対談 黒田征太郎氏&伊集院静氏
ライブペインティングやイメージビジュアルで、ワンコリアフェスティバルのひとつのシンボルともいえる存在となったアートディレクター・黒田征太郎さん。直木賞受賞の年に賛同人となり、超多忙なスケジュールの合間をぬって毎年寄稿してくださる作家・伊集院静さん。私生活でも友人であるお二人に、"ワン"について、自由に語り合ってもらった。
◆鳥は『越えて行く』
編集部●今日はお二人に日本やコリアやアジアについて、それからワンコリア、さらにはワンアジアについての思いのようなものを、お伺いしたいと思います。
伊集院●私が今日ちょっと話してみたいなぁと思ったのは、ソウルから飛行機に乗った時、まず最初パァーッと38度線に向かって、ほとんど38度線が見えるところまで、上がる。その時に私が見たのは、鳥が一斉に(38度線を)越えて、上がって来るところだった。その鳥を見たときに、「こいつらだけが結局は自由なんやな」と。もちろん鳥だけでなく虫も花もそうやって行ったれり来たり風にのってするんだろうけど……。そんな場面と、このあいだ見た黒田さんの鳥の絵が、イメージとして重なって見えた。やっぱり「自由にどこかへ行ける」っていう発想を、持てるか持てないかが、肝心なところだと私は思いましたね。言い換えれば、誇りというか― 国とか、そういうものに対する誇りじゃなくて ―生きているということに対する誇りですね。どんな形になっても生き抜いてやるという『背骨』のようなものが、鳥にはある。だからあいつらは自由なんじゃないかな、と。
黒田●俺はね、『越えて行く』ということについて言えば、8年くらい前、パリに行った時に、歩いていても街を知らなかったから、ふと「あの角を曲がったら何があるのかな」と思ったわけ。そして、「その次の角を曲がったら、どうかな」と思う。それで「その次の角」「その次の角」とベタベタ歩いていったら、イスタンブールにも、釜山までも行ける、わけ。すると、釜山の人たちも、同じように思うことができる。「あそこの角を曲がって、ずっと行ったらシャンゼリゼに行けるな」と。
伊集院●今の韓山国の人のパワーで良いなぁって思うのは、どんどんいろんなところへ行って住むでしょう。ああいうのが、ものすごく理想なんだよね。
黒田●一方で日本人は、日本というちっちゃい島にいて、たかだか河みたいな海峡やけども、これがなかなか深くて、広い。ここが、何とも不自由だよね。これでは、『越えて行く』ことができへんぞ、と。そういう不自由さというのは、何なんだろうと思うし、その不自由さを、ぶら下げている限りは、どんどん国が駄目になる。本当は国なんて、どうでもいいんだけどね。俺はどんな国も、国というものが、無くなったらいいと思っているから。
で、話は急転直下、ワンコリアについてだけど、その不自由な国でワンコリアということをやろうとしたオッチャンがいた……。鄭甲寿●オニイチャンでしょ。
黒田●オッチャンだよ(笑)。これは、オモロイと。なぜかと言うと、朝鮮からは、パリヘも行ける、もっと言うならジブラルタル海峡くらい越えてアフリカヘでも行ける。その朝鮮で、鄭甲寿の先祖は生まれたわけだから、「ヒョイと渡って行く」という発想が、血の記憶として鄭甲寿に刷り込まれていると思うのよね。それでワンコリアを始めたのだと思う。さらにワンコリアっていうのは、南と北だけのテーマじゃなくて、いずれワン・アジアになって、ワン・ワールドになったらええやないか、という思いでやっていることも、わかっている。
伊集院●私もね、そりゃまず第一に南と北が統一すれば良いとは思うけれども、韓国と中国でも、韓国と日本でも、一緒になるものはなればいい、という気持ちはある。
◆画家の目、作家の目黒田●ワン・アジアということで言えば、そうしたものを俺はすごく感じるというか、目で見える時がある。今の俺のマンハッタンの住まいは、マジソン・アベニューに面した 二十七階にあって、西側には5thアベニューやセントラルパークが見える。そして、夕陽がきれいだから、家にいるときはいつも見ているわけ。パークを真下に見て、その向こうには、ウエストサイドがあり、ハドソン川があリ、さらにニュージャージー州……と、ずーと遠くまで見えるのよ。そしたらね、俺は絵描きだから、さらに遠くが、見えていっちゃう。カリフォルニアが見え、その次には太平洋が見え、太平洋の向こうに島がある、わけ。それが日本。で、その後ろに重なって、韓国が見え、朝鮮が見え、その向こうには中国があって、ロシアがあって、香港や台湾……という風に見えるのよ。これが、俺にとってのワン・アジア。小説家もそういう『目』があると思うのだけれど。
伊集院●私は自分の中で一枚の歴史の絵みたいなのを作ってるんです。日本ということも韓国ということも全部含めて。そこに、ある時は伊勢神宮があったり、皇居があったり、それから偉いかっこいいビルなんかが、ごちゃまぜになっている。ところが、その後ろ側をパッとはがして画題をよく見ると、『大安売り』とか『模造品』みたいなことが書いてある。私は言葉というか、小説を書くということを仕事にしているけれども、どういう仕事であれ、自分がやっていることで何かを言おうとしているのだと思います。例えば、絵を見て「あれ−、これ気持ちのいい絵やな、何やろな」って感じる時には、描き手のウワーッと叫ぶ言葉が聞こえているのだと思う。仕事を通じて「金が欲しい」って言おうとしている人もいるし、「自分だけが幸せになればいい」と言ってる人もいる。そんな人は、言った通りの結果を出している。そうした「金」とか「自分だけ」というような考えが、いまの世の中の形を生んだんだと思う。
◆基本はマナー黒田●俺は、なぎさという娘をニューヨークに連れて行っているのだけれども、この子が向こうに行って八ヶ月目くらいに、指で「ヘイヘイ!」という感じで俺を呼んだわけ。それに、俺はムカッときて、「バカヤロウ」って言おうとした時に、「あっ、この子はアメリカ人になっていっとるのや」と気付き、「ここで俺が彼女を怒ったら」と考え、怒るのを止めた。今は同じように「ヘイヘイ!」って呼ばれても、「なに」って応えている。だけども「日本ではそういうのは失礼に当たるという礼儀が長くあるから、日本に行った時はやらない方が良いよ」とも言っている。「なぎさは日本とアメリカを行ったれり来たりするのやから、両方覚えるしかない。どっちのマナーもホンマや。人間ってのは、面倒くさいやろ。いまのところは、しようがないやろけど、将来そういうのが面倒くさいなって思ったら、なぎさたちの時代には、自分たちに良いようにしなさい」と話している。
伊集院●私はお袋から「他所の国に来ているのだから、他人よりも礼儀正しくして、そして他人の倍働け」と言われてきた。例えば、「ある人が一枚もの書いたら、お前は二枚書け」と。「何のためにそういうことをするのや、苦しいやないか」という話をしたら、「そうじゃない。『あの人はいつも倍してはる』と言うことで、人の見る目とお前が自分を見るじ日が、変わって来る」と言われた。私はそれが基本だと思う。違う土地へ来てたら先にいるヤツに対する礼儀をわきまえ、なおかつ、先にいるヤツよれりちょっと多めに汗を流すという形が無いと、アカンと思う。そしてそれが、移民とか渡って来た人が、根強く生きていける源と思うわけ。
さらによく考えてみると、先にいる連中でもそれをやっているヤツは、ちゃんとした仕事をしている。そして、ちゃんと仕事をしている人はみんな、どんな仕事をしても似通った方向へ最後には寄っていくんやないかと、私は思う。さっきの鳥に話を戻せば、鳥たちはそう間違えた方向には、習性として動かない。もっとすごいのは、渡り鳥は一年間、他の所に行って、また同じ木のところヘポンと帰って来る。そうした一種の方向性みたいなところで、ワンコリアにも、参加していく意味があると思う。意見がまちまちでもかまわない、だけど「何となく目指しているものがわかる」というところが大事だと思います。そして、目指す方向が一緒だなっていうときに、同時代性というか、同じ時代に生きたということがすごく大事なんですね。私なんかでも黒田さんと知り合った後、「あっ、今ニューヨークで何しているのやろか」とか考える。そういうつながり方を、どのくらいやっていけるかというのが、私は、運動の基本だと思うんだよね。
◆カードをさらけ出せ黒田●娘の話でもう一つあって、昭和天皇が病気になられて、いろんな自粛が始まった時期に、娘が学校から帰ってきて「楽しみにしていた発表会が急に中止になった」と。でも「なんでなの。先生の説明では、私は納得できない」と言って、俺に聞いてきたわけ。ということで、天皇ひいては天皇制について喋ってやらないといけない。その時、彼女‥は8歳くらい。俺は「いやまいったなぁ」と思いながら、でも喋りだしたのよ。「例えば、なぎさの学校がある。学校ってのを一つの国と仮定しよう。そこで校長先生が病気になられた時に、何だかはしゃいでいるようことは……」って言いながら、「これは違うなぁ」と思うわけ。どんな例とっても、うまく喋れないわけね。それで、喋れなくなって、今度は原稿用紙に書き出したの。「お父さんが生まれたころ、こういうことがあって、それで……」と書いても、結局どうしても説明がつかない。最後に俺はどう書いたかというと、「本当に悔しいけども、お父さんは、あなたにうまく喋れませんと。そんなことすらも説明できない世の中にしてしまったのは、お父さんも明らかに責任がある。申し訳ない。あなたが大きくなった時、たぶんこの手紙を読むでしょう。その時にもう一回、話をしたい。それまで勉強するから」と。書きながら、俺は何だか切なくなっちゃったのよね。別に俺は天皇制をヒステリックに批判している人間でも何でもない。東京駅の丸の内側に降りたときに、皇居をみて「何でこんな大きなのがあるの」と、いつも疑問に思うよ。「ここには、入れないんだなあ」と。俺、入れないところって嫌いだからさ。そうは思っていても、それが即、天皇制批判とかそういうことにはならない。でもね、娘に聞かれた時、俺にとっての暗黒部分に突き当たっちゃったのよ。たぶん俺と同じくらいの歳、もっと上の方、全部ひっくるめてね、小学校2、3年くらいの子どもに、天皇を喋れる人は、誰もいないと俺は思うね。それはね、ごまかしてきたからなんだね。これからもごまかしていくと思う。それは天皇のことだけじゃなく、全部のことを。韓国との関係も、朝鮮との関係も、アメリカとの関係も、いま自分の生きていること全部をごまかしていくんだよね。それは日本人だけでなくって、人間ってそういう部分ってすごいあるでしょ。
伊集院●さっきも話したように「他人の倍働く」人が、百人のうちの何人かいるとすれば、百人のうちの同じ数だけ、「ふぬけ」か、平気でカミソリでチョゴリ切ったりとかするヤツがいる。でもそんなヤツはどこの国でもいて、特に日本が多いとは、私は感じない。それが世の中というものやから。要するに、『国』ってものを一人の『人間』だと思ったらいいんですね。私なんか『国』を『自分』に置き換えたら、「悪いことしようかな」とか、「つまらんこんなことセコセコ何しとるんや」と思う部分が私の中にありますから。そうした部分も抱え持って、「そうじゃない、他人の倍働いて、礼儀正しく」っていう俺もおる。そういうことやと思うね。
黒田●俺もごまかしばっかりだよ。「俺は馴れ合いは嫌だ。気持ち悪い」と言いつつ、じゃあ「黒田征太郎はそんなすっぱり生きているか」と言うと俺は馴れ合っている部分いっぱいあるよ。嘘もいっぱいついているよ。でもね、少しは風穴空けたい。気持ち良いに違いないんだよ、その方が。そして、ごまかしている部分を、怖がらないでさらけ出して、ちょっとずつでも自分が持っているカードと、人のカードを見せ合っていく。合うか合わんかわからんけど、その中からワン・ペアでも出来たら、そこから話をしていきたい。簡単なことじゃない。
伊集院●基本ですね。
黒田●ワンコリアというのが、そういう場になり得るかなって、俺は思っているんだよね。
(1994)
黒田征太郎(くろだ・せいたろう)
イラストレーター。1939年大阪生まれ。69年より長友啓典とデザインオフィス"K2"設立。K2展、黒田征太郎美術館等の開催をはじめとするイラストレーションの仕事を積極的に展開する他、映画「竜馬暗殺」のプロデュースやテレビの企画、司会等を手掛ける。大阪ではFM802のイメージステッカーも手がけている。69年ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ賞、73年東京アートディレクターズクラブ賞、87年日本グラフィック展「1987年間作家賞」等を受賞。87年及び90年にはN・Y近代美術館ポスターコレクションに参加。ワンコリアフェスティバルには90年以降ポスター制作を担当している。伊集院静 (いじゅういん・しずか)
1950年、山口県生まれ。 72年、立教大学文学部日本文学科卒業。広告代理店を経て、TV−CFの企画、作詞、コンサート演出(松任谷由美、松田聖子、薬師丸ひろ子他)等を手掛ける。81年『小説現代』誌に「皐月」を発表し、文壇デビュー。87年「愚か者」の作詞によレコード大賞受賞。91年「乳房」で吉川英治文学新人賞受賞。92年「受け月」で直木賞受賞。
(主な作品) エッセイ集:「あの子のカーネーション」「神様は風来坊」「時計をはずして」(文芸春秋社)
小説集:「三年坂」「乳房」「峠の声」(講談社)「受け用」(文芸春秋社)「潮流」(講談社)他
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