人気ロックバンド爆風スランプの
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ファンキー末吉(ふぁんきー すえよし) 1959年7月生まれ。15歳で上京し、数々のバンドを経て爆風スランプを結成、リーダーをつとめる。ドラマーとして、また作曲家として活躍中。8年前からジャズ活動も精力的に行い、数々のセッションに名を連ねる。90年に中国に初渡航、北京のロックバンドと出会い、カルチャーショックを受ける。その経験をもとに、小説・北京的夏」を執筆、マンガにもなった。中国文化をこよなく愛し、中国の民族音楽をジャズにアレンジしたり、ジャズの曲を中国の民族楽器を使って演奏したりするユニット「ファンキー末吉チャイニーズJAZZバンド」を結成。1994年度ワンコリアフェスティバルにはコーディネイター及びミュージシャンとして参加。 |
90年、爆風スランプは数ヶ月活動を休んで、みなそれぞれ世界を見てこようということになった。僕はその時、そうだ天安門に行こうと思った。あの日、天安門で何が起こったのか。中国とはどういう国か。僕は自分の目で見て、経験したいと思った。
爆風スランプは、音楽で政治的なことも歌っている。政治的な……とは、日本で生きている柳代の一人の若者が見たり感じたりしている「世界」の姿、という意味だ。それ以上でも以下でもない。特に僕は、自分の目で見たもの、経験したものしか歌にしたくない。そんな僕の視界に、中国という国が入っていた。 中国で僕は、ロックをやっている若者たちと出会い、衝撃を受けた。彼らは心の叫びとして音楽をやっている。金もうけのためではなく、切実な叫びとして、歌っていた。魂を鷲掴みにされた僕は、そのまま中国社会に飛び込んでしまった。そして北京で知り会った中国人の女性と結婚し、家庭内言語は中国語という生活が始まった。 僕は、何かにかかわる時、そこまでやらないと気がすまない性格だ。ワンコリアフェステイバルにしてもそうだ。3年前、たまたま飛び入りで参加したことがあったが、その後何となく片づかない気分でいた。ミュージシヤンとしてただステージに立つだけでは、参加したとは言えないのではないか。趣旨に賛同して名声を提供するだけだったら、別に他のタレントが出てもいい。それは僕にとっての「かかわる」ということとは、意味が違う。日常生活の中にコリアと自分との関係を持ち込み、熱い思いで継続的に行動をし続けるのでない限り、納得ができないのだ。だから僕は、ミュージシャンたちのコーディネイトという裏方の仕事を、自ら志願した。 一番身近な異文化に飛び込んでいきたい。僕は中国で、在日朝鮮人の女性と知り会い、中国の朝鮮族自治区に連れていってもらったことがある。その時、中国と朝鮮が同居している生活の中にボンと入ることができた自分がいた。子供と一緒に中国語でハングルを勉強したりしていると、とても自分らしく自然に朝鮮文化を吸収できた。彼女の歌うアリランは、僕の心に深く染みていった。僕は中国人のための北朝鮮ツアーに申し込んだり(突然キャンセルになったのだが)、いろいろな人と友達になりながら、自分の中で朝鮮をあたためていつた。その後延長線上にワンコリアフェステイバルがあったのだ。 でも僕は日本人だから、この運動にかかわったからつて、挙をあげるような物言いはしたくはない。思想的にはノーアイデアでいるのが、日本人として一番いいかかわり方だと思う。たとえば、僕の友達にも在日の人は大勢いる。通名を名乗っている人もいれば、民族運動の活動家もいる。その人々に、日本人が「本名を名乗るべきだ」などと説いてきかせるのは、?越というものだ。でも、在日朝鮮人の存在を、そして彼らがこの国でどんな思いで生きてるのかを日本人に知らせることは、僕にもできることだ。 中国で朝鮮人は、少数民族として「朝鮮族中国人」という認められ方をしている。日本だって、「朝鮮族日本人」という考え方があってもいいはずなのに、どういうわけかそうならない。そういう日本はおかしい…と、政治運動に走る人もいるだろう。だが、音楽家としてできることは、素直に音楽で交流すること、そして実生活で本当の友達を作ることだと思っている。中国の時もそうだった。自分から異文化の中に飛び込み、異国民として生活したわけだから、摩擦も混乱もあった。その時の経験は、この国で在日の人や新たに韓国から来た人が暮らしていくことを理解するための、助けになったような気がする。今僕は、中国人の奥さんと日本で暮らしているが、家庭内はほとんど中国文化そのものだ。喧嘩をすると、彼女も語調が激しくなり、早口になるので、「そんなに早く言っても分からないよ」と僕は叫ぶ。彼女は、「なんでこんなことが、分からないの!」と言ってから、「そうだ、あんた日本人だったのね」と、突然思い出したりする。 そうやって中国文化に自らが飛び込んでいったように、今、朝鮮文化の中に飛び込んでみたいと思っている。なぜなら在日の世界は、一番身近にある異文化だからだ。その方法が、僕にとってはワンコリアフェスティバルに参加することだった。僕まミュージシャンだから、やっぱり音楽の場でかかわりたい。それにミュージシャンとして貪欲だから、民族音楽とも触れあいたいし、向こうから歌手が来るのならバックバンドをやらせてくれとも言っている。そういうやり方は、タレントにはできないことだ。一ミュージシャンとして、裸になって飛び込んで、地味で面倒臭い裏方仕事をやってこそ、本当に彼らと触れあうことができると、僕は信じている。 |
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