明日、河は海へと向かう
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篠籐由里
┏┿┥┝┿━бその男のウワサは、よく聞いていた。
無謀なヤツ。霞を食って生きている男。人さらいみたいなところもあるが、それでいて妙に人好きのする奇妙な男……。
「私たちが飲む計画をたてると、まるで見ていたかの如く大阪から電話があって、東京に行くから飲みましょうと言ってくるんです。なんか不思議なんですよ、あの人は……」噂を振りまいているのは、作家の小林恭二氏だった。いったいどんな男が現れるのか。好奇心と不安ないまぜで新宿のバーで待っていると、その男は「ワンコリアの鄭です」と、妙に軽い感じで ヒョコヒョコとやってきた。そしてグラスを重ねるうちに、「そうだ、今年のワンコリア、みんな見に来てよ」と、飄々と言うのである。小林氏を始めその場にいた連中は、「よし、それじゃあ行きましょう」と、魔法をかけられたように答えていた。
かくして二年前の秋、私は小林隊長にくっついて大阪へと向かった。二泊三日の間、鶴橋で焼き肉を食べ、黒門市場で河豚を食らい、その合間にワンコリアフェスティバルを見、夜はスタッフや出演者と飲む……楽しいが、いったい何が本来の目的であったのかよく分からない旅だった。
ところが気がつくと、今年東京で開かれるワンコリアフェスティバルの実行委員会に参加させられているのである。いや、正確には「気がつかないうちに」、だ。まことウワサどおり、鄭甲寿という男は人さらいであった。
さらわれてから、少し考えこんだ。私は正直言って、南北統一を自分の問題として切に望んでいるわけではない。それならなぜ、自分はこんなところにいるのか……。
20代の間、私は「国境」にこだわってアジアを旅し続けていた。中国とパキスタンの国境。アフガニスタンとパキスタン。タイ・ラオス・ミャンマーの国境……。どこに行っても、紛争の影があった。どういうわけか私は、インドにおいてはチベットからの亡命者に、タイでは山を越えて密入国してきた少数民族に間違われてしまう。おかげで、ミリタリー・ポリスや国境警備隊の尋問を何度も受けるハメに陥った。その旅の末に、奇妙な縁で、国を持たぬ少数民族の人々と一緒に暮らすようになった。彼らは文字も持っていない。それだけに、記憶力や伝承力は桁外れだ。男はみな、その民族の始祖から自分までの系図を諳んじている。今もシャーマンが村で大きな役割を果たし、男も女の畑に行く道すがら、山の向こうまで届く声を張り上げ、即興で歌を交わしあう。そうやって脈々と流れる千年の歴史の果てに生きている彼らは、政治や歴史に翻弄され続け、転々と住む国を変えざるをえなかった、さすらいの民でもあった。
国家とは、不条理な存在だ。そもそも人はなぜ、国を作るのか。心の底でいつもその問いが、揺蕩い、燻っている。だが同時に、それでも千年、日々の営みを続けていく人間の逞しさやしたたかさといったものに、勇気づけられもする。……アジアで時間を重ねるうちに、漠然と心の中で渦巻いていたそんな様々な思いが、鄭さんと出会って再び浮かび上がり、私の心をノックした。
私は何も、選びとって日本という国に生まれてきたのではない。たまたま日本人の両親を持ち、この国で生まれたから、選択の余地もなく日本人にされた。同じように、日本に暮らす朝鮮人の親のもとに生まれると、自動的に在日朝鮮人になる。そして生まれたからには、否応なしに国家や民族の事情や歴史、政治、制度といったものに巻き込まれてしまう。理不尽と言えば、これほど理不尽なこともない。
今この国で、コリアンと日本人は、お互い過去の時の流れの果てに、共に生きている。古代にはゆるやかだった流れは、いつの頃からか激流にかわり、岩に激突したリ、澱んだり、時には血で汚されるようになった。その風景の残照はまだ生々しく、人はまだそれを忘れることができないでいる。
だが河はいつか、いろいろな流れを集め、大きな流れとなって、確実に海に向かって流れてゆくはずだ。
朝鮮半島の統一に関して、自分の問題として引き寄せきれないものがあったとしても、この国で彼らの思いに触れることで、アジアを滔々と流れる千年の河を夢見ることができるような気がする。だから私は、今ここにいるのかもしれない。
篠藤由里(しのとう・ゆり)
作家。
「ガンジーの空」で海燕新人文学賞を受賞。 旅のエッセイ、音楽のエッセイなどを中心に執筆活動を展開している。
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