コリアとの出会いが「女優」
としての生き方を変えた ワンコリア市民大学 ワンコリアバー
芸能界きっての韓国通といわれる黒田福美さんには、在日グループからの協力依頼も多い。
しかし、テレビ番組などで取り上げることはあっても、「自由で公平な立場で発言したい」
と賛同人として名を連ねることは、かたくなにこばんでいた。
その彼女が今、名乗りをあげて、ワンコリアフェスティバルにエ−ルを送ってくださった。
韓国に最初に行ったのは、1984年の11月。今年で十年なんですよ。もう五、六十回、延べ日数にすると一年ほど行ったことになるんです。自分でも驚きだなぁという気がします。
デビューした後、何年か『苦節』みたいな時期が続いて、そんな時に、韓国と出会ったんですよね。で、俳優としての仕事はともかく、この問題に対して、自分が誠意を持って何かやってみたいな、と思った。俳優として芽が出なくても、人間としてきちんと生きていけばいいんじゃないか、って。そうしたら、仕事を見る目も変わったのね。俳優で成功するなんて、小さな問題じゃないか、自分の思ったままに仕事をしていこうって。すると、世の中まで違ったように見えて…。そんな時に伊丹十三さんの「タンポポ」に出させてもらって、やっと女優業で食べていけるようになったんですよね。だから私は、韓国とかかわっていったことが、女優として一人前になる足掛かりになったと思っているの。
●きっかけは
●カン・マンスー選手
□韓国と出会うきっかけになったのは、バレーボール選手で、韓国では国民的英雄だったカン・マンスーさんですね。1983年の暮れに、翌年のロス・オリンピックの代表をかけたアジア選手権が東京で行われていたんです。その中継を観ていて、カン・マンスーさんに魅了されたんですよね。プレーも素晴らしいけど、何か体全体から滲み出て来る悲壮な感じがあった。後で知ったのは、彼はその時二十八歳くらいで、選手としての盛りを過ぎていた。そして、若い選手ばかリのチームを引っ張って、オリンピックの切符を手に入れ、後輩へ託したい、という状況だったの。しかも肋骨亀裂骨折を負っての出場。だから悲壮だったはずですよ。私は、どこかで彼の心情を見ていたんだろうと思うのね。
□まるで神様がその人を見せることで、私の目を韓国に引きつけたとしか思えないの。たった一人のバレーボール選手を見たことがきっかけで、私の人生がすごく変わってしまうんですよね。そこから日本人として、韓国報道をやってみたい、日本にある先入観を変えていきたいって考えるようになったんです。
□あのころってキムチの作り方も番組にできないような状況だったんですよ。ビビッドな報道が何もなされていなかった。それが日本人の中にある差別意識みたいなものの温床になっていた。だから、韓国について、たくさんの報道をすることは、「ああこんな国だったのか」とみんなが考える材料になる。その上で好き嫌いはそれぞれが判断すればいい、という気り持ちを持った。
□そう考えたのが1984年。で、これも不思議なんだけど、その年、それまで7年間もお蔵人りだったNHKのハングル講座が始まった。それでコツコツと勉強を始めた。というのは、初めてなりの感動ってあるはずだから、韓国の土を、いいかげんな気持ちで踏みたくなかった。七、八ヶ月して、何とか自分の意志を伝えられるようになってから、韓国に行ったんですよね。
□初めて行く時は、友だちから「東京と変わらないよ」って…聞いていたけれども、やっぱり日本人として土を踏む恐れというのはあリましたよね。でも見るものすべてが新鮮で、うれしかった。なんと一番最初に韓国で撮った写真は、ネコの写真でした。「ネコも韓国製か」って…(笑い)。
●厄年が、いちばん
●幸せな年に
□それから1988年初頭には事務所で「女優として仕事をやらない」宣言をしましたね。「オリンピック開催の今年はいろんな報道の依頼があるに違いないから、とれりあえずドラマのスケジュールを入れないでくれ」と。本当は「タンポポ」でやっと芽が出て、女優として登り坂になってきたころだったんですけれども、どうしても韓国報道をやりたくて。でも事務所の皆があきれてね。
□だから1988年にした女優の仕事は、伊丹十三さんが製作した「スイートホーム」という映画ぐらい。でも女優として一つ大きな仕事して、長年の夢だった韓国報道を心ゆくまでして、「ソウル・マイハート」という本も上梓して…。この年は、年齢から言えば厄年だったはずなんだけど、こんな幸せな年はなかったというくらい。
□しかも、韓国にかかわった仕事が「ジャーナリスティックな女優だ」という風に評価されたのか、「キャリアウーマン役なら黒田だ」というイメージが出来たみたい。「仕事をやらない」宣言の後、女優として復帰出来るか、皆心配していたけれども、逆にいい形で経験を生かせましたね。
□ところで、甲寿さんと初めて会ったのは、6年くらい前かな。これまで、私はいつも公平な立場で自由にものを言いたいという思いから、「名前を連ねてくれ」という依頼があっても、絶対に引き受けなかった。でも甲寿さんの仕事ぶリを見ていると、本当に誠実にやっていらっしゃる。そういうのに感動して、今回初めて励ましの言葉を贈りたくなりました。「頑張って」と、私もこの場で名乗りを上げようという気になったんですよね。
(1994)
黒田福美 (くろだ・ふくみ)
1956年東京生まれ。女優。
桐朋学園大学演劇科卒業。
映画「タンポポ」(伊丹十三監督)の演技で注目を集める。
数多くの映画・TVドラマなどで活躍、最近では「悪魔のKISS」(フジテレビ系)、「大人のキス」(日本テレビ系)、「あひるのうたがきこえてくるよ」(椎名誠監督)などで個性的な投どころを好演。
韓国語も堪能で、ソウルオリンピックの頃は数多くの番組の企画に携わり、 レポーターとしても活躍した。著書に「ソウル・マイハート」(草風館)がある。
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