(1995)

対 談 Yang Sogil & Sataka Makoto

 戦後五〇年。何が変わったか。  


 

梁 石 日

佐 高 信
 
梁石日(ヤン・ソギル)
1936年大阪生まれ。作家。
事業に失敗し、約一〇年間タクシー運転手を務めた後、作家に。著書に『タクシー狂躁曲』(ちくま書房)『夜を賭けて』(NHK出版)『修羅を生きる』(講談社現代新書)など。
佐高信(さたか・まこと)
1945年生まれ。評論家。
慶応義塾大学法学部卒業後、郷里山形の高校教師、経斉誌の縞集者を経て評論家に。著書に『戦後を読む』(岩波新書)『痛言痛罵』(毎日新聞社)など。

この五〇年で、日本の何が変わり、何が変わらなかったのか。また、在日コリアンにとってこの五〇年は何だったのか。今、確実に個人としてのカをつけつつある在日コリアンの未来を視野にいれながら、 気鋭の二人が、戦後五〇年を語りあった。


   梁 】 戦後五〇年を節目として、今年はいろいろなイベントが行われているようですが、この半世紀を振り返って一番変わったことは何でしょうか。
 佐高 】 私はちょうど昭和二〇年生まれで、まさに私の人生は戦後史と重なっているわけです。それで、この五〇年で何が変わったか。むしろ、変わらないことの衝撃の方が大きいですね。先日、徐勝(ソ・スン)さんが書かれたものを読んでいたら、日本人の謝罪は時効を要求する謝罪だと言う件り(くだり)があった。なるほどと思いました。謝る気持ちというのは、持ち続けることが大事なはずなのに、時効を要求しているから、これだけ謝っているのに何なんだという思いにすり変わっていく。
 梁 】 日本という社会を考えてみると、必ず一方には保守的な考え方があって、そういう人たちの歴史観というのは戦前とはまったく変わっていない。その勢力を盾にして、今までの閣僚たちは発言をしてきた。渡辺美智雄の発言なんて、まさにその最たるものです。あれは包丁で人を殺したのに「俺は殺してない、殺したのは包丁だ」という理論です。そんな理論をいまだに押し通そうとする。そういう意志がある限り、謝罪したところで謝罪にならないと思うんです。戦後五〇年を考えた場合、そういう勢力がある限り、なかなか変わらないと思います。
 佐高 】 そういった日本に対する批判というのは、たとえば朝鮮半島のことを考えた場合、ワンコリアという形でなされたらとても大きなカとなる。ところが、分断されたままだとなかなかそうはならない。実は私は、高校時代に卓球をやっていたんです。だから荻村伊智朗という人は、私にとって神様みたいな人だった。その人が統一チームコリアを実現させましたが、なぜあの時、統一チームが可能になったのか。実現する過程でどんな交渉とどんな困難があり、またあの出来事はどういう形で継承されたのか。果たしてある種の財産となったのか、そこが知りたいんです。
 梁 】 卓球チームの場合、選手どうしは世界のあちこちの大会で顔見知りになって、一緒にやりたいという気持ちはあったんだと思います。あの時は、日本人が間に入ったことでうまくいった。でも本来なら、その役目を在日同胞がやらなくてはならない。でも、在日同胞はどうしても政治的なことに引きずられてしまう面があります。在日の場合、心情的には北も南もないという思いはあるんですが、政治的な組織といったものが介在してくるので、なかなか一つには結集はしない。それが難問です。でも戦後半世紀もたって世界情勢は凄い勢いで変化しているのに、我々在日がいまだに政治的対立を引きずっていることに対して、若い世代は食傷気味であるわけです。三世、四世は、そういう政治的組織的な次元でものを考えていません。だからワンコリアフェスティバルみたいなものも必然的に出てきた。
 佐高 】 卓球にこだわって言えば、アメリカと中国の間にピンポン外交というものがありましたね。ああいうスポーツという、非政治的なものが、うまく政治的な変化のきっかけを掴んでいくということがある。政治ストレートでいくのではなく、非政治的なもので固めておいて、政治に波を及ぼすといったことは是非必要なのではないかと思うのですが。
 梁 】 そういう傾向は、在日の間でも生まれつつあります。たとえば今までの在日の文化人と言われる人たちは、政治的な立場をはっきりさせた上で発言していたし、表現のジャンルもいわゆる活字に偏っていた。でも今の二〇代から四〇代の世代は、ジャンルもとても広がっています。音楽、芝居、映画、テレビと、さまざまな分野で本名で表現活動をして実績をあげている。こういうジャンルで頑張っている人たちは、みな非政治的な人たちで、こういうことは今までなかったことですね。
 佐高 】 何が変わって何が変わらないのかという最初の問いに戻ると、政治的な状況というものは、五〇年間ほとんど変わっていない。
でも政治を外堀から埋めるような、非政治的な部分においては、かなり変わってきているというわけですね。
 梁 】 その通りだと思います。
 


日本的矛盾を共有する若い世代

   梁 】 日本社会を見ても、たとえば市民運動といったものがカを持つようになったのは、ここ数年の動きだと思います。これが今後どういう形になっていくかは分かりませんが、さまざまな市民運動が質的な転換を遂げていった場合、今おっしゃったように政治を外堀から埋めていくカになりうる可能性はあると思います。もう一つ、佐高さんのいわゆる会社論ですが、これは日本の社会の病巣を非常に分かりやすい形で、しかも本質的な部分を論じたものだと思います。日本の場合、圧倒的にサラリーマンが多いわけですから、日本を語る上で佐高さん言うところの 「社畜」や企業の論理といったものを欠かすことができない。ただそういうサラリーマン達も、一人一人の内面では、立ち止まって考え始めているのではないかという気がします。
 佐高 】 つい先日、ある人権セミナーで話をする機会があり、東京都の保健婦採用にあたっての国籍条項についての話になった。私が思うに、日本という社会の中で何か壁を壊すためには、しんどいけれど会社の壁というものを一つ一つ壊していかなければいけないのではないか。たとえば、国籍による就職差別をなくすといったことです。日本は会社国家ですから、日本をどこから変えるかという時、会社から変えるのが一番早い。ただ会社はしぶといですから、最も変わりにくいところでもある。でも、突破口をそこに求めるのが手応えが一番あるのではないかと思います。
 梁 】 そうですね。確かに会社に属している人間が圧倒的多数ですから。それだけに、矛盾も抱え込んでいる。在日朝鮮・韓国人の場合も、抱えている問題は日本人と違う面もありますが、深い奥の部分では、日本的状況を共有しているのですから、同じ矛盾を抱えていると思うんです。もちろん民族的アイデンティティといったものは一方にあるのですが、それがどんどん稀薄になるにつれ、日本的矛盾を内部にもろにかぶるようになってくる。そのあたりの葛藤が、かなり始まっていると思います。帰化問題もそうです。どうせ日本で生きていくのだから、日本人になってどこが悪いと考える若い人が増えてくる。本名問題も、なんで今さら本名を名乗らなければいけないのかとなる。それは、日本社会にもっと溶け込もうという動きですが、溶け込もうということは、日本社会の一番矛盾したところにそのまま入ってしまうということです。
 佐高 】 少し問題は違いますが、今、女子学生の就職が超氷河期と言われています。女子学生に対しては、確かに厳然として就職差別がある。そういう時、それはけしからん、会社に入れろというのは、矛盾を抱えた会社社会にそのまま取り込まれることでもあるわけです。言い換えると、矛盾を変えない、ということでもある。だから私は、雌の社畜になりたいのか、と言いたい。でも彼女たちに、そこの部分での自覚はないんです。とにかく入ればいいと思っている。つまり、矛盾をそのままにして溶け込むのか、自分たちが矛盾を変える起爆剤になるのか、ということですね。
 


個人のアイデンティティの時代

 

 佐高 】 ここで少し疑問があるのですが、梁さんの本や朴慶南さんの本などを読んでいると、在日の世界には今も厳しく儒教的なもの、強烈な家父長制が生きている。
 梁 】 そうですね。
 佐高 】 それは、在日という形で切り離されているから、よけい家父長制といったものが純粋倍養されて残るんでしょうか?二世三世は、そういったことに反発しないんですか?だって、あれだけとてつもなく親父が強い世界というのは、しんどいでしょう。
 梁 】 でも僕より下の世代は、少しずつ変わっていると思いますよ。それは朝鮮半島でも、変わってきている。
 佐高 】 私は魯迅などの影響で、儒教というものはあまりよろしくないと思っているわけです。支配に都合のいいものであると。それで、お二方の本を読んで衝撃を受けたんです。これはスゴイな、と。
 梁 】 我々の親の世代、つまり一世というのは、まさに儒教的です。僕らはそれを反面教師にしているところはあります。それと、精神構造というものは、言語と一緒になっているものです。ですから、僕ら二世以降は日本語で生活していますから、それにともなって自然と儒教精神は欠落していくと思います。
 佐高 】 戦後五〇年の中で、何を忘れるべきではないか、何を捨てるべきか、みたいなことを考える時、在日の人たちは儒教的なものをどう考えているか、少し気になるんです。なだらかに消失していくものなのか、意識的に切り捨てていくものなのか。
 梁 】 在日同胞の場合、アイデンティティを常に問われているわけです。今までは、アイデンティティといえば決まっていた。まず母国語を身につける。歴史を学べ。そして習慣を身につけろ。習慣とは、たとえば祭祀(チェサ)のようなものです。それはまったく、正しいんです。ところが、その通りにみんなやってきたかというと、そんなことはない。みんなどんどんそこから遠ざかってきた。道筋をはずれてきた。母国語も身につけられない。歴史も学ばない。それなら、そういう若者はもうアイデンティティがないのだろうか。僕は、そうは思いません。実は、アイデンティティの問題というのは、個々一人一人に道筋があるんだと思うんです。たとえば芝居をやりながら、音楽や映画をやりながら、だんだん目覚めてくる。自分は朝鮮人なんだと、目覚めてくる。それがアイデンティティだと思うんです。
 佐高 】 つまり、民族として持続するアイデンティティよりは、個人のアイデンティティがこれからは重要だと。
 梁 】 個人としてのアイデンティティに目覚めていけば、将来、民族的なアイデンティティに十分移行していけるものだと思います。ところが今までのアイデンティティというものは、個人よりも、民族や国家のアイデンティティが最優先されていて、とにかくそこに行けというものだった。でも今の若い人は、それではもう受け入れられない。そういうところに、今来ていると思います。ですから先ほども言いましたように、表現の粋が広がってきたというのもそういうことだと思います。
 佐高 】 梁さんの『夜を賭けて』は、大阪造兵厰に残った金属を在日の人達が盗みだす話ですが、空襲を受ける直前に、日本人が横流しをしている。あの場合はたまたま造兵厰汚職事件という形で告発されましたが、普通はあたりまえのように横流しがまかり通り、見逃されていた。ところが、梁さんたちのようないわゆる小泥棒(笑)は、捕まってしまう。大泥棒は捕まらないのに。先程なぜ儒教にこだわったかというと、儒教思想というのは常に、大泥棒を逃して小泥棒を捕まえる理論だと思うんです。支配者や親にとって都合のいい理論ですね。だから、何を変えて何を変えないのかということを考える時、梁さんの言う個人のアイデンティティに立ち戻ったとすれば、儒教的なものとどう折り合いをつけるのか、あるいは捨てていくのかというのは、結構大きな問題ではないかと思うんです。
 梁 】 五〇年たってみて、若い世代が、ようやく組織や政治や儒教的なものに縛られない、個人のアイデンティティといったことを考え始めたんだと思います。ワンコリアフェスティバルも、音楽や芝居をやっている人たちも、そういう中から生まれてきた。ですから、とてもいい傾向になってきていると思います。しかし一方で、日本の社会にはまだまだ厚い壁がある。そこに、蟻の一穴を開けることができるか。そのためには我々だけでなく、日本社会も受け皿を作る必要がある。
 佐高 】 梁さんの場合、重いテーマを軽いフットワークで書き、それが映画になってさらに柔軟になった。そういう動きは、やはり個人のアイデンティティにつながるわけですね。
 梁 】 映画監督の崔洋一が、自分は在日七〇万人を背負って立つ気はないと言っています。そんなこと、できるはずがない、と。でもこれまでは、特に表現者たちは、みんな自分一人で在日を背負って立つんだみたいなところがあった。それが、今ひっくり返っているというのが、『月はどっちに出ている』みたいなものが作られる要素だと思います。ワンコリアフェスティバルも今年で十一年目ですけれど、このフェスティバルも、そういった若者たちの受け皿として成長してきた。これから先、ワンコリアフェスティバルが形のあるものになるかどうかは分からないけれど、ある契機を提供し続けてきたということにおいて、十分に意味があることだと思います。

(1995)

 




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