次の世代に民族の思いを伝えるために
俺は今年もワンコリアの現場に足を運ぶ

白竜

役者であること。ミュージシャンであること。在日朝鮮人としてワンコリアフェスティバルに参加すること。そのどれもが同じ自分だと、白竜は言う。自分たちが築いてきたものを、若い世代に伝えるために。とにかく現場に行き続けることが大事なのだと、熱く語る。

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 南北統一への思いを込めて、音楽のイベントをやろうと思っている。一緒にやらないか……鄭甲寿が情熱を持ってそう語ったのは、10年前のことだった。自分自身、同じ思いがあったし、彼の情熱は本物だと思ったので、「いいよ、俺も出るよ」と答え、第1回目から参加した。

 その時はまったく観客が入らず、かなり悲惨な状態だった。それでも2回目、3回目と彼はメゲずに続けていく。僕は途中3年ほど出ない時期があったが、また出るようになり、結局10回目までつきあうハメになった。そして今年はついに、東京でも開催するという。確実に輪は広がっているのだ。そのことを、つくづくと実感しないではいられない。

  10年前にこのワンコリアフェスティバルを始めた頃、僕たちはまだほんの子供だった。それが今では、皆それぞれの分野で活躍するようになっている。一番脂の乗る年頃になったというわけだ。社会に対する影響力も多少は出てきた。目立った活躍をしている人も少なくはない。

 20歳そこそこの若い日、在日の若者どうしでよく夢を語ったものだ。映画監督になりたい。イラストレーターになりたい。役者になりたい……その頃そうやって熱い思いをぶつけあった仲間たちのうち、半分は成功している。一流のイラストレーターとして売れっ子になったヤツもいる。金守珍が率いる新宿梁山泊の旗揚げ公演の時は、僕も参加したが、彼も今では日本を代表する演出家の一人だ。映画監督の崔洋一にしても、最近の活躍ぶりは目を見張るばかりだ。

 思いを継続させること。それが何よりも、力になる。

 

  若い人たちが夢を語る
  出会いの場になればいい。

 音楽を始めるきっかけは、10代で出会ったビートルズだった。そんなロック少年が、19歳の時、朝鮮の民族楽器・伽耶琴と出会った。民族文化を知るために、100日間程の勉強会に参加した時のことだ。僕はその時は真剣に、伽耶琴のソリストになりたいと思った。そして金剛山歌劇団に参加し、平壌に公演旅行に行ったが、帰ってから今度はチェロに転向した。20代の前半の短い間に、そんな風にいろいろなことがあったが、26歳の時にロック・ミュージシャンとしてデビューした。その時たまたま、親のことなどを歌ったために、世間はかなり政治的なとらえ方をしたようだ。光州事件との関連でレコードが発禁になり、新聞にデカデカとそのことが書かれたれりした。

 でも自分としては、別に政治的な思いがあって祖国のことを歌ったのではない。たまたま時代もパンクやレゲエなどが浮上した頃で、メッセージ色の濃い音楽や第三世界に対する視線が求められていた。僕もそういう時代の流れの中で、シンプルなラブソングや親の祖国への素朴な思いを歌っただけのことだ。だがあの頃は、在日の人間が在日であると表明してそういう歌を歌うだけで、世間はそれを特別なことのようにとらえたのだ。

 今、確かに時代は変わっていると思う。日本の社会も、新しい視点で在日の存在を見始めた。多少ファッション的なコリアン・ブームといった感じもなくはないが、それはそれでかまわないと思う。若い連中が、僕たちの存在に興味を持つというのは、意味があることなのだ。ワンコリアフェスティバルも、昔の運動体の流れではなく、若い人たちの表現欲求や感覚的なものを中心にしたから、ここまで広がったのだろう。

 だがここまで来ることができたのは、僕たちだけの力によるものではない。僕たちは上の世代の人たちから、民族のこと、在日のことを学んだ。先駆者がいたからこそ、僕たちはこういうことを始め、継続することができた。僕らはそういうことを、もっと若い世代に継承していかなければならない。そのために自分ができることは何かといえば、在日の名前を名乗り、歌える場所を、自分たちで作ることだ。僕がワンコリアフェスティバルにかかわり続けているのは、そういうことだ。

 若い連中は僕たちを見て、10年先輩はこういうことをやっている、20年先輩はこんな風に頑張っていると、心の底に刻みつけるだろう。それを覚えていれば、今度は自分たちがもう少し上の世代になった時に、何かやろうと思うに違いない。僕らが若い時に多くの友人たちと夢を語りあったように、ワンコリアフェスティバルが若い仲間たちが夢をぶつけあう場になればいいと思う。

 継続は力だ。継承することにこそ、意味がある。ワンコリアフェスティバルに対して、批判をする人もいるだろう。離れていく人も、いるかもしれない。でも手を引くのは簡単だ。が、何もしないところからは何も始まらない。僕は自分を生かすためにも、ワンコリアフェスティバルをもっといいものにしたい。そして、若い人に手渡したい。

 そのために、僕はワンコリアフェスティバルという現場に、これからも足を運び続けるだろう。

(1994)

 



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====白竜(はくりゅう)
1952年10月生。本名・田貞一(ちょん・ぢょんいる)。
79年「アリランの歌/シンパラム」でミュージシャンとしてデビュー。
多彩な音楽活動を展開し、現在、ニューアルバム制作中。
また、俳優としては崔洋一監督「いつか誰かが殺される」でデビュー、北野武監督「その男凶暴につき」で準主役を演じ、高い評価を得る。映画の他、Vシネマ、テレビに多数出演。
ワンコリアフェスティバルには初回よりミュージシャンとして参加、93年にはワンコリアフェスティバルイメージソングを作曲、当日の披露及び自身のアルバムにも収録した。

 

 

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