自 分 が 「自分自身」 で あ る た め に中田統一
最近「大阪ストーリー」というぼくのつくった映画を見た在日コリアンの方々から、いろいろと苦情をきく。「あなたは民族を背負っていない」「父親の本名を名乗っていないあなたに失望した」「あなたがこの映画で、一体全体何を言いたかったのか全く解らない」等々。どれも最もな意見だとも思えるし、映画の作り手としては答える義務があるかと思うので、この機会にこれらの疑問点に答える形でこの文章をはじめさせていただきたい。 まず、映画を見ていない方々にぼくのことを少し説明させていただくと、ぼくの父は朝群半島の全羅南道で生まれた人で、母は大阪の南部の農村で生まれた人である。その二人がたまたま(または考えようによっては運命的に)出会って生まれたのがぼくである。勿論、ぼくにはその事実とそのことに対する認識はあるものの、だからと言って、朝鮮人の血をひくものとしての民族意識や日本人の血をひくものとしての、”血が騒ぐ”といった感覚はない。 どちらかというと、はっきり言ってぼくはいろんな問題を引き起こす原因になりかねない民族意識などというものはもたない方がいいのではないかと思っている部類の人間である。西洋に住んで十年が経つぼくだが、当初は好むと好まざるにかかわらず日本や東洋を背負っていかなければならなかった自分がしんどかった。朝鮮人であり日本人であることはぼくの可能性を拡げるよりも、限定してしまうものでしかなかった。
残念ながら人が個人として新しい地で居を構える時、その人が生まれ育った場所の民族的文化的バックグラウンドを引き摺ることは邪魔であることの方が多い。また経験かう見ても、”単一民族幻想”にへばりつく人達ほど他者を差別する意識は強いし、人間の歴史は民族共同体が一つの国家を形成することで多くの争いを引き起こしてきた。だから同一民族意識など平和の妨げになるし、もたないに越したことはない。(だからぼくはアトランタ・オリンピックでどこの国も応援しないし、ワールドーカップにも関心がない。) 次にぼくの名前についてだが、ぼくは生まれた時から中田という法律上の姓を持っている。「これは処々の理由で父と母が入籍しなかったためで、ぼくは便宜上日本人である母の戸籍に入っているため生まれた時から日本国籍である。唯、子供の時からの通名は”中山”という父親の日本姓で、ぼくは父親の”尹”という韓国姓も含めて3つの名前をあたりまえのこととして使い分けてきた。でもぼく自身その時々の社会状況によって、特に自分の意思に関係なく左右されてきた苗字よりも、どこにいっても変わることのなかったファースト・ネームへの愛着の方が強い。 その”統一”という名前は、つい最近まで祖国の南北統一を願う父の強い願望が込められているのだと思っていた。名前負けしているぼくだが、良い名前だと、我ながら好きであった。しかし最近、父親の命名理由が祖国統一以上に2つの家族を一つに統一して欲しいという彼の個人的な願いのほうが強かったと聞き失望した。どちらにしても”中田”と言う姓はぼくが生まれながらにしてもっていた名前(記号)で、今から”尹”という苗字に変えることの方が不自然である。父が朝鮮の血をひいた人であることにぼくは特に袴りをもっているわけでもないが、劣等感も全然ない。この十数年間、人に隠したことなどないし、自分の中でいたって当然のこととして受けとめている。そしてそのことはぼく自身の世界を多少なりとも豊かにしてくれたと思っている。だから名前だけで人に批判される筋合いはない。 最後に「大阪ストーリー」という映画は別に何を強制しようとしたものでもないし、観ていただく方をどこかへ導こうとした訳でもない。言いかえれば、特にぼくが何かのメッセージを伝えようと意図して作った映画ではない。だからこの映画に対する感想は本当にまちまちで、特に”民族”を求めて映画館に足を運ばれた方々には不満が残ったに違いない。しかし、ぼく自身この映画づくりを通して単に1人の男としての父と一人の女としての母の45年間にわたる関係に深い民族の溝を見せつけうれた。年をとるにつれ韓国に、日本にと戻っていった彼らの心に民族の哀しさを感じさせられた。 ぽくにとってのワンコリアフェスティバルは異種のものが集まって騒ぐ楽しい1日である。ぼくのようなあいの子の同性愛者も、部落出身のシングル・マザーも、身障者の色情狂も皆ワンになり、グループの名のもとに一人の個人も犠牲にされることのない日である。そして個人が”民族”や”国家”などというやっかいなものに縛られることなく、本当に自由な一個の人間になれたらと思う。 |
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