トーク  喰始 & ねもとまさ

今回のワンコリアフェスティバルが手伝い初めであるお二人、放送作家・喰始さんと、 テレビセットデザイナー・ねもとまさ乙さんに、参加に至るまでの話を、時に本音で またある時には痛快に語ってもらった。



無節操主義に
魅かれて、
参加することに
あいなりました。

――ワンコリアフェスティバルに参加されたきっかけは何ですか?
喰■■今、僕の隣にいるねもとさんから紹介されたのがキッカケです。彼にはグローブ座の公演からWAHAHA本舗の舞台美術をずっとやってもらってます。チョンさんには初めて会った瞬間に何でもいいからワンコリアに参加してくれっと言われましてね。その「何でもいいから」っていう無節操さが好きだなと思ってオーケーしたんですよ。
ねもと■僕の場合は、チャリティコンサートのセットデザインの仕事の話で大阪に来ている時に、たまたまワンコリアフェスティバルっていうのをやっているから見に行こうってことになってね。そこで初めてチョンさんに会いました。後でお礼のハガキを出したんですが、チョンさんいわく、僕のそのハガキが東京でワンコリアフェスティバルをやるキッカケになったらしいんですけど。
――ハガキには何とお書きになったんですか。
ねもと■何かお手伝いできることがあればってね。もともと東京でもフェスティバルをやりたいと思っていたらしいんですけど、彼自身、東京にブレーンがいなかったから実現出来なかったようです。僕がたまたま舞台やテレビのセットデザインの仕事をやっていたから、そういう人が手伝ってくれるんならって思ったみたいですね。東京でやろうということになってからは、プロモーションビデオの作り方を教えることから、照明や舞台監督の紹介までするハメになりましたよ。結構大変ですけど、僕自身楽しんじゃっているという感もあります。だけど、面食らってるのは僕の事務所の連中じゃないかな。そのためにコピー、FAX、電話使用は当たり前で、さながらワンコリア東京事務所に様変わりをしてますよ、今の事務所は。
※「えむふぁ−む」の高麗さん、プロモーションビデオ製作の際にご協力項き有り難うございました。誌面を借りて御礼申し上げます。
喰■■チョンさんのいいところは、今の話でも分かるように、ハガキ1枚を頼りにすぐ行動を起こしてしまうという無節操さなんですよ。僕はワンコリアフェスティバルがもし一つのイデオロギーの固まりのようなフェスティバルだったら最初から参加は断っていました。北だの南だのという、政治的なこととは無縁のお祭りごとだから皆に参加してもらいたい、という気持ちが伝わって来たので参加することに決めたんです。それに何か面白いお笑いの演出をすることが出来るんじゃないかと思ったものでね。で、今回は団員の梅垣を使おうと思ってます。
――どんな演出をなさるおつもりなんですか。
喰■■梅垣を使う、ということしかまだ考えていません。
ねもと■"壁際の魔術師"と呼ばれる人ですから、土壇場でエライ演出を考えますよ、この人は。
喰■■ハハハ。そうなんですよ。でも今密かに考えているのは、新作ヴァージョンで「釜山港へ帰れ」をやろうと思ってるんです。
ねもと■じゃあ、来年はニューヨークででもやりますか。
喰■■ハイ、いいですよ。我らお笑い軍団はどこへでも行きますよ。


同じく10周年を
迎える
ワンコリア
フェスティバルと
WAHAHA本舗

――ワンコリアフェスティバルに喰さんを紹介されたのはどういった気持ちからですか。
ねもと■ワンコリアフェスティバルとWAHAHA本舗は、両方とも今年で10周年を迎えるんです。僕自身が喰さんと親しかったのも理由の一つだけど、参加して頂くにいたってはWAHAHA本舗にも新しい動きになると思ったし、ワンコリアにとっても今までとはちょっと変わった、お笑い路線があってもいいんじゃないかと思ったので。それに今一番パワーをもっている人という感覚があったから。
喰■■有り難うございます。僕はこの話をもらった時にね、北と南の統一を願ってという、いかにも政治的思想に基づいての事業っぽいのかなって少し思っちゃったんだ。でもWAHAHAには三無主義というのがあって、それは1に無内容、2に無意味、3に無節操っていうものなんだけど。普通で考えると二の足を踏む人の方が多いのかもしれないって思う、特に初めて話を聞いた人はね。でもWAHAHAでは無意味だから、とにかくすべてやってみようって思うわけ。一つの枠の中で決めつけない、意味をもっていそうでもっていないっていうこと、これがWAHAHA主義なわけね。
――今年で10周年になるWAHAHA本舗の発足について聞かせて下さい。
喰■■僕は19才の頃に放送作家としてデビューして、それから28才から35才ぐらいまでの間、プツッと仕事をやめてしまった時期があるんです。たぶん仕事をこなし過ぎてやる気がなくなってしまったんだと思うんですけどね。それでジョン・レノンが一時主婦業に徹していたように充電期間を設けたんですよ。35才ぐらいになってようやく何かやらなくちゃいけないなと思って。でも周りにはやりたいと思える仕事がなくて、それなら自分で面白い仕事をみつけて面白いタレントを育ててみようと思った。これがWAHAHA本舗の始まりですね。やる以上は年齢的なこともあって、かなりマジでやらなければいけないなと自分自身にもその時言い聞かせました。
ねもと■そう、喰さんは僕がまだ一視聴者でテレビを見ていた頃から、テレビ業界で仕事をしているんですよね。
喰■■そう、だからね。あきちゃって休憩しちゃったんですよ。でもね、今はあの充電期間があって良かったなって思ってるんですよ。
ねもと■それは言えますね。充電期間があったから今の喰さんがあるんだと僕も思います。
――10年と一口で言うのは簡単ですが、今までどんなご苦労がありましたか。
喰■■WAHAHAの連中は若いですから、発足当時はそれぞれの思惑がそれなりにあって、なかなかまとまりませんでしたね。3年たった頃くらいからですよ、チームワークがとれてきたのは。
――WAHAHAの台本はいつも喰さんがお書きになるのですか。
喰■■そうです。だけど僕はアイデアがいつもギリギリにならないと出ないタチで。それでもいつも土壇場になってすごい演出をすると言われていたんですけど、一度だけ当日になってもアイデアが出なくて、ありネタでやって大失敗をしたことがありました。もう、コツコツと築き上げた皆からの信頼はその時一気に壊れました。壁際の魔術師もこれでおしまいかと思いましたよ。アイデアが出なかったのはその時が最初で最後でしたけど。でも、この事件で結果的に良かったのは、WAHAHAの連中が自分達で考えて行動するようになったっていうことかな。それまでは全部僕が1から10まで演出していたんですけど。自分達でも考えるようになってからは舞台にもメリハリがついたように思います。
――ワンコリアとWAHAHA本舗、共通する点を何かお感じになりますか。
喰■■僕も性にあってないけど社長業なんてのをやっておりまして。自分自身では社長業をやっているつもりはないんだけど、人間管理はしているつもりです。ワンコリアの場合も会社組織じゃないから、人間関係が難しいんじゃないかな。いろんな人が集まって、それぞれに意見もあるだろうし、それをまとめるのが大変なんじゃないかと思います。チョンさんはその辺のところをあの人のキャラクターでカバーしているところがあるんじゃないかと思います。
ねもと■アハハハ、耳が痛いですよ。
(※ねもと氏も社長である。)
喰■■いいえ、あなたは立派にこなしてますよ。ねもとさんもキャラクターでカバーしているクチですね。


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