舞台の上では、近藤等則さんが汗を激しく飛び散らせながらトランペットを吹き鳴らしている。
全身全霊が音になって弾けているような強烈な響きだ。前に座っているのは韓国のサムルノリの四人。
それぞれが民族楽器をリズミカルに打ちたたく。
大地から湧き立ち、天へとこだましていくような土俗的な迫力がすごい。
その横で「鼓童」から独立しソロ活動を始めたレナード衛藤さんの和太鼓のパチが降りおろされる。
ぶつかり合うさまざまな音を吸い込んでは絶妙に返していく。
鍛えぬかれた彼の肉体から発せられる一ふり、一ふりが心臓の真芯まで響く。
この一大セッションを背に、黒田征太郎さんが大きなキャンパスに向かって絵を描きつづけている。
缶ごと絵の具をたらしては、両手でそれをこね回す姿は描くというより戯れるという感じで、背中から躍動感が伝わってくる。
10月17日(1993)、大阪の服部緑地野外音楽堂で開かれた「ワンコリアフェスティバル」の一場面である。
司会者として壇上にいた私は、演奏が聴きたくて客席に降りていた。
午後三時の開幕から四時間以上が経過しており、八時のフィナーレを目前に、夜のしじまは熱い興奮で包まれていた。
今年で第9回を迎えるこのフェスティバルの実行委員長は大阪在住の在日二世、鄭甲寿さん(39)。
南北に分断されたままの朝鮮半島の平和的統一を願い、歌や音楽演奏を通してまず日本の地で一つになろうと企画された催しだ。
これまでも出演者は、南北双方の音楽家たち、在日二世、三世のミュージシャン、そして日本人の演奏者たちと、多彩な顔ぶれが、みんな手弁当で駆けつけて舞台を盛り上げてきた。
私は今回が初めてのお手伝い。学園祭のノリのような素人のスタッフが「ワンコリア」という旗印のもとに、これだけ大きなイベントを成功させてしまうことに、何より感心した。
何ダッテ、ヤリャア出来ルンダナア。
胸を熱くしたのはこのために韓国からやって来た汝矣島オモニ合唱団と、在阪オモニコーラスが一緒に「ウリエソウォン(私たちの願い)」を合唱したときだ。
統一への熱い想いがメロディーにのって広がっていく。歌が終わって抱き合うオモニ(お母さん)たちの目が赤い。
最後に特別イベントとしてイリュージョンが行われた。つり上げられた檻からいつ脱け出たのか、客席の後ろから突然現れたマジシャンの安聖友さんが、一つになった朝鮮半島の旗をなびかせながら舞台に駆け上がったときは、大喝釆で熱気も頂点に達した。
フィナーレは、朴珠里さんが歌う「ハナの想い」を全員で合唱。ハナ=一つという言葉に願いがこもる。
私事になるが、この連載の読者の皆さんが大勢来てくださった。たくさんの人たちと「ハナ」なんだと励まされました。
ありがとう。
最後の挨拶で、「来年、一九四四年の第十回…」とやってしまい、爆笑をかってしまった。やっぱりドジで締めくくってしまう。
1994年に名実ともにワンコリアになっていればどれだけすてきだろうか。