ハナ・コール」をしたと言ってくれる人もいた。「ハナ・コール」はここニューヨークでも広がるにちがいないと確信した。