(1996)

今年(1996)も「ハナ!」の想いに
賛同して下さる方々から多くのメッセージが届けられました。

 金愛子
 永六輔
 愼英弘
 鷺沢めぐむ
 金順子
 伊達政保
 高信太郎
 塩見孝也
 飛田雄一
 李康則

 


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陽光につつまれる母なるコリアの大地
連なる山並みと弛ゆまぬ川の流れ
チマチョゴリのハルモニが畔道をやさしく歩いてくる
今は亡き私のハルモニに思えるのはなぜだろうか
生まれる前からこのコリアを愛していたかも……
コリアと私はやはりハナなのか

金愛子(きむ・えじゃ)

 

画家1956年京都生まれ。京都韓国高等学校卒業。
関西美術院終了。光陽会会員(新人費、会員秀作費、特別賃、多々羅賞受賞)
12
2日〜6日、駐大阪大韓民国総領事館ホドリギャラリーにて個展開催。


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16回目になる京都の宵々山コンサートは、3回前からアジアに顔を向けるようになり、その流れの中で韓国のオモニたちの舞踊研究所、朝鮮学校の歌舞団をゲストに迎えるという風に、南北のコリアー……ワンコリアもテーマになってきました。前回は岡本文弥さんが慰安婦問題を新内で語り、その後に南北コリアの仲間たちが文弥さんに感謝した時は、本当に感動的な場面になりました。文弥さんにしてみると、決して感謝されることではなく、謝罪をしなければいけないことで、その謝罪をする部分を新内で語ったことに南北の皆さんが感謝して下さった。ここにあることが、日本人にとってとても大事なことではないかと思います。
南北が一つにならなければいけないという時に、二つが一つになるための接着剤は何かと考える時、それは芸能であったり物の考え方であったり、いろいろあると思いますけど、我々はひょっとすると、接着剤の役割をお手伝いできるかもしれないと思っています。ワンコリアフェスティバルが、これからもそういった接着剤の仲間を取り込みながら、成功するようにお祈りしています。

永六輔(えい・ろくすけ)

 

1933年東京生まれ。放送作家、作詞家、司会者、語り手、歌手と多方面に活躍。善書に『芸人達の芸能史』『もっとしっかり日本人』『大往生』など。一昨年、昨年と、ワンコリアフェステイバル東京に司会をつとめた。


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ワンコリア活動が始まって、分断状況にある祖国の統一思考が大きく一人一人の胸の中に根を下ろしたと感じている。とりわけ在日同胞の韓国籍・朝鮮籍という分断状況をうにまとめ上げた活動だと言える。一日も早くワンコリアの活動の目的が達成される様、みんなの力を結集しよう!

愼英弘(しん・よんほん)

 

1947年、東京生まれ。在日朝鮮人二世。
現在、神戸大学、大阪教育大学非常勤講師。関西大学人権問題研究室委託研究員。著書に「近代朝鮮社会事業史‐京城における方面委員制度の歴史的展開」(緑蔭書房)「定住外国人障害者がみた日本社会」(明石書店)がある。


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水面に放った石が波紋をつくるように、誰かと会うこと、誰かと話をすること、そのために自らが動くこと声を出すことで、必ずひとは変わっていけるはずだと信じています。今年もより一層の盛会をお祈り申しあげます。

鷺沢めぐむ(さぎさわ・めぐむ)

 

作家19歳の時に『川べりの道』で文学界新人賞、92年に「駆ける少年」で泉鏡花賞を受賞。93年には韓国の延世大学に語学留学。近著に「私はそれを我慢できない」(大和書房)「F 落第生」(角川書房)


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再び熱くワンコリアフエスティバルが開かれる。
この言葉「ワンコリア」を聞くたびに割り切れない気持ちを隠す事が出来ない。
我等祖国の翼の「ワンコリア」の実現は一体いつになるのだろうか?
いっその事、あきらめようか。いや、いけない。
私の手で、貴方の手で、皆の手で出来る事を何かしなくてはいけない。
その集大成がこの”ワンコリアフェスティバル”ではなかろうか。この思いよ、天に届け!

金順子(きむ・すんじゃ)

 

1945年宮城県生まれの在日二世。社団法人韓国国楽協会日本関東支部長。金順子韓国伝統芸術研究院院長。
芸の練磨のために、数多くの韓国人間無形文化財に師事を受け、在日文化の為にも奔走し、別名”裸足の舞踊家”とも呼ばれている。


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当初の「民族」の統一、「祖国」の統一、すなわち「ワンコリア」の実現を目指すものから、現在はそれにとどまらず「アジア共同体」を展望するものと位置付けられているという。
このフェスティバル。「在日コリアン」の、国家ばかりでなく民族をも越えていこうとする意気込みが感じられるのだ。
他民族との共生の中から、新たな民族性を確立すること。そして各々の新たな民族形成によって既成の民族概念を打ち破り、それまでの国家による支配・被支配、差別・被差別構造を根底からひっくり返すということが必要ではないか、などと考えさせられてしまった。
こうした中で、既存の民族文化に自己の民族性を求めるのではなく、自己の現在から新たな民族文化を創出することこそが、新たな民族形成なのだということを、このフェスティバルから教えられたような気がする。そのような民族文化の相互作用によって生み出されるものが「混民族芸術」なのだ。

伊達政保(だて・まさやす)

 

1950年生まれ。中央大学在学中に全共闘運動にかかわる。その後朝倉喬司、平岡正明、船戸与一らと、楊明雄・戦後保証闘争、ミクロネシア独立闘争はとに参画。現在は、労働組合運動、市民運動に携わりながら、文筆活動を展開。善書に『ドウ・サ・レフト・シング』(批評社)、『混民族芸術論バスタード・オン・サ・ポーター』(ビレッジセンター出版局)など。


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40歳を過ぎて突然隣国に興味を持つようになり、現在に至っております。カタコトながら喋れるようにもなり『まんがハングル入門』などという本も出してしまいました。また韓国音楽友の会というのにも入っており、レバートリーも軽く百曲を超しております。新宿の居酒屋では、留学生と互いに相手の国の歌を歌いあったりしています。韓国の漫画家達とも交流が深まり、日本の漫画家を連れて何度か訪韓しました。このようにささやかながら隣国とのかけ橋をやっております。一人一人が自分の物差しでおつきあいすることが大事だと思います。ワンコリアへの参加はこれが二回目ですが年ごとの盛り上がりは明るい未来を感じごせてくれます。ワールドカッブのころには念願のワンコリアが実現とれるのではないでしようか。もちろん楽は道ではないでしようけど。

高信太郎(こう・しんたろう)

 

漫画家 1944年生まれ。高校卒業後上京。印刷会社キャバレーの照明係を経て現在にいたる。日本推理作家協会会員。著書に『超日本むつかし話』『おもろい韓国人』『ビートたけしの賞味期限』などがある。また演芸評論家、コメンテーターとしても、テレビで活躍。


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ワンコリア"という言葉は大変響きが良く、しかも今の朝鮮民族の願いをもっとも鮮やかに表現しています。
心ある日本人は隣邦民族が互いに「南」「北」に分かれたまま、不和・不幸であることをのぞみません。
まして、迷惑をかけたことや未だ侵略を居直り、民族差別を温存している日本の実情に思いを致すなら尚更のことです。
僕は一人の日本人として・「南」「北」双方の民衆の方々と分け隔てなく友人でありたい、と思っています。
それ故、朝鮮民族が自身で自主的・平和的・民主的統一を実現することを願っています。「ワンコリア」の理念をもった様々な運動の発展を願います。この点で、朝鮮民族の自主的な願いを外枠、国際政治の面で、抑え込み、日本人にも不幸をもたらす、冷戦の遺物とも言える日米安保条約は不要と思っています。

塩見孝也(しおみ・たかや)

 

1941年大阪生まれ。京都大学文学部入学。65年、統一共産主義者同盟を結成、日韓闘争を闘う。69年共産同赤軍派政治局議長に。70年破防法違反等で起訴。以後20年、獄中で過ごす。96年「自主日本の会」結成、代表となる。著書に『封建社会主義と現在−塩見孝也獄中論文集』『リハビリ終了宣言』など。


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阪神神戸大震災は、大きな試練をわれわれに与えた。そしてその中では、「共生」の中身が問われた。
被災地では「外国人救援ネット」が作られ、オーバーステイ外国人の治療費、弔慰金などの課題に積極的に取り組んだ。全国からの応援に本当に感謝している。
日本社会はまだまだ多くの排外的な側面を残しているが、日本人も外国人も困難な状況のもとで助け合った。
コリアンの「ハナ」の精神での活動は、多くの感銘を与えた。民族の違いを超えた救援活動は、新しい「街づくり」に生かされることだろう。ワンコリアフェスティバルが先取りしている「世界」は、その街づくりの素材となる。

飛田雄一(ひだ・ゆういち)

 

神戸学生青年センター館長。NGO外国人救援ネット副代表。


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天上界にて
「百済王さんよ。まあ今は音の話だが、よくよく長い間お互いに凌ぎを削りながら戦ったもんだな」
「おまえさんが『唐』と連合して攻め込んできたひにゃ驚いたよ。一族郎党命からがら玄海磯を越えて『倭百済』にいる先に渡って言った一族を頼ってほうほうの体で逃れたもんな」
「いやあいやあすまなんだ。ところで高句麗の大王よ。おまえさんとこは『隋』や『唐』まで蹴散らして広大な領地を手に入れ大きな碑までおっ立ててなんだいあれは戦勝碑なのかい?
「いやぁお恥ずかしい。俺の刻み込んだ碑文を勝手に改竄したしないで揉めているようだが。まあ言わぬが花かな。ときどき倭の、なに? あっそうか今は日本というんだな。そこに俺の末裔が『さきたま』なる地に杜「モリ」を建て、うん高麗神社とか言うそうな。そこに遊びに行くのが楽しみでな」
「ワシも行ったことがあるが国境を越えたくさんの善男善女が詣でていたわな」
「国境といえば我らが命を賭し譲ってきた国が今二つに分かれているのは実に実にまことに以て残念だ」
「よく言うよ。いつも、おぬしから先に侵略してきたくせに。でも心配だな。大義名分はどうであれいつの世も戦争で泣くのは民衆だからな」
「ところでここ十年少し前より倭あっ日本ね。そこで若者たちが我らの国の統一を願って新しい大きな動きがあるようだが?
「ワシも聞いた。『ワンコリアフェスティバル』とか確か言っていたな。国境を越えた心ある人々が集い平和裡に統一が為されるよう呼びかけているあの祭りのことだね」
「俺達の時代にゃ今となっては恥ずかしいが三つに分かれ互いに武力で覇を競ったもんだ。それにそんな動きがあればすぐさま弾圧したもんな」
「いやぁそれを言われると穴があったら入りたい。それぞれが独自の文化を数多く残したが残念なことに戦火で灰燼に帰したものも随分とあったな。一部は倭いや日本に流れて花が咲いたようだが。まっこと残念じゃ」
「戦争はいかん!戦ってきたわれわれが声を大にして後世の末裔たちに訴えたいッ!」
「そのとうりッ!あの時はお互い本当にすまなんだ。今統一のため 手弁当で汗流しながら頑張っている彼らから爪のアカでも貰いたいもんだのう」
「よしッ!ワシが煎じてさしあげよう。一緒に飲みながら天上界より応援しようではないか」
「イエッ!(よし)クロッケハゲッスムニダ!(そうしよう)

李康則(り・かんちっ)

 

1943年長野県生まれ。渋谷で焼肉「清香園」を営みながら、陶芸、武道、畑仕事にいそしむ。


 


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