金 真須美

大学卒業後シェイクスピアを主に上演する劇団で芝居を学ぶ。
1988年香大賞で藤本義一氏より審査員特別賞を受賞。
1995年「贋ダイヤを弔う」で大阪女性文芸賞・大賞を受賞.
1996年「メソッド」で文芸賞優秀作を受賞。


青臭い畳の上をゆっくりと香の煙が旋回し始める。和室の真正面には黒塗の巨大な仏壇が黙している。仏壇の前におかれた膳の上には、極彩色の料理がごま油の強い臭気を放っている。まもなく父が現れ、仏壇の観音開きの扉が開けられる黒いオブジェに向かい礼を始める大人達。下座で正座した私は恐ろしさに目を閉じる。

幼少時の私にとって、父祖の国とは仏壇の向こうに存在する幻夢のように感じていた。黄金色の内扉を開けば玄海灘があらわれ、民族の血を確認できるというものだろうか。チェサを「血を確認する儀式」とひそかになづけだしたのは、思春期に入り体内に流れるという血に反発を感じ出した頃のことである。

日本でいわば見えない外国人として生きてきた自分が、本名をなのり、芝居をし、文章を書き出す迄には、長い孤独な時間があった。この母なる大地で、韓国という父祖なる血を培えたことを少しずつ肯定できるようになったのは、二児を産んだ後である。

韓国舞踊を習った後も長年習った日舞をやめずにきた。昨年の芝居で、チマチョゴリに足袋という奇異な姿で踊ることにも、ささやかだが小さな祈りを込めた。

自分の出自を偽り苦しんでいた頃も、チジミやキムチを食べれるようになった今も、会いたい者同士が会えない状況に心を痛めていることに変わりはない。

89歳になる母方の祖母の最後にせめて、38度線を越えた娘の手を握らせてやりたいと強く願う。北に行った父の姉の手紙が、同じ滲むなら再会の喜びの言葉に濡れて届くことを強く夢想する。

ハングルと日本語がまじる手紙が届けば、何かを送らずにいられない肉親が存在しており、襞のような皺の中で乳白色の瞳を閉じる祖母を見る限り、ワンコリアに祈りをこめずにはいられない。

私という存在はまぎれもないダブルなんだ、二つの国に血肉を育まれたからこそ、国を一つとする幸せをより深く問いかけられる。

黒塗の仏壇に問いかけても答えなど出る筈もない。観念の扉を開き、青空のもとに一歩踏み出すことが、より大きな波紋をひろげていくことだろう。

日本発の意識が一つとなって、玄海灘を越えていく二都間発の思いは、大きくうねりながら鉛色の大海原を越え、南北の空高く溶けていくことだろう黒塗の扉の向こう、金細工に輝くボンボリと黄金色の内扉の向こうには、その昔、唯一つの国が存在した筈だ。

この祝祭に込める祈りもまた、同じである。

 

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