「俺らの場合、当初すごく熱い思いで参加したというより、鄭甲寿と飲んでて『東京ピビンバクラブも出るんやったら俺らも出たい』言うて。それが震災があった95年。けどワンコリアフェスティバルに関わったから、『朝鮮半島問題』かかわっているとか、思ってない。常々自分らは自分らの問題をやってるだけやという感覚があるから。今でもはっきり覚えてるけど、震災から3ヶ月ほど経った時に、民族学校の支援チャリティがあって、東京ピビンバクラブと一緒に出たんです。あの時、ソウル放送が入っていて、インタビューが皮肉パンチかましてきてね。『今まで日本人が、我々朝鮮人のために、何かいいことやったことはあまりないんだが、なんであなたたちはこういうチャリティをやるんですか』って(笑)。それ言われたとき、パッと口ついて出てきたんは、『別に俺は”朝鮮問題”をやってるんやない。”日本問題”をやっているんや』。自分でもあとから考えて、そうやなぁ思ってんけど。俺らがワンコリアフェスティバルにかかわってんのも、そういう感じやねん。『日本問題』、自分ら問題やって…」 ―『日本問題』、自分問題というのはどういうことですか? 「もちろん一番でかいのは、近代史の中における関係性ということになるんやろうけど。例えばアイヌの友人と話してても、そこで話されている内容が『アイヌ問題』みたいに思われているけど、これはどうみ見ても『日本問題』で、問題があるのは日本やということになってくる。沖縄のウチナンチュ―と話してる時もそうやし。自分のほうが主体やということが分かってから、初めて相手のことを考えるという順序があるわけで、それが逆転してしまうのが日本人の悪い癖いうか…。だからワンコリアも自分問題、『日本問題』なんや、という感じがすごくある。」 ―阪神大震災の後、ずっと被災地と関わってきましたよね。あれはどういうきっかけで始めたんですか? 「あれは被災の一週間後に、うちの伊丹英子が『ジイサン、バアサンは娯楽がたぶん無い。だから私は一人でも歌いに行こう思てんねんけど、あんたら来るか?』言うて。そんなん言われて俺はやめとくとは言われへんわなぁ(笑)。とにかく一回行ってみよう、と。行って先のことを考えよう。そんで行ったら、一回目がすごくよかってん。<安里屋ユンタ>とか大合唱になって。それでメンバーでミーティングすることもなく、なんとなく二日にいっぺんペースでいくことになって。でも被災地に行く前は、関東大震災の韓国人虐殺のことは思いましたよ。こういう有事のときに、また日本人はお得意の排他性を発揮するんとちゃうかとう怖さがあって。だから最初のレパートリー選びのとき、コリアン民謡とアイヌ民謡と沖縄民謡はヘタクソでもいいからやろうと、漠然と思いましたね。被災地でやってると、『軍歌やれや』みたいなオッサンもおるねん(笑)。『分かった』とか言いながら<アリラン>やったりする感じ(笑)、気持ち良いもんね。」 ―去年ピースボートで北朝鮮に行かれたそうですけど? 「もちろん朝鮮半島には興味あるし、そんな簡単に行けるところやないから、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に行けるならラッキーって感じで」 ―行ってみてどうでした? 「行ってすごく良かった。マスコミで報道してるのは当たってる部分もあるやろうけど、その部分だけしか考えないのはすごく危ないことやと思った。確実に偏見とか植え付けられてるし。行ってみるとおる人間というのは、当たり前のことやけど同じ人間やわね。最後の方とか、けっこう始めの観光コースを離れて、一般庶民が行く百貨店などに行かしてくれたんです。そん時、伊丹英子と歩いてたりしてると、毛が赤かったりするから、ゾロゾロ子どもが付いてきたり、そのへんのオバチャンとかが笑いながらワーッと髪の毛触りにきたりして、なんやこの感じって、生野と同じやんけ(笑)みたいな感じで。」 ―当然、向こうでは歌ったわけですよね。 「韓国では公の場所で日本語ダメでしょう。俺は日本語でしか歌わないんですよ。日本国の言葉とかじゃなくて、俺の歌う日本語は俺にとって母語やから。中川の母語えを禁止するのは、変な国や(笑)、というのがあって。もちろん近代の歴史を感じさせてくれる事実やけどね。それで北朝鮮に行ったときに、俺ら多少は気ィ遣ってレパートリーに<アリラン>とか<トラジ>と入れてたん。向こうは何をやるんやって事前に曲を検閲するし。そしたら、そんな気ィ遣うな。日本の歌、歌え。自分らの歌、歌えばええやないかって。」 ―へぇ! 「拍子抜け。でも嬉しかったな。それと歴史博物館に行った時、いろいろ朝鮮半島の歴史が展示されてるんやけど、近代に行けば行くほど、日本人がやった残虐な行為の写真がいっぱい展示してあるわけ。北にある資料やからもちろん俺らが目にしたことないような残虐なのがいっぱいあって、みんな言葉失ってもうて。その時に説明してはった人が、『これをやったのは、天皇主義者です。あなたたち庶民も犠牲者だった』ってこと、言うわけですよ。『民族』という観点だけでなく、『階級』という観点も北にはあるんやなぁ思って。まぁ十日間では、北朝鮮という国家のことはまったくわかれへんかったけど。それでもいろいろな視点がないと。『民族』とう視点だけでやりあっているのは、しんどいよね。俺は最終的には国家とか血縁的な意味での民族とか信じてなくて、文化圏という言い方が好きなんです。それぞれが持っている歌とか、『おまえの村の踊り見せてくれや』みたいな関係性が、最後のアイデンティティというか。もちろんグローバリズムが進んで見えにくくはなってるけど、個人の歌とか、個人の踊りとか、個人の言葉っていうか、一人ひとり文化は違うはずやし。あんまり『家』とか『民族』だけで考えていく考え方って嫌やから。最後は、『自分文化圏』みたいなところに行きたい思ってるねんけど(笑)。」 (1997) |
中川敬(なかがわ・たかし) |