一曲の歌が、ゆるやかに、しかし大きく、アジア各国に広がっていった。喜納昌吉氏の『花』。日本語で、中国語で、英語で、ハングルで、その曲は歌われる。
「川は流れてどこどこ行くの」で始まる軟は、「泣きなさい、笑いなさい…!」と、人々の日常を包み、肯定し、励ます。
この、世界的な大ヒットとなった『花』の「花を咲かそうよ」の段を扱う時、喜納さんは何気なく人差し指を一本立てていることがある。ここ数年のことだという。人伝に聞いた噂だと、気がついたら癖になっていたというのだ。一昨年、昨年と、二度に渡ってワンコリアフェスティバルに出演したとき以来の……
花・ハナーひとつ。
花という音源の響きは、ワンコリアフエスティバルのテーマであるハナ(ハングルでひとつ)と重なる。そのことを知った喜納さんは、あるインスピレーションを感じたのだろう。花を咲かそうよと歌いながら、喜納さんの指は、「ひとつ」を示す。そこに「世界はひとつ」という喜納さんの祈りが込められているような気がする。
「私の『花』のメッセージが、偶然にもコリアの言葉である『ハナ』に通じていると気づいて、あとで驚きました。願わくば本当にコリアで私の『花』が歌われることを願っています。偶然というのは不思議なものですね。17年前、私に最初に会いに来たミュージシャンは、コリアの方で白竜さんでした。ということは、私の魂の霊的コンタクトはコリアと出会ったということです。その後に『花』は世に出ていますから因果も感じますし、歴史の姿というのはこういうかたちで現れてくるのだなと思っています。」
ところで喜納さんといえば、今、アジアで最も影響力のあるミュージシャンの一人として知られている。沖縄から出発し、世界を、そして地球全体を視野に入れた彼の音楽は、国境を超えて多くの人達の心に響きかけ、愛されている。
「私は沖縄の血で内体的生を受けましたが、内体は沖縄の土壌の栄養を入れ、心は世界中の栄養を受けて成長してきたと思っています。そして沖縄を深く深く愛すれば愛するほど、そこに沖縄がなくなっていく。なぜなら、沖縄の神話を深く旅していくと、生命そのものに出会うからです。生命は、大自然の中に生きています。そのことに気づいた時、私は『世界は一つだ』と深く感じました。だから私は、自分が立っている沖縄は、同時にあなたが立っている、韓国、北朝鮮、日本、中国、アメリカ……どの国であろうと、変わらないように思うんです。ただ、自分が住んできた場所の歴史という幹、神話という根の世界、そういうものをひとつひとつ健康にしていくのが、私の作業であり、役割だと思っています」
そういう喜納さんだが、もともとは音楽で活動をする意識はなかったという。
「ただひとつ、人が楽しいと思うものに応えていくような歌を歌っていた。そして、私の歌が自由に流れていく場所もあった。しかし、私が楽しく歌っても、受けつけない世界もあったことは確かです。それにとどまらず、楽しく歌うということをつぶす勢力とも私は出会ってきました」
生とはそういうもめだ、と喜納さんは言う。楽しいことたけではない。悲しいこともある。そういった生を丸ごとを受け入れるのが、生きるということなのだ。だから「泣きなさい、笑いなさい」とは、生そのものを歌った歌なのである。
「私は、あらゆる現象を受け入れて今日に成長してきました。そして今思うことは、本当に人々がひとつになれるように、ということです。あるいは、真実とは何であるか、私はどこから来てどこに帰っていくのか。その過程の中で、エコロジー、人権、反戦、身体障害者、エイズ、あるいは先任民などのあらゆる問題が私と友達になりつつあります」
音楽を通して「友達」となった問題のひとつとして、ワンコリアもあった。喜納さんは、ワンコリアフエステイバルとの出会いをこう語る。
「ワンコリアフェスティバルとの出会いは、私にとって歴史的な出会いです。我々は21世紀を迎えて、人類がひとつ、地球がひとつにならなければならない時代に入りつつあります。私は、日本の中で何を我々が義務として成し遂げなければならないのかと考えた時、それは日本史がやり残したことをすることだと思っています。まず、北にアイヌ民族がまだ旧土人保護法で悩んでる。南には重度な日米安保で背負わされた過剰な基地が置かれている。そして強制連行され日本に連れてこられた在日コリアンの方々が西から入ってきた。さらにその中で、実際にまだ韓国と北朝鮮が38度線によって分断されているという事実がある。今、我々が、日本という国家的物理的空間の中で何を成してゆくべきかというと、常にボーダレスという観点を持って、お互いに出会うことだと思います。私は、ワンコリアフェスティバルから何かができるという可能性を信じています。ワンコリアフエスティバルには、過去の歴史を精算し、新しい出会いをかなえる可能性がある。だから私は、とても感動したんです」
ワンコリアから、ワンアジアへ、そしてワンワールドへ。ワンコリアフェスティバルが目指しているものは、喜納さんの目指しているものと、究極のところ同じなのだろう。だからこそ互いに出会い、響ききあったに違いない。
「ワンコリアフェスティバルがワンワールドを目指しているのは、非常に素晴らしいことだと思います。韓国があり、北朝鮮があり、その間に38度線がある。私はこの38度線は、人類のラスト・ゲイトだと見ています。だから、これは朝鮮民族にとっては不幸なものですけど、しかし、よく見てみると、朝鮮民族に与えられた人類的役割のような感じがするんです。このラスト・ゲイトがどういう開き方をするかによって、人類の運命が決定されると思います。言い換えると、日本から最も近くて遠い韓国・北朝鮮のラスト・ゲートが黄金の扉になれば、人類には黄金の未来が約束されているのではないか、ということです。その意味で私は全面的にワンコリアフエスティバルの意志に賛同しています」
その喜納さんだが、今年のアトランタ・オリンピックにアジア代表として参加されたことで話題を呼んだ。
「21世紀まであと4年少し。オリンピックが始まって百年目の大会に五大陸の中のアジア大陸代表として選んでいただいたことを、本当にありがたく思っていますしこの時期に私の『花』が全アジアを網羅し、西洋圏に入り、アフリカ圏、南米圏、ヨーロッパ圏にも受け入れられつつあるのは、非常に嬉しいですね。アトランタには、アトランティスにつながる舞きがある。今、沖縄では与那国、慶良間、喜界島からムー大陸の遺跡と思われるものが次々と発見されています。それらは、ムー大陸の古代の魂を彷彿とさせるものです。そしてアトランタのオリンピックの場で、西洋の古代文明の魂と東洋の古代文明の魂が私を通じてスパークを起こせば、暴走を繰り返す核文明に対して安らぎを与えるきっかけになるかもしれない。なぜなら過去の古大陸というのは、一度間違った方向に向かい、沈没したという地球的歴史のシンクロニシティを感じるからです、だから、その反省すべき大陸の姿が現れてきたというのは、今現在我々が置かれている文明が、反省をして「あるへき方向」に行くという大きなメッセージであると私は思っています」
ワンワールドを見据えながら歌い続ける喜納さんには、夢がある。『花』を板門店で歌うことだ。
「もしワンコリアフェスティバルの人と一緒に、いつの日か板門店で『花(すべての人の心に花を)』を合唱できれば、これ以上の喜びはありません。今年は残念ながらワンコリアフエステイバルに参加できませんが、皆さんとともに永遠に歩くことを誓います。ラスト・ゲイトを背負った人々が今、このフェスティバルに集まり、地球はひとつ、人類はひとつだということを共有するのは素晴らしいことだと思います。私にとってワンコリアとは、永遠なる私、永遠なるあなた、そして、あらゆるすべての武器を楽器に、あらゆる20世紀の遺物が花に変わることを意味します。
いつの日か、いつの日か、花を咲かそうよ。よろしくね!」
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